5センチほどの厚さでずっしり。薄いページを開けば米粒より小さい文字が何千も何万も羅列している本といえば…聖書。世界規模で人類史上最大のベストセラーといわれ、何千年ものあいだ人々の愛読書、指南書として何億回をもページをめくられてきた。
それがいま“大改訂”が必要なとき、らしい。写真や動画コンテンツを日常的にみる世代が「気後れせず・眺められる」ものへと、若きクリスチャンがまるでアート雑誌のように、あるいはコーヒーテーブルブックのように仕上げている。
“ビジュアル改訂版・聖書”
「デザインのインスピレーション源は『Kinfolk(キンフォーク)』でした」。うん、そんな気はしました。装丁はKinfolk的、その内容が聖書といわれたほうが驚くかもしれない。
雑誌…ではなく、雑誌のように仕立てられた聖書『Alabaster(アラバスター)』。ロサンゼルスを拠点にするクリスチャン系のスタートアップ「ALABASTER(アラバスター0」が、従来の聖書のビジュアルを刷新、リデザインしたもの。人は、この1冊を“IG世代のための聖書”と呼ぶ。
手掛けるのは、世代でいえばミレニアルのクリスチャン2人組、ブライアン・チャン(つづりは違うが同じ読み方)だ。片方のブライアンはグラフィックデザイナー、もう片方のブライアンはデジタルアーティストだ。「親近感のわく読みやすい」聖書へと生まれ変わらせるべく、キックスターターにておよそ680万円ほど集めて刊行した。
刊行してきたものには、旧約聖書と新約聖書から『創世記』『ローマの信徒への手紙』『ルカによる福音書』『詩篇』など9つの巻がある。66の巻からなる聖書から巻をセレクトし、1冊ずつ作り直している。ページをめくればコンセプチュアルな写真に風景写真、スピリチュアルな写真。どれも解像度は高く、ページの余白も計算された美しさだ。
次世代の聖書読者、あるいは聖書にまったく興味のない人までを引き込む(かもしれない)“雑誌的な聖書作り”を、デジタルアーティストの方のブライアンに話を聞いた。
(取材は2020年。当時コロナ禍、いっときぐっとやることが減った編集部は、社会の根本的な価値観が変わりゆく予感のなかで宗教の現在地についての探究を進めていました。寝かせすぎていたまぼろしの宗教特集…を公開中)
HEAPS(以下、H):ご自身、はじめて聖書に触れたときはどう思いましたか。
Bryan(以下、B):ぼく自身クリスチャンとして育てられたのですが、やっぱり初めて聖書を読んだときは、気が遠くなるような感覚に陥りましたね。怖気づいてしまうというか。ほかの書籍とは構造も違うし…、威圧感さえあった。
H:聖書って、最初の数ページだけでも古めかしい言語(よくある聖書は1611年に書かれた欽定訳聖書)に地図(聖書の物語に関する地名などを)などが登場して、まあ読むのが好きな人でも大変かもしれません。
B:そこで、新しい聖書の読書体験を考えてみたんです。いままでの聖書では、提供できないものを。僕たちの聖書ではもっと現代の読者がアプローチしやすいようにと考えて…そうして思いついたのはアートの要素やデザインの要素を入れること。いま、スマホやカメラ、ウェブのデザインにとても敏感でしょう。本だって表紙のデザインで選ぶこともあるし。僕たちの聖書は、こうした“ビジュアル文化”が身近にある世代に読んでもらえるよう、視覚的な要素をふんだんに取り入れました。
H:ちなみに文章部分は、従来の聖書のものを書き直したわけではなく、1996年に出た比較的読みやすいニュー・リビング訳を起用しているそうですね。
B:そう。文章は従来の聖書のものをなにもいじっていないですよ。ただ、テキストをデザインとしてページごとにレイアウトしていきました。
H:レイアウト、凝っていますよね。テキストが1列のページもあれば、2列、3列のページも。細かい文字でびっしりの従来の聖書のページとは変わって、文字のフォントやサイズも見やすい。余白も大事にしている印象です。こだわりはありましたか?
B:読みやすい2種のフォントを起用しています。Calibri(カリブリ)とBaskerville(バスカヴィル)。デザイン制作時には、聖書の文章をプリントアウトして壁に貼って、レイアウトのイメージを模索。1ページにあまり多くの文章を載せないように、余白も考えながら。
H:文章のレイアウトにも美意識を感じますが、アラバスターの聖書の特徴はなんといっても、撮り下ろしの写真がふんだんに使われていること。
文章だけがひたすら続く従来の聖書をくつがえすアイデアです。森林や洞窟、バラの花、海の霧、キャンドルを持った女性など…。これらほとんどの写真は、フォトグラファーでもあるブライアンが撮ったそうですね。
B:75パーセントはオリジナルの撮り下ろし写真です(あとの25パーセントは、ストック素材)。写真には3種類、風景、ポートレート、物体です。これらのイメージでなにか明確なメッセージを伝えるというわけではないです。
H:ああ、そういったページは大事ですよね。読まなくても、その本を開き、眺めている、という時間が生まれる。読書体験において、読むと閉じるの間にある行為は、大事だと思います。
B:うん、僕たちはアート作品を作っているわけではないけど、だからといって聖書の文章をたんに印刷し直しているわけでもない。写真と文章を隣どおしに意図的に置くことによって、写真でもって読者に文章を読むきっかけを提供している。
H:写真は抽象的なものが多いですね。なにかを探し求める暗闇のなかの手とか、木製の椅子とか。聖書の文章やメッセージにあわせて、どうやって写真イメージを選ぶのでしょうか。
B:とても直感的なプロセスだなあ…。アーティストが「どうやって作品を作ったか」を、言語化するのは難しいのと同じように。
たとえば『マルコによる福音書』5章21節から34節「信仰があれば主は癒してくださる」の描写。この節では、12年間出血が止まらない女性がイエス(・キリスト)のローブに触れたら、突然傷が癒えた話が展開されるんだけど、僕たちはこの話の2つの要素をビジュアルに入れこみたかった。1つは左の「イエスのローブ」、もう一つは右の「女性の差し伸べた手」。
H:おもしろい。ほかにも例はありますか?
B:マルコによる福音書1章16節から20節の「キリストの最初の弟子たち」の描写ですね。17節の「イエスは彼ら(弟子たち)に言われた、『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』」の部分に呼応するように、モチーフとして影にうつる漁網を。写真の人物は、キリストに出会う前の使徒のシモンとアンデレを、影は、キリストに会った後の二人を表現している。
H:なるほど、さりげないモチーフでナラティブを伝えている。
B:聖書って、けっこうハチャメチャな本でしょう。苦難も試練も、目を背けたくなることも書かれている。お花畑なファンタジーではない。僕たちの聖書では、この聖書のストーリーを正直に、かつ良質なナラティブで伝えたいんです。
H:先に刊行している9つの巻は、どんな観点から選んでいったんですか?
B:『詩篇』*は、「人間の経験」を題材にしているから、若い世代もなじみがあると思って。『創世記は』、世界を一から創るという「創造力」についての話だし。
*詩篇では、人間が経験するありとあらゆる感情が記されている。
H:いまの世代が興味をもつ題材についての巻を意識して選んでいるということですか。
B:うん。いずれはすべての聖書の書(66巻)を完了したい。でもいまのところ1冊作るのに6ヶ月かかるから、何十年もかかるね(笑)
H:1年に2冊というスピードなんですね。聖書という歴史的にも文化的にも重みのある本をリニューアルするという大仕事ですが、制作中の苦労話などは?
B:あぁ、あったね。『マルコによる福音書』の巻の制作時の話。何千冊も印刷した後、献本をしたんだけど、読者から「何行か抜けている部分があります」と指摘があって。あのときはゾッとしました…。
H:うわあ…それは背筋が凍る。それからもっと校正を厳しく?
B:うん、かなり気をつけるようになりました。印刷所にデータを送るまで2週間くらいかけてなんどもなんども読み返した。集中力がかなりいりました(笑)
H:もう一人のブライアンと二人で?
B:メインの制作チーム4人でね。あとは周りの協力者と、プロの校正サービスも頼みました。
H:制作チームが4人とは、少数ですね。私たちHEAPSも超少数ですが。
B:デザインチームもいるけどね。あとは、アドバイザーとして神学者にも依頼して、制作にあたっていろいろディレクションや意見をもらった。
H:紙の質にもこだわっていそうです。
B:紙の質は僕たちもとても大事にしたこと。印刷もオフセット印刷といって、印字をシャープに良質なものにしてくれるプロセスを起用したんだ。
H:またこのサイズ感もいい。横19センチ、縦24センチ。大きくもなく小さくもない。
B:僕たちの聖書は、雑誌より小さくて、単行本より大きいサイズ。雑誌と書籍のあいだの感覚を狙っていて。アート雑誌のような雰囲気のね。
H:ああ、いいですね。雑誌でも書籍でもない。アラバスターが考えた、聖書、というサイズ。
B:はい。ただ、僕たちは従来の聖書にとって代わろうとしているわけではないから、僕たちの聖書があわなくてもそれはそれで構わないと思っています。
H:年配のクリスチャンたちからも、反応はあるんでしょうか?
B:圧倒的にポジティブな意見が多いよ。年配の人でも気に入ってくれて、子どもたちに買いあたえることもあるらしいよ。
H:これからの世代にとっては、アラバスターの聖書が「人生で初めて触れる聖書」になるかもしれません。
B:あり得ますね。子ども用の聖書ってもともと絵本のようなものですから。ある意味、僕たちも同じようなことをやっている。僕らの場合は、その少し年上の世代に向けたものをつくっています。
H:成長とともに、雑誌を一つずつ卒業しながら乗り換えていくような感じですね。“頃”にあった聖書を通っていく。絵本、アラバスターの聖書、従来の聖書、と歩んでいく人もでてくるかもしれませんね。
Interview with Bryan Ye-Chung of Alabaster
Photo Courtesy of Alabaster Co.
Text by Sako Hirano
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine