オアシス、ザ・スミスもこの街で。なぜ灰色の小さな工業都市は図太いロックンロールを生み出したのか?

数々のロックスターが生まれた“灰色空の街”・マンチェスター。歴史的なワーキングクラスの街マンチェスターとロックの関係性について、地理、社会経済、精神性の観点から考えてみる。
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その都市を三つのキーワードで表現するとしたら、「ワーキングクラス」「サッカー」「ロックバンド」となる。イギリスの地方都市マンチェスターのことだ。

オアシスにザ・スミス、ジョイ・ディヴィジョン。産業革命で栄えた伝統的な労働者階級の街が、世界級レベルのロックバンドを生み出したきた。街の根性と精神が支えたロックンロールについて。地元マンチェスターにてそれらバンドをカメラに収めてきた写真家と一緒に考えてみたい。

音楽とサッカーの街、マンチェスター物語

 その昔、知るバンド、聴くバンドの出身地がことごとく同じだという現象に陥ったことがある。その出身地が、マンチェスターだった。「なぜ、揃いも揃ってみなマンチェスター出身なのか」。

 マンチェスターという街は、ある2タイプの人間からの寵愛が凄まじい。1つは、サッカーファン。マンチェスターは“マンU”の愛称でお馴染みのマンチェスター・ユナイテッドと、そのライバルであるマンチェスター・シティの本拠地だ。二つには、ロックファン。特にU.K.のインディーズ好きは、マンチェスターと聞いただけで鼻の穴を膨らませる。行ったことあるなしに関わらず、格別の思い入れを持っているに違いない。その理由は「マンチェスターがパンチの利いたロックバンドの生誕地である」ことにあり。

 参考文献として信用度は低いが、ウィキペディアの「マンチェスター出身のミュージシャン・バンドのリスト」を覗くと、そこには257の名が賑々しく並ぶ。ニュー・オーダー、ハッピー・マンデーズ、ザ・ストーン・ローゼズ、バズコックス、シャーラタンズ、808ステイト、ザ・ヴァーヴ…(ほか、ディスコの王ビージーズやボーイズグループの王子テイク・ザットも)。1980年代後半から90年代初頭にかけては、「マッドチェスター」という音楽ムーブメントも発生(狂ったという意味の〈マッド(Mad)〉とマン〈チェスター(chester)〉を掛けて)。サイケロックとダンスビートを融合させた“マンチェスター・サウンド”を独自に生み出し、ドラッグ、クラブカルチャーと一緒にゆらゆら揺れた。ちなみにマンチェスター、我らが音楽密輸人マーク・リーダーの出身地でもある。


Illustrated by Midori Hongo

 英国で9番目に大きい都市、と少し中途半端な規模の街からロックシーンのビッグネームが多数誕生。工業都市として栄えた労働者階級の街・マンチェスターとロックの関係について掘り下げようと今回HEAPSが取材相手に選んだのは、著名写真家ケヴィン・カミンズ。80年代から英国音楽シーンを撮り続け、 英老舗音楽雑誌『NME』の専属カメラマンとしても活躍し、ビョークやジョイ・ディヴィジョンの世界的に有名な一枚を撮影。労働者階級の街マンチェスターから、数々のロックバンドが誕生するのも目撃しドキュメントしてきた。自身も“マンキュニアン”(生粋のマンチェスターっ子)であるカミンズ氏に聞く「“ブルーカラーの街”マンチェスターとロックの関係性」。

 蛇足だが、彼の写真とともにストーリーを展開する予定で取材後にやりとりをしたところ、途中で音信不通に。写真なしでは…と、記事を保留にしておいたのだが。お蔵入りにするにはもったいない貴重な取材内容だったので、2年前のインタビューを掘り起こしてみた。

ピストルズ初ライブに将来のバンドマン全員集合。小さい街の利点

 ロンドンから電車で約2時間。イングランド北西部にマンチェスターは位置する。電車でたった2時間の距離だが「ロンドンのバンドは北(マンチェスター周辺)を訪れることはしなかった。ロンドンにすべてがあったからね」。

 音楽大国・英国の首都ロンドン。いつの時代も世界を席巻する音楽シーンの生誕地であり、カミンズ氏が若い頃も、ロンドンパンク絶世期だった。セックス・ピストルズやザ・ダムドといったロンドン拠点のパンクバンドの音は、少しのタイムラグを経てマンチェスターへと届く。マークも本誌連載で、マンチェスターでの音楽体験をこう語っている。「ある日、ぼくが働いていた英・マンチェスターのレコードショップに“パンク”がやって来た。それは、ザ・ダムドのシングルで、立て続けにあのセックス・ピストルズのデビューアルバム『アナーキー・イン・ザ・UK』も入荷した」。

 この“電車で2時間”の物理的距離が、マンチェスター独特の音楽カルチャーを生むことになる。「パンク一つとっても、ロンドンとマンチェスターのバンドでは大きな違いがあったと思う」


バズコックス。

ジョイ・ディヴィジョン。

 マンチェスターは、東京都の大田区と世田谷区を足したくらいの大きさだ。「マンチェスターがロンドンにあったら、ある一区画くらいにしかならないだろう。小さな街だから、みんなが集まりやすい。あるライブに行ったら、同じような50人がいるという具合だった」。地元のバーやレコードストア、ライブ会場に行けば、同じような趣味の地元の人たちに会える。

「だから、ぼくもボウイやマーク・ボランのライブを観に行けば、そこでミュージシャンの友人と会って、写真なんかも撮れたんだよね」。マーク・リーダーも以前こう回想した。「ぼくが働いていたレコードショップは瞬く間に“パンクのメッカ”になり、ぼくはというと昼間から音楽を聴きにぶらぶらとやって来ては居座る一文無しのパンクキッズたちに目を瞑り…(中略)…そこは、“若者のほとんどがバンドの成功を賭け、支給された失業手当を楽器につぎ込んでいた街”マンチェスターの、音楽シーン中心地だった」。

「音楽の震源地ロンドンとの物理的な距離」と「面積の小さな街」という地理的要因が、マンチェスターの音楽カルチャーの形成と関わっている。それがわかる出来事が、1976年6月4日におこなわれたセックス・ピストルズのマンチェスター公演だ。当時マンチェスターでは、パンクがあまり浸透していなかった。そんななか、ロンドンでピストルズを観て興奮冷めやらないピートとハワードという青年(彼らが後にマンチェスターを代表するパンクバンド、バズコックスを結成)が、ピストルズを地元マンチェスターに招致してライブを実現させた。観客はわずか42人だったものの、この中には後にジョイ・ディヴィジョンを結成したイアン・カーティスや、バーナード・サムナー、ピーター・フック、ザ・スミスのモリッシー、後にマンチェスター音楽シーンに欠かせないレーベル「ファクトリー」を創設した故トニー・ウィルソンがいた(カミンズ氏も42人の一人)。後のマンチェスター独自の音楽シーンを創り出す人々が、小さくも密な音楽コミュニティに集まったのだ。


1976年6月4日の伝説のピストルズ、マンチェスター公演。

「あと、他の地域に比べてマンチェスターは雨の多い街だ」。天気がマンチェスターの音楽に影響? 「大いに。マンチェスターの地元民は、他の英国の地域とちょっと異なるユーモアのセンスがある。悲観的というか。それは歌詞にも表れているよ」。それは「仕事を探していたんだけど、やっと見つかったよ。でも神様は俺がみじめだってことを知っているんだ」と仕事が見つかっても空虚で陰鬱な胸の内を吐露する、ザ・スミスのことか。

ストリートのゴロツキも、配管工も、公務員もロックスターになれる街

「マンチェスターは、産業革命の発祥地。歴史的にワーキングクラスの街だった」。

 17世紀に綿織物工業が栄え、紡績機に蒸気機関が用いられたことによって産業革命がスタートした工業都市マンチェスター。「コットンポリス(綿都市)」として綿織物の生産に力を入れ、鉄道で繋がっていた港町リヴァプール経由で世界中に輸出した。いまも街には、工場跡が点在している。

 産業革命の時代から街のDNAとして“労働”が流れこんでいるのか、街のシンボルも「働き蜂」だ。そしてマンチェスター出身バンドの多くは、「労働者階級出身」であることを勲章のように誇らしげに掲げている(階級意識がまだ根強い英国なのでなおさら)。その典型的な例が、オアシス。ワーキングクラス出のギャラガー兄弟が結成したブリットポップを代表するバンドで、結成前の兄ノエルは配管工や倉庫番、弟リアムは札付きのワル。ライブでもジャージや普段着で登場するなど労働者階級を誇示し、アッパーミドルクラスのロンドン出身バンド・ブラーと対決するなど、実に階級社会・英国らしいスタンスと描かれ方でのし上がっていったのだ。


オアシス。

ザ・スミス。

 マンチェスター出身のバンドには、労働者階級出が多い。ギャラガー兄弟の両親は、アイルランド移民の典型的なワーキングクラス(父親は酒乱の建設作業員)。モリッシーの両親も同様(労働力として移民を受け入れてきた工業都市マンチェスターは、アイルランド系移民の街でもあった)。バズコックスのシンガー、ピート・シェリーの両親も工場労働者(母)、炭鉱の組み立て工(父)。みな、カウンシル・エステートと呼ばれる公営団地から這い上がってきたのだ。「ワーキングクラスであることを大いに誇りに思っていた。ワーキングクラス出は、ハングリーなんだ。成功をおさめたいという渇望。彼らの創造力は、富裕層にはないその“飢え”を原動力としている。まあ、英国のほとんどのアートは、ワーキングクラスの手によって作られているんだけどね」。

 どの階級出身でもガッツさえあれば成功できる街。ドラッグから強盗まで犯してきた悪事のデパートのようなショーン・ライダー率いる、ストリートのゴロツキ・ジャンキー・チンピラ集団ハッピーマンデーズといったバンドも成功した。ジョイ・ディヴィジョンの暗く美しいボーカル、イアン・カーティスも日中は街の職業安定所の公務員として働いていた。「“キャリア”ではなく、生計を立てるための“仕事”。ずっと続けたいような大切な職業ではなく、いつかは辞めて、音楽活動に専念したいとみんな思っていた。マンチェスターの利点は、リハーサルやライブをする場所も安く借りることができる。スクウォット(不法居住)も多かったからね」。


Illustrated by Midori Hongo

移民・労働者の街を支えた、インディースピリット・実験精神・プライド

 マンチェスターを代表とするバンドに、ピストルズのマンチェスター公演を実現した先述のバズコックスがいる。ピストルズに衝撃を受けた10代4人で結成され、じきにピストルズのツアーの前座もこなすようになった。そして77年、自主レーベルから自主制作したEP『スパイラル・スクラッチ』をリリース。インディーレーベルから自主制作盤を出すことはロック史上前代未聞で、バズコックスは“インディーズ”の先駆けとなった(ちなみにレコードは1000枚リリースされたのだが、メンバー自らが一枚いちまいレコードをジャケットに入れていったという逸話)。

 バズコックスが体現したようなインディー精神、独立心がマンチェスターにはあると感じる。ロンドンとは違うという自負、労働者の街として自分たちの底力を見せつけたいという意地。「マンチェスター民は、マンチェスター出身であるということに、太いプライドを持っている。自分たちの都市が一番だと思う節があるというか」。だから、マンチェスターのどのバンドも“マンチェスター”の音を確立する。

「ロンドンとマンチェスターは、別々のサウンドを持った二都市だった。“マンチェスターサウンド”といったって、ある一つのサウンドがあるわけではない。バズコックス、ジョイ・ディヴィジョン、ザ・フォール、ザ・スミス、ハッピー・マンデーズ。お互いまったく共通項のないサウンドだが、“マンチェスター”はどのバンドにとってもブランドネームとなったんだ」


当時のマンチェスター・クラブシーンのショートクリップ。

 主力産業であった工業が低迷期を迎え、80年代に差し掛かる頃には街は廃れていく。工場や倉庫などは廃墟と化し、80年代の景気後退により失業者やスラム街が目立つ。そんな中で発揮されたのが、マンチェスターの底力と実験精神だった。それはベルリンの壁崩壊後の東ベルリンの精神に近いものを感じる。瓦礫まみれの廃墟が立ち並ぶ地区にパンクライブハウス「エレクトリック・サーカス」は建てられ、「結局6ヶ月か9ヶ月くらいしか続かなかった」が地元やツアー中の米国バンドにステージを提供。「ニューヨークのクラブに倣ったんだ」という「クラブ・ハシエンダ」は、マンチェスターの音楽シーンを形作ったファクトリー・レコードが元倉庫を改築してオープンした。のちにマッドチェスターなどの音楽シーンを形成したハシエンダだが、「オープンからの2年は誰も寄りつかなかったさ。金曜の夜でも、たった5人しかいなかった」。でも、ある時から「みんな行きだした。そりゃ、彼らがビールの値段を安くしたからさ」。なんとも酒飲み英国人らしい理由だ。しかしハシエンダも、麻薬売買や赤字経営などが問題となり消滅した。

 2010年代も、マンチェスターはThe 1975やペール・ウェーヴスといったインディーバンドを吐き出している。が、マンチェスタースピリットの塊のようなオアシスのノエル先生は最近不満のようで、「もう労働者階級を代弁する声なんてないってことだし、低所得者向けの住宅から聴こえてくるような感じなんかももうないよね。音楽は本当に中流的なものになっちゃってるよ」とぼやいているらしい。

Interview with Kevin Cummins

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Eye catch image: Painting by Chihiro ITO
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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