「僕らには伝えなければならないことがある」“核のゴミ捨て場”と化した場所で、若いストリートアーティストはグラフィティとソーシャルメディアで自国と世界につきつける。
中央アジアにあるカザフスタン共和国(以下、カザフスタン)。この国が核のゴミ捨て場と化してしまったことはあまり知られていない。核爆弾の被害者はヒロシマ、ナガサキのだけじゃない。「カザフスタンのセミパラチンスク、この場所は世界から忘れられている。そして、21世紀のいまも同じ過ちを侵そうとしている人たちがいる」。そう語るのはカザフスタンの若手ストリートアーティスト、パシャ・カス(Pasha Cas、22) 。「カザフのバンクシー」との呼び声も高い彼。過去には、閉鎖されたかつての核実験場に侵入し、廃墟となった建物の壁一面にエドヴァルド・ムンクの名画『叫び』を描いた。その様子をおさめた動画はインターネットを通して世界中に広がっている。
覆面なしで封鎖された核実験場に侵入するグラフィティアーティスト
Pasha Cas(パシャ・カス)
「ストリートでこんなすてきな子を発見」。ロシアのサンクトペテルブルクを旅行していた友人からの一通のLINE。それが私がカザフスタンのストリートアーティスト、パシャ君の存在を知ったきっかけだった。続いて送られてきた写真を見て納得、端正な顔立ちで爽やかだ。そして「彼、アーティストでおもしろいことやってるからウェブサイト見てみて」と届いたのが、その爽やな見た目からは想像もつかないセミパラチンスク核実験場で撮影された空撮動画だった。
“僕はPasha Cas、カザフスタン出身のストリートアーティストだ。
僕はいま、セミパラチンスク核実験場内に立っている。
1945年8月、アメリカ合衆国は広島と長崎に原子爆弾を投下した。
そして、17万人以上の人が犠牲になった。
1949年以降、616個の核爆弾が、ここセミパラチンスク核実験場に落とされた。
その実験により、150万人以上の人が犠牲になっている。
カザフスタンは21世紀における核処理の廃棄場と化した。
にもかかわらず、政府はまだ人体実験を続けている。
沈黙。恐怖。絶望。犯罪。”
動画より。
ロシア語の動画が最初に公開されたのは2016年。のちに英語字幕がついたものがアップデートされ、視聴回数はいまも伸び続けている。
どこまでも続く広大な荒野。そこはいまも見えない脅威にさらされている。ポツンと残された廃墟の中で、放射線防護服を着た彼はこう訴える。「21世紀のカザフスタンは『核のゴミ捨て場』と化してしまった」と。国民の叫びをムンクの『叫び』に重ね、その声はどこにも届くことなく、この放射能汚染地域の中で行き場を失っている。
ソビエト連邦は「近隣住民への影響があることを知りながら」それを隠蔽し、1949年から89年までの40年間、450回以上もの核実験をセミパラチンスクでおこななってきた。それにより、核実験場の周囲に暮らす人々は何も知らないまま被ばく。様々な病に侵されてきた。被害はいまなお拡大し続け、被害者数は推定150万人以上とされている。
※インスタレーション。
僕らの国は豊かになっているって? 冗談じゃない
政治体制や社会構造など現代社会の病巣をつつく、ブラックユーモアの効いた社会風刺グラフィティ。そういった作品をつくるアーティストはバンクシーをはじめいろいろと存在するが、ここまでリスクの高いことをしながら覆面ではないというのは珍しいだろう。
パシャ君が生まれたのは90年代。つまり、ソ連が崩壊し、カザフスタンが独立した*後のことだ。彼が育ったアルマトイはカザフスタンの経済、教育、文化の中心地。「メディアによく紹介される場所です。カザフスタンのいま、としてね」と、なんだかシニカルな物言いなのは「都市部だけを見れば、表向きは豊かになっているように見える」から。「実際はこの国はいまも問題だらけ」。特に放射能や工業地帯の環境汚染問題は深刻で、国民への健康被害も相次いでいる。「なのに、科学的根拠に基づいたデータを提示し警告を鳴らす専門家の声は聞こえてこないし、多くの国民は無関心」。無関心なのは、知ってて知らぬふりというだけではなく、情報社会になったとはいえ、未だに国にコントロールされた情報にしかアクセスできない人も多数存在するいるからだ。
※1991年のソビエト連邦崩壊後、カザフスタン共和国として独立した。
国の問題を主要メディアが報じないというのは、どこかで聞いたことがある。情報がコントロールされているからなのか、本当に誰も声をあげようとしていないのか。「その両方だと思います。『声をあげても変わらない』と諦めてしまった人、また、旧ソ連体質が抜けないこの国に辟易して海外へ出ていく人も少なくありません」。不運なのは、それらの人々の多くが科学やテクノロジー、哲学などあらゆる分野における知識層であること。それが現状把握をより困難にし、この国の問題を深刻化させている。
アンリ・マティスの「ダンス」をモチーフにした壁画。
工業都市テミルタウ近郊の集合住宅ビルに描いた、アンリ・マティスの「ダンス」をモチーフにした壁画。手を取りあい輪になって踊る人々の間には、モクモクと黒い排気ガスを出す不気味な煙突、というコンセプチュアルな作品は「反響が大きかったぶん、警察から出頭要請もありました」という。しかし、国外のマスメディアにも取りあげられたことで、国内外からカザフスタン政府への批判の声があがった。結果「政府は世論の声を無視できなくなり、この集合住宅の周りに約300本の木を植えました。その一連の出来事を取りあげてくれたジャーナリストもいました」と、なんだか良い話じゃないかと思いきや、これにはオチがつく。「ただ、一ヶ月後には300本すべての木が枯れてしまいました」
自国がダメなら、海外のより大きなメディアの力を借りる手も
現在のカザフスタンは形式的には民主主義だが「検閲とプロパガンダ。事実上は(大統領の)独裁国家みたいなもの」。そういった問題は、残念ながらいまやカザフスタンに限った話ではないが、今回の取材にあたりパシャ君のロシア語を英語に翻訳してくれたウクライナ出身、ミレニアル世代のアレックスはこう話す。「中央アジアの状況は気の毒だ」と。
「同じ旧ソ連諸国でも、地理的にヨーロッパに属するウクライナは中央アジア諸国より恵まれていたと思う。ロシアの権力がヨーロッパ圏内に及んで欲しくないという欲得に基づいたものだったにせよ、西ヨーロッパや米国といった民主国家に独立をサポートしてもらった背景があるから。一方、カザフスタンをはじめ中央アジアに位置する国は(優先順位が低かったため)独立支援に恵まれなかった。その分、問題が表面化するのに時間がかかり、民主化も遅れてきたはず。国民の選択肢も限られているだろう」。
最近はロシアのサンクトペテルブルクで活動することが増えているパシャ君。「同じ価値観を持ったアーティストやオーディエンスが多く、またメディアの影響力もカザフスタンより大きいので」と話す。
カザフスタンに残るか、嫌なら去るか。カザフスタンでは「愛国心」を表現する作品でないと、ミュージシャンもアーティストも評価されない、と彼はいう。だが「この国を去っても、何も変わらないし、変えられない。僕より若い世代もずっと汚染まみれの水を飲み、土で遊び、空気を吸い続けるような国でいいのか」。この国にはいますぐ取りかからなければならない問題が山ほどある。彼がソーシャルメディアを駆使して国内外の両方にむけて発信する理由は大きく二つ。「一つは、自国の人々の意識を喚起するため。そしてもう一つ、自国よりもずっと大きな影響力を持つ諸外国からの関心と援助が必要だから」。だから、彼は発信し続ける。一人でも多くの人に届くように国籍も顔も声も隠さずに、等身大の若者として。
Interview with Pasha Cas
Photos and Video via Pasha Cas
Translation by Alex Zagoro
Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine