「テクノが退屈なら新しくつくれ」東にパンクを密輸した“あの男”、来日。数日でぶちまけた熱狂をレポ(来年もよろしく)

そう、2018年のわりと最初の方にこの男が来ていた。かつての音楽密輸人が日本の税関を(ちゃんと)通り抜けて...。今年もHEAPSご愛読ありがとうございました。
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2018年、いろーんな記事が出たわけですが
「さて、今年の締めはなんの記事にしようか〜」とクッタクタの編集部、考えていたわけです。
あれかなこれかな、ちょっと待て、あの記事、出し忘れてないか…!?

忘れるには濃すぎる男、弊誌で連載をしていたマーク・リーダーの来日レポである。
2018年2月のこと(もう10ヶ月も前だよ)。

ということで、この男の熱狂レポで今年を締めることにする。
とはいえもちろん、「あ、ヤバイじゃん忘れてた」という理由だけではない。

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「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」

マーク・リーダー、イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。
そして“音楽運び屋”。
冷戦時代、ドイツが東西にわかれていたころ。
一夜にして有刺鉄線が張り巡らされ、着々と建設された3メートルの「ベルリンの壁」が自由な西と制限のある東を分断。
ソ連でビートルズが禁止されていたように、東では西の先進的な音楽は禁じられていた暗黒の時代だ。

誰に頼まれるわけでもなく
「豊かな西の音楽を東に届けなくては!」と使命感に駆られ、
前代未聞の暴挙に出ていた。
壁と秘密警察の手をくぐり抜け、禁じられたパンクロックを“密輸”したのが、マーク・リーダーである。

文化や表現の自由を救おうとするマークのピュアさ、タフさ、
そして、自分たちの貫きたいもの(マークは音楽のため)に、身を粉にする好きこその献身、
どれだけやり続けても、ある日小銭を落とすようにいつの間にか無くしてしまわない興味と冒険心。
この時代に〈カルチャーxジャーナリズム〉という唯一無二の雑誌をつくろうと動いている我々HEAPSが
目指す場所(あり方)であり、常に立ち返る原点でもある。
これは今年を締めるにふさわしい。

来日ありがとうマーク・リーダー、
そして幾度となくネタ提供とアドバイスをありがとう
(いまは中国からすぐにネタを知らせてくれる)、

それから、このイベントを一緒に作ってくれたコラボレーターのみなさま、ありがとう
(遅くなってしまってすみません)。

そして、常日頃なる読者のみなさま、ありがとう。

読んでくださるみなさんがいるので、
今年も熱い日々でした。

ありがとうございました。

ではそろそろレポートへ。

(来年も、ヨロシクね!)

マーク・リーダーの連載はコチラ。
「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録(完結)

***

「デヴィッド・ボウイがその地へ移住したから」「レコードがたくさん手に入るから」。ザ・朴訥音楽オタクまる出し根性で、故郷マンチェスターを飛び出し、カルチャー最重要期のタガが外れた70年代のベルリンへひとりやってきた青年。名は、マーク・リーダー。音楽愛だけを頼りに、ベルリンの壁の向こう側(東)で禁じられていたパンクを“密輸”したりと奇行を重ね、ベルリン音楽カルチャーの形成に大貢献をした業界のアイコンだ。昨年、約半年にかけて本誌で掲載してきた連載「『ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”』 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男」において幾度となく密輸人呼ばわりされてきた張本人でもあるが、今年2月、極東・日本の国境をすり抜け、密かに来日を果たしていた。

今回の訪日目的は、日本市場に出回っていない極秘テープの密輸…ではなく、ベルリン発音楽・アートフェスティバル「Berlin Atonal(ベルリン・アトーナル)」とHEAPSマガジン共催のイベント出演。自身が制作に携わった70・80年代ベルリンカルチャーの興隆をドキュメントした映画『B-Movie』上映会とトークショー、クラブイベント…といたって健全な企て。軍服姿(制服マニア。空港で尋問されなかったのか)で威風堂々と我々の前に現れた音楽密輸男、秘密警察でも暴けなかったその正体を、日本滞在記を通して探ってみよう。

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HEAPSファンイベントでDJ中の、マーク・リーダー。

上映会。音楽密輸人、逃走(そしてケーキ、寿司)

 まず最初に、マークは見る者を吸い込みそうなほどの奥深い透き通った青い眼を持っている。だからか、マークがいるとそれだけで彼の周りを構成する分子がピキピキと清涼化され、空気がおいしくなった気がする。屈強な東の秘密警察の目をかいくぐり教会違法パンクライブをやってのけたり、捕まったら即ブラックリスト入りの国境警備隊をだし抜き、禁じられたカセットを東へ密輸したりと肝っ玉のデカさは異常なマークだが、そういった“ぶっ飛び”を感じさせない穏やかさと爽やかさを備えた人物。それが最初の印象だった。

 イベント初日となった2月17日(渋谷のクラブ「Contact」にて)、第一部では日本未公開の映画『B-Movie』上映会とトークショーを開催、第二部のクラブイベントでは、日本初となったマークのDJプレイがフロアを踊らせた。登壇前からファンに囲まれていたマーク(ファンレターなどをもらっていたようだ)。続々と会場に詰めかける観客に紛れながらも、すっかりキーパーソンとして高揚する場の温度を操っていた。

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 マークがナレーションも務めた上映映画『B-Movie: Lust & Sound in West Berlin 1979-1989』は、マンチェスターからベルリンに移り住んだ青年(マーク)の視点から、1980年代のベルリン狂乱カルチャーシーンを当時のライブ&インタビュー映像などでコラージュしたドキュメンタリー。映画では、“廃材を楽器とした”実験音楽バンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンや、マークも親交のあったガールズバンドのマラリア!、伝説のライブベニューSO36、テクノシーン重要人物・ウエストバムなど、壁崩壊からテクノ誕生までのカルチャーの断片がつなぎ合わされている。

 上映に伴ったトークショーでは、マークが実際に目撃したDIYミュージックシーン、

“シーンなどは特になく、彼らは曲も作ってないし、楽器も弾けない。自分たちでも音が出せるものを楽器にし、思いつきで演奏してたんだ。だから、練習なんてものも当然ない。”

 ベルリンの街形成に大きく影響をしたスクウォット(不法居住)カルチャー、

“戦後の崩壊寸前の建物を取り壊そうとした政府に対して、ベルリンの若者たちは『まだまだ住めるし、新築の団地なんていやだ』と勝手に住みはじめたんだ。彼らが古い建物を守りたいと居座ったことが、ベルリンの景観を救ったとも言えると思う。”

 など、実際に見てきた者の独自の視点で解体していく。マークはこちらが1聞けば10以上答えてくれる人(連載の取材でも、こちらの2ページほどの質問に対し、40ページほどの回答をくれる)。トーク中、観客席から自然発生的に投げかけられた「当時のドラッグシーンは?」という質問に対しても、「いい質問だ。あとの質疑応答タイムで答えるね」と、“答えたい精神”、“話したい精神”が前のめる。

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 同時に、マークはとてもマイペースな男でもある。映画上映中には、「うぇぇ、自分のナレーションの声なんて聞きたくないよ」と、会場から逃走。夜の渋谷を徘徊したあと、小腹が空いたというので純喫茶に入り、ブルーベリーケーキとラテタイム(同行したHEAPSスタッフのケーキも一口ずつ試食)。予定表にはない予期できない思いつきの行動パターンというのも、実験的なベルリンカルチャーの中心にいたマークそのものを体現しているようだ。

日本で初DJセット。2時間セット完遂後、午前2時の寿司屋でまくし立てる

 続く第二部のクラブイベントでは、日本で初となるマークによるDJセットが実現。これまでも音楽イベントなどで来日したことはあったというマークだが、自身がDJとして日本のクラブでプレイするのは初めて。25年来の盟友でDJのトビーネイションも飛び入り参加しながら、自作チューンやデペッシュ・モードのマーク・リーダー・リミックスバージョンなどを織り交ぜた怒涛の2時間セットをフロアに投入。
 トークショーでポロリとこぼした

“クラブに行くのは、ドラッグをやる・酒を飲む・音楽をたのしむだけでない。フロアで人と繋がり一体感を感じるため。“音楽”がドラッグだ”。

 その発言の通り、音楽というドラッグでオーディエンスをひとしきり酔わせた。テクノがダンスフロアでもって壁崩壊直後の分断されていた東西のキッズを統合した、と語ったマークの連載のシーンを思い出す。
 セット最後には、自らフロアに降り、若い女の子たちに囲まれてこの日一番の満面の笑みで踊っていたマーク。憎めない。

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 再びお腹が空いたマーク、自分の持ち時間終了後(クラブでは、マンチェスターからエレクトロニックミュージック・デュオのデムダイク・ステア、日本からもDJ YAMAやYPY、朝5時までドイツテクノの重鎮、モーリッツ・フォン・オズワルド師匠も回していた)、HEAPSメンバーと一緒に寿司をつつきに。

 寿司が出てくる度に写真を撮り(「ワイフに食べたものを撮ってこいと言われているんだ(苦笑)」)、うなぎが食べたかったがなかったので頼んだ穴子を何度も絶賛、筆者が好きな映画(『スパイナル・タップ』。架空のロックバンドが主人公のおバカドキュメンタリー映画)についてふってみると、それについて話し倒す。話題がなんでも滔々としゃべり続けた。実はマーク、この前日は京都で朝までクラブナイトで回していた(よって、睡眠時間は移動の新幹線での2時間)。が、誰よりもしゃべる。そして、誰よりもパシャる。午前2時を回った寿司屋には、2時間しか寝ていない頭でしゃべりまくるマークの声と寿司の上を飛び交うシャッター音が延々と響いた。

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「テクノなんてつまらない。新しいものをつくろう」でもいい

 マーク自身が実験精神に溢れた男だと先述したが、彼が実体験した80年代の実験的なベルリンのなかで生まれたのが、今回のイベント主催者でもあるベルリン・アトーナル(以下、アトーナル)だ。完成度の高いエンターテーメントではなく、未完成・未知数領域の“実験”のスリルをたのしむ、成功するだろうとコンフォートゾーン(楽な領域)にいたら、文化や創造性は衰退してしまわないか、のコンセプトのもと23年の長い休止期間を経て2013年に復活。

 アトーナルとマークのつながりは、初回のアトーナル開催にまで遡る。

“あまり発表の機会のないバンドにも舞台を提供するアトーナルは、そのプラットフォームとして重要な価値があるし、ベルリンにとって不可欠なフェスティバルだったと思う”

 壁崩壊直後にも、旧発電所など廃墟で生まれたテクノシーンについても「思いつきや勢いで新しいことをはじめてしまう精神性をつくった」「アパートの床に穴を開けてホコリだらけの地下室でパーティーをした(ホコリまみれになるので作業着で参加)」「西の若者が東の若者に『パーティーってこんな無人地帯でもできるんだよ』と遊び方を教えてあげた」と、アトーナルとの記憶を語った。

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 ところで、B-MOVIEも当時の音楽シーンの映像や写真がつまった文化歴史博物館のような回顧フィルムだが、「なにも『あの時代はよかったな』と1980年代を懐かしむために作ったわけではない」と制作の理由についても口にした。

“実際、当時は金なし生活でボロボロの生活だったから、戻りたいとなんて思わないし。若者たちには『携帯やパソコン、ネットなんてものがなかった時代の人たちが工夫してたのしいことを考えて、自分たちがやりたいことをやりたいようにしていたんだな』と刺激を受けてほしいんだ。
新しい音楽においても同じ。21世紀がはじまって20年経ったいまでもなお、僕たちは同じテクノで踊っている。いまの若者たちが『90年代から続くテクノなんてつまらない』と新しく何かカルチャーをつくりだしてもいいんだ。我々年寄りがとやかく口出しすることではないからね”

 テクノを無視してもいいから、何か新しいアート、音、カルチャーを大いにつくってみよう。既存のものに固執しすぎず、失敗しながら実験的に新しい試みを実行しよう。若者を鼓舞するマークだが、彼は彼なりの“変革”も起こそうとしている。たとえば、最近力を入れているのが、中国の若手バンドのプロデュース。日本やドイツ、英国が確立しているような音楽アイデンティティがまだない中国のサウンドを掘り起こすためにと動く音楽密輸人60歳、まだまだ止まらない。

ブルー・マンデーではなく超絶“ハッピー・マンデー”。月曜夜の宴

 その夜、マークは足が地面にはりついたかのようにDJブースを離れなかった。古民家を改築した2階建てのバー「bonobo(ボノボ)」で開催された19日のHEAPSファンイベントには、月曜夜にも関わらず総勢103人の参加者がつめかけ、小さな店内を蠢いた(マークの親しい友人で90年代からベルリンテクノシーンに深く関わっているトビーネイションや日本のテクノ、クラブシーンに貢献した渡辺健吾氏や弘石雅和氏などの姿もあった)。

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 マークのDJセットは1時間の予定だったのだが、結果2時間以上もDJブースを占拠(これも実験精神?)。ターンテーブルにのめり込んでしまうのではないかというほどの集中力と、一音一音に自由に反応するオーディエンスを操縦する指揮官のような佇まいで、フロアの沸点を無限につり上げる。
 オーディエンスの鼓膜を驚嘆と未体験の刺激で満たしたヒューマンビートボックス・アーティスト・KAIRI(カイリ)のパフォーマンスには、口をあんぐり目をまん丸にし、ひたすらムービーを回した。

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 熱気でむせ返る1階のフロアとは打って変わって2階の茶の間では、DJ MEMAIが幻想的なサウンドを鳴らす横で、イラストレーターのNanamyとMokaが、ライブペインティングを敢行。ベルリンの壁に描かれた有名な絵『独裁者のキス』をモチーフにしたイラストと、マークの似顔絵を生で描くという、実験的で色彩強いアーティスティックな空間があった。

 金曜(か、土曜)じゃないかというほどの開放感と恍惚感に溢れた平日月曜の夜のフロアには、思い思いに音楽を飲み込み消化する103人と、その中心で誰よりも音に溺れていたマークがいた。

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 日本滞在最終日の20日には、20年来の親交のある電気グルーヴの石野卓球さんとの特別対談取材。タッキュウ、タッキュウとうれしそうにベルリン時代を振り返っては事あるごとに抱擁しあう姿に、取材陣も目尻が下がるばかり。対談を終えた後は、再び予期せぬマークの予定、学帽探しの旅に(制服マニア、日本の学生帽が欲しいと言いだす)。

 さらに「他にもお土産、頼まれているんだ。でも時間がない!」と焦るマークをドン◯ホーテに連れていく。そこでは抹茶キャラメルをカゴにポイポイし、最後はたいそう気に入った抹茶ポッキー(試食品)を片手に、マークはエレベーターへと消えていった。

 ベルリンの激動期〜テクノ誕生を目の当たりにしてきたマークの透き通るような青い眼は、今回の日本でどこを見据えていたのか。それは、ダンスフロアでうねる人の波であり、DJミキサーのつまみであり、旧友トビーさんであり、夜の渋谷の雑踏であり、そして穴子寿司であった。人をたのしませながらも自分がたのしむことも忘れない。音楽だけでなく食にも買い物にも貪欲。
 東にパンクを密輸した音楽密輸人とは、置かれた環境で際限なく“たのしむ天才”でもあった。音楽が意味するのは「音」を「たのしむ」こと、そんなベタで根本を素直に思い出させてくれたのである。なけなしの小遣いをレコードに費やそうか、ライブの切符に費やそうか、クラブ代にしようか(あるいは、そのすべてを実現させようか)考えあぐねる音楽少年がそのまま育ったようでもある。

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「若い頃、スピード(ドラッグの一種)のやり過ぎで骸骨みたいだったんだよ。スケルトン、スケルトン…」と喫茶店で繰り返しつぶやきケーキを平らげるマークのナイフのように尖った美しい狂気、「テクノがつまらないなら、新しいことはじめていいんじゃない?」という、気軽で自由、それでいて突き抜ける反骨精神は、ベルリンのパンクバンドから東の音楽狂たち、秘密警察までもの平常心を飄々と惑わしてきた。

 そして今回、わずか数日の滞在で、東京の若者たちの好奇心を盛大に掻き立てていった。


▶︎「彼がいなかったらいまの僕も電気グルーヴもなかった」石野卓球と“あの音楽密輸人”、20年越しの特別対談

All Photos by Takahisa Yamashita

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Berlin Atonal×HEAPS with Mark Reeder

SPECIAL THANKS TO YOU GUYS!!!

共催 / Berlin Atonal

ベルリン・アトーナル
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今回、共催いただいたベルリン・アトーナル。ベルリン在住のライター・浅沼優子さん(写真一番左)には、
イベントの企画から実行まで力強いサポートをいただきました。
どうもありがとうございました!

Photographer / Takahisa Yamashita

takahisay-photograph.themedia.jp
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フォトグラファーの山下さん。ジョナのイベントでも撮影いただきました。
参加者みなさんの最高のショット、そしてたくさんのマークのニヤケ顔。
ありがとうございました。
 

Human Beatbox Artist / KAIRI

YouTube
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19日のイベントオープニングに登場したのは、HUMAN BEATBOX ARTISTのKAIRIさん。
超人的なパフォーマンスと音を自在に操る即興性に
マークも「オーマイガー…」顔で目をまん丸にさせながら必死にスマホを構えていました。

Illustrator / nanamy & MOKA

nanamy:Instagram
MOKA:Instagram
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2階の茶の間でライブペインティングを披露してくれたイラストレーターのnanamyさんとMOKAさん。
ベルリンにちなんで、ベルリンの壁の一番有名なアート「独裁者のキス」と、マークの似顔絵を描いてくれました!
今回のイベントで初顔あわせ&コラボということでしたが、息のあったアート才能の融合にマークも大・喜・び。

DJ / DJ MEMAI

djmemai.com
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2階の茶の間を幻想的サウンドで充満させていた、音の魔術師DJ MEMAIさん。
湯気が立ちそうなほど熱気をこめた1階の頭上では、また一味違う不思議な別世界を演出、
ありがとうございました!

Musician / Ayako Okamura

laatry.com
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特製「MEET HEAPS&Berlin Atonal・レコード型クッキー」を作ってくださった岡村さん。
袋にはQRコードで岡村さんの音楽が聴けるなど、
音楽好きには(そして甘い物好きにも)たまらない演出。粋なアイデアをありがとうございました!

Photographer / Mitsuru Takada

mitsurutakada.tumblr.com
instagram.com/the_sal_tree
www.facebook.com/The-first-171303886541745/
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ジョナ、ニールのイベントに続き、MEET HEAPSに毎回参加してくださる高田さん。
今回は、“密輸人”に扮してパウンドケーキ売り!
その突飛なアイデアとユーモアあふれる行動力には、脱帽です。ありがとうございました。

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そしてこの一枚が、19日イベント後、興奮冷めやらぬなかでの集合写真。
マークはベルリンに帰ったあとも、「日本にまた来たい!」と叫んでいた(と伝わる熱のメールが来ています)。
みなさん、ありがとうございました。

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