レコーディングスタジオもレコードショップもほとんどない国、パレスチナ。しかしいま、パレスチナのポップスが世界を舞台にはじけている。
パレスチナの音楽シーンと海外の音楽シーンを繋ぐ最重要フェス(「チケットは入り口で買えます。みんなの手が届く5ドル。富裕層地区から来た人から、難民キャンプから来た人までさまざまです」)の存在。海外のリスナーを共鳴板に鳴り響き、自国にも跳ねかえるパレスチナのポップス。
パレスチナアーティストたちは世界の音楽シーンと繋がりながら、少しずつ自分たちの音楽文化を育てようとしている。
スポティファイがやっとやって来た。いま、パレスチナは〈ポップス〉
伝統音楽でもない、クラシックミュージックでもない。大衆のための音楽〈ポップス〉は、いつの時代も、テクノロジーの発展とともに大きくなっていった。1940年代にマイクロフォンの機能が改良されたことにより歌唱の幅が広がり、シングルレコード盤の開発で安価な音源が人々の手へ。50年代のテレビ、60年代のトランジスタラジオ、80年代のミュージックビデオ。そして2000年代以降のデジタルストリーミング。2006年にすでに世界で開始していた大手音楽配信サービス「スポティファイ」が、12年遅れの2018年にやっとスタートしたパレスチナでは、いまポップスがはじけている。
“パレスチナ初のヒップホップグループ”としてひと足先の2000年代に結成された「ダム(DAM)」や、スイス系パレスチナ人の女性ヒップホップユニット「カレミ(Kallemi)」、政治情勢に対する考えやLGBTQの権利、ゲイとしての個人的な視点や感情を歌にするポップシンガー、バシャー・ムラッド、ガザ地区出身の7人組フォークバンド「ソル(Sol)」。それに、英国の有名フェス・グラストンベリーにも参加したサイケデリックバンド「トゥータルド(TootArd)」。
パレスチナは100年以上ものあいだ隣国イスラエルと対立が続き、紛争のやまない複雑な土地だ。そんななかでも、パレスチナの経済・政治的中心地ラマッラーは「音楽都市」として栄えるべく、パレスチナのポップアクトたちが出演し、数千人の観客が参戦する音楽フェスも複数開催している(後に詳しく)。
パレスチナポップスのいまを探るべく、パレスチナ内外で人気のポップシンガー、バシャー・ムラッドにスカイプを繋ぐ。「その昔、パレスチナの音楽といったら、国民的歌手のヒットソングやアラブ伝統音楽のカバーソングでした。いまは、オルタナティブ・ミュージックが止めどなく流れてきます」
レコードショップ、楽器屋、ライブ会場を探すのが難
パレスチナポップス興隆の話の前に、パレスチナという土地が、どれほど“音楽インフラ”が整っていなく、音楽が育ちにくいか、について話したい。
まず「レコードショップを探すのが難しい」。いまでは“中東のスポティファイ”と呼ばれる配信サービス「アンガミ」や、大手スポティファイも進出済みのため、パレスチナの人々もオンラインで世界中の曲が聞ける。が、海賊盤を売っている小さなレコード屋に時間をかけて行くか、ネット誕生初期はオンラインで違法ダウンロードをするかしかなかった。レコードショップのカルチャーが育ってきていないため、いまでもレコードショップを見つけるのは難しい。
なかなか見つからないのはレコードショップだけではない。「楽器や機材を売る店やレコーディングスタジオも、ほとんどない」という。イスラエルなどの国から入手しようとしても「高いし、バラエティがない」。アーティストの音楽制作に必須な施設、道具が制限されている。音楽を発表するレコードレーベルも皆無に等しい。
ポップシンガー、バシャー・ムラッド。
「それに、演奏するベニューがないんです。クラシカルな座席のあるシアターやバー、レストランの一角、ホテルの広間などでライブをするしかないんです」。バシャーの初舞台も「家の隣のレストランにあるアウトドアエリア」だった。この“音楽インフラ”が乏しい土地パレスチナで、「音楽の道に進もうというのは、けっこうな決断だと思います」。バシャー自身、音楽活動をはじめた2009年、海外のIPアドレスを使いスポティファイから音楽を配信。しかし、海外のIPアドレスを使用しないと国内のユーザーはスポティファフィにアクセスできないため、国内のオーディエンスには届かない、というジレンマがあった。
海外の音楽エキスパート × 地元アーティスト。音楽制作&ビジネスを学ぶ
海外のフェスにも出演済みで、アイスランドのエレクトロバンドともコラボを実現したバシャー。その転機となったのは、自身の初の大ステージだったと振り返る。ここ数年でパレスチナポップシーンで最重要な役割を果たしている音楽フェス「パレスチナ・ミュージック・エキスポ(以下、PMX)」だ。
参加者の層は、18歳から30代がメイン。「チケットは入り口で買えます。みんなの手が届くように5ドル。富裕層地区から来た人から、難民キャンプから来た人までさまざまです」
2017年に、パレスチナのミュージシャンや音楽プロデューサーたちによってはじまったイベント。毎年3日間にわたって、20組から40組の地元パレスチナのアーティストが出演、毎年3,000人から7,000人の来場者が押し寄せる。
PMXの主な目的は、パレスチナの新進気鋭のミュージシャンと、国外の音楽関係者を結ぶこと。音楽プロデューサーに、レコードレーベル関係者やブッキングエージェント、フェスプロモーター、音楽ジャーナリスト、音楽関連の法律家などの音楽エキスパートたちが英国や欧州、米国、カナダ、ブラジル、韓国、ドバイなどから参加。
音楽関係者の参加者には、グラストンベリーフェスティバルのプロモーターや、ゴリラズやフローレンス・アンド・ザ・マシーンなど大物ミュージシャンを手がける英プロデューサーのジェームズ・フォード、デヴィッド・ボウイとの共作で知られる英大御所プロデューサーのブライアン・イーノに、セックス・ピストルズ元祖メンバーのグレン・マトロックなどがいる。
PMXでは、音楽の分野における各エキスパートたちがワークショップを開催し、出演アーティストたちが出席できる。たとえば、音楽プロデューサーによる音楽プロダクション講座や、バンドのエージェント探し、レコードレーベルのはじめ方、音楽著作権についての授業などがある。
「地元ラジオで地元アーティストの曲が流れたとしても、著作権使用料を支払うというシステムがないんです」とは、自身もメタルバンドのメンバーであるパレスチナ出身のアベッド。PMX創始者の一人でもある彼にも話を聞いてみると、パレスチナの音楽ビジネスとしての構造がまだまだ整っていないことに触れる。「パレスチナには、レコードレーベル、レコーディングスタジオ、音楽出版社がほとんどないんです。それから、政治情勢が理由でパレスチナのアーティストは国をあまり出ることができない。パレスチナのミュージシャンが世界の音楽シーンに触れる機会が少ないのなら、彼らのところに持ってきてあげようと思いました」。
ワークショップの他に、PMXはネットワーキングの場も設け、出演アーティストたちは、エキスパートたちと個別に面会もできる。「自分の演奏が終わった翌日、音楽関係者とバーで一杯交わして、ジャムセッション、なんてこともあったりします」
20分で掘り起こされるパレスチナポップの原石
開催初年の2017年はヒップホップが、2018年はロックが、2019年はエレクトロポップや実験音楽のアーティストが顕著だったという。エレクトロや実験音楽アーティストが多くなっている理由として、「テクノロジーの影響です。いまはベッドルームから曲を作れますから。ビリー・アイリッシュだって、最新作はベッドルームで録音したらしいです」。
出演バンドは、応募者からPMXの役員たちが厳選。ガザ地区のバンドが出演を果たしたこともある(パレスチナ自治区である同区の市民は、原則、自由に外に出ることはできない)。
「通常、ガザ地区からの渡航が認められるかどうかは、ギリギリにならないとわからないので、ガザ地区からのアーティストを招致するときには、2つのセットリストを用意するんです。彼らがステージに立てた場合と、立てなかった場合」。あるバンドにいたっては、演奏する日になってやっと許可が出たのだとか。
「怒号のように電話をかけましたよ。『いまやっていることをほっぽって、早く検問所*をくぐり抜けて! 楽器はこっちで用意するから!』と」
*ガザ地区と外を隔てる関門。
各バンドの持ち時間は、20分。「どんなフェスでも前座は20分。音楽関係者にとってそのバンドが『スキルがあるか』『自分の好みか』『デビューする準備ができているか』を知るのに、じゅうぶんな時間です」。
英プロデューサーのジェームズ・フォードが、インディーバンド「トゥータルド」のライブを観たのもPMX。「ジェームズは、ライブの後にバンドに話しかけていました。現在は、トゥータルドの次作をプロデュースしています」。トゥータルドは、PMXに出演してから2年間で、レコード契約もし、来日公演も果たした。
アラブポップとエレクトロのバンド「ゼノビア」は、エレクトロミュージックシーンのプロモーターの目にかかり、そのあとツアーは国内外でノンストップ。先述のバシャーも、PMXで知り合った関係者を通じて、カナダで開催される音楽フェスへの出演と、アイスランドのエレクトロバンド「ハタリ」とコラボし、曲をリリースした。
PMXのミッションは「パレスチナに、サステナブルな音楽シーンを作ること」だ。海外の音楽エキスパートたちのスキルやインプットにより、国内になかった音楽施設やシステム、音楽に対する認識が構築。PMXに出演したアーティストを通じて、国内の他アーティストへと音楽のノウハウが引き継がれる。自国だけで、音楽文化が育つ環境が作りだされるわけだ。
そして、海外の音楽シーンと結びつき、海外のアーティストとのコラボレーションをしていくことが、パレスチナポップスの盛りあがりと、パレスチナの音楽文化が育つ環境をつくっていくためには欠かせない。
PMXをきっかけにアイスランドのバンドとのコラボレーションを実現したバシャーに、英国のプロデューサーとアルバム制作をしたバンド、カナダのフェス出演たシンガーたちが、海外を舞台にパレスチナの音楽を届ける。他国でショーをおこない、レコーディングをし、コラボレーションすることで、パレスチナポップスを海外の耳にプロモートする。「海外のアーティストとのコラボレーションを通じて、パレスチナへの関心を高めることができます。デンマークやアイスランドのティーンが、パレスチナの音楽を通して、パレスチナの文化を知ることができます」
「以前、ここには“マドンナ”も“レディー・ガガ”もいなかった。パレスチナには、革新的なアーティストがいなかった。みんな『ハッピー、ラブ』みたいなことしか歌っていなくて」。まわりの友人はみな、国内の音楽に飽き、欧米のポップアーティストの曲を聴いていた、とバシャーは思い出す。「でも、ここ10年で、パレスチナの若者たちは、自国アーティストたちの音楽を聴くようになりましたよ。音楽配信で共有したりもしてね」
Interview with Bashar Murad and Abed Hathot
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Eyecatch image by Palestine Music Expo, graphics by Midori Hongo
All images via Palestine Music Expo
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine