ナイフを持った殺人鬼がシャワー室に忍び寄る『サイコ』に、逆さで階段を駆け下りる少女がトラウマな『エクソシスト』。ホラー映画は、ときに画面に写しだされるビジュアルより「怖い音楽」に覆い包まれている。
「悪夢の楽器」つくったアナログ・ホラー映画音楽職人
音を消して見るホラー映画は牙の丸い虎のようなものだ。音のない恐怖の世界は、包帯巻いた殺人鬼も急にコミカルにさえ見えてくる。ホラー映画の音と音楽というのは鑑賞者の感情をコントロールするうえで重要なのである。映画の主役といってもいいくらいだ(実際に、逆に音だけ聞いていても怖いのだから)。
首筋を撫ぜられるような、思わず耳に指を突っ込みたくなるような、三半規管がおかしくなりそうなサウンド。そういった狂気と悲壮のギリギリな音を手づくりする物好きな職業が、ホラー映画音楽の作曲家だ。人間離れしたサウンドも、当たり前だが人間の頭のなかで生まれているわけで..。
Image via Mark Korven
ホラー映画の音楽のつくり手、というだけでもまあ珍しいが、この作曲家はさらに奇妙の階段をのぼっていて、デジタルサウンドでの作曲が主流の時代にあえてアナログに楽器で恐怖の音色をつくる。カナダ出身の映画音楽作曲家、マーク・コーヴェン(Mark Korven)。どこを弾いても叩いても、恐怖の旋律しか奏でられない“悪夢の楽器”(正式名称は「The Apprehension Engine[ザ・アプリヘンション・エンジン、直訳すると「不安発動機」])なるものも発明してしまった。鉄定規や弦を張った板、金属の仕掛けで奏でる不穏の音、ビデオを見て全身の毛を逆立ててほしい(かの敏腕プロデューサー/ミュージシャンのブライアン・イーノのお墨付き)。
先日、ブルックリンのグリーンウッド墓地で開催された音楽・アートフェスティバルで、その悪夢の楽器を爪弾いたホラー映画の作曲家。その怪奇な仕事裏、職人堅気を聞いてみた。
映画音楽作曲家、マーク・コーヴェン(Mark Korven)
HEAPS(以下、H):今晩、墓地でのコンサートですね。
Mark(以下、M):ええ。悪夢の楽器は、いま墓地のお礼拝堂に設置されています。息を潜めて出番を待っている。
H:マークさん、どうしてホラー映画の作曲をするようになったんですか? 若い頃はロックバンド、ジャズミュージシャンに転身したのち、映画音楽作曲家として30年も活動していますよね。
M:はじめて作曲を手がけたホラー映画は1997年の『CUBE(キューブ)』*、そして一番注目を浴びたのは、2015年の『The VVITCH(ザ・ウィッチ)』**。ザ・ウィッチでは、監督の意向でデジタルサウンドを一切使用せずに作曲しました。代わりに管弦楽団や合唱団、中世スウェーデンの弦楽器「ニッケルハルパ」などを用いて。
「アコースティックでホラー映画音楽をつくる」ーこの体験に感銘を受けて、悪夢の楽器が誕生したんですよ。友人のギター職人にも手伝ってもらいました。
*立方体の部屋に閉じ込められてしまった男女6人の心理戦を極限に描いた、カナダ制作のホラー/サスペンス映画。
**17世紀のニューイングランド地方を舞台に、娘が魔女だと疑う家族の狂気を描いた、ダーク・ファンタジー・ホラー映画。サンダンス映画祭監督賞受賞。
“悪夢の楽器”、ザ・アプリヘンション・エンジン
Image via Mark Korven
H:ホラー映画の要である“音楽”を作ってしまうくらいだから、ホラー映画マニアでしょう?
M:うーん、まあ良いホラー映画は好きですよ。『ローズマリーの赤ちゃん』とか。私はホラー映画を、“セーフ・スケア(安全な恐怖)”と呼んでいます。恐怖でアドレナリンダダ漏れ状態を、ポップコーンを頬張りながら体験できますから(笑)。
H:では、ホラー映画音楽制作について。作曲ってどこからはじめるのでしょう。
M:まず、制作には2パターンある。ひとつは、まっさらな白紙の状態から作曲依頼される場合。もうひとつは仮の音楽(テンプ・スコア)が事前にあてがわれてた上で指示される場合。配給会社や放送局の試写会では映画にはなにかしらの音楽つきでないといけない。最近の制作現場では、後者が一般的です。
H:え、仮ということはオンラインなどで拾ってきた音楽がぽこっと当てはめられているだけ?
M:そうそう、とりあえずの音楽です。ここから監督の指示が入ります。「こんな感じの音楽がいいな。同じようなものを書いてくれる?」とか、反対に「この仮の音楽、耐えられないほど嫌いだから、これとまったく別物をつくってくれ」とか。音楽に造詣の深い監督もいれば、無知な監督もいて。私は白紙の状態で一から作曲するのが好きですね。制限がないゆえ、イマジネーションを脳みそから搾りださなければならないのが大変ですが。
H:制作期間はどれくらいでしょう。ホラー映画音楽のインスピレーションって、どこからくるのかも知りたい。
M:ザ・ウィッチのときは7ヶ月と長かった。いつもキーボードやハープシコードで実験的に即興演奏してみてシーンごとの感情に適した音を探し当てます。私が大切にしているのは、「思いがけない音との邂逅」。作曲途中での“アクシデント”や“失敗”、好きです。ホラー映画でよくありがちな音楽は好かないですからね。
H:たとえば殺人鬼が忍び寄るときの高音の連打や、霊に取り憑かれたときの低音の唸りとか。
M:その通り。ホラー映画にはたくさんの常套があるから、使い回しのサウンドはどうしても避けたい。だから、たとえば観客を驚かせる場面によく使われる“ティンッ!”みたいな高音。難しさは、ティンッ!を用いずにどんな音で表現するか。
いままで奏でられたことのないような音を奏でたくて、悪夢の楽器を生み出しました。楽譜を必要としない実験楽器ですので、毎回演奏するたびに違う音を出す。たとえば動物が捕獲、攻撃されたときに絞りだすような叫び声、血の通った生き物の核を呼び覚ますような音。これはデジタルでは再現できない。だからかこの楽器、愛されるか忌み嫌われるか、見事真っ二つにわかれています(笑)。
H:動物が本能的に反応してしまう音か…。ほかに、他ジャンルの映画にない“ホラー映画独特のサウンド”といったら?
M:ずばり、不協和音です。響きが狂気にぶつかり合う音。通常、映画音楽はハーモニーが調和して耳に心地よくあるべきですからね。でもね、人間ておもしろいかな、ずっと不協和音が鳴り響いていると耳が慣れてしまう。ロックのライブに行って「大音量でうるさいな」と思っても30分もしたら耳に慣れているでしょう? 不協和音も同じ。だから、いかに不快な音を耳に飽きさせずにつくるかが挑戦です。
それにテクスチュア(音の質感、とでも訳そうか)も重要。同じ音程の「金切り声」でも、オーボエで吹く高音と鉄片で引っ掻く音では質感がまるで違う。
H:楽器をとっかえひっかえしていろいろな音を実験する。なんだか、ギターをヴァイオリンの弦で弾いちゃうジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリンのギタリスト)みたいですね。
M:ハハハハハ。実は私も14歳のころ、彼の真似をしていました。ホラー映画音楽の作曲に惹かれるのも、「好きなだけ変人になれるから」。悪夢の楽器においてもそう。物好きであればあるほど、いい音が出る。その自由さが好きです。
H:ホラー映画音楽はちょっとクセのある人がつくらないと旨味が出ないのかもしれない。悪夢の楽器に触れているときは至福の時間ですね?
M:演奏時はですね、案外メカニカル脳になっている。新しい音に出会うために、どうやって弦を動かそう、指の運びはどうするか、とテクニカルに考えています。でも時折、なにも考えていない“放心タイム”もある。のべつ幕なしで3時間ライブ演奏したこともあります(笑)。
H:怖いくらい天才的です。最後にちょっと骨休みな質問。ホラー映画の作曲期間中に悪夢にうなされたり、怪奇現象って起こりました?
M:さらさらなかったです(笑)。私にとってホラー映画は、ただの映画でたんなるストーリー。誰かの作り話だから、全然コワクナイ。よっぽど滅入るようなドキュメンタリーの方が不穏な気持ちになります。リアルライフにふりかかる恐怖ですから。
取材後には「地下鉄で電車が線路に滑りこむ音あるでしょう。実にいいですよね」とうれしそうに話していたホラー映画の作曲家。彼の肥えた耳には、私たちには聞こえない“日常に潜む怖い音”が楽しげに聞こえているのかもしれない。
Interview with Mark Korven
Mark Korven
▼▽グリーンウッド墓地でのコンサート風景▼▽
Photos by Mitsuhiro Honda
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine