青二才、十六人目「私がリングにあがるのは、“信仰心もあるし、でも夢を追い求める”っていう、その証なんだ」

【連載】日本のゆとりが訊く。世界の新生態系ミレニアルズとZ世代は「青二才」のあれこれ。青二才シリーズ、十六人目。
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「最近の若いのは…」これ、いわれ続けて数千年。歴史をたどれば古代エジプトにまで遡るらしい。
みんな、元「最近の若者は……」だったわけで。誰もが一度は通る、青二才。
現在、青二才真っ只中なのは、世間から何かと揶揄される「ゆとり・さとり」。
米国では「ミレニアルズ」と称される世代の一端だが、彼らもンまあパンチ、効いてます。
というわけで、ゆとり世代ど真ん中でスクスク育った日本産の青二才が、夏の冷やし中華はじめましたくらいの感じではじめます。
お悩み、失敗談、お仕事の話から恋愛事情まで、プライベートに突っ込んで世界各地の青二才たちにいろいろ訊くシリーズ。

***

ようやく青二才の連載も世界を横切りはじめました。十六人目は、マレーシア出身・在住の女子プロレスラー、ノル・ディアナa.k.a.フェニックス(Nor ‘Phoenix’ Diana)、20歳。世界初、ヒジャブを被ったチャンピオンレスラーなんです。そう、彼女はムスリム。イスラム教保守派からの批判や「ヒジャブを被った女性にプロレスなんかできない」なんて言葉にもなんのその、まだまだ興行規模の小さいマレーシアのプロレス界を牽引するカリスマ的存在。身長152センチと小柄ながら、自分よりはるかにデカい相手に、かんぬきスープレックスを決め込む。

かんぬきスープレックス:相手の両腕を自分の脇に挟み込んで後方に投げる技。

16歳でトレーニングを開始し、その数ヶ月後にデビュー。昨年の夏、男子も参加するマレーシア最大のプロレス大会「レスレコン・チャンピオン」で見事優勝を果たした。しかもヒープスの取材直後、米経済誌フォーブスが選ぶ世界を変える30歳未満のアジア人30人として「30 Under 30 Asia 2020」に選出されていた。現在も、普段は病院で臨床助手として働いているという。これはいろいろ聞いてみたい。

が、しかし。英語が苦手だというノルに、マレー語がまったく話せない筆者。これは困ったと、英語が堪能な彼女のコーチ、アイェズ氏に連絡し図々しくも「通訳してほしい」と頼み込んだ(快くOK)。
実は取材直前に、ノルのお母さんが亡くなるという悲しい出来事があった。それでも、時間をかけて我々の質問にしっかりと答えてくれた彼女に、感謝と尊敬を込めて。いきましょう、「青二才・女子プロレスラー、ノルa.k.a.フェニックスのあれこれ」。

十六人目「私がヒジャブを被ってリングにあがるのは、制限されてるわけでも強制されてるわけでもない。”信仰心もあるし、でも夢を追い求める”っていう、その証なんだ」

HEAPS(以下、H):自分、プロレス好きなんで少々興奮気味です。昨年夏、マレーシア最大の大会「レスレコン・チャンピオン(Wrestlecon Champion)」にて優勝。世界初のヒジャブ着用チャンピオンレスラーに君臨しました。

N:対戦相手は4人の男性選手。まさか優勝できると思ってなかったから、 興奮して泣いちゃった。

H:その後、米プロレスラーのムスタファ・アリ選手が、ノル・ディアナa.k.a.フェニックス(Nor ‘Phoenix’ Diana)の優勝に関するニュース記事をリツイートしたことで、世界から注目されるようになったんだよね。

N:うん。私が世界初のヒジャブ着用チャンピオンレスラーとして世界中のメディアの注目を集めることで、マレーシアのプロレスシーンを発信できてると思う。

H:優勝前と優勝後では、マレーシアのプロレス界に何か変化があったと思う?

N:それまでは、団体側は見た目の良さやセクシーさを重視して女性選手をブッキングする傾向があるなぁって感じてて。だけど、私が優勝したあとは、才能ある女性レスラーをブッキングすることに対してよりオープンになった気がする。それもマレーシアだけでなく、東南アジア全体で!

H:それはすごい変化だ。確かに女性選手の衣装といえば露出度が高くセクシーさを引き出すものが多かったけど、個人的にフォニックスの衣装、好きです。

N:ありがとう。衣装のデザインはコーチがしてくれるんだ。いまの衣装も昔の衣装も、両方思い出深くてお気に入り。

H:試合には、家族や友人も見に来たりする?

N:家族、特に母は生前、試合の度に応援に来てくれていた。逆に友だちは滅多に来ないなぁ。

H:へぇ。そういえば昼間は病院勤務って聞いたんだけど、世界初のヒジャブ着用チャンピオンレスラーになったいま、仕事とプロレスの両立って大変じゃない?

N:実はプロレスに集中したくて、病院の仕事は辞めたんだ。

H:そりゃまた一大決心だ。今年はじめに英国デビューも果たして、さらに忙しくなってきているもんね。

N:うん。いまは常にジムでコーチと一緒にトレーニングしてる。完全オフの休日っていうのはないかな。
英国には、才能ある選手がたくさんいる。これって業界の大きさや歴史、さまざまなプラットフォームの差によるもの。東南アジアのプロレスシーンはまだまだはじまったばかりだから、いまからが勝負と思ってる。

H:燃えてるね。小さい頃からプロレスラーになりたかったんですか?

Nor Diana(以外、N):ううん。正直ね、10代になるまでプロレスのこと知らなかったんだ。なんなら知った当初もよく分かってなくて、本気で戦ってるもんだと思ってた。

H:!

N:それにプロレスをはじめるまでは、スポーツすらしたことなかった。

H:!!!

N:運動といえば、中学生のときに授業でダンスをしたくらいで。特別なことなんてない、どのクラスにもいるようないたって普通の女の子だったよ。

H:16歳のときにはプロレスラーになるためトレーニングを開始します。なぜいきなりプロレスラーになろうと?

N:ビデオゲームでプロレスを知ったんだ。ゲームで対戦するのが好きだったから、それで自分でもやってみたいなって。

H:ノルはイスラム教徒。プロレスをはじめたいと相談したとき、両親に反対はされなかった?

N:両親はイスラム教徒だけど、そこまで厳格でも保守的でもなかったから反対されることはなかった。あ、でも父は大賛成してくれてたけど、亡くなった母はすごく心配してたかな、最初は。その後、初試合を見て「この子なら大丈夫」と安心してくれたみたい。

H:愛娘がプロレスをやりたいなんて言い出した日にゃあ、心配するお母さんもそりゃいるよね。トレーニングをはじめた当時、まわりにプロレスをやってる女友達っていた?

N:ポピーっていう女子が私より先にトレーニングをはじめていて!彼女がいたから、やってみようと思えたんだ。プロレスを始めたことは親しい友人にしか言ってなかった。でも当時、プロレスってマレーシアでは大して人気じゃなかったから、友人たちには「そうなんだ、ふーん」くらいにしか思われてなかった。

H:いまでもプロレスってマレーシアではニッチなもの?

N:いまではすんごく人気!マレーシアで一番人気のスポーツはいまも昔も変わらずサッカーなんだけど、ケーブルサービス企業によると、サッカーチャンネルの次にいまはプロレスチャンネル申し込みが多いんだって。

H:おおお、あがってきてるんだ。

N:でも、いまみんなが興味を持ちはじめたのは世界最大のプロレス団体「ワールド・レスリング・エンターテイメント(以下、WWE)」。地元のプロレスが盛り上がっているかと言われたら、そうでもない。WWEの試合ならテレビで見られるけど、地元チームの試合を見るにはイベントに足を運ばなきゃ見れないというのもあるし。

H:地元の試合は、どのくらいの頻度で開催されるんだろう。

N:イベントはこれまで2~3ヶ月に1回ペースだったけど、今年からは毎月開催。観客数は、会場とチケットの価格によって違うけど、大体200~500人くらいの老若男女が集まる。ちなみにマレーシアにあるプロレス団体は、私が所属する「マレーシア・プロレスリング(以下、MyPW)」の一つだけ。

H:日本のプロレス団体は消えては立ち上がりだけど、大小合わせて100以上はある。比較するとシーンのおおきさの差がわかるね。MyPWにはいま、何人のレスラーが所属してるんです?

N:18~25歳の若者、10~30人くらいが所属。人数はいつも変動するんだけどね。プロレスラーになるのって簡単じゃないし、業界もまだまだ小さいから、団体もレスラーを維持するのが難しいんだ。レスラーはほぼ男性で、いま、私の他に2人の女の子がトレーニング中。

H:女子レスラーは3人か。ノル・ディアナa.k.a.フェニックスの登場と人気を持っても、やっぱり女性レスラー急増ということはなかなかならないんだね。

N:SNSでは、同じムスリムの女の子から「プロレスをやってみたい」とのメッセージがたくさん届いた。それから多くのヒジャブを被った女の子たちがトレーニングをはじめたんだけど、ほとんどが体力的な理由で諦めちゃった。

H:ノルのストーリーズを見てても、トレーニング風景は厳しそうだもんな。試合もしかり、トレーニング中もヒジャブを着用。ムスリムレスラーは絶対にヒジャブを被らなければならない?

N:ムスリムという理由からの服装に制限はないよ!私がヒジャブを被ってリングにあがるのは、制限されてるわけでも強制されてるわけでもない。イスラム教徒である自分の選択。信仰心もあるし、でも夢も追い求めるって気持ちと姿勢、その証なんだ。

H:素敵。かっこいいです。

N:ヒジャブを邪魔だと感じたことはないし、試合でヒジャブを脱がされることもない。対戦相手も私の信仰心を尊重してくれているからね。私のことをよく思ってない一部のイスラム教徒はいるかもしれないけど、多くのプロレスファンは応援してくれている。

H:そういえば、初めてのトレーニングってどうだった?

N:怖かったし、恥ずかしかった。だからみんなとのトレーニングは、ちょっとぎこちなかったと思う。でもうまくなりたいっていう気持ちが強かったから、慣れるしかないと思って努力した。当時、団体には15人くらい居たんだけど、先輩レスラーたちは、小柄でヒジャブを被っている私に偏見を持つことなく、快く迎えてくれたんだよね。

H:当時、MyPWにはノル以外に女子レスラーはいた?

N:いたよ。入れ替わりは激しかったけど。リング上でライバルだったとしても、舞台裏では友だちだしお互いに助け合ってた。でも私は、辛いことは、レスラー仲間ではなく母や仲の良い友人に相談することが多かったかな。

H:ティーンの女性として、トレーニング中で一番辛かったことって何だろう。

N:まわりより断トツに小柄だったこと。当時はいまほど体力もなかったから、技をかけるのも受けるのも本当に難しかったんだ。

H:そこから、優勝するまでに成長。すごいよなぁ。当時は高校生だったから、トレーニングには放課後通ってたの?

N:そう!週に3回、放課後にトレーニング。平日は2~3時間、週末は6時間没頭することもあったな。メニューは「ウォームアップ」「コンディショニング」「タンブリング」「レスリングテクニック」と、ボディーランゲージとスポーツ心理学から構成。

H:トレーニング後や試合前の食事にも気を使ってる?

N:ううん、特に食事制限はしてない。トレーニング後も試合前もいつものように食べる。

H:トレーニング開始数ヶ月後にデビュー戦の話が来たわけだけど、ぶっちゃけどんな心境だった? 当時の本音が知りたい。

N:まだ準備できてない~って感じだった。でもせっかくコーチが提供してくれた機会を逃したくなかったから挑戦することに決めて。

H:初試合の対戦相手は女性? 男性?

N:スカーレット・リッド(Scarlet Lyd)という女性選手が対戦相手だった。試合前はものすごく緊張してたのに、カーテンをくぐった瞬間、気づけばフェニックスに変身してた。残念ながらデビュー戦は負けちゃったけど、プロレスって勝ち負けが重要なわけではないから。

H:フェニックスに変身、か。「リング上のフェニックス」と「普段のノル」、どう違うんでしょう。

N:普段の私は受け身で内向的で、静かで恥ずかしがり屋。だけどリング上のフェニックスは自信に満ち溢れてる。リングにあがるとき、フェニックスがノルと交代する感じなんだよね。うーん、どう説明していいかわかんないけど、とにかく全然違うの。あと、試合中はコンタクトだけど、普段は面倒だから眼鏡。

H:最初はイスラム教保守派からの批判を恐れ、バレないようにとマスクを被ってたんだよね。ところがある試合で負け、マスクを取られ顔が公表されてしまう。

N:昔はマスクを着用することでフェニックスに変身できていたし、顔を隠せていたことが自信に繋がってるところもあったんだ。いまでは、マスクが必要ないくらい自信がついた。

H:ノルが、プロレスから学んだことって何だろう。

N:現状に満足するんじゃなく、より良い選手になるには常に学んで、改善して、努力しなければならないってこと。前進し続けるためには、自分自身に挑戦する勇気を持つことも大切。

H:じゃあ最後に。タイトルの座を勝ち取ったいま、次なる目標を。

N:今後はアジアと英国で、フェニックスのブランディングを強化する予定。あとは、「スターダム」のようにたくさんの女子プロ団体がある日本でも試合ができたらいいなぁ。

***
Aonisai 016:

ノル・ディアナa.k.a.フェニックス(Nor ‘Phoenix’ Diana)
1999年生まれ。
16歳のとき、マレーシア唯一のプロレス団体「マレーシア・プロ・レスリング」に入団。その数ヶ月後にデビュー。
20歳で、男子も参加するマレーシア最大のプロレス大会「レスレコン・チャンピオン」で出場し優勝。
世界初のヒジャブ着用チャンピオンプロレスラーに君臨した。
現在マレーシアはもちろんアジアと英国で活動の幅を広げている。

@nordianapw

Eyecatch Graphic by Midori Hongo
Text by Yu Takamichi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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