「濡れ場」に立ちあうインティマシー・コーディネーターという仕事。#MeTooのあとで。テレビと映画の製作現場も変わるとき

「セックスシーンは、慣れるものじゃない」。役者同士の身体の接触が起こるラブシーンを、より安全なものに。
Share
Tweet

「役者なら、“そのくらい”できるだろ?」の “そのくらい” とは、どのくらいか。

ハリウッドで「#MeToo」運動が起きてから約2年。セックスシーンをはじめ、身体の接触のあるシーンを製作する際に、リハーサルや撮影に立ち合い、役者の身体的・精神的安全を確保する「インティマシー・コーディネーター」という仕事へのニーズが高まっている。

二人の主演の発言。それは、“正しい”撮影現場だったのか?

 本題に入る前に、『アデル、ブルーは熱い色』という、2013年にカンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞した作品について振り返りたい。パルム・ドール史上初めて、監督のほか、若手の主演女優の二人にも賞が贈られた同作品。その演技もさることながら、きわめて写実的かつ10分間と長い女性同士のセックス描写も賞賛され、いろいろな意味で話題になった。
 
 “いろいろな意味で”、というのは、この映画祭の後、両主演女優が、監督の撮影方法に対して不満だったことが明らかになったからだ。主演の二人は、各紙の取材に対し、10分間のセックスシーンの撮影が、約10日間にも及んだこと、また、その撮影は「屈辱的なものだった」と語っている。

 写実的なセックスから激しい喧嘩のシーンまで、演者に多大な精神的労力を要するであろうものだったことから、米メディアサイト、デイリー・ビーストは「監督への絶対的な信頼なくしては、とてもできない撮影だったかと思います。実際いかがでしたか?」と主演の二人に問い、彼女たちはこう答えている。

レア・セドゥ:監督がすべての権力を握っている。役者は、コントラクトにサインしたら最後。罠にかかったようなもの。監督の指示が絶対で、すべてを捧げなければいけない

アデル・エグザルコプロス:私は、若かったし役者としての経験が浅かった。撮影がはじまってから、自分が監督の求めるレベルまで役にのめり込む心の準備ができていなかったことに気づいた。ただ、すべてを捧げるといっても、大抵の監督は役者にあそこまで求めないだろうし、もっと役者を尊重すると思う



左からレア・セドゥ、監督のアブデラティフ・ケシシュ、アデル・エグザルコプロス。

 2013年当時、このことはそれなりに話題になり、アブデラティフ・ケシシュ監督への批判の声もあがった。だが、MeToo運動の火付けとなった17年のハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ報道、及びその後の告発ほど、大問題に発展することはなかった。

 監督は自身の行動を正当化。また、監督を支持する「人間の関係性を生き生きと描く監督の手法に完全に魅せられた」「経験の浅い人たちにもチャンスを与えた彼の功績は大きい(実際、二人の主演女優はこの作品を機に知名度を上げた)」といった声も少なくなかった。

 同作の素晴らしさはさておき、MeToo時代のいま、この一件を振り返ってみると撮影現場での“役者の、人としての尊厳”は、やはりないがしろにされていたと思われる。

 その問題提起と見直しが早急に進み、いま「テレビと映画の撮影現場が変わってきている」という本題へ進もう。

「セックスシーンは慣れるものではない」テレビや映画のセックスシーンにも透明性

「プロ根性」「体当たり」なる言葉で、どんな困難も乗り越えるのが美談のように語られがちだが、「本来、キスやセックスといった身体の接触、ヌードを含む撮影は、製作側がもっと慎重になるべきところ。どんなに経験豊かな役者でも、不安がつきまとうものです。経験の浅い若手ならばなおさら。トラウマを抱えて、思うように演技ができなくなったり、業界を去る役者を何人もみてきました」。そう話すのは、今回の取材に応じてくれた「インティマシー・コーディネーター」のクレア・ワーデン氏だ。

 インティマシーとは「親密な、密接な」という意味で、映画や舞台の、いわゆるラブシーンと呼ばれる役者同士の身体の接触があるシーンを安全なものにするために存在する、比較的、新しい職種だ。「#MeToo」時代のいま、このインティマシー・コーディネーターの存在が注目を集めている。

 クレア氏は、2016年に創設された米非営利団体「インティマシー・ディレクターズ・インターナショナル(以下、IDI)」の初期メンバーの一人。創設時は、映画やテレビよりも「シアター(舞台)の仕事が多かったが、昨年からはテレビや映画の製作会社からの依頼も増えている」と話す。


取材に応じてくれた、クレア・ワーデン氏。仕事中の一コマ。

 
 昨年18年といえば、米ケーブルテレビ局「HBO」*が「今後、同社で製作する映画やドラマのすべてのセックスシーンの撮影は、インティマシー・コーディネーターの立ち会いのもとでおこなう」と宣言したことが、まだ記憶に新しい。

*『セックス・アンド・ザ・シティ』や『ガールズ』『ゲーム・オブ・スローンズ』など、数々の人気作を生み出してきたことで知られる米ケーブルテレビ局。
  
 ことの発端は、 HBOのドラマ『DEUCE/ポルノストリート in NY』に出演する女優のエミリー・ミードが、プロデューサーに「インティマシー・コーディネーターを置いて欲しい」と提案したことだった。70年代のニューヨークを舞台にした同ドラマで娼婦を演じるエミリー(30)は、「セックスシーンを初めて演じたのは16歳のときで、以来、何度か経験してきたが、決して慣れるものではない」ローリング・ストーン誌に語っている。
 
 長い間、不安を押し殺してきたのは、他の役者と同じように「監督やプロデューサーをがっかりさせたくなかったから」「不満を漏らす女優だと思われたくなかったから」。インティマシー・コーディネーターが入るようになってからは、「センシティブな撮影にも、安心して挑めるようになった」そうだ。 

演技のプロ、指導のプロ。製作にマルチに関わるインティマシー・コーディネーター


         
 映画やテレビの世界では、まだ新しいものとして扱われているインティマシー・コーディネーター。だが「アメリカの舞台の世界では15年ほど前から存在していた」とクレア氏。当時はまだ珍しい存在ではあったものの「舞台上での役者の安全性を確保するために、戦闘シーンのコーディネーターや、演技中の動きに関するコーディネーター(コリオグラファー)がいるように、性的なシーンにもコーディネーターも必要だよねという認識は、ある程度広がっていました」。 
       
 ハリウッド映画やテレビの世界が、舞台に比べてこの分野で遅れていた一番の理由は、「“大物・有名監督” をもてはやす、不均衡な力関係のせいではないか」と彼女はいう。上述の映画『アデル、ブルーは熱い色』の主演女優に限らず、役者の多くが、降板させられたり、悪い噂がたつのを恐れて、監督の指示に従うしかない、不快でも我慢しなければならないと、静かに自己犠牲を払ってきた。そういったことが「役者なら、“そのくらい” は」「(役者として)出世のためなら “そのくらい” はしょうがない」といった文化を強固にしてきた節がある。

 “そのくらい” がどのくらいか、そして、“なぜ必要か” を明確にされないままに、身体の露出部分を増やされたり、大勢のスタッフの前でなんども裸のシーンを取り直しさせられたり、過激な動きを求められたり。それを我慢しなければ出世できない仕事環境を、当たり前にしてしまっていいのだろうか。
 
 インティマシー・コーディネーターへのニーズの高まりは、この問いに「ノー」と声をあげる役者と、その声に賛同する製作者が増えたからだとも言える。21世紀のいま、オフィスワークの世界では職場の安全性を確保するための、つまり、パワハラやセクハラから従業員を守るためのガイドラインや認識が整いつつあるが、「ショービズ界にはそれがない」。だから、インティマシー・コーディネーターたちが、権力の不当行使から役者を守るためのガイドラインを作り、広め、役者にとっての仕事場を安全なものに変えていこうとしている、というのが現状だ。



実際の現場で。

「役者が身体的、精神的な安全を仕事場に求めるのは当然のこと」で、インティマシー・コーディネーターの役割は、大きく3つあるという。

 一つは「役者の弁護」。リハーサルや撮影現場で、監督と役者の間に入り、センシティブなシーンにおいて事前・現場での調整をおこなうこともこれに含まれる。役者と、許容範囲や不安な点がないかどうかを確認し、それを製作陣に伝えて双方の合意を築く役割だ。ただ、製作チームと役者の間で、同じ認識を共有できている場合には「不必要な介入はしない」という。

 二つ目は「センシティブなシーンを演じる役者への、動きの指導とケア」。たとえば、役者がひざまずいて相手にフェラチオをするシーンを演じる場合は、リアルにみえて、かつ役者にとって身体的に安全な姿勢(たとえば、手をどこに置いてバランスをとるかや、呼吸のペースなど)を指導しつつ、床が硬ければ、役者の膝にアザができないよう膝パットを施すなどするそう。
 
 三つ目は「大学の演劇科や劇団での指導や、ワークショップの開催」。性的なシーンへの、適切なアプローチ方法を指導している。
 
 と、この3つだけでも、インティマシー・コーディネーターの役割が多岐にわたり、演者側と製作側の双方の立場を理解していなければできない仕事であることがわかる。インティマシー・コーディネーターを名乗るまでに、演技の世界で20年以上の長いキャリアを積んできた人が多いのはこのためだ。実際、クレア氏だけでなくIDIの創始者やメンバーのほとんどは、役者の経験と、指導者の経験、舞台のコリオグラファー、コーディネーターと、演技に関する複数の経験を兼ね備えているという。


指導中のクレア氏。

 無論、リハーサルや撮影現場にインティマシー・コーディネーターが立ちあうことに抵抗を示す製作陣もいる。抵抗の理由は「監督と役者が信頼関係を構築する妨げになる」「監督やプロデューサーから権力を奪う」といった懸念からくるものが多く、クレア氏はこういった人の説得こそ大変だと明かす。役者が黙って指示通りの演技をしてくれれば、製作陣にとって撮影はスムーズかもしれない。だが、そのスムーズさが、役者たちの自己犠牲のうえに成り立っていたのであれば、本来は話すべきだった「話し合い」をするとして妥当ではないか。

「もっとこうして」の指示に疑問があれば、役者は「なぜ、そうする必要があるのか」と問う。プロデューサーがその問いに応じなければ、そのシーンの撮影はおこなわれない、ということもあるだろうし、役者の「ここまではやるが、それ以上は嫌」という交渉に、応じる必要も出てくるだろう。

 アートってのは、演技ってのは「そういうものなんだよ」。どういうものなのかを明確にしない発言が、まかり通らなくなる。なぜか。それは、「そういうものなんだから(あなたが我慢するべき)」という、権力の不当な行使や不均衡な力関係を肯定する発言だから、ではないか。
 健全な職場であれば、また、対等な人間関係であれば、こういった問いに答えるのは当然のことに思える。ショービズ界におけるインティマシー・コーディネーターへのニーズは、この21世紀の人権の時代の、必然ではないだろうか。

Interview with Claire Warden

———
Illustration by Kana Motojima
Photos via Intimacy Directors International
Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

Share
Tweet
default
 
 
 
 
 

Latest

All articles loaded
No more articles to load