住みやすい、というよりは、生きやすい家。
インテリア雑誌を手本にするのではなく、その人のルールで成り立つような家をたくさんみてみたい…
とはじめたシリーズ(001はこちらから)…
すすめていくうちにこれも気になりました。
生まれ育った家、幼少期を過ごした家、両親の家————
実家で、大人になっても、大人になってもう一度そこで暮らす。
その暮らしの選択をする人がパンデミック以降に増えているそうで。
理由はさまざまあるでしょうが、そこには一人で新たにつくっていくのとはまた違ったいい暮らしがあるようです。
家で過ごす時間が増えているいま、いろんな人の、いい家を探っていくシリーーズ、
そこから(早くも)派生してこれもはじめます、世界あちこちの、大人になって実家で暮らすシリーーーズ。.
今回は、米国LA在住のアーティスト、Peter Shire(76)。
近年ではトーク番組でマイリー・サイラスが彼作の椅子に座っていたことでも話題になった。
76歳、現役アーティスト。彼は実家が大好きだ。
育った家がもう一度活き活きする。手入れする喜び、実家暮らし
米国LAのエコパークというエリアで生まれ育ったPeter Shire(ピーター・シャイアー)。現在、76歳。陶器をはじめ、彫刻、家具など幅広いアートピースを世に送りつづけている。1980年代には、イタリアのポストモダンデザインチーム「Memphls(メンフィス)」で、唯一のアメリカ人として活躍した。代表作品は陶器マグカップコレクション「Echo Park Pottery(エコパークポタリー)」。エコパークに構える自身のスタジオでつくっている。
近年では、ジミー・ファロンが司会を務めるNBCの人気深夜のトーク番組『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon(ザ・トゥナイト・ショーと略される)』で、マイリー・サイラスがピーター作の椅子に座っていたことでも注目を集めた。76歳になったいまも、現役で勢力的に作品制作を続けている。
作品もさることながら。今回話したいのは、ピーター・シャイアーの“実家愛”だ。生まれてから30歳まで実家暮らし。その後、60歳を迎えてから、奥さんとともに再び実家に帰ってきた。
生まれ育った家で再び暮らすよさってやつを、ピーターさんに聞いてみよう。
HEAPS(以下、H):こんにちは、調子はいかがですか。
Peter Shire(以下、P):スタジオにいればいつでも元気さ。
H:なによりです。いまもスタジオに通って、作品制作に精をだしているそうで。
P:スタジオには毎日行く。大体朝の10時ごろにスタジオに到着して、夜の20時に自宅に帰宅する。
H:生まれ育ったエコパークにある実家で、いま奥さんと二人で生活中とのこと。1949年に建てられた家を、父親から譲りうけたそうで。
P:昔、父と母と、そして3歳下の弟と僕の4人で暮らしていた家。あと、猫も数匹いた。
H:家族との思い出がたくさんある家だ。
P:「(両親はすでに亡くなっているが)いまでも両親と生活しているんじゃないかな」と思うことがあるよ。思い出と暮らしているって、こういうことをいうんだなあ。
僕の母は人前で言って欲しくないようことをいつも人前で言っちゃうんだ。お茶目な母だった。
H:なんか、覚えていることってそういったなんてことないやつですよね。
P:僕の父がこの家を自分でいろいろと大工仕事で手入れをしたんだけど、二人の離婚のおもな原因はそういう改装だったみたい。
H:えええー。
P:いまじゃあIKEAが離婚の引き金っていうじゃない、買い物の最中にさ(ジョーク)。
H:両親とはいつごろまで一緒に暮らしていたのですか。
P:僕が30歳になるまで。1LDKの一室を一度、借りたことがある。ベッドだけがあってね、唯一持っていったシーツはスヌーピーのシーツ(笑)。結局家賃が払えなくて追い出されて…結局実家に帰ってきた。
H:両親との仲はよかった?
P:そうだなあ、両親にひどく怒られたのは人生で2回くらいじゃないかな。でも、いつもなにかやらかして、彼らの機嫌を損ねていたのは確か(笑)
H:30歳まで実家暮らしを恥ずかしいと思うこととか、ありましたか。
P:両親の存在を恥ずかしいということ?
H:というよりは、その歳で実家暮しをしている自分を恥じているというか。
P:自立や成功の基準ってのは、なんなんだろうねと思うよね。たとえば、壁をジャンプして渡り歩く人がいるけど、それで必ずしも成功しているわけではにし、それにほら、階段を上がってだって、頂上にたどり着けるわけだし。
H:家をでて、自分で家賃を払い生活していくってのは、自立に違いないんですけどね。でも、いくつになったら、とかではなく、自分と家の状況でよきときを決めていいのかなーとは思いますよね。出なくていいなら出なくていいとも思うし。
P:君は『Tokyo Pop(1988)』という映画をみたことあるかい?僕はこの映画が大好き。登場人物のヒロは、ミュージシャンを目指している。実家で暮らして夢を追いかけていたんだ。
H:30歳で実家をでて、60歳を過ぎたあと、実家に戻ろうと思ったのはどうしてでしたか?
P:もう今後二度と手に入らないであろう家を、失いたくなかったというのが一つ。素敵なモダニストな家なんだ。これから建てる家とは、まずそこから違うでしょう。あとは、地元のジェントリフィケーションが進んだのもあって、まあ、元からそこにいた人間として住んでみようというのも別の理由にあったかな。
H:昔の家、そして実家となれば、この世にひとつですからねえ。
P:ちゃんと手入れして、磨かないと家ってどんどんダメになっていく。その時、母が体調を崩していて、人に頼んだんだけどちゃんとケアされなくて…僕が自分で家を磨いてあげないとダメだと思ったんだよ。そうやってはじめて、この家にあるたくさんの思い出が生き続けるとも思うしね。
Peter Shireの妻、Donna(ドナ)
H:家も、自分で手入れする際に、その家の思い出を知っているからこその手入れもありますよね、改装するにも、ここは残しておこう、とか。
P:この家を手入れするにあたって、当時の建築家がまだ存命だとわかって、会いに行ったんだ。もう90歳を越えていた。「こんな家にしたい」って彼に伝えたら、やってごらん、と。彼がなぜリビングルームをあかるい色にしていたかも納得がいったから、僕もまた本棚の裏をあかるい色を塗り直して。
父も自分で手入れしていたから、60年代、70年代ごとの当時の美的感覚というのかな、バラバラに残っているんだ。すべてのものは古くなる運命で、それを魅力的にしていくのは、人の手入れなんだよ。
H:生まれ育った家が活き活きするのをもう一度みることは、これまたとない暮らしの経験かもですね。
P:手入れをして、愛すれば、そこはなんというか、ソウルがいいというか、ハッピーソウルというか、そういった場所になっていくと思うんだよね。
人は自分を良く見せるために、ジムで体を鍛えたり、乾燥しないように皮膚にローションを塗ったりするだろう。家も同じさ。家も、生きているんだ。日々、手入れをし続ける暮らしが気に入ってるよ。
H:最近どんな手入れをしたんですか。
P:天井を塗り直した。見上げるたびに、いい仕事をした、って自分で思うよ。
H:いいですねえ。そういう実感っていいよなあ。
P:あとね、この家で生活しているとお化けみたいなのをみることがある。時々、話していたり、歩き回っていたりもする。
本物のお化けだと思う。気持ちの問題かもしれないが、僕には見えるんだよね。
H:怖くないんですか…?
P:大半のお化けはフレンドリーだから。
H:家でのどんな時間が好きですか。
P:テレビをつけて、お絵かきに没頭したり、お気に入りの日本映画『タンポポ(1985年)』をみたりしているとき。
Interview with Peter Shire
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Images via Peter Shire
Text by Ayano Mori
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine