10代、路上で暮らした。35mmフィルムで写して見た、自分たちの青年期まんなか・ファヴェーラにあった生活と一瞬

10代のストリートチルドレンとの約束。「フィルムを使い切って。24時間後またここで落ちあおう」。
Share
Tweet

塗料用シンナー缶の上に両足をかけ、満面の笑みでガッツポーズを決める青年。裸足でストリートを歩き、ふざけ合う少年たち。ものが散乱する一角に敷かれたマットレスの上で、寄りそって昼寝するカップル。

ブラジルの都市ベロオリゾンテのスラム街の一瞬いっしゅんを、路上に暮らす10代のストリートチルドレンが自分に、自分たちのまわりにカメラを向けて撮った。社会から疎外された青年期、刹那的なひととき。人生の記録。

1995年から25年間のストリートチルドレンによる記録

 写真の被写体は、同じく路上で暮らす同士やなにげない身の回りの場景が多い。そしてしばしば、ピントがずれたり、時には指が写り込んでいたりもする。
 それもそうだ。撮り手はみんな、カメラに触れたことも写真を撮ったこともそれまでほとんどなかった10代の青年たち。社会の片隅で混沌とした生活を送る、ストリートチルドレンたちなのだから。

「1995年、ベロオリゾンテにいたストリートチルドレンの様子といえば、それはもうカオスな状況でした。彼らのほとんどは塗料用シンナーを吸って、酩酊状態でしたから」。

 回想するのは、英国拠点の写真家ジュリアン・ジャーマイン。ストリートチルドレンにカメラをわたした一人だ。友人でもあるブラジル拠点の写真家のパトリシア・アゼベド、グラフィックデザイナーのムリロ・ゴドイと3人で、プロジェクト「No Olho da Rua(“ストリートの目”の意)」を遂行した。ブラジル南東部にある工業都市・ベロオリゾンテの路上で暮らす10代のホームレスにカメラをわたし、好きな場所で好きなものを自由に撮ってもらう。期間は、1995年から2020年までの、25年間。


Station Group Film, 1995 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #02, 1995. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy / Edited by Martin Parr. Published by Morel Books.

 ブラジルのストリートチルドレン事情には長い過去がある。プロジェクト開始の95年、ブラジル大使館によるとブラジル国内には約3,500のファヴェーラ(ブラジルに点在するスラムや貧民街)があったといわれている。またプロジェクト開始2年前の1993年、政府の発表によると国内には700万人の子どもが路上で暮らしていた。彼らは物乞いをしたり盗みを働いたり、麻薬を運んだり売春したり、食べるものがなければシンナーを吸って空腹を和らげたり。教育が受けられず自分の名前を書くことができない子どもたちも多かった。もし「日本の裏側の遠い国の話だから想像しにくい」なら、スラム街に生きる子どもたちを描いたブラジル映画『シティ・オブ・ゴッド』を思いだしてほしい。実話を基に、実際にファヴェーラ出身の子どもたち(もちろん素人)を役者として起用した同作品からは、当時のストリートチルドレンの様子がみえてくるはずだ。

 プロジェクトでこれまで撮影された写真は約1万5,000枚。これらはキュレートされ、18冊のジンとして綴じられている(うち4冊を販売中)。ジュリアンの話とともに、社会から疎外された者たちが写した、刹那的ひととき、彼ら自身の人生の記録を知る。


Haidé Film, 2010 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #04, Sleep. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.

HEAPS(以下、H):95年にプロジェクト「No Olho da Rua」を始動しました。きっかけはなんだったんでしょう。

Julian Germain(以下、J):当時、僕はサッカー文化に関する書籍の撮影を依頼され、出張でブラジルを訪れていました。地元のサッカー文化を探るため、ファヴェーラへ行ったんです。軒先にサッカーシャツが​​干してあったり、壁に子どもが描いたサッカーゴールの絵があったり。いい被写体はあふれていましたが、ファヴェーラは非常に危険とされているため、撮影には限界があった。「じゃあ、ファヴェーラに住む人に写真を撮ってもらうのはどうだろう?」と思いつきました。これがプロジェクトのアイデアになったわけです。

H:そのアイデアをプロジェクトに。

J:はい。友人でありプロジェクトメンバーのパトリシアとムリロが住む都市、ベロオリゾンテのファヴェーラで始動しました。まずは地元企業の協力を得て、カメラやフィルムを用意することからはじめた。

H:カメラとは、使い捨てカメラ?

J:いいえ。プラスチック製の、36枚撮り35mmフィルムカメラです。使い捨てカメラと違い、フィルムを交換すれば何度でも使えるタイプのもの。もう製造されていないのでいまでは入手困難だと思いますが、当時は非常に安価でどこでも買えました。

H:異国の地の、ましてや危険とされるエリアでストリートチルドレンを、どうやって集めたんでしょう。

J:ベロオリゾンテのファヴェーラでサッカーチームをもつ知り合いに紹介してもらったり、直接ストリートチルドレンにアプローチしたりしました。集まった人たちにプロジェクトの趣旨を伝え、写真を撮りたいかを尋ね、撮りたいと答えた約50人にその場でカメラを手渡しした。半数がストリートチルドレンでした。


No Olho da Rua, Archive #01, Portraits. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy / Edited by Martin Parr. Published by Morel Books.

H:当時はもちろんスマホは普及していませんし、ストリートチルドレンたちは携帯電話など持っていなかったと思います。頻繁には連絡が取れないわけですが、カメラの回収はどのように?

J:カメラを渡し「フィルムを使いきって。24時間後またここで落ちあおう」と約束したんです。彼らが戻ってくると新しいカメラをわたし、また撮影を頼む。そのあいだに僕らはどのフィルムがどのカメラから出てきたかを記録し、1枚はプロジェクトのため、もう1枚はストリートチルドレンのためにすべて2枚ずつ現像しました。そして次に彼らが戻ってきたときに、現像した写真とまた別のカメラをわたす。これを約2週間繰り返していました。

H:それを95年から2020年までの25年間。長期にわたるプロジェクトですね。

J:毎年定期的ではなく、僕ら3人のお金と時間に余裕があるときにおこなっていました。25年間で、計12回ほど。
プロジェクト中は、毎晩「彼らはいまごろ、なにを撮っているんだろう」と、とにかくワクワクしていましたよ。そしてカメラを受けとっては現像し、かぶりつくように写真に見入っていた。毎晩36枚撮りのカメラを50人分現像していたので、それはそれはすごい量でした。

H:毎日、1,800枚を確認しつづけていた計算です。95年当時、ベロオリゾンテのストリートチルドレンはどんな感じだったんですか?

J:うーん、カオスでした。

H:カオス、ですか。

J:はい。彼らのほとんどは、塗料用シンナーを吸って酩酊状態。また壮絶な人生を送っていたため、10代にも関わらず当時30歳の僕よりも、老けてみえました。


Station Group Film, 1995 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #01, Portraits. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.

H:他誌の取材で「ストリートチルドレンのなかにはすでに子を持つ者もいた。彼らの人生は、想像を絶するほど厳しいものだった」と話しています。彼らは具体的にどういった暮らしを送っていたんでしょう。

J:ジンを見てもらえれば、彼らの生活ぶりがなんとなくわかると思います。たとえば今後出版予定の「FOOD(食)」がテーマのジンには、彼らが普段取っている食事の写真を掲載するつもりです。ほかにも古汚い鍋に米や肉をぶち込み火にかける写真や、清掃して稼いだ小銭を握りスーパーでコーラのボトルを買っている写真もあります。

H:カメラの受けわたしの際に、彼らとはどんな会話をしたんでしょう。

J:当時10代だった彼らはとてもやかましく、座って会話をするなんてとてもできる状況ではなかったです。それに僕はポルトガル語をほとんど話せなかったので、パトリシアとムリロが話しているのをそばで見ていただけです。

H:当時、プロジェクトに対して周囲からはどんな反応がありましたか。

J:正直、このプロジェクトには否定的な意見が多かった。「どうせ彼らはカメラを売ってタバコを買うだろう」とみんな思っていたんですよね。でも実際、カメラをもってとんずらされたことは一度もありません。それはおそらく、彼らの「自分が撮った写真を見たい」という好奇心がまさっていたからだと思います。いまでいうデジカメのように、撮った写真を画面上ですぐに確認するなんてことできませんでしたから。


Station Group Film (Serginho), 1995 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #02, 1995. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy / Edited by Martin Parr. Published by Morel Books.


Kioma Film, Image of Kioma, 2012 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #03, Dogs and Other Animals. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.

H:彼らのほとんどは、カメラに触ったことがなかったのかと思いますが、使い方から指導を?

J: カメラの操作は複雑ではありませんが、彼らには3つのことを教えました。

1、屋内や暗い場所、夜に撮影する場合はフラッシュをたくこと。
2、レンズに指を置かないこと。
3、落下防止のため、ストラップは手首にかけること。

彼らのほとんどは、撮影に真剣に取りくんでいる様子でした。長い間家族に会っていなかったけど、カメラをもっていることを理由に家族を撮るために実家に帰る子もいましたね。

H:同じく路上で暮らす仲間やなにげない身の回りの場景といったものが多く、またピントがずれ、構図もはちゃめちゃなものもありますね。

J:自由でランダムな写真が多いのは事実です。彼らの多くは、ピントや構図なんて考えたりしないのかもしれない。でも、一概に全部が全部そうだとは言いきれません。

H:と、いうと?

J:「PORTRAITS(ポートレート)」がテーマのジンの写真をキュレーションしているときに気づいたことがあります。「なにを写したいのか」「なにを表現したいのか」「背景をどう使いたいのか」といった、撮る側の意思が読みとれる写真があったんです。たとえばこのジンの表紙写真。これ、ただ木の上に座っている男の子を写したというより、撮る側と撮られる側の対話が想像できる写真だと思うんです。


No Olho da Rua, Archive #01, Portraits. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy / Edited by Martin Parr. Published by Morel Books. Front and back cover.

H:たしかに「この木に座って」「カメラを見て」という会話や「隣には花が入る画角にしよう」という撮り手の意思が伝わってきます。

J:ばっちりポーズを決めたこの写真も同様に、撮る側と撮られる側の対話が想像できますよね。ちなみに彼の両足元にあるのは塗料用シンナーの缶で、これを布に付着させ、吸い、ハイになるのが彼らの日常でした。このように彼らは、写真を通して自分たちの生活ぶりを垣間見せてくれるんです。


Murilo Film, Image of Walter, 1995 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #02, 1995. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy / Edited by Martin Parr. Published by Morel Books.

H:ストリートチルドレンにとって写真とは、自分たちの暮らしを発信する媒体だったんでしょうか。

J:はい、そうだったんだと思います。写真のすばらしいところは、自分が見ている世界を簡単に映しだせることですから。たとえば「DOGS AND OTHER ANIMALS(犬とその他の動物)」がテーマのジンからは彼らの動物への愛情がわかりますし、「SLEEP(睡眠)」がテーマのジンからは彼らの寝床の様子が写真を通して伝わってきます。


No Olho da Rua, Archive #03, Dogs and Other Animals. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books. Front and back cover.


No Olho da Rua, Archive #03, Dogs and Other Animals. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.


No Olho da Rua, Archive #03, Dogs and Other Animals. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.


Kioma Film, 2012 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #03, Dogs and Other Animals. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.

H:とりわけ思い出深いストリートチルドレンはいましたか?

J:ハイディーという女性です。彼女の写真だけで50ページのジンを1冊作れるくらい、パワフルな写真を撮る子でした。なにがおもしろいって、いつもハイディー自身が写真に写っているんですよね。きっと周囲の人に撮ってもらっていたんでしょう。なかでも僕のお気に入りは、これ。女性モデルが写るファッション雑誌を片手に物言いたげな表情をみせる1枚。


Haidé Film, Image of Haidé, 2012 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #01, Portraits. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.


10代だった頃のハイディー。
Image of Haidé, 1995. Carlos Prates Group Film (Otacilio-Haide) ©No Olho da Rua

H:できあがった写真をいざみて、彼らに、好き・好きじゃないというのはあったんでしょうか。

J:彼らが撮った写真に対する意見(どの写真が好きで、どの写真が好きじゃないか)を記録したノートも保管しています。もし彼らが写真を公表したくないと言えば、もちろんしません。彼らには断る理由と権利がありますから。

H:公開したくない理由ですか。たとえばどんな?

J:路上生活を脱却しアパートに住みはじめたある女性に、写真を公開したくないと打ちあけられたことがありました。ずっと、路地生活に終止符を打ち、立派になりたいと願っていたんです。だから、ストリートチルドレンとしてプロジェクトに関わっていたことを公表されることを望んでいなかった。

H:複雑な心境ですね。プロジェクトでは、95年から参加し続けた皆勤賞のストリートチルドレンもいます。彼らはいま40代。10代で写したものと40代で写すものに違いはあるんでしょうか。

J:25年間参加し続けてくれたストリートチルドレンは、約15人います。25年経っているので、もうチルドレンではないですね。この25年間、彼らの被写体に大きな変化はないです。彼らのいる環境に変化がないからでしょう。でも強いていうなら、1995年のまだ10代だった彼らの写真には、宙返りやサッカーをしているエネルギッシュでダイナミックなポーズの(同世代の)被写体がいた。

H:95年といまでは、ストリートの様子はどうでしょう。

J:95年のブラジルには、慈善活動団体やソーシャルワーカーはほとんど存在しませんでした。しかし2003年にルラ大統領*が選出されてから、ソーシャルワーカーが増え、ストリートチルドレンにアパートや学校をあてがうような動きもあり、状況が少しずつ改善していきました。その一方で、路上で生まれ、路上で育ったストリートチルドレンの多くはそんな状況の変化に困惑している様子だったのも確かです。

*2003年から8年間の任期をまっとうした第35代大統領。ブラジル国内の貧困撲滅などを目的に、低所得者向け現金給付プログラム「ボルサ・ファミリア」を創設。貧困家庭比率を2003年の28%から2005年の23%に低下させ、低所得者層から絶大な人気を誇った。2017年に収賄罪などで有罪判決を言いわたされるも、2021年に無効となった。


Supporters House Group Film (Zilda), 1995 ©No Olho da Rua.


Floresta Group Film, Image of Patricia, 1997 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #01, Portraits. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.

H:25年前に比べ、いま、ストリートチルドレンの数はどう増減したんでしょう。

J:間違いなく減少しました。僕らがプロジェクトをはじめたときは、ストリートで暮らす赤ん坊や小さな子どもをよく見かけましたが、いまでは13歳未満の子どもを見ることはない。これが大きな違いでしょうか。しかし2010年代後半の金融危機によって、ホームレスの数は再び上昇しています。

H:ストリートチルドレンのなかには、いまも同じ通りに住み孫がいる者、姿を消す者、病気・暴力・怪我で亡くなった者などがいると聞きました。プロジェクトはストリートチルドレンにとってどんな存在だったと思いますか。

J:はは、難しい質問ですね。そうですね、このプロジェクトで最も重要なことは、彼らが“フォトグラフィー・ヒストリー”をもてたことでしょうか。

H:フォトグラフィー・ヒストリー、ですか。

J:はい。彼らの人生の一部が写真に刻まれ、カタチとして残っているということです。このプロジェクトがなかったら、彼らはカメラに触れることも、写真をもつこともなかったかもしれない。

H:カメラが彼らの人生史を切りとり、写真がそれを描写する。

J:プロジェクト開始から数年後、ストリートチルドレンがプロジェクトの経験について語るビデオを撮影しました。なかでも印象深かったのが、サンドロという青年へのインタビューです。彼は過去の写真アーカイブを眺めながら「やつのことはいまでも覚えている」「この子には赤ん坊がいてなあ」「こいつは死んじまった」と、まるでフォトアルバムを見返すかのように語ってくれました。こうやって思い出を呼びおこしてくれる写真というのは、彼らにとって大きな価値のあるものだったのだと思います。


Image of Haidé, 2010. Haidé Film. ©No Olho da Rua


No Olho da Rua, Archive #02, 1995. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy / Edited by Martin Parr. Published by Morel Books.


Licaõ Film, 2010 ©No Olho da Rua.
No Olho da Rua, Archive #04, Sleep. By people living on the streets of Belo Horizonte, Brazil and Patricia Azevedo, Julian Germain and Murilo Godoy. Published by Morel Books.

Interview with Julian Germain
—————
Images via No Olho da Rua
Text by Yu Takamichi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

Share
Tweet
default
 
 
 
 
 

Latest

All articles loaded
No more articles to load