#003「実の母親に35年監禁された女囚人」—「超悪いヤツしかいない」。米国・極悪人刑務所の精神科医は日本人、大山せんせい。

重犯罪者やマフィアにギャングが日々送られてくる、“荒廃した精神の墓場”で働く大山せんせいの日記、3ページ目。
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「搬送されたギャングが目の前で撃たれた、なんてこともありますよ。
それで、病院のスタッフには『先生あぶないです!』なんて言われちゃったりして。でも、僕、好きなんですよ、この仕事」

大山えいさく。「日本では鍼灸師めざしてました!」と朗らかに笑う顔からその真意は見抜けない。
極悪人刑務所で、極悪人たちをカウンセリングしてのけるんだから…。
普段はフツーの精神科に勤務しているという。平日の月〜金だ。
大山せんせいは、わざわざ土日に好き好んで極悪人刑務所に当直し、
重犯罪者やマフィア・ギャング、治る見込みのない患者が日々送られてくる
“荒廃した精神の墓場”と呼ばれる精神病棟で働いている。

そんな謎だらけの大山せんせいに、長年書き溜めてきた日記をもとにいろいろとお話ししてもらおうと思う。

1話目から読む▶︎#001「自尊心より下半身で選択した、精神科医という道」

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#003「実の母親に35年監禁された女囚人」

  私はなぜ彼女が私を指名したのかわからぬまま、抑えられぬ好奇心から週に一度のカウンセリングを引き受けることにした。カウンセリングはその年の7月にはじまった。

 いつものことなのだが、初めてのカウンセリングの前はむしろ彼女の情報を入れないように努める。先入観を持ちたくなかったからだ。が、難しかった。色々なところで彼女の話が出てきた。彼女が僕をカウンセリングの相手に指名してから、余計に色々と皆が私に協力しようと知る限りの情報をもたらしてくれた。話をさえぎったりして聞かないようにしていたが、メールでわざわざ送ってくれたりする人間もいて、抵抗は結局あきらめた。

 カウンセリングの初日。病棟の外に連れ出すことは禁じられているので、病棟内の食堂脇のカウンセリングルームですることにした。この部屋はグループカウンセリングにも使えるほど広く、八階にあるため良く日のさす窓からは周りにビルがまったくないためか、遠くマンハッタンのビル群が遠く青白いギザギザした山並のように見えた。

 部屋に行くとすでに彼女は部屋の前で待っていて、私に向かって力なく微笑んだ。一見は背の高い痩せた黒人であるが、白人の血が半分混じっているように肌の色は薄めで、鼻も白人のように筋が通っていて細く高かった。彼女は50代だったが、年よりも10は若く見えた。
 彼女は確かに美人だった。最初のセッションで彼女の顔を正面から見たときに、初めてそう思った。彼女がいつも顔を伏せて歩くから、それに気づかなかったのだ。

 カウンセリングだが、私はいつも同じ質問からはじめる。

“What brought you here?(なぜここに?)”
 
 彼女は自分の診断がBipolar Disorder(ビポラー・ディスオーダー、躁うつ病)とPTSD(外傷性ストレス障害)だということを告げ、「自分は事件を起こして刑務所に来た。そこでそれらの診断を受けて審判に行ったあと司法精神病院に送られてきた」と淡々と話した。私のいる司法精神病院というのは主に重罪を犯した精神患者の内、責任能力がないとみなされた者を収容する病院である。どんなことをしたのかを聞くと、彼女は私の目を見て、

“I killed my mother.(母親を殺したの)”

と言った。
 何が原因かと聞くと、母親と大喧嘩をして銃が手元にあったから、と。彼女は淡々と答える。答え慣れているのがわかった。人から聞いた物語をかたっているような感じすら、した。それまで何度同じ質問を受けてきたことだろう。質問のたびに逆なでされた心は鈍麻していったのかもしれない。

 調書では、彼女が銃で最初腹を一発撃ち次に至近距離で顔に二発撃ったとなっている。事故で暴発したら一発で済むはずが、二発三発目は明らかに怨恨から来ていると考えた。

“Why did you request my therapy?(どうしてカウンセリングに僕を選んだんだい?)”

と次に聞いた。彼女は少し微笑んで

“No specific reason but I’d like to talk with you.(特に理由はないわ。あなたと話したかったの)”

と答えた(後に彼女は、無意識にもちゃんと理由があったことを思い出すのだが)。

 いまどういう症状に苦しんでいるのかをまず聞く。彼女が訴えたのは、母親を殺したときのフラッシュバックや慢性的な抑うつ気分、空虚感や孤独感。

 彼女は殺した後のことをまったく覚えていなかった。記録によれば、彼女は母親の首と両乳房と大陰唇を切断したということがわかっている。
 その切断は犯行の直後に行われているが、彼女には記憶がなく、冷蔵庫に母親の首を見た記憶があるというが、実際は食卓テーブルの皿の上に並べられていた。母親の愛人が訪ねてきて犯行の次の日にそれを見つけてすべてが露見したのだった。

 どうやらもともとは母親が被害妄想の強い人で、何かしらの精神疾患を持っていたと思われる。統合失調だったのかもしれない。母親は白人の元恋人との間に彼女をもうけた後、すぐに別れて女手一つで育てることになった。母親は仕事を転々とした。それと同時に男も転々とした。手に職や資格があるわけでもなくSSI(生活保護)を受けていた。

 ベッティの親戚の話では、彼女がようやく歩きだせるようになったころ、外に出るとその愛らしさでよく周りの人間から声をかけられたという。ある日、母親は声をかけてきた近所の初老の男性を「強姦魔、レイピスト」と罵った。それから、母親はベッティを部屋の外に連れ出すのをやめたらしい。母親から外に出ることを禁じられ、「外に出るとレイプをされたり、放射能をあびたり、悪い病気がうつったりするよ」と教えられたそうだ。これは明らかに母親の被害妄想に思える。
 小さい彼女はレイプの意味がわからず、ただ漠然と人生で最悪のことが起こるとだけ考えていたらしい。

 ベッティは未だに頻回に手洗いする。病院の庭から帰れば20分以上洗っている。手が汚いままに思えるからだ。これはこの幼児体験の影響が強い。思春期にある強迫的な手洗いは自慰行為で汚れた手の汚れを取ることと関連していることから、自分の性欲を罰しようとする精神の表れだと考える分析医もいる。この手洗い症状から彼女は、強迫神経症の診断も下されている。

 話を元に戻すが、その後この母親の外界に対する妄想的な恐れから、彼女はある日を境に部屋に「監禁」されることになった。母親が仕事に出るときはベッティは夕方まで窓辺に立つことを禁じられ、部屋で本を読んだり絵をかいたりして過ごしたという。窓辺に立っているとベッティが学校に行ってないことが見つかって通報されるかもしれないと母親は恐れたからだという。部屋の中から街路樹なんかは見るものの草や木も実際彼女は物心ついてからは触ったことがない。

 なぜならベッティは35年もの間、実の母親に監禁されることになるからだ。

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Text by Eisaku Ooyama
Editor: Sako Hirano

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