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「価格競争だけでは勝てないし、何をやっても同じに見えてしまう」。かつては過半数以上のシェアを誇り、ダントツに抜けていたNTTドコモ(以下、ドコモ)、最大手通信会社のとある社員の言葉だ。携帯業界の構造が変わったいま、かつての主役プロダクト「携帯電話を売る」だけの勝負は終わった。
時代の急速な変化の中では、いかなる企業もまた変化を求められる。競合他社のアグレッシブに仕掛ける姿におされてか、“ドコモの最盛期はiモード時代だったよね”、なんて思うフシもある。だが、果たしてそれは真実なのか?その考えのとっかかりをくれたのは、先日ドコモが仕掛けた体験型のイベント。大手通信会社は、突如、“日本語が通じないカフェ”を仕掛けた。
Appleよりも先に起こした革命
「N502it」「SH251i」「SO505iS」「P900iV」「D901i」「D702i」「D703i」「D705iμ」。この数字とアルファベットの組み合わせは、“青春の代名詞”と言ってもいい。同世代ならもうピンときているだろうが、これは筆者の青春時代真っただ中の「ドコモ経歴」だ。家族が貯めたドコモポイントを勝手に使っては新しい機種に変え、次々と出るドコモの携帯電話に心躍らせたものだ。絵文字には友人(あるいは意中の人)とのコミュニケーションをずいぶんと助けてもらった。そもそも、筆者がネットに触れたのは、www(ワールド・ワイド・ウェブ)よりもiモードが先だったし、ジョブズは知らないが、松永真理(iモードの生みの親)は知っていた。AppleのiPhoneが革新なら、ドコモのiモードは「革命」だった。
ドコモの携帯は爆発的に売れてピーク時はシェア60パーセント。日本がモバイル先進国であったあの頃から20年、携帯電話を取り巻く状況は劇的に変わった。携帯会社のあり方も相応に変わった。
「極論を言えば通信キャリアを“単なる土管”としか認識しない人も増えています」と社員がこぼすように、OSではiOSやAndroidがいて出番はないし、電話やメッセージのやり取りもLINEやFacebookなどのアプリ。キャリアメールを使う人は少なくなった。格安SIMも出てきてキャリアの安心感よりも安さを求める若者たちも増えてきて、彼らに言わせればキャリアに「大した違いはない」ということなのだろう。時代の流れを現すかのように、iモード携帯も昨年出荷が終了した。かつての青春時代、あんなに側に感じていた“ドコモというコミュニケーションの基盤”は、一つの時代を終えたのだと思っていた。
しかし、手垢のつく表現だが終わりの次には新しい何かがはじまることもよくあるワケで—その大企業が“日本語が通じないカフェ”を仕掛けたのが先日のこと。都心エリア六本木の人気店がある日いきなり日本語が通じなくなる—多くの人が、いやいやそれめっちゃ不便じゃん、と感じた時点で、これがまさにドコモの企画どおりとなった。
日本語の通じないカフェ、はじめました
Photo via docomo
その「不便なカフェ」、まずメニューに日本語が書かれていない。フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、中国語、韓国語…。あれ、英語はない。接客対応しているのも日本語を話せない外国人の方たち。無論、お客さんは普段通り日本人ばかりだ。
なんて頼んでいいかわからないどころか、どれがオレンジジュースかもわからない。これが、ドコモがオープンした「日本語が通じないカフェ For ONEs Cafe」。言葉の壁をテーマに主催した1日限定の体験イベントで、日本語が通じない代わりに同社が開発した翻訳アプリが搭載されたスマホを使用することができる。メニューをアプリで読み取り、さらにそのアプリを使い外国人スタッフとの会話を翻訳して注文する。画像・音声認識と翻訳機能をもちいて、外国語をお互いの母国語に翻訳できる。なんだ、新しいサービスの宣伝か、は少し早合点かもしれない。なぜなら、そのアプリを使っても現時点では「完璧なコミュニケーション」を取ることはできないからだ。周囲からの声も入って誤訳は起こるし、うまく意味が伝わらない。そんな場面も度々あった(なんだじゃあもう語学勉強しなくてもいいじゃん、と思った人は残念。筆者も思った)。
Photos by Kohichi Ogasahara
実際の「はなして翻訳」アプリ。
「このアプリ、実はまだ完璧ではないんです」
そう話すのは山岸由季(NTTドコモ / スマートライフ推進部)、「はなして翻訳」の開発者だ。「まだまだ発展途上で、正直に言うと間違いが出ることもあります。本当はいけないのですけど、それもコミュニケーションのきっかけになります」。そうなのだ、確かにアプリの誤訳が人々の距離を縮め、和やかな雰囲気を作りだしていた。「誤訳に思わず笑みがこぼれ、そこから会話が生まれたり、英語を使ったことのないような高校生がスタッフと楽しそうに会話をしたり」
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ドコモの狙いの一つは、この「言語の通じない者同士のコミュニケーションの発生」。「開発者はもちろん、完璧なサービスを出せればいいのですが」と言いながら現時点での精度を認め、それでもイベントを打ったのは「ただの機械で完璧なコミュニケーションを起こすのが狙いではなくて、それ(ドコモのはなして翻訳)をお守りにしてコミュニケーションを起こすとっかかりにして欲しいから」。便利なのは大事だが、スマホという機械を介して互いの顔も見ないコミュニケーションになってしまったら意味がない。言語の通じない人との会話を可能にします、というのがサービス内容であるのは確かだが、開発の根底にあるのは「言葉の壁を超えるお手伝いをします」が近い。
また、「使えば使うほど(翻訳機能自体が)学習していくので、たくさん利用すれば進化します」とのこと。ただし、精度があがれど、肩をたたく、声をかけるという最初のステップを翻訳機能がやってくれるわけでない。結局は人間同士のコミュニケーション、使って育てるという“人間っぽさ”は人間味を保ったままコミュニケーションを円滑にする秘訣かもしれない。
もう一つが先で述べた、“めっちゃ不便じゃん”の実感そのもの。言葉の通じないカフェでそれを実感したということは、「日本の在留外国人の人々は常にそれを感じている」。実体験から、その社会問題に気づいてもらう。そして、「日本で困っている外国人の方がいるのに気づいても躊躇して声をかけられない、ということは多いと思います。はなして翻訳があるから、と一歩踏み出せるようになれば」
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「なんでドコモが翻訳なの?」決して知られない、大企業社員の奔走
社会問題に気づき、アクションを起こす。近年重要視されるCSR*事業にドコモも取りくんでいるわけだが、森林を増やそう、携帯リサイクルしようという方向性だけではなく「世界は、ひとりの複数形でできている」をコンセプトに「一人ひとりの個人・個性をエンカレッジする」ため、もう少し具体的に個々に合ったサービス展開がおこなわれている。これはけっこう驚きだった。CSR事業は、特に大企業では義務視されることが多く、表層的な取り組みも少なくないからだ。対し、ドコモの取り組みは「大多数に埋もれがちな小さな声」を拾って、それを改善するサービスを展開する。かなりユニークに、だ。
*CSRとは、企業が社会に対しての影響に責任を持って意思決定し、活動すること。社会とともに発展を目指す。
例をあげれば、まず「聴覚障がい者」向けに音声の通話内容を文字に変換するアプリ「みえる電話」の開発に取り組んでいる。あわせて、「視覚障がい者」向けの文字入力アプリ「Move&Flick(ムーブ・アンド・フリック)」。スマホのどこを触っても簡単に文字入力の操作ができるようにした。
「これまでは、ドコモが提供する『障がい者向けのアプリ』はほとんどありませんでした」とは、佐柳恵梨香(NTTドコモ / CSR部)。「社内だけでも説得は簡単ではありませんから」と続ける。
「やはり企業なので、そのサービスにどれだけの収益が見込めるかが、一つの基準になります。社会課題を解決していくというだけでゴーサインを出す文化は、まだ完全にできていません。CSRの活動が社内でもなかなか認知してもらえない、もどかしさもあります。でも諦めずに、困っている方の声を届けながら少しずつ社内を説得し、仲間を集めて社会課題解決に繋がるようなサービスの開発や検討を進めています」。はなして翻訳も、「なんでドコモが翻訳?翻訳会社もいるし、勉強すればよくない?」という声もあったそうだ。
個人的にかなりグッときたのは「牛温計」。牛の体温を測り「出産のタイミングを知らせてくれる」というもの。「これまでだと、タイミングを見計らって24時間つきっきりだったんですよね。それが、アプリから出産を知らせるメールが来たら駆けつければ良くなった」
ユニーク関連でもう少しあげると、漁業の生産管理と技術伝承を目的として牡蠣の養殖等に用いた、水温センサー・通信機能搭載のブイ、過疎地区のAI運行バスや、長距離運転手の体調管理、居眠りを防ぐため生体信号を感知するベストといったものまで。
特に牛温計は「待ってました!」とばかりに畜産農家にうけ、反響は大きい。世界はひとりの複数形でできている—だから、ドコモは一人ひとりに向き合うことで、その集合体である社会をより豊かにすることに貢献する。
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次は、「裏方でもいいんです」
「いままでは、携帯を売って、使ってもらうことが主な目的でした」。でも、「いまは、お客様の接点としてはドコモのサービスではなかったとしても、違う企業のサービスの裏でドコモの通信・コミュニケーションのリソースを使って、パートナーとして支えたいと思っています」。目的が変わっても走り続けられる基盤、つまり「ドコモの一番のリソースって、何ですか?」。最後にそれを尋ねると、社員たちからは「ひと」という言葉が返ってきた。おお、予定調和な模範解答、とも感じたが、もう少し考えると、なるほどこれ以上ないドコモらしい答えだと思う。
ドコモは各都道府県に2,400店舗を超えるドコモショップ、支店・支社があり、そこには多数の「ひと」がいて、災害時には交通インフラが絶たれた状況でも現地での直接サポートもタイムリーにできるというのを聞いたことがある。しかし、ここで言う「ひと」とはそれだけではない。今回のはなして翻訳と同様に、一人ひとりに向けた取り組みを地道におこなう無数のドコモの社員たちをさす。マスの中の個人の小さな声を拾い、試行錯誤して開発に取り組む“誰か”がいる。それは結果として「通信の枠を超えて“ひと”が社会のインフラとして機能できる」ということ。
ドコモのはじまりから25年。次に見据えるものは主役の座ではなく、社会を下から支えること。そもそもそこにシフトできるのも、かつて自らが携帯電話を普及させ、通信とコミュニケーションのインフラを整えてきた年月があるからだ。そのインフラの上で、次は「社会のために裏方でも構わない」と言い切る。
グローバル企業でもなく、スタートアップのような若さと勢いがあるわけでもない。だが、このどしりと構える懐の深さは、この国のコミュニケーションを誰よりも近くで、長く見届けてきた「島国の大企業」だからこそ。時代に合わせて自らの役割を変え、誰に知られるでもなく粛々と果たせるのだ。
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Text by Takuya Wada
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine
撮影協力:Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE [Backpackers’ Japan]