「こんなふうにならないとヤバイよ」と不安を煽る女性誌にいち早く疑問を持った彼女たち。自分らしさ、多様性、消費社会からの自立、女性のセルフプレジャー、セルフケア…。それら今日のホットトピックを25年前から配信し、フェミニズムを「ポップカルチャー」として届けてきたBUST MAGAZINE(バスト・マガジン)。古さを帯びるどころか、いまなお尖ったところに位置し今日の若者たちのそれにも呼応する。創刊1993年、どこよりも早かった今日に通ずる編集と、その変遷についてを聞く。
90年代にフェミニズムを再定義。政治も社会問題も「切り口次第で、ポップになる」
トピックはいつも「ファッションとビューティー」。こんな服を、こんな体型で着こなし、こんなにふうにモテるライフスタイルを送るのが、“正解”。「コスモポリタンやグラマー、当時の米国で影響力のある女性誌は『こんなふうにならないとヤバイよ』と読者の不安を煽るものばかり。だから、読後感の良い“代替え誌”を作ろうと思いました」。25年前の1993年に創刊、編集長のデビー・ストーラーとローリー・ヘンゼルが掲げたスローガンは、「胸にわだかまりを抱えたすべての女性のために」。新時代のフェミニスト雑誌を立ち上げる。紙雑誌の不況が叫ばれて久しい中、バスト・マガジン(BUST MAGAZINE)は、いまだ定期購読部数20万部以上を誇る。
彼女たちの一貫した価値観と言葉は今日にも通じ、カルチャーの最先端にいる若者もそれに呼応する。広告収入に頼らず、地道にコアなファンを増やすこと、若手俳優から大御所まで、旬のハリウッド俳優やミュージシャン、コメディアンたちを巻き込むことに成功。希有な成長を遂げてきた。
当時、『ミズ(Ms.)』をはじめ、70〜90年代初期に創刊されたフェミニスト雑誌がいくつか存在はしていた。だが、バストマガジンの二人が目指したのは「読者の好奇心を刺激する、もっとエンタメ性の高いもの」。当時のフェミニスト界ではまだ、起業家や学者、有名アーティストといった「男性優位の社会で地位を認められた一部の女性にしかスポットライトが当たっていなかった」という。一方で二人が興味を持ったのは、たとえば90年代初頭に米国のワシントン州で生まれた「Riot Grrrl(ライオット・ガール)」ムーヴメント。パンク・シーンでの性差別をきっかけに立ち上がった女性たちが、音楽やジン、アート活動を通して、フェミニズムの思想を広げていったカルチャー界隈の草の根運動。「こんなにクールな運動を、取り上げるフェミニズム媒体が少ないのが不思議だった」。彼女たちが目指したのは、フェミニズムを“ポップカルチャー”として発信することだった。
サブカルチャーや経済、政治、テクノロジー、社会問題、「なんでも切り口次第で、ポップになる」。どんなテーマも、読者が他人事ではなく「自分事」に感じられれば、それはポップカルチャーになる。言い方を変えれば、女性の関心を惹きつける、彼女たちにとってのポップカルチャーとは「ファッション、ビューティー、恋愛だけではない」ということだ。にもかかわらず、女性誌が特集し続けているのは、手を替え品を替えの「新しい店、洋服、コスメ、美容法…」だった。そして、行き着くところはいつも「他人からの承認を得るため」。特に異性に愛されなきゃ女は終わりとでも言わんばかりに「女性にモテることを強いるのも違和感だった」。
「モテるためにと非現実的な美を垂れ流しては、いたずらに読者の不安を煽り、『いまの自分では不十分だ』と思わせる」。自信を喪失させたところで「そんなあなたも、これを買えば大丈夫。これを試せば理想のモデルに近づけるかも」と消費を促すのが常套手段。「こんな市場が作り出す大衆文化に洗脳されるには、世の女性たちはスマートすぎる」。彼女たちはそう信じてきた。
消費の呪いからの解放。「DIY」に注目するもの早かった
美の脅迫概念だけでなく、男性優位の社会ゆえの、車の修理はできない、日曜大工は男じゃないと、といった「女性には〇〇できない」という“呪い”は無数に存在する。と同時に「だから女性はこれを買わないと」という刷り込みの量の膨大さも計り知れない。
そんな消費主義社会のターゲットにされやすい立場にあった女性たちのために、バスト・マガジンが15年以上続けているのが「DIY」をテーマにした連載企画だ。自作のヘルシーバターやヘアマスクといったものから、ガーデニングや車のメンテナンス、性生活を豊かにする自主プロジェクトなど幅広いDIYを提案。ただ「DIY」といっても、近年の“上質な暮らし”を求めたものづくりとは意味合いが異なる。こちらは「女性も自分で創れる、創意工夫できる」と女性たちを鼓舞し、消費の呪いから解放するのが目的だ。
取材にて、BUST MAGAZINEオフィスを訪問。
性に関するコラムも、女性誌にありがちだった「どうすれば男性を満足させられるか」に軸を置いたものとは切り口が異なる。彼女たちは「プレジャーを得るべくは、まずは自分です」ときっぱり。女性の性欲、マスターベーションに対するタブー意識の払拭を説き続けてきた。「自分のプレジャーを知らない人が、相手を本当に満足させることなどできるのでしょうか」。
彼女たちの「女性のエンパワメント」のベースにあるのは、自分らしさ、および多様性の積極的肯定。フェミニズムの本質は「女性に『選択肢を与えること』」だと考えているからであり、そのために彼女たちは「『女性は』『フェミニストは』こうあるべき」という外部の規律よりも「自分はどうしたいのか」に意識を向けることの重要さを訴えきた。
「フェミニズム」自体がポップカルチャーの時代に
「私はフェミニストです」。今日の米国ではハリウッド映画界をはじめ、起業家や政治家、ミュージシャンやアーティストなど、かつてないほど多くのセレブリティが、パブリックに向けてそう宣言している。だが、2000年代に入った頃でさえ「反対運動や、あるいはスポンサーが離れることを恐れてそんなことをするセレブはほとんどいませんでした」。そんな時代に、彼女たちフェミニスト雑誌が広告収入を得るのに四苦八苦したことは言うまでもない。ただ、どんな時代にも同じ志を持った人は探せばいるもので「私たちがどんな雑誌であるかを理解したうえで、広告料を出してくれる企業やブランドもありました。とはいえ、制作や運営費はほんど購読料収入で賄ってきましたが。ファンのサポートあってこその25年です」。
過去には、アメリカ同時多発テロ事件の直後に出版社が倒産し、危うく廃刊になりかけたこともあった。デビーとローリーはバスト・マガジンの権利を買い取ったものの、次号を制作するには自腹を切るほかなく「まさかの借金からの再スタート」。そんなとき「廃刊なんてさせません!」と、自発的に支援してくれた定期購読者たちがいた。
いまも少人数で慎ましく運営しているという彼女たち。一方で、毎号のカバーガールの豪華さには驚かされる。若手から大御所まで、旬のハリウッド俳優やミュージシャンたちを一体、どうやって起用しているのだろうか。
「通常は、(高額の)ギャラが払えるかが問題になるのだと思いますが、そういうやり方は、私たちにはできませんし、やろうと思ったこともありません。依頼をしてみて、その人たちが、バスト・マガジンが築いてきたコミュニティに魅力を感じるかどうか。感じたら出演してくれる。それだけです」
音楽シーンからはエリカ・バドゥやビョークも。
積極的な「フェミニスト」宣言しかり、フェミニズムに対する世の反応が変わりだしたのは「5、6年ほど前から」。インターネット、特にSNSの影響が大きいのではないかと話す。いまや「フェミニズム」は、「フェムバタイズメント」しかりメディアや広告業界でもバズワードだ。米国ではティーン向けのファッション誌「Teen Vogue (ティーンヴォーグ) 」もフェミニズムや政治のトピックを扱うようになり、冒頭の米コスモポリタンやグラマーのような女性誌も「フェミニズム」に触れている。理由は「ミレニアルズやジェネレーションZ世代にリーチするため」に他ならない。
まさに、彼女たちが言っていた通り。「どんなテーマも、読者が他人事ではなく『自分事』に感じられればそれはポップカルチャーになる」。彼女たちがポップカルチャーを通して伝えてきたフェミニズム、現代ではそれ自体がポップカルチャーとなった。
フェミニズムを再定義し、女性の多様性を提唱してきたバスト・マガジン。冒頭でも述べたが、自分らしさ、多様性、消費社会からの自立、女性のセルフプレジャー、セルフケア…。どれも、ここ数年で話題にのぼるようになったトピックだ。それらを25年以上も前からやり続けてきた彼女たち——。これほど多くの人たちがフェミニストであることに誇りを持てる時代が到来したことに、遠い眼差しで「やっとよ、やっと…」と頬を緩ませる。時代が「やっと」追いついてきたのだ。
Interview with Debbie Stoller & Laurie Henzel / BUST MAGAZINE
Photos by Hayato Takahashi
Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine