カラリズムが染み付いたあとで。成長と友情のなか、いくつもの瞬間でもう一度知っていくアジア人男性のそれぞれ・様々

友だち同士だから撮れた。20代だから撮れた。
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「インド人にマレー人、中国人のハーフがいたりと民族性もみんな違うし、ストレートもいればクィアもいる」。「アジア人」のなかにも、さまざまな民族がいて、さまざまな肌のトーンがあって、セクシュアリティがある。

アジアの多民族国家シンガポールで生まれ育ったフォトグラファーは、国を出て初めてその“様々”が、たった一部しか表現されていないことに気づいた。
それぞれの色、民族、性を混ぜこぜに記録した20代・友人たちとのやり取り・瞬間。成長と友情のなかでもう一度知っていくアジア人であること、男性であること。

成長と友情のなかで気づいていった。

 表舞台に出てくるのは“肌の色が明るい”アジア人。男性ファッション誌をめくっても背が高くてスリムなモデルばかり。「でも、違和感を覚えることはなかったです」

 英国拠点のフォトグラファー、ヒディール・バダルディン。シンガポール生まれ、インド系とマレーシア系のハーフ(肌の色はブラウン)で、クィアだ。
 中国系やマレー系、インド系、アラブ系などさまざまな民族がいるシンガポールでは「同じ人種でも“肌の色が明るいほうが良い”」とするカラリズムが、社会や生活に自然と染みこんでいる。
 そんな環境で育ったから「メディアに露出するアジア人は、肌の明るいアジア人」でも「ファッション業界では、アジア人=色白の東アジア系(中国、韓国、日本など)」でも、特に疑問をもたなかったという。のちに進学のため英国に渡り、他国の文化に触れ、自国の文化を見つめ直したとき、感じた。

「なんで、明るい肌の方がいいんだろう。明るい肌でなければならないんだろう」

 ヒディールが昨年はじめた写真プロジェクト「Younglawa(ヤングラワ)」。マレー語で「うつくしい」の意だ。被写体は褐色の肌のインド系、明るい肌の中華系がいて、筋肉質や華奢などさまざまなボディタイプで、ストレートやクィアがいる。民族性も肌の色も、体型もセクシュアリティもさまざまなアジア人男性だ。彼らはみんな「僕が国を出るまで気づかなかったように、僕と会話するまでカラリズムへの違和感や、一括りにされる男性像に気づいていなかった」という同年代の友人たちだ。

 成長と友情のなかでもう一度捉えていった、アジア人であり男性であることとはどんなものだったのだろう。コロナ禍真っ只中だった6月にロンドンの芸術大学を卒業し、現在「3度目のロックダウン中だよ」という笑顔の画面越しのヒディールに聞いた。

HEAPS(以下、H):シンガポールでは、カラリズムが根深く残っていると聞きます。そのような環境で育つのは、どんな感じだったんでしょうか。

Hidhir Badaruddin(以下、HB):カラリズムは、成長するなかに埋めこまれていた感じなんだ。テレビ番組やファッションキャンペーンに出演していたのは、いつも肌の明るいアジア人。それには慣れていたし同時に自分のような褐色肌の人は、表舞台にはいないという事実にも慣れていた。人々や自分のなかにカラリズムが内在している感じで、それが普通だと思ってたんだ。

H:日常生活でもそれは感じられた?

HB:昔、友だちと外で遊んでいたとき、叔母に「外で遊ぶんじゃない! 日焼けして肌が黒くなる」 と注意されたことがあった。それがずっと頭にあって「外で遊ぶのは良くないんだ」と思いこんでいたっけ。

H:子どもながらに気にしていたんだ。

HB:たとえインド系だとしても、明るい肌であればあるほど、より多くの機会に恵まれるんだから。歳を重ねたいま振り返ってみると、おかしいよねこれ。なんでプレッシャーを感じてまで、明るい肌でなければならないんだろう。

H:歳を重ねていくなかで、どうやってその違和感に気づいたんですか?

HB:ロンドンに越してきて、自国の文化を客観視できたから。自国で自国の文化を話すことはあまりないし、それにカラリズムについて話すことはタブーみたいな感じだし。カラリズムが当たり前で、カラリズムがある生活のなかで成長したからそれをどうこう言う人は周りにはいなかった。同じような経験のあるアジア人の友だちも何人かいるというのもあるね。

H:ヒディールはクィアですが、自身のセクシュアリティについて自国にいたときから気づいていた?

HB:うん。アクションフィギュアやレーシングカーには目もくれず、マイリトルポニー*のおもちゃで遊んでた。6歳か7歳あたりから、自分が他の男の子とは少し違うことに気づいてたんだ。でもこれがネガティブなことだとは思ってなかった。イスラム教徒の家族も受け入れてくれていたしね。

*米国の子ども、特に女児に人気のキャラクター。

H:では、クィアであることはオープンに?

HB:隠してた。シンガポールで同性愛行為は違法だから、LGBTQはたくさんいたけど、あえて口にする人はいなかった。よっぽど信頼している人に打ち明けたいと思わない限りはね。だからロンドンのクィアたちが誇り高く振舞っている姿は刺激的で、おかげで自信を持てるようになった。

H:ロンドンに来てから自分のセクシュアリティを受け入れることができたんですね。

HB:これはアジア共通だと思うんだけど「両親から常に期待される」って、あるよね。人と違うことをすると「間違ってる」と言われたり、両親が望む人間にならなきゃというプレッシャーがあったり、「家族の名前に泥を塗るな」と言われたり。

H:うん、わかります。生まれ育ったシンガポールを出たことで、民族的なアイデンティティへの気づきは?

HB:ロンドンでイベントやホームパーティーに行ったときに、自分はシンガポール出身だと言うでしょう。そうするとね、シンガポールは英語圏の国ではないと考えている人の多いこと。中国と関係がある国、くらいに思ってるんじゃないかな。メディアにおけるアジアのアイデンティティ表現といえば、いつだって日本、韓国、中国といった東アジアだったから。でも実際はもっとアジアのアイデンティティがあるんだよ。

H:ごもっとも。

HB:さらに、自分はインド人マレーシア人のハーフだと言うと、彼らの顔には「?」が浮かぶ。これ、よくあるんだよね。西洋の多くの人はアジアのアイデンティティを一括りでしか見ていないことに気づいたんだ。これがフォトプロジェクトをはじめたきっかけ。

H:写真に興味を持ったのは?

HB:高校時代だったかな。フェイスブックとフリッカーが流行っていた頃。どんなイベントにもデジカメを持参してた。同じ時間は二度とないから、なにかが起こるたびにその瞬間を捉えたかったんだ。

シンガポールでは2年の徴兵制度があって、僕はシンガポールでの大学を卒業後に入隊した。後半には幸運にも従軍カメラマンのポジションをゲットできたんだ。だからライフルを持って森で訓練する代わりに、カメラを構えてオフィスの様子やトレーニング中の風景を撮っていた。

H:徴兵中にもカメラを触れる機会があったとは幸運でしたね。スマホも触れたんですか?

HB:スマホの持ち込みは禁止だったけど、雑誌の持ち込みは許可されていた。だから週に5日のキャンプ中は、英ファッション誌『Dazed』や『i-D』を読んでいた。当時は雑誌の写真を見て、現実逃避をしてたよ。

H:雑誌といえば、2015年にシンガポール発の男性誌『Style:Men』でインターンをしていたと聞きました。当時、誌面に載っていた男性モデルに多様性はあったんでしょうか。

HB:オーマイガー。まったくなかった。でも背が高くてスリムなモデルに対して、当時は違和感なんてなかったよ。

H:「褐色の肌のアジア人男性は主流映画に主演することも、ファッションショーを歩くこともあまりなく、特にファッション業界ではアジア人=色白の中国人・韓国人・日本人」と話していました。そう感じはじめたのはいつ頃?

HB:いつも肌の明るい人が良いポジションにいるなあとは感じてたんだけど、主要キャストにアジア系の俳優のみを起用した映画『クレイジー・リッチ!』を見たときに、改めて確信した。多様であるはずのアジアのアイデンティティが表現されてなかったんだよね。友人役や脇役で多様性を出せたんじゃないかなって。人気映画の主要キャストがアジア系のみなのは素晴らしいけど、同時に(アジアの多様性を見せる)チャンスを逃がしたのではとも思う。特に舞台になったシンガポールは、多民族国家なんだから。

H:世界が持つ、アジア人男性への一般的なステレオタイプってなんだと思います?

HB:表現がストレートじゃなくて、シャイで、か弱い…。このステレオタイプはメディアの影響が大きいと思う。

H:特にひと昔前の映画などでは、このステレオタイプを強調しているものも多いです。

HB:だから、僕が写真プロジェクトをはじめてからは、友だちから「こんなのいままで見たことない!」という声をよく聞いたよ。彼らのほとんどが、ファッションやデザイン関係でアジアの写真や写真家といえば、みんな揃ってレン・ハンを思い浮かべてたの。

H:レン・ハンは、性がタブーとされる中国で、若者のヌードを撮り続けた中国人写真家です。4年前、29歳という若さでこの世を去ってしまった…。

HB:僕も彼の写真は大好き。彼の被写体はいつも友人である中国人で、彼が世界的に有名だったこともあって、西洋では「アジア人男性=彼の被写体。すなわち色白のアジア人」と認識されていたんだとも思う。これまでインド人やパキスタン人、フィリピン人やマレーシア人といった、褐色の肌の僕たちにシャッターを向けられることはなく、だから僕らの声が届く場がなかった。

H:そこで世界にアジア人男性の様々を知ってもらうべく、プロジェクトを始動。開始したのはパンデミック直前、シンガポールに一時帰国していたときですね。

HB:そう。だから被写体はみんなシンガポール出身の同年代の友だち。すでにアイデアはあったから、何人かに連絡して僕の想いを話すと「いままで誰もこういうプロジェクトをやってないよね」と二つ返事で参加してくれた。

H:同じシンガポール出身でも、被写体の肌の色や体型はさまざまです。

HB:メディアやファッション業界であまり表現されていない、アジア人男性の身体の多様さを表現している。インド系にマレー系、中国系のハーフがいたりと、民族性もみんな違うし、ストレートもいればクィアもいる。なるべく多様にしたことが僕のこだわり。異なる肌の色、異なる民族、異なるセクシュアリティだけど、みんな同じアジア人のアイデンティティを持つ男性。そうすることで、プロジェクトを、僕らの世代のアジアの男性像の新しい表現にしたかったんだ。

H:被写体たちもヒディール同様「アジア人男性がどれだけ多様であるかを知ってほしい」という意思はあった?

HB:もちろんあったよ。でも僕がロンドンに来るまでそれに気づかなかったように、彼らもまた僕と会話するまでは気づいていなかった。「シンガポールでは、自分のような褐色の肌の男性でメディアに露出している人はあまりいない」という視点を共有したら、彼らは初めてこの違和感に気づいた。

H:交流するなかで自然と気づいていった。被写体は同世代ということで、みな20代半ばくらいです。この歳を生きている彼らの男性像ってどんなもの?

HB:自分自身に正直であるところ。

H:だからこそみんな違う。表現されるものも撮れるものもそれぞれだ。

HB:「こうポーズをとって!カメラを見て!」と指示するのではなく、被写体に自分らしくいてほしいと頼んだんだ。彼らと何気ない会話をしている最中にシャッターを切った。被写体はプロのモデルではなく僕の友だちだし、彼らが自分らしくいてくれるのが一番だったから。それに彼らをモデルとしてではなく、リアルな人間として撮りたかった。だから床に横たわったり、目を閉じていたり、顔に触れていたりと、普段は記録されないような些細で小さな瞬間を捉えている。

H:被写体たちには「こう撮られたい、こういう男性としての自分を見せたい」という思いはありましたか。

HB:ううん。彼らは「こんな男らしさを見せたい」なんてなかった。たとえば、被写体の一人はジムに通っていて、引き締まった身体を見せたいんだろうなと思いきや、そんなことはなく、いつも通り自分らしくリラックスした様子で床に横たわったんだ。

H:アジア人男性としての様々なあり方を知ってもらう。それは、つくって表現するというよりは、彼らありのままの瞬間を捉えるだけでよかった。

HB:キメキメのポーズではなく、リアルで親密なその瞬間を捉えたかった。 たとえば、風船玉を膨らませたり、突然やめたり。そんな瞬間瞬間をいくつも撮っていったんだ。あと、撮影前にはロケハンをしたんだけど、結局シンガポールの街を背景として入れることはしなかった。プロジェクトでフォーカスしたかったのは、ファッションじゃなかったから。

H:人は環境や年齢で変わっていくもの。ヤングラワの作品って、被写体たちがいまだからこそ持っている人としての魅力を、いまの年齢だからこそ撮れた作品だと思うんです。感受して呼応することができたというか。

HB:うん、同感。プロジェクトでは、“いま”がすべてだった。僕がいまどう感じて、被写体がどのような見た目をしているのか。それに虚偽ではなく、強制されたものでもなく、リアルな体験がほしかった。もし僕が35歳だったら、たぶんその年齢に共鳴する別のなにかを撮影してたんじゃないかな。

H:個人的に、モデル二人がシャボン玉を膨らませている写真に惹かれます。なんというか、脆さや儚さを感じます。

HB: 風船玉って知ってる?

H:駄菓子屋で売られていた、硬いシャボン玉みたいなアレですね。特殊な液をストローの先端につけて膨らますと風船ができるという。子どものころ、あの不健康な匂いが好きでした。これはシャボン玉ではなく風船玉なんだ。

HB: そうそう、アジア人なら知ってる人は多いと思う。自分が幼少期に遊んでいた昔懐かしの思い出を、いまっぽく取り入れたくってさ。最近じゃあ、全然見なくなったし。撮影中に一番盛り上がったのもこのシーン。みんな最後に風船玉で遊んだのは5歳とか。これが、なかなか膨らまなくてね。

H:友人の背中越しにこちらを見つめる男性の写真も、力強さがあって好きです。

HB:褐色の肌の彼のこういう佇まいって、間違いなくメディアで頻出するものではない。だからこそ、彼のうつくしさを見せたかった。

H:アジア人男性における、民族性、肌の色、体型、セクシュアリティなどのさまざまなカラーを切り取った。ヒディールが捉えたさまざまな男性の姿は、これからの世代にはどんなことを伝えられるんだろう。

HB:僕が撮った写真、そしてこれから撮る写真を通して、新しい世代のため、アジア人の男性像がより深くなっていくことを願ってるんだ。ネット上でも、アジア人男性のビジュアルアーカイブは検索したら出てくる。でもそれらには、いま新しい世代にあるもの、セクシュアリティの多様性が含まれていないことが多い。 だから僕は新しい世代のために、いま、撮りたい。

Interview with Hidhir Badaruddin

Photos by Hidhir Badaruddin
Text by Yu Takamichi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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