いつの時代も、若者たちの想いと主張を、憤りもよろこびもぎゅうっと凝縮させて回っているダンスフロア。2010年代は、とりわけ人種やアイデンティティ、セックスやジェンダーについての議論が巻き起こってきたが、それはもちろんパーティーシーンにも濃い色を落としたわけで。この流れと時を同じくしてワッと出てきたのが、Q(クィア)を中心とするパーティーコレクティブの動き。世界各地のダンスフロアで同時多発的に起こっている。
それぞれのコレクティブの紹介から繋げて「世界各地のダンスフロアのいま」に光をあてるシリーズ、みんなのダンスフロアのいま。今回、2箇所目のダンスフロアはリスボン。01で取り上げたNYCのコレクティブ、Discakes(ディスケイクス)からも名前のあがったコレクティブ「Mina(ミナ)」がつくる、自分たちのための“安全な遊び場”とは?
02. リスボン「Mina(ミナ)」の“セレクトされたクィア”中心のダンスフロア
ヨーロッパの西の国ポルトガルの首都、リスボンのクィアコミュニティの歴史はながい。クィア中心のアートやミュージックシーンが、その存在をより強くアピールしはじめたのは、2008年以降。“失われつつあった、地元の自分たちの遊び場を取り戻したい”という思いのもと。
2008年の経済危機により大打撃をうけ、経済の立て直しを図るために旅行産業への注力と海外資本のビジネスの誘致をおこなった結果、リスボンは旅行者が優先されるような街へと急激に変わっていく。当然ながら、地元のナイトライフシーンやアートシーンが使ってきたスペースも、観光客向けのバーやクラブへと姿を変えていったという背景がある。
街の商業化・観光地化で、自分たちの遊び場を失ったクィアコミュニティが、自分たちのスペースをつくろうと動く。その中心的存在には、リスボンでクィアアーティスト/DJとして活動していたペドロ・マルムが、地元のコミュニティラジオDJたちと協働してはじまったクィア・アーティストコレクティブ「Mina(ミナ)」がいる。
パーティーの開催を通して、クィアコミュニティが安全に遊べるダンスフロアをもう一度つくる
ミナ。その「安全なダンスフロア」のつくり方は、「パーティー側が入場OKなお客を選ぶ」というエクスクルーシブさだ。会場の入り口ドアにて、ミナの“セレクター”たちがお客と会話をし、その内容次第でダンスフロアにいるべき存在かどうかを見極めるという。
10年ほど前から、クィアのためのインクルーシブなアート/ミュージックシーンを盛り上げようと活動してきたペドロに、商業化・観光地化してしまった都市でおこった「クィアたちのアクション」についてを聞く。話していく中で、ペドロは「インクルーシブなダンスフロアを目指すけれど、“選ばれし者しか参加できないエクスクルーシブ”という矛盾」にも触れた。
コロナウイルスの感染拡大につき、ダンスフロアをあけられない・そして行けない日々が続いています。
苦しい時期ですが、またみんなで思い切り踊れることを願って。
観光地化する都市でじりじり育まれた〈とにかくカオスなクィアアートシーン〉
H:とっても多忙な中、時間を取ってくれてありがとう。今日はよろしくお願いします!
P:よろしく!
H:まずはじめに、ミナがはじまったリスボンという街について、ちょっと話を聞いてもいいですか。10年ほど前、経済危機の影響によって、街のいろいろな側面が大きく変化していったとのこと。
P:そう、ものすごいスピードで変化したことを覚えている。経済危機が起こるまで、リスボンの人たちはなんかしらの仕事に就いていて、私自身も映像関係のキュレーターとして働いていた。たくさんお金を稼いでいたわけではなかったけど、みんなそのお金でじゅうぶん生活できた。
その後、経済が破綻して、政治が破綻していく。おかしな話なんだけど、経済危機とほぼ同じタイミングで、世界中から“観光地”として注目されたの。ニューヨークタイムズとかが「リスボンは最高の観光地」だとか「ニュー・ベルリン」とか、「物価が安くて英語が通じるセクシーな街、リスボン」みたいにもてはやすようになってね。リスボン自体でも、急に妙な盛り上がりが感じられるようになって。
H:経済危機がおきている場所に、そのような注目が集まるのはなんとも変な感じですね。
P:その頃って、格安航空会社がヨーロッパにたくさん登場しだした時期だったんだよね。それもあって、結果的にリスボンは「たくさんの旅行者が集まる旅行産業のハブ」へと変わっていく。それと同時に、ポルトガルには「シェアリングエコノミー」と呼ばれるような新しいビジネスがどんどんやってくるようになった。ウーバーとか、エア・ビー・アンド・ビー(以下、エアビー)とか、自転車のシェアサービスとかね。
H:どれも旅行者にとってはありがたいサービスだ…。
P:あとはフェイスブックやアマゾン、グーグルとかのテック企業がリスボンに進出して、コールセンターを設けるようになっていった。これらの企業が進出していったのも、「新しい仕事を生み出すことによって、経済危機の影響を改善するための手段」ってことだったみたいなんだけど。
H:旅行産業の突然の盛り上がりと、シェアリングエコノミーや海外資本の会社の進出…。これら変化によって、リスボンの人々の生活はどう変わっていったんだろう。
P:ちょっと前までは安定した仕事に就いて安定した生活を送ることができていた人々が、トゥクトゥク(観光客向けの乗り物)のドライバーになったり、フェイスブックのコールセンターで働くようになったり…。不安定な仕事に就かざるを得ない状況が生まれてしまった。
それだけじゃない。観光客が増えたことによって、リスボンの多くの住宅がエアビー向けに買い取られていくことになる。そのせいでリスボンの住宅価格がどんどん上がっていってしまって…。家賃が高すぎて払えなくなってしまった人や、追い出されて住む場所が本当になくなってしまった人、大変な思いをする人がたくさん出てくることになったんだ。
今回話をしてくれた、ペドロ。
H:街のアートやカルチャーシーンには、どんな影響が?
P:アート・カルチャー界隈で仕事を見つけることはほぼ不可能になった。まったくお金が流れないシーンになってしまったからね。貧困に悩まされているような社会では、アートやカルチャーに関しての人々の興味や関心もどんどん消え失せていってしまって。イベントに人を呼び寄せることさえも、どんどん難しくなっていった。
H:お金がない時にカルチャーなんか気にしてられないっていうことですね。アート・カルチャー界隈で働いていた人たちはどうなったんでしょう?
P:彼らは、それこそコールセンターとか、旅行産業関連の不安定な仕事に就くことになる。いま一緒にミナをやっている人たちの半分くらいも、そんな状況に置かれていたんだよ。
私は2008年ごろからリスボンでイベントをオーガナイズするようになったんだけど、その頃から街のベニューが、観光客向けの新しいスポットへと姿を変えていって。
H:たとえば、どんなふうに?
P:もともとリスボンのナイトライフというと、バーが中心。たとえば、バーが集まるバイロ・アルトという有名なエリアがあって、以前そこにはクラブとバーの中間みたいなスポットがあったんだ。DJがいて、客もみんなダンスしているような。でも経済危機以降、そういう場所はほとんどすべてが旅行者向けのつまらないバーへと変わっていってしまった。
H:地元のクリエイティブシーンやナイトライフシーンが無視され、観光客向けの場所へ。
P:そう。でも、クリエイティブシーンやナイトライフシーンを取り巻く状況がどんどん悪化していくなかで、今度はクィアシーンの声が大きくなっていったんだ。クラブカルチャーを盛り上げることを通して、自分たちの声を持ち、自分たちのプラットフォームを作るようになっていく。
H:それを中心となってやっていたのが、ペドロが主宰するクィア・アーティストコレクティブの一つ「ラビットホール」ですよね。ミナの前身といいますか。
P:そう。リスボンには、LGTBQの権利についてだったり、それに伴うポリシーの提言だったりに興味がある人たちが集まる「LGBTQセンター」という場所があって。そこのミーティングやイベントに顔を出すようになって、友だちと一緒にイベントをそこで開催するようになったのがラビットホールのはじまり。
H:どんなコレクティブだったのかもう少し教えてください。
P:アーティストや学者などのインテリ層や、アクティビストたちが集まったようなコレクティブ。アートシーンや音楽シーンとは離れたところで活動している人たちも巻き込んで、さまざまな立場の人たちが集まって「LGBTQについて、もっと広い視点や社会に存在するさまざまな問題と結びつけて考えよう」っていうスタンスを持っていたんだ。
実験的な音楽のプレイをしてみたり、映画の上映をしてみたり。そういうのをみんなが思い思いの衣装をまとったなかでやる。そんな感じかな。
H:パフォーマンスやインスタレーションなどアート色の強いラビットホールが、音楽中心のクラブイベント、ミナに変わっていった。
P:私自身、2013年からベルリンを拠点に活動しているんだけど、その頃からリスボンとベルリンを行き来して。ダークなテクノにハマってた頃で、ラビットホールでもテクノにフォーカスしたパーティーシリーズをやってたんだよね。「バーゲン」って名前の(笑)
H:テクノ…。バーゲン…。まさかバーガイン(ベルリンにある超有名テクノクラブ)をもじった?(笑)
P:そう(笑)。2.99ユーロ(約350円)っていうめちゃくちゃ安い値段で入れる「バーゲン(=安売り)」なパーティーにしたんだ。フライヤーも、スーパーのチラシみたいな見かけにして。
H:そのノリ最高です。
P:そんな活動をしてるうちに、ラジオ・クワンティカというリスボンのコミュニティラジオ局から取材を受けることになって、ラジオ主催者のフォトンズとヴァイオレットと出会った。
H:現在、ミナのレジデントDJ*の二人ですよね。
P:二人ともリスボン出身で、ロンドンを拠点に活動していたんだ。リスボンのクラブシーンなんて、ロンドンのシーンなんかと比べると全然発展していない。だけど、彼らには「自分たちの地元リスボンでなにかを起こしたい」っていう強い気持ちがあった。
インタビュー後にすぐに会話をしはじめた。「DJやパーティーのオーガナイザーとして、リスボンの街に対してどんな鬱憤が溜まっているか」をお互いにシェアして、同じようなビジョンを持っていることがわかったから「絶対にコラボしないと」って。私のバーゲンパーティーに、二人をDJとして招くことになったんだ。
*パーティーやクラブのレギュラーDJのこと。
H:そうして、ミナが誕生。
P:すぐに国内外から注目を集めるようになって。大きなクラブも「あのパーティーはなんだ?」みたいな。国内からもミナのパーティーを目的にリスボンに来る人も増えて、めちゃくちゃ人気のパーティーになっていったんだ。
「ドアでどんな会話が起きるか。それで決める」
H:国内外にもその人気が広まったミナ。クィアに安全なダンスフロアをつくるため、あるポリシーがあるとか。
P:「オープンスペースにはしない」ということ。前やっていたバーゲン・パーティーに、ネオナチ(極右団体)が入って来ちゃった経験もあったことから、そう決めたんだ。ミナのイベントは絶対に「入れる人を選んで、パーティーに来る人たちの安全を守らなければいけない」って。
H:ドアポリシーを設けて「客を選ぶ」というプロセスが、ミナの「クィアのためのダンスフロアのつくり方」。実際、どのように客を選定するんでしょう?
P:ミナのコミュニティと運営チームから3、4人、「セレクター」として会場の入り口に立つ。彼らは、来るお客一人ひとりとフレンドリーに会話をする。「ミナのパーティーって、どんなパーティーか知ってる?」とか「なんで来てみようと思ったの?」とかランダムな質問をしてみるんだ。その場で起きる自然な会話を通して、そのお客がダンスフロアにいるべき存在かどうかを決める。
H:毎回これは聞くべし、という質問リストなんてのはあるんですか?
P:いや、そんなのはない。肌の色は? 性的指向は? みたいな、決まった質問をするわけじゃない。「ドア(エントランス)でどんな会話が起きるか」。それで決める。お客が“うわべ”かどうかを調べる、唯一の方法なんだ。
H:個人的になかなかフェアなポリシーのように聞こえます。
P:だってさ、見かけもフツーでつまんなそうな白人だって、実際は私たちのダンスフロアを最も必要としている人かもしれないし、ダンスフロアの雰囲気をよくしている人かもしれない。そして、その逆ももちろんある。
これは実際にあったケースだけど、セレクターが黒人の女の子2人組を追い返しているのを見かけたから、おかしいなって思って。POC(People of Color、有色人種)の女の子たちは、本来ミナでは優先されるべきだから。あとで追い返したセレクターに話を聞いてみたら「あの子たちはウチらのパーティーがどんなパーティーか全然わかっていなかった。しかも『クィアパーティーだ』って言ったら笑い出して」。どんなに見かけや肌の色が私たちのパーティーに「属するべき」ように見えても、パーティーの環境にあわない人たちだって絶対いるものなんだ。
H:優先するPOCやクィア以外には高い入場料を払わせるニューヨークのクィアコレクティブ「ディスケイクス」をインタビューしたときも思いましたが、“インクルーシブな環境”をつくるには、エクスクルーシブさって必要になってくることもある、と。
P:ミナのパーティーは、「(クィアが安全に遊べる)インクルーシブなパーティー」。でも、というか、だから、中に入れる人たちは選ぶ。これって矛盾しているように見えるし、批判も受ける。でもクィアたちに安全な環境を提供するためには、どうしても彼らが優先されるメカニズムが必要なことだってあるんだ。これは、クィアじゃない人たちにも本当に理解して欲しいと思ってる。
よく考えると、この世の中は“ドアポリシー”ばっかでしょ。「最低100ユーロとか、200ユーロ払わなかったらクラブに入れてあげません」っていう金額設定をするパーティーの方がよっぽど批判を集めるべきだと思うよ。だって「カネがないなら入れてやらない」ってことでしょう。私たちのパーティーはお金がないコミュニティと密接に関わってるから、お金を持ってるかどうかによって人々を追いやることは絶対しない。
H:また、このドアポリシー以外にも、ミナにはいくつかのポリシーがあるようですね。
P:そう、会場には必ず「ノンジェンダートイレ」がある。
H:これは最近かなりよく見る気がします。男女、トランスジェンダーに関わらずみんなが使えるトイレです。
P:クィア、トランス、ノンバイナリーの人たちにとって、男性か女性のトイレ、どちらかを選ばないといけないという状況は、不快なだけじゃなくて、毎日経験する“痛み”。ほとんどのクラブがおもに「女性の安全面上の理由」から男女のトイレをわけるけど、私たちのパーティーではこのわけ方は機能しないからね。
H:それから、フロア内には“ダークルーム”と呼ばれる場所があるとか。ダンスフロアとは別の「真っ暗な密室スペース」。ここではなにをしてもよい、と聞きました。
P:クィアコミュニティは、暗がりに“自由”を感じてきた。真っ暗だったらどんな見かけなのか、誰とメイクアウトしてるか、なんて関係ない。だからいまでも、「人々が安全に、外にはない冒険的な“遭遇”ができるスペース」を設けられたらと思ってやっているの。
ドアポリシー、ノンジェンダートイレ、ダークルームは、ミナのパーティーで最も大事なポリシーの3つかな。
H:パーティーのセキュリティについては、なにか気にしていることはありますか?
P:たいていのクラブでは、セキュリティって、客のことを“これから騒ぎを犯しかねない犯罪者予備軍”みたいに扱うじゃん? 巨大なストレート男性が多くて、たいていダンスフロア中に待ち構えているでしょ。フレンドリーじゃない、どころか、ものすごく不親切で高圧的。私は「水をもらえないか」と聞いただけでクラブを追い出されたこともあった。本来クラブって、自己の開放と自由のためのスペースであるべきで、それを守るのがセキュリティという存在であるべき。それなのに、警察が警備するのと同じように、まるで力をふるって場所をコントロールしようとするのはおかしいと思う。
私たちはこの現状を変えたい。セレクターや会場側のセキュリティも含め、ミナのイベントにスタッフとして関わる人たちには「ミナのイベントにはどんな人たちが来るのか」「どう人々が扱われるべきか」「誰に対しても親切でいるように」って必ず伝えるようにしている。
H:そこにいるみんなが「安全」と感じられるダンスフロア。3つのポリシーがしっかり作用しあっているからこそ、実現できている?
P:クラブカルチャーには常にリスクがあるから、「完璧な安全」なんて存在しないとは思うけどね。長時間、飲んで、ドラッグやって、知らない人とメイクアウトして…。みんな自分の体と体力の限界を試しているわけだから。リスクだらけの中だから、なにかしらの問題が生まれてしまうことは全然あり得る。
H:だからこそ、意図的に避けられるリスクを避けておく、という感じですね。
P:「こんなに安全に感じたのははじめて!」という声から、女の子たちの「服なんか全然脱げちゃったし、女友だちとメイクアウトしても、最高に安全に感じられた!」というコメントも寄せられているよ。
H:いまミナのパーティーに来る人たちって、具体的にはどんな人たちなんだろう?
P:最初の頃は、リスボン出身のさまざまな人。アート系学生やアーティスト、クィアのクラブキッズがいると思えば、中にはちょっと年上のクィアがいて。弁護士にアートキュレーター、活動家とか政治家まで。いまでは、そこに多様な人種がくわわるようになったかな。リスボンにはアフリカ系移民の二世や三世の子たちがいるんだけど、そのコミュニティのクィアの子たちも来るようになったし。
最近多いのは、海外から来る人たち。リスボンに引っ越してきた人や、パーティー好きの“クィアツーリスト”。リスボンに来た旅行者が「どこのパーティーに行けば良いかな?」って聞くと必ず「ミナ」の名前が出るようになったらしいから。ミナはメインストリームのクラブミュージックシーンとはちょっと違う音楽シーンと繋がってるから、他のクラブではなかなかお目にかかれないようなアーティストのプレイを見に、ラジオ局の人や音楽オタクの常連さんもいる。
H:こうやって客層をきくと、「ミナはインクルーシブなパーティー」というのがわかります。
P:国内中からクィアの子たちもやって来るようになったの。いまでもポルトガルでは、クィアが他のクィアと知り合って繋がる機会やパーティーに行って、自己表現できるような機会がなかなかないから…。
H:ポルトガルはまだまだ保守的で、いまでも根強いホモフォビアがあると聞きました。
P:そうだね、私はポルトガル南部の小さな町出身なんだけど、ホモフォビアは間違いなくいまでも普通にまかり通っている。未だに多くのクィアが声をあげられるような状況じゃないし。自分の悩みや気持ちを誰に打ち明けていいのかわからないから、みんな本当に寂しい思いをしていると思う。
H:そんな社会でペドロは10年以上、クィアパーティーやイベントのオーガナイズに関わり続けています。なにか良い変化は起きてきていると思いますか。
P:間違いなくたくさんのことが変わったと思うよ。クィアやトランスの子たちが、昔だったら公共の場では控えたかもしれないド派手な服やふるまいを通して、自分自身を表現できるような環境ができてきている。ちょっとずつだけどオープンになってきているかな。
それから、同じクィアのための活動といっても、ラビットホールの時代と比べて改善された状況もある。私たちのイベントを「ショッキングなもの」と捉える人が多くて、男の子も女の子もみんな混じってメイクアウトしたり、若い子が派手な格好をしていたりするのを見た人が警察を呼ぶなんてしょっちゅうだったけど、いまはそんなこともだいぶ減ってきた。
H:リスボンには他にもクィアのためのパーティーがあるんですか?
P:ミナがはじまって以来、たくさんの人たちが自分たちのクラブイベントをするようになったよ。昔は見かけなかったような若いクィアのアーティストたちがそこら中にどんどん出てきて、新しいパーティーをはじめている。なかにはクィアだけじゃなくて、ストレートの学生やテクノミュージシャンからも、「ミナのことを尊敬していて、私たちも女性、クィア、トランスの人たちをラインアップに入れられるようなインクルーシブなパーティーを開催していきたい!」という人たちだって国中にいるんだ。
H:ミナが国内のクィア、クラブシーンにあたえた影響は大きい。最近、ミナのパーティーの調子はどうですか?
P:実はいま、リスボンでパーティーが開催できていないんだ。過去に使ってきたベニューはすべて閉鎖されてしまった。ラビットホール時代から使ってきた元売春宿の建物なんて、いまは観光客向けのマジでキモい「ジムバー(ジムとバーが合体した飲み屋)」みたいな、クソみたいなものに変わっちゃってね…。みんなあそこにはすごく思い入れがあったから、悲しい気持ちなんだ…。
H:えっ。ショックです。
P:その代わりに、いまミナのメンバーはタコの触手が広がるようにバラバラに活動していて、いろんなところでアクションを起こしてるって感じなんだ。リスボンでベニューが確保できなくなってからは、ヨーロッパ中でミナのショーケースイベントを開催している。他のコレクティブとのコラボだったり、世界中のフェスやパーティーでミナのレジデントDJたちが「ミナ」の看板を背負ってプレイしたりもするんだ。
H:活動は引き続きしているようでよかった…。早くリスボンにも戻ってきてほしいです。
P:現在、市の政府と会議をして、なんとかベニューを確保する方法がないか、話し合いも進めているとこ。目標は、リスボンにクラブカルチャーを確立すること。
シーン全体で見れば、昔と比べてクラブカルチャーに対する議論はいままでにないほど活発になってきていて、シーンの確立を望む声はどんどん大きくなってきている。それなのにベニューはどんどん減っていくし、私たちのパーティーを開催する場所すらない。だから、ヨーロッパ中で小さなギグとかショーケースを通して、なんとかサバイブしようとしているって感じかな。
H:経済危機を経て、商業化・観光地化してしまった街のクィア・クリエイティブシーンを盛りあげたミナですから、この逆境に打ち勝てると信じています。
P:アーティストとしてやっていくことの希望を持てない、あるいはクソみたいな仕事に就いて不安定な生活を送らざるを得なかったクィアのアーティストたちに、ミナは「アーティストとしてやっていけることの可能性」を示すことができたと思っている。パーティーでDJする機会、ラジオ番組に出演するチャンスや、まわりからのフィードバックをもらえるような環境を、たくさんのアーティストに提供することができるようになったし。
H:ミナがやってきたような「クィア主体のインクルーシブなダンスフロアムーブメント」が、世界で同時多発的に起きています。10年ほど前から、このシーンの渦中にいたペドロ、いまの動きをどう見ていますか?
P:クィアアーティストやクィアによるムーブメントがこれだけ社会から注目されるようになったことはとても重要だと思う。でも、これって間違いなくトレンドなのであって、このムーブメントに関する取り組みから大きな経済的な利益を得ようとしている人たちがいるのも事実。だから、このムーブメントが本来の姿を失ってただの金儲けの道具になってしまわないか、ちょっと怖いところもある。
H:と言うと?
P:たとえば、大きな企業が所有するベニューのパーティーで、「ダンスフロアでは写真をとるの禁止!」というポリシーを掲げているところが、最近よくある。これは本来、プライバシーを非常に重要視するクィアコミュニティが持っていたポリシーで、「人から見られていない」ことに後押しされてパワーを感じることができる、という背景があったから。こういった、ポリシーの歴史的な背景を理解せずにトレンドにあやかってポリシーを使うとスタイル先行になる。それだとシーン全体の中身がスカスカになってしまう。このあたりはちょっと怖いなと思ってる。
H:うわべだけの“クールなパーティー”が増える恐れ、ですね。
P:まだ人々の認識が足りないところもかなりあってね。ノンジェンダートイレのことを「ファッショナブル」と批判したヤツがいた。こういうポリシーって、ある特定の人々(ノンジェンダートイレの場合は、トランスジェンダー)にとって、気持ちを楽にすることができる重要な存在なんだ。けど、その理解が社会には全然足りてない。
でも、いま、こういう意識の低さは、クラブカルチャーから変わろうともしている。クラブカルチャーで起きてることはトレンドの一部。だけど、そのトレンドは、クラブカルチャーだけに収まるものじゃない、広がっていくんだ。ダンスフロアではじまったムーブメントが、いずれは職場に繋がり、家庭に繋がり、学校に繋がっていけばいいなと思ってるよ。
パーティーの出演者ラインナップの多様性について議論が起きる。それって、「国の議会や職場の多様性について議論が起きる一歩手前じゃない?」って思いたいんだ。
Interview with Pedro Marum
All images via Mina
Text by Kaz Hamaguchi & HEAPS
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine