チェルノブイリのかつての子どもたちの現在。原発事故から30年、彼らが生きるのは“チェルノブイリが生んだ町”スラブチッチ
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1986年4月、チェルノブイリ原子力発電所が爆発した。その2年後、避難民のために森林地帯を切り開いて作られたのが、現場から約50キロ東にあるニュータウン、Slavutych(スラブチッチ)。いまでもおよそ2万5,000人が住む町だ。

“チェルノブイリが生んだ町”で暮らす人々のなかには、現在でもチェルノブイリ原発での除染作業や、来年完成予定の事故機を覆う巨大なアーチの建設などに携わる者もいる。

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

そしてその多くは若者。主要産業もなくチェルノブイリがもたらす雇用に大きく頼る“未来の可能性のない町”で彼らは、まだ生まれてもいなかった親世代に起こった過去の惨事をいま清算しようとしている。

そんな若者の姿を3年間にわたりカメラに収めたのがスイス人写真家のNiels Ackermann(ニールズ・アッカーマン)。この度、写真集『L’Ange Blanc. White Angel(白い天使)』を出版した写真家に、事故から30年を迎えるいま、そこに刹那的に生きる若者たちや町の現状、そして未来について聞いた。

そこにはまだ、ソ連時代の残り香が漂う

「初めてスラブチッチを訪れたとき、一緒にいたキエフ(ウクライナの首都)出身の友達が涙を流したんだ。幼少期を過ごしたソ連時代の故郷を思い出して」

 スイス出身のニールズがこの地に足を踏み入れたのは2012年2月。ソ連時代(※)の建築物を撮影することが目的だった。
※ウクライナは1991年にソビエト連邦が崩壊するまで、ソ連の構成国であった。
 
「スラブチッチの道や建物はきれいに整備されている。広告で埋め尽くされた建物など、キエフにある“資本主義的な風景”はないんだ。スラブチッチの街には、かつてのソ連時代にあった雰囲気が未だに残っている」

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

「この町を選んだのは、“チェルノブイリ”に関心があったからってわけではない。チェルノブイリというとみんな口にするのは、放射能の危険性や癌のこと。でもぼくは、ソビエト政府によって計画された都市がどのように機能し、そこに生ける人々がどのような暮らしをしているのかに興味を持ったんだ」

“チェルノブイリ”に頼る町

 現在、約2万5,000人が住むスラブチッチ。原発事故により約5万人の住民が避難、ゴーストタウンと化した原発近郊の町Pripyat(プリピャチ)に代わり作られた町には、事故を起こした4号機の管理や2000年まで運転していた1〜3号機の業務に携わる原発従業員とその家族が住んでいた。また多くの若夫婦が移り住み子どもを産み、その子どもたちが大人になった。

 森に囲まれた街は徒歩で回れるほどにコンパクトで、中心部には大きな公園、市役所、学校、スーパーマーケット、ナイトクラブなどがあり、その周りを住宅街が囲む。また教育や医療システムもしっかりとしており、ウクライナ一住みやすい街にも選出。ソ連が国家プロジェクトとして資金をつぎ込み建てた都市は、今でも「清潔で緑多き静寂に」佇んでいる。

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

 しかし、経済産業は栄えているわけではない。首都キエフから車で2時間半ほどの遠くに位置しているため経済市場も小さく、隣国ベラルーシもヨーロッパ経済の中心にいないため経済的利点もない。そんな町は、やはり未だに“チェルノブイリ”に頼っている。

 スラブチッチの住民およそ3,500人が現在でもチェルノブイリで働く。第4号機の解体作業や溶け出した核燃料の取り出し作業に従事する彼らは、毎朝1時間ほど電車に揺られ仕事場まで通う。

 また現在チェルノブイリ原発では、大掛かりな建設プロジェクトが遂行中。
 事故を起こした第4号機原子炉を封じ込めるための外壁コンクリート建造物が老朽化してきたため、それをすっぽりと覆う高さ100メートルのアーチ型石棺を新たに建設している。自由の女神がすっぽりと入ってしまうくらいのこの巨大シェルター、100年先まで持続するという。
 フランスの建設会社「Novarka(ノバルカ)」が着工したこのプロジェクトに、若者たちは放射線線量測定士やトラック運転手、溶接工、配管工、電気工、建設作業員として携わっている。

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

「ウクライナで最も大規模で自国の、そしてヨーロッパの未来の安全に関わるこのプロジェクトに参加していることを若者たちは誇りに思っているんだ」とニールズ。まだこの世に生まれてもいない時代、親の世代に起こった惨事をいま修復しようとするチェルノブイリの子どもたち。

 スラブチッチは、“チェルノブイリが生んだ町”であると同時に、今でも“チェルノブイリがあってこそ生ける町”なのだ。

被写体の中心人物、ユリア

 そんな“チェルノブイリに頼る町”の建築を撮影していた写真家ニールズだが、「建築」という題材に行き詰まりを感じていた。若者たちの姿を撮ろうとしたが、いいモデルがいない。もうプロジェクトもおしまいにしようか考えあぐねていたある晩、決定的な出会いがあった。

「彼女と出会ったのは夜の公園。酔っ払っていて連れの男にキスしようとふざけていたんだ。その姿が可愛らしいなと思いカメラを向けると、彼女はこちらに気づき、言葉を交わしたのが始まりだった」

 “彼女”とはニールズの写真プロジェクトの中心人物で、スラブチッチで生まれた“チェルノブイリの子どもたち”のひとり、Yulia(ユリア)。当時23歳、職もなく暇を持て余していた彼女は、英語が話せることも手伝ってニールズに街案内をするように。複数の男性と付き合い奔放な恋愛ライフを送っていた活発な女性だった。

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Photo: Niels Ackermann/Lundi13

 写真を撮られることにオープンだった彼女をニールズは最初の被写体にし、彼女の親友や他の友達も撮り始めたという。

「通訳もジャーナリストも連れずに“彼らの生活をドキュメントする”ためひとりでやって来たぼくをみんなすぐに理解してくれた。彼らが酒を飲んでいるときはぼくも一緒に酒を飲み、どこかに出掛けるときはぼくも一緒に同行したんだ」

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

 彼らと共に行動し輪に融け込みつつも、距離感も大事にしたニールズ。ユリアと交わした唯一の約束は「(煙草を吸っているのは母親に内緒なので)喫煙している写真に撮らないこと」だったのだとか。こうしてスラブチッチに生ける若者の姿をカメラにドキュメントすべく、4年かけてジュネーブと現地を計16回行き来した。

「放射能よりもドラッグやアルコールで命を落としている」

 スラブチッチの町には市営映画館が1つ、バーやナイトクラブは2、3軒。美術館もない街で若者の娯楽といったらもっぱら“仲間と飲むこと”。

 ユリアの親友で、チェルノブイリ原発で線量測定士として働く陽気なKiril(キリル)はパーティー好きな27歳の青年。ある日、彼に連れられニールズは墓の前に立っていた。

「その墓は彼の友達の墓だった。その友達はアルコールかドラッグが原因の事故で命を落としたらしい。そしてキリルはこう呟いたんだ。『この街では放射能よりもドラッグやアルコールで命を落としている人が多い』と」

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Photo: Niels Ackermann/Lundi13

 また放射能の影響に対してスラブチッチの人々は「現実的に捉えている」とニールズ。定期的な健康診断に検査、被ばく量の測定など、日常的に放射能のことを数値でしっかり見つめているという。

 とはいえ被ばくの影響を考慮し、チェルノブイリの従業員は2週間働くと2週間の休みをもらえる。つまり月の半分は休暇なのだが、スラブチッチの町ではさほどすることもない。
 それに加え、平均月収およそ200ユーロ(約24,000円)以下の彼らにとってウォッカは安価で求めやすい。2週間の暇を持て余し、若者たちは結局飲むことに時間とお金を費やしてしまうのが現状らしい。

「ある日、仲間のひとりの給料日を祝ってみんなでバーに繰り出した。そこでウォッカのボトルを何本も空け、彼は2週間分の給料をひと晩ではたいてしまったんだ」

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

将来より“いま”を生きる。若者たちの刹那的ライフスタイル

 3年間を若者と共にしたニールズ、スラブチッチの若者たちが将来を気にせず、“いま”を一生懸命に生きていることに気づいた。

「ぼくの母国スイスの若者は、“いま”よりも“将来”のことを見据えて貯金をしたり保険に入ったりする。でも彼らは未来を計画することに無頓着なようだった」

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

 1年足らずでスピード結婚をし、そしてすでに離婚したユリア。アパートを改装するとき、あらかじめ図面を用意することもなくとりあえず壁を壊すことから始めていた若者たち。
「結婚して子どものある家庭を築きたい」、「他の街に移り住み新たな生活をスタートしたい」と将来像を語るものの、いまの慣れきった生活から抜け出せず、実際に行動までは移そうとはしない。できちゃった婚をするもすぐ別れるカップルも多い。レストランのウェイトレスやレジ係で生計を立てる若者、そして幼子の世話に追われる若い主婦。

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

Teenagers of Chernobyl grew up.
Photo: Niels Ackermann/Lundi13

 未来を顧みずいまの一瞬一瞬を楽しむ若者たちの姿勢や価値観の奥底には、なにがあるのだろう。

 ニールズは、キエフ出身の知り合いが涙ながらにこう言ったことを思い出す。
「人生でこれだけいろいろなことが起きて、どうやって楽天的に将来のことを考えられるの?」

 ソ連崩壊後独立を果たすものの、ウクライナはここ20年余りで混乱している。クリミア半島をめぐってのロシアとの対立、新ロシア派と新欧米派の対立が起こした政権崩壊、反政府デモ、紛争、そして経済危機。

 給料を貯めたって将来を設計したって、明日はどうなるか、そして未来は自分の思い描いた通りになるかわからない。明日何が起こるかわからない母国でチェルノブイリに頼りながら、スラブチッチの若者たちはいまを精一杯生きる。

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Photo: Niels Ackermann/Lundi13

来年、市民の10%が職を失う

「2017年はこの町にとってタフな年になる」

 ニールズがそう語る通り、実際スラブチッチの近い未来はそう明るくはない。来年、巨大シェルターも完成予定で建設プロジェクトが終了するからだ。
 それに伴い従業員3,500人のうち2,500人が失業すると予想される。これはスラブチッチの人口の10%にあたる。

 現在建設プロジェクトでロシア語/ウクライナ語と英語の通訳として働いているユリアは、来年解雇されたらキエフに移住したいと語る。異文化に興味があるという彼女に、スラブチッチの町は物足りないのかもしれない。

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Photo: Niels Ackermann/Lundi13

 原発事故から30年。チェルノブイリが生んだ町で、チェルノブイリの子どもたちが共に生きるもの。それは二度と戻ってはこない青春時代、母国が抱える問題、変わらぬ日常への鬱屈した思い、チェルノブイリがもたらした過去と現在、そしてまだ見ぬ明日への恐れや期待なのだろうか。

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Photo: Niels Ackermann/Lundi13

L’Ange Blanc. White Angel

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Text by Risa Akita (Edited by HEAPS, Satoko Hirano)

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