ドバイのオペラハウスから韓国と北朝鮮をへだてる非武装地帯まで、グラフィティアートを残していく。街のシンボルや建造物に、それから時々、お茶を振る舞ってくれる民家の壁に。アーティストeL Seed(エル・シード)は、アラビア書道と呼ばれる流れるような曲線が絡みあうグラフィティやインスタレーションを、世界のあちこちに施して飛び回る。
そのアラビア語の美しい曲線をほどいていくと、そこにはその土地を表現する「一つの詩」がある。人の生活が織りなすさまざまな場所にある歴史や記憶、思いを掘り起こし、言葉で呼び起こして。土地のアイデンティティを表現するそのグラフィティアートは、土地と人、そして人と人を繋いでいく。
「土地」に根ざしたグラフィティアート
eL Seedのアーティストとしての活動範囲は“物理的に”広い。彼のアートを目にする人には、金ピカの夜景を毎晩見下ろす中東の大金持ちもいれば、明日の食糧配給のことを考えて眠りにつく難民キャンプの住民もいる。誰の目にもとまる場所に生まれたそのアートに、近所を駆けずり回るキッズも街のすべてを知っているおじいさんも目にシワを刻ませて「ありがとう」。制作の傍らでは、二度の登壇を経験したTEDスピーカーでもあり、ルイ・ヴィトンとコラボレーションを果たした初の中東のアーティストでもある。
アラビア書道とグラフィティを掛けあわせた表現スタイルだが、グラフィティアートが持ついわゆるドロップアウトな印象とは対極的だ。作品には、その土地へのメッセージを織りこむ。たとえばレバノンの難民キャンプでは、パレスチナやシリアなどの故郷に馳せる難民たちの思いからこう連ねた。
「We suffer from an incurable malady: Hope」
(私たちは不治の病に苦しんでいます:希望を)
米国・フィラデルフィアでは、こんな言葉からはじまる一節を。
「I believe that all men, black and brown and white, are brothers,」
(私は、肌の色が黒でも茶色でも白でも、すべての人が兄弟であると信じている)
その場所に土着する作品を生みだす彼自身の故郷はフランスのパリだ。チュニジア人両親のもとに生まれ、家で使っていたチュニジア方言が最初のアラビア語との接点。グラフィティアートにはヒップホップのリリックを入り口に触れ、遊び感覚で夢中になった。
「アラビア語」「グラフィティ」、そして「アラビア書道」の表現が混じり合い、現在のスタイルにたどり着くまでには、アイデンティティに悩んだ10代がある。生まれ育ったヨーロッパで形成されたアイデンティティと、血のルーツとしてのアラブのアイデンティティ。その模索のはざまで学んだアラビア語の読み書きを通して出会ったのが、アラビア文字を美しく見せるカリグラフィのアラビア書道だった。遊びのグラフィティアートにそれを持ち込んでみたとき「これが自分のアートのスタイルになる」と確信した。
アーティスト、eL Seed。
キーパーソンを見つけにカフェへ。ローカルと二人三脚
これまで作品を残してきた都市は、文字通り、世界の端から端におよぶ。エジプトのカイロ、カナダのトロント、フランスのリヨン、チュニジア、韓国と北朝鮮の軍事境界線。てんでばらばらに思える制作舞台(土地)選びだが、一貫しているのは「語られていない土地の間違った認識や固定観念を打ちこわし、光をあてたい」という思い。
たとえば、カイロ近郊のマンシェット・ナセルは、都心からのゴミを回収・分別することを生業とする人々が数十年にもわたって住んでいる町。路上にあふれるゴミからは強烈な臭いが放たれる。一見すると秩序などないような町だが、実際にはこの町のすべてに秩序があり、世界に誇れるパワフルなリサイクルシステムを発達させていた。“汚いゴミの町”という印象とは裏腹に、ゴミをうまく利用して生きるユニークさが見える町は、アートを通して固定観念を打つ完璧な場所だった。
制作の舞台が決まると、いざ現地へ。現地に足を踏み入れたら、いつものアクションがある。「まずは、その土地にプロジェクトを受け入れてもらうための“キー”を見つけることからはじめるんです」。
ここでいうキーとは、現地のコミュニティの中心人物やアートを施したい建物の住人のこと。これら“キーパーソン”に自身の制作を認めてもらうため「カフェに向かいます。現地の人の溜まり場で、彼らに『ヘイ。僕、ちょっとおもしろいものを作りたくて』と話す。そうすると『そういうことをやりたいなら、あいつに話してみるといいよ』と返してくれます。だいたい誰と話をつければ良いのかがわかってきますよ」。ある場所では、牧師がプロジェクトを気に入ってくれれば、全住民が賛同してくれることもあった。
カイロの都心の人々はマンシェット・ナセルの住民のことを“ザッバリーン(ゴミの人)”と呼ぶが、皮肉なことにマンシェット・ナセルの住民は、
都心の人々のことをザッバリーンと呼ぶ。彼らに言わせれば「ゴミを出すのは都心の人間だから」。
韓国と北朝鮮の境界である非武装地帯(DMZ)でも、全長20メートルにわたる長い作品を手がけた。複雑な国家問題が絡んでいることから“お蔵入り”もよぎったが、韓国の軍隊から許可を得たのち北朝鮮政府からも「アートプロジェクトのためなら北朝鮮に来ても良い」という好意的な返答をもらった。
「政治的に考えても、北朝鮮に行くのは少し怖かったです。もう二度と戻ってくることはないかもしれない、とさえ思った。北朝鮮のポジティブな反応に驚いたのは確かです」。当初のアイデアでは韓国と北朝鮮の地面から上へとそびえる橋のような彫刻作品を手がける予定だったが、安全面のリスクから取りやめとなり、結果、韓国側のフェンスに作品を施した。
ときに千年単位の歴史をさかのぼる。その土地を表す“言葉選び”
グラフィティであってもインスタレーションであっても、eL Seedの作品には必ず現地の言葉で綴られた「詩」や「フレーズ」がアラビア語に訳され、織りこまれている。その土地へのメッセージでもあるこれらの言葉は、どのように選んでいるのだろう。
「現地との繋がりがあると同時に普遍的な意味も持ち、世界中の人々がわかるメッセージを書くようにしています」と。地道にリサーチをして見つけるという。とてつもなく難しそうなこのメッセージの選出は、もちろん難航することも。
先述の、カイロのマンシェット・ナセルでの作品『PERCEPTION』に残した詩を振りかえる。「1600年前に実在した、エジプトにルーツを持つコプト派(キリスト教の一派で、総本山はカイロにある)の司教の言葉です。これを見つけたときはアメイジングな気持ちになりました。引用する言葉を探してひたすらページをめくっていた5ヶ月が完全に報われるような、完璧な詩に出会えたのです」
「Anyone who wants to see the sunlight clearly needs to wipe his eyes first.」
(太陽の光を捉えたくば、まずは己の目をこすって汚れを拭いなさい)
土地のアイデンティティを完璧に表す言葉を見つけたら、現地のコミュニティと共有することも欠かさない。「この言葉を見つけてすぐにカイロに舞い戻りました。当時プロジェクトを支えてくれていた牧師に、これを見てください。これこそ、探し求めていたた引用ではないでしょうか?と伝えました」
「太陽の光を捉えたくば、まずは己の目をこすって汚れを拭う。なにかを判断するには、まずはその場に行くこと。人を判断するときも同じです。まずはその街に住む人々を訪ねなければいけない。大昔にこの言葉を生んだ人物と自分が確かに繋がっているように感じたんです」。汚いゴミの町と人々から嫌煙される場所、マンシェット・ナセルのコミュニティ。実際に自分の目で確かめないと、その本質はわからない。
韓国と北朝鮮の非武装地帯に施した作品『THE BRIDGE』に織りこまれた詩は、現地での体験に大きく影響を受けて選んだものだ。1953年に境界が引かれ双方が分断されて以来、互いの関係には冷たい印象がある。作品へ起用した詩は、まだ双方が分断されていない時代に生きた詩人、キム・ソウォルが紡いだ言葉だった。韓国と北朝鮮が歴史のなかで失ってしまったものを想起させる。
「How could you forget/ What you can never forget?」
(絶対に忘れることのできないことを、どうしたら忘れることができるというのだろうか?)
制作中、北朝鮮出身の夫を持つ一人の韓国人女性と出会い、家に招いてもらった際に現地のリアルな感情に触れたという。「彼女は、一生母国に戻れないであろう夫のために毎週欠かさず教会に行き、統一を願って手をあわせている。せめて、自分の生きている間に実現してほしいと」。
ブラジル、リオデジャネイロのファベーラ(スラム街)のグラフィティには、ポルトガルの詩人が綴った詩(「自国、自国民への愛を忘れた人々に向けた警告」)を落としこんだ。
サウジアラビア北西部にあるアル・ウラーの砂漠に施した巨大なインスタレーション作品『MIRAGE』では、同地に実存した7世紀の詩人が恋人に送った言葉を。土地への愛を述べたものだった。
サウジアラビア北西部、アル・ウラーの砂漠。
ブラジル、リオデジャネイロのファベーラ。
チュニジア。
エジプトでは、いままでで一番お茶を飲んだ。平和と団結のタギング
制作のため現地に滞在しているあいだ、eL Seedはまるでずっと前から地元民と知り合いだったかのように接するという。カイロでのエピソードからはそれが目に浮かぶようだ。
「建物の一階で作業をしていると、住民が窓を開けてお茶を出してくれることがありました。二階に行くとまた出してくれる人がいます。最上階までずっとそんな調子です(笑)」
こんなこともよく起こる。「壁画を描いているときに、僕の背後に地元民が集まり、壁画について会話や議論をはじめます」。
制作が終わってからもeL Seedと地元民との関わはり続く。「カイロのプロジェクトが終わってから5年も経つのに、毎週、あそこの誰かしらから電話がかかってくるんです。『家族は元気にしてるか?』ってね」
現地のコミュニティに入り、その土地の生活の一部を築く。「ある意味、彼らは僕の一部になっていて、僕も彼らの一部になっている。制作のために街を訪れ、そこを後にするときには新しい家族を持ったような感覚で別れを惜しむんです。彼らの結婚式などに呼ばれて現地に戻ると、さらに親しくなる」。作品は時が経つほどに、そこに深い根を下ろしていく。
グラフィティアートの文化の中心には、自分やグループの名前やマークなどを街のいたるところにカラーし、自身のアイデンティティを主張するタギングがある。eL Seedの場合は、自身ではなく「土地」のアイデンティティを表現する。土地に残された言葉を通して、コミュニティや地元民、そこへ訪れる人へ新しい見方や異なる観点をみせ、対話を開く。
「プロジェクトの終わりにある人がこう言ってきたんです。『あなたの作品は、平和の産物みたいなものだ。みんなを結びつけた』」。それは、“平和と団結のタギング”と表現できるかもしれない。
Interview with eL Seed
All Photos via eL Seed
Text by Iori Inohara
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine