2020年早春から、世界の社会、経済、文化、そして一人ひとりの日常生活や行動を一変する出来事が起こっている。現在160ヶ国以上に蔓延する、新型コロナウイルスの世界的大流行だ。いまも刻々と、今日そのものを、そしてこれからの日々を揺るがしている。
先の見えない不安や混乱、コロナに関連するさまざまな数字、そして悲しい出来事。耳にし、目にするニュースに敏感になる毎日。
この状況下において、いまHEAPSが伝えられること。それは、これまで取材してきた世界中のさまざまな分野で活動する人々が、いま何を考え、どのように行動し、また日々を生活し、これから先になにを見据えていくのか、だ。
今年始動した「ある状況の、一人ひとりのリアルな最近の日々を記録」する連載【XVoices—今日それぞれのリアル】の一環として、〈コロナとリアリティ〉を緊急スタート。過去の取材を通してHEAPSがいまも繋がっている、世界のあちこちに生きて活動する個人たちに、現状下でのリアリティを取材していく。
「レンズを向けたら、勝手にポーズをとるんです。彼らにしたらそれが“自然体”。しかもそれがいちいちかっこいいんですよね、また」。
“Poor But Cool(金はなくても、俺たちはかっこいい)”。贅沢できない生活が日常で、そこに若者たちのタフなDIY精神で粗く紡がれているユースカルチャー。東欧のウクライナ、その大都市キエフに息づくシーンに惚れ、シャッターを切る。写真家、越川宏之に取材をしたのは3年前の夏のことだ。
ウクライナといえば、2014年に内戦が勃発。東部では日常的な戦闘が繰り広げられ、この紛争でもとから悪かった経済状況はさらに悪化した。公共料金が上がるなど、戦地ではないキエフの生活にもその余波は間接的に押し寄せた。
政治的にも経済的にも不安定な都市に生きてきた若者たちは、いまコロナウイルス感染拡大で揺れる暮らしをどう感じているのか。ウクライナ政府は3月中旬に対策を強化、キエフに非常事態体制を導入。外国人や無国籍者の入国を禁止し、国境検問所を一時的に封鎖した。
彼らはいま、どうしているんだろう。キエフの街は、そしてそのユースカルチャーシーンはどうなっているんだろう。コンパクトフィルムカメラで気まぐれなその日々を撮ってきた越川は現在もキエフに住んでいるというので、スカイプを繋いでもらった。
HEAPS(以下、H):3年前の取材担当は編集部Aでした。自分、越川さんの写真のファンだったので今回こうして話せるのが光栄です。
越川宏之(以下、越):ははは、ありがとうございます。3年前に記事にしていただいたおかげで、いまでもインスタから「ヒープスの記事を見て飛んできました」というメッセージをもらいます。
H:それは何よりです。さて、ウクライナで初の感染者が確認されたのは3月3日のこと。この時、越川さんはすぐに危機感を持ちましたか?
越:(首を大きく横に振って)まったくです。被写体である僕の友人たちも、例に漏れず。パリで服飾の勉強をしてた友人がいたんですが、3月中旬に「フランスがヤバい」と、パリからキエフに飛ぶ最後の便でギリギリ帰ってきた。ちょうど一昨日、電話で「まさかこんなことになるとは」なんて話していたところです。その友人とはすぐに会う予定だったんですが、結局会えていない。
H:キエフの感染事例は801件(4/19時点)と、ウクライナ国内では2番目に多い。いまの街の状況って、どんな感じなんでしょう。
越:都市封鎖をしてから、地下鉄もバスもトラムも運行中止。レストラン(配達は可)もバーもクラブも営業停止中です。しかもいま、チェルノブイリ付近で森林火災が続いていて、その煙がキエフまで来ています。政府からは、コロナによる外出自粛要請に加え、大気汚染の深刻化による窓の開閉も喚起されています。先日、朝起きたら部屋の中が煙臭くて。窓を閉めていたのに、ですよ。今日は空が青いので、まだマシですね。
H:コロナと森林火災のダブルパンチですか…。現在は、越川さんもキエフで身動きがとれない状況とのこと。
越:僕、ベルリンでも別プロジェクトをやっていて、普段はキエフとベルリンを3ヶ月ごとに行き来しているんです。こっちでできたウクライナ人の彼女がいるんですが…って、僕の個人的な話なんて聞きたいですか?
H:聞きたいです。
越:そうですか。非常事態宣言の発令前、彼女はちょうどベルリンで仕事を見つけ、先にベルリンに向かったんです。「また2週間後ね」なんて言って。そしたらその3日後、ウクライナの空港が封鎖。いま、離れ離れです。いつ会えるかもわからないうえ、彼女は体調を崩してしまった。いまは無事回復しましたけど、これにはさすがに参りました。3月いっぱいでこの家を出る予定で手続きを済ませていたんですが、大家に頼んで延長させてもらいました。
H:この非常事態宣言で、越川さんの生活はどう変わりましたか?
越:たまにタバコを買いに出るくらいで、外出は激減しました。それから、当初は毎日ウクライナやドイツ、日本やアメリカのニュースを追っていたんですが、最近は精神面によくないと気づいて、見ないようにしています。家でリモート作業や動画編集の勉強、ロシア語を学び直しています。なかなか集中できず、だらけてしまう日もある。そんなもんです。
あと、自炊してます。食材を配達してもらって。配達員もマスクと手袋を着用してて、意外とみんなしっかりやってるんだなって印象です。キエフは日本食が入手しづらい、というのが自炊生活の中で難点ですね。
H:動画編集の勉強はこれを機にはじめたんですか?
越:ビデオプロジェクトを開始しようと思っているんです。友人たちに協力してもらい、現状を含めた他愛もない話なんかを15分間ほど撮って、字幕をつけて投稿しようかな、なんて。これまでずっと写真という静止画だったんで、動画で伝えるのもおもしろいかなと。本当は一昨日に1人目を撮影予定だったんですが、「頭痛がヤベェ」とのことだったんで、急遽中止に。
H:なんと…。まわりの友人とプロジェクトを、というのは越川さんのスタイルですね。3年前のヒープス取材時に話していた、被写体である友人たちとはいまも連絡を取り合っているんですか?
越:はい。彼らとはしょっちゅうビデオチャットや電話をしています。僕からかけたり、あっちからかかってきたり。僕には彼らしかいないんですよね、仲良いやつらって。
H:やはり話題はコロナのこと?
越:会話の最初に「どう?」って聞く程度で、現状について特別深い話をするかといったら、しないです。したいとも思わないです。僕からもしないし、彼らからもしてこない。いつもだいたい、お互いの近況報告やおもしろい情報交換、「早くパーティしたいよなぁ」なんて話してます。
体調を崩したやつらも結構いました。幸い、全員回復。「いやあ、俺、まじでヤバかったよ。いまとなってはだけど」なんて感じで。彼らは彼らなりにうなくやっているっぽいです。
H:彼らなりにうまくやっている毎日って、どんなものなんでしょう。
越:政府からは不要不急の外出を避けるようにとは言われていますが、外出が禁止されているわけではない。となると彼ら、やっぱり会っちゃいますよね、友だちに。ダーチャと呼ばれる郊外の別荘で友人と過ごしたり、ストリートでスケボーしたり、グラフィティやってるアーティストはボムッたりもしてます。ただ、インスタのストーリーで見たものも多いので、それがリアルタイムかはわからないですが。
H:越川さんは、友人になにか注意したりするんですか?
越:わざわざ「いまやってんの? やめとけよ」とは言わないです。彼らは僕より一回りも若い。もしいま僕が彼らと同じ歳だったら、同じことをしているかもしれない。
4年前の夏、ほろ酔いの越川と友人グリーシャ(手前)。グリーシャはずっと体調不良だったが(おそらくコロナ)、無事に回復。
「先日 、グリーシャと電話してたんです。彼、二日酔いが酷く、会話にならなかった」。
H:ニューヨークでは失業保険の申請が多すぎて、ウェブサイトや電話のシステムが崩壊しています。キエフはどうですか?
越:こちらも失業者は山のようにいます。友人も先月、職を失いました。「家賃が払えない」なんて言ってましたが、友人の紹介で配達の仕事にありつけたようです。つくづく、彼らの横の繋がりの強さを感じます。
H:キエフでは政府からの給付金は支払われるんでしょうか。
越:僕、よく知らないんですよね。ただ、友人たちは政府にまったく期待をしていない様子です。その職を失った友人に「政府から給付金とかないの?」と聞いたら「あると思うか?」と鼻で笑われました。
H:ウクライナでは2014年に内戦が勃発。紛争による経済悪化も。政治的にも経済的にも不安定な土地にコロナが襲いかかったわけですが、若者たちは今回のコロナウィルスにも動じていないんでしょうか?
越:若者に限らず、ウクライナの人たちって慣れてるんですよね、こういう混沌に。だから「どうしよう、どうしよう」ではなく、まずは「何ができる?」から考える。ストリートブランドをやってる友人は、店が開けられないのですぐにオンライン強化に取り組んでました。自分たち個人で解決策を見つけるわけです。
H:キエフのナイトライフシーンも完全閉鎖状態ですよね、名物パーティー「スキマ」も当分はお預け。そういったシーンでもみんな自力で何かを?
越:僕の知ってるDJはライブ配信をやってます。そりゃあみんなパーティーしたいとは言ってますが、パーティーしたさに暴動を起こすといったことはないです。こうした状況には、みんな慣れてるんで。
これがいつ収束するかはわかりませんが、コロナのせいでユースカルチャーが死ぬことは、絶対ないと思ってます。内戦からレイブカルチャーが成長したように、逆に強くなるんじゃないかとすら思ってます。根拠はないです。ただ僕は、100パーセントそう感じる。
H:内戦や経済悪化の状況に比べ、今回のコロナによる事態はどう違ってみえますか?
越:比べるものでもないのかと。どちらもクソはクソです。
H:アジア人に対する人種差別の深刻化も、話題になっていますね。ウクライナでも2月下旬、中国・武漢からの退避者を乗せたバスが、火をおこし石を投げるデモ隊と出くわす出来事が。越川さんの周囲でも、こういった話はあるんでしょうか。
越:僕自身、差別を受けたと感じたことはないです。差別的思考を持つ人も実際にいます。残念なことですが、人口300万人もいれば、そういった考えを持つ人がいるのもしょうがない、みんなそれぞれ違うんで。今回に限らず、これまでアジア人だからと嫌な思いをしたことはない。僕、いつもしかめっ面で歩いているらしくて、そのおかげかもしれません。
H:いつもしかめっ面。
越:友人いわく、僕はいつもしかめっ面か悲しい顔らしいです。
H:悲しいんですか?
越:わかんないです。
H:写真家として、被写体である若者たちに何かできることとかを考えたりしますか?
越:写真家として、は特にないです。僕のまわりって、僕のことをもう「外国からキエフに来た写真家」と特別扱いはしないんですよね。だって僕、彼らの高校卒業あたりから大学卒業までを撮ってますから。
コロナだからと特別な活動をするというよりは、困ったときはお互い助け合うって感じです。僕らは普段、そうやって生活している。これ、キエフのユースカルチャーの強みだと思ってます。
Interview with Hiroyuki Koshikawa
手元の紙には、ロシア語で「Stay at home」。
日本人写真家。2011年、カメラとパソコンと何着かの服だけを掴みベルリンへ。写真も語学も現地でゼロから学ぶ。13年、東欧の大都市・キエフの街に息づくサブカルチャーに心酔。留年したうえ退学決定、故郷に帰れない大学生に14歳でなんとなくタトゥーを入れた高校生、モデルの仕事もする学生、パーティーのオーガナイザー、元パンクスなどを被写体に、ストリートカルチャーやクラブシーンなど、ユースのリアリティにシャッターを切る。
All Photos by Hiroyuki Koshikawa
Text by Yu Takamichi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine