5月25日、米国ミネソタ州のミネアポリスで、ジョージ・フロイド(George Floyd)氏が4人の警察官に取り押さえられて命を絶たれた。約9分間、何度も繰り返された「I Can’t Breath(息ができない)」「Mama(ママ)」。
一人の市民がその現場をビデオに撮って投稿。それによって瞬く間に多くの知るところなり、事件の同日には抗議運動がはじまった。警察の不当な暴行への抗議にはこれまでに命を落としてきた黒人たちの名前も挙げられ、米国に敷かれてきた特権と搾取の構造への抗議へと拡大。Black Lives Matter(ブラック・ライブス・マター)の運動は、人種と人権問題への抗議として、かつてない勢いと規模で全米、世界に広がっている。
2012年、フロリダ州で黒人少年トレイボン・マーティンが白人警官に射殺された事件に対し、SNS上で#BlackLivesMatterというハッシュタグが拡散されたことに端を発する。その後、全米各地でおこっている警官による黒人への暴力に抗議するスローガンとして使用されている。
この期間に、こんな言葉を読んだ(以下は訳したもの)。
“問題は、レイシズム(人種差別)を意識的なヘイトだと思っていること。
人種主義とは、何世代にも渡って設置されてきた社会的・政治的なテコと滑車だ。他の人種の労働を利用しながら円滑にまわるように組みあげられてきた、複雑な社会的システムのことだ。
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人種差別は狡猾な文化の病だ。黒人を好きだという人にだって、見えずに、知らないうちに、感染するものなのだ。ヘイトとは、人種差別の一つの表れでしかない。特権はまた別のものだ。無知や無関心などもまた別のもの。”
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「生まれながらのレイシスト(人種主義者)はいない」といわれる。そこに異論はない。だが、生まれてくるのは、権力システムが敷かれた世界だ。それは、空気のある世界に生まれてくることで、そこで私たちは当たり前に息を吸う。それと同じだと考えたら、どうだろう。”
いまこの時代、人種差別をナンセンスだと知り、どんな肌の色や目の色であろうと(もとより関係なく、あるいは意識的に)相手を大切にしている人はたくさんいる。
自分の意思があれば、隣の人を大切にできる。けれど、その自分の大切にしている隣の人が簡単に損なわれるのが、構造的差別のある社会だ。個人の意思や思いが簡単に踏みにじられるのが、構造的差別のある社会だ。
他者を尊重しようと言う。思いやりを持って生きようと言う。それには、一人ひとりが相手を尊重するという意思を持ってさえいれば、より良い世界を育める状況がなくてはならないのだと痛感する。
平和的な抗議から、街や公共物に火を放つ者や店に押し入る略奪と暴動(人種関係なく抗議活動の拡大に乗じた存在も多い)、催涙ガスやゴム弾で平和的な抗議者もジャーナリストも一緒くたに力で圧する警察の姿までが連日報道されている。そしてそれらの報道の裏には、抗議や暴動などに巻き込まれて命を落とした一般市民もいる。報道される群衆の歩く道には、粛粛と生活を送る人たちがいるということを、見落としそうになる。
HEAPS(ヒープス)は、編集部の拠点である米国のニューヨークで、この街に生きるさまざまな人たちの、それぞれのやり方でたたかう姿を道でとらえ、写真に残していく。
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——Photo Credt——
Eye catch image by Kohei Kawashima
from top to bottom,
Photos 1〜10:by Kohei Kawashima
Photos 11〜12:by Sako Hirano
Photos 13〜23:by Kohei Kawashima
Photos 24〜26:by Sako Hirano
Photos 27〜37:by Kohei Kawashima
Photos 38〜40:by Sako Hirano