創業125年NY老舗菓子店の裏、毎日のたくましい厨房。卵をわってホイップを絞るまで〈ベイカーたちの大きな手と手のチームワーク〉

小麦粉45キログラム、砂糖300キログラム、カスタードクリーム用の牛乳ケース9箱。老舗菓子店の厨房に毎日ある大量の“白”と、ベイカーたちの“白熱”連携プレー。
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「ここにあるスポンジケーキは誰が担当だ?」。ニューヨークの老舗イタリア菓子屋の厨房に響く、午前10時の威勢のいい声。生地をこねるベイカーからホイップクリームを絞るベイカー、チョコレートを散りばめるベイカーへ。ベイカーたちの“大きな手から大きな手”へわたり、老舗店の菓子たちはショーケースに並べられる。

名菓子店の裏、厨房。早朝から深夜まで繋がるベイカーたちの連携

 開店、朝8時。閉店、夜11時45分(金土は12時45分)。飲食店や流行りの店が並ぶイーストビレッジ地区に125年前から立つイタリア菓子屋「Veniero’s(ベニーロズ)」の看板。目覚めの良い朝方の甘党から目の冴えた夜型の甘党までが、吸い寄せられるように集まってくる。ニューヨークには、リトルイタリーにある1892年創業のフェラーラ・ベーカリー・アンド・カフェや、1918年に開店したブルックリンのサヴァレス・イタリアン・ペイストリー・ショップなど、歴史あるイタリア菓子店は珍しくない。そのなかでもベニーロズは、人の集まる立地と他店よりちょっぴり長い営業時間でもって、「ちょっと夜に甘いものが食べたくなったから」「評判のいいニューヨークチーズケーキを試したかったから」で気軽に入れる人気店として有名だ。




 ニューヨーク屈指のチーズケーキや、ティラミス、ストロベリーショートケーキ、小さなタルトはもちろんのこと。カンノーロやイタリアン・チーズケーキに、イタリアンバタークッキー、ビスコッティなどイタリア菓子の定番も勢ぞろい。色とりどりの愉快な装いをした菓子たちが店先を彩る裏、ベニーロズの厨房では、何年、何十年もここで働いてきたベイカーたちの姿がある。ベイカーとは、菓子職人のこと。クッキーやケーキの生地をこねる係、クリームを作る係、ホイップを塗る係、イチゴやチョコレートをあしらう係。厨房には、次々と焼かれたスポンジやクラストが、分業するベイカーたちの手をわたり歩く。

 毎日繰り返される菓子作りのステップには、それぞれのベイカーの役割と分業、チームワークがある。ベニーロズ勤務歴23年、ヘッドベイカー(ベイカー総長と呼ぼう)として16人のベイカーを束ねるアンジェロに「イタリア伝統の地元店の味を支える、ベイカーたちの大きな手の連携」を聞いた。


HEAPS(以下、H):朝の10時を回っていますが、ゴミ箱にはたくさんの卵の殻、空の牛乳パック。ケーキが続々とできあがっていますね。

Angelo Santamaria(以下、A):ケーキ係が、いま仕上げをしているところだ。ベニーロズの厨房は上下にわかれていて、地下にはオーブンがあり、つねにスポンジを焼いている。ショートケーキやレッドベルベット(紅色のケーキ)、チョコレートのスポンジなど。ここ2階では、これらのスポンジをケーキにまで仕上げるんだ。

H:ベイカーたちは、何人くらいいるのですか?

A:上下階あわせて16人。

H:ベニーロズのベイカーのなかには、数十年選手もいるとのことですが、みんなどのようにベイカーになるのでしょうか。

A:いままでここで働いていた多くのベイカーは、近所で育ってきた若造や、すでに母国イタリアやシチリアでベイカーとしての経験を積んできたシェフまでいた。ベテランベイカーが新米ベイカーにベニーロズでのベイカーの仕事を教えるんだ。菓子職人になるためには、料理学校なんてもんには行かなくていい。菓子屋を転々として、その菓子屋、菓子屋のやり方を学んでいくんだ。料理学校では基本的なことを習うだろうけど、ベニーロズのような現場では、休暇や週末の休みなしの環境下で働くベイカーとしての心得を教えてくれる。高い授業料を払わずして、料理学校が教えてくれないことを、先輩ベイカーたちが教えてくれるんだ。


ベイカー総長、アンジェロ・サンタマリア。

H:休みや週末もなしという、ベイカーの典型的な一日は?

A:かなり忙しい。俺は朝5時には来て、昼の1時半に上がる。ベイカーは朝6時スタートで昼2時に終わり。休みなく毎日だ。

H:菓子屋の朝は早い。ベイカー総長は、どうやってベニーロズのベイカーに?

A:俺はもともとイタリア出身で、6歳の時にアメリカに来た。19歳のとき、義理の父づたいにベニーロズの当時のオーナーから「ベイカー募集中」と聞いてな、採用してもらったんだ。そのあと、ブルックリンにある他のイタリア菓子屋やドイツ系やアメリカ系の菓子屋でも修行を積んで、デニッシュやドーナツ作りも習得した。で、14年前にベニーロズに戻ってきたわけ。合算すっと、ここでは22年勤めていることになるな。その道、長いよ(笑)

H:いまではベイカー総長としてベイカーたちをまとめていますが、ベイカーを雇うときは、技術や人間性、どちらを重視していますか。

A:どっちもだ。あとは業界にどれだけ真剣かどうか。この仕事は、休暇もなければ、週末もない。仕事に自分の生活を捧げないといけないんだ。

H:そのやる気さえあれば、未経験者でも?

A:ベイカー総長の裁量次第だが、ベイカーとして教育したいと思えるような素質を持っていれば、雇うね。(ベイカーとしての才能を)“持っている”人と“持っていない”人というのは、すぐわかってしまう。すぐにだ。



H:ベイカーとして、最初に任される仕事はなんでしょう。

A:皿洗いからだな。皿洗いの出来で、すぐにその人がどんな人かがわかる。そして他の仕事も任せられるなと思ったら、他の仕事を教える。ホイップクリーム係なんかをね。ベイカーには、一瞬で(パチンと指をならす)なれるわけじゃない。頭で覚えるのではなく、耳で聞いて覚えて、一人前のベイカーになれるんだ。

H:現場での仕事の出来を通して、ベイカーとしてのポテンシャルをはかる。

A:ケーキの仕上げをやらせてみたら、一目瞭然だ。見た目のいいケーキなのか、雑なケーキなのか。2、3週間仕事を教えたら、彼に素質があるかどうかがわかるよ。

H:クッキーやケーキの生地をこねる係、クリームを作る係、ホイップを塗る係、イチゴやチョコレートでデコレーションをする係など、各ベイカーたちには各作業が割りふられています。それぞれの素質によって担当者を決めるのでしょうか。

A:いや、一人のベイカーが一つの作業だけを担当するのは好かん。みんなにすべての作業をできる能力をつけてほしいんだ。そうしたら、一人が病欠したとしても、その作業を誰でも引き継ぐことができる。みんながみんなの仕事を学ぶべきだ。





H:分業だけど、各ベイカーの“いつもの担当”が決まっているわけではないのか。それぞれみんな、毎日違う作業をおこなうのですね。

A:朝に、ベイカーひとりづつにその日の作業をあたえるんだ。8つのスポンジを焼くのには2時間かかるから、2人のベイカーを充てることもある。で、それが終わったら違う作業に移ってもらう。「地下に行ってクッキーの準備を手伝ってくれ」とか、すべて俺の指示でね。午後2時までにすべての仕事を終わらせるため、常に時計に目をやっていなければならない。地下のベイカーたちがなにをしているのか確認するため、階段を毎日25、30回くらい登り降りしているよ。いい運動だ。俺は、なんていうんだ、その、オーケストラの…。

H:指揮者?

A:そう、指揮者みたいだ。ベイカー同士が助けあったら、作業スピードも早くなる。その日に終えなければいけない仕事は終えてしまう。ベイカー総長の仕事は、みんなを常に忙しくしていることだ。その日、その季節に向けて準備をしなければいけない。

H:今日は、ケーキをいくつ作ったのですか。

A:60、70個くらいか。日によって数は違う。

H:その日に作るケーキやタルトの数は、どうやって決める?

A:昨晩の売れ行きをみて、足りない種類の菓子を作るんだ。毎朝、誕生日ケーキの注文リストが渡される。9つもある日もあれば、2〜3つだけの日もある。あと、どの菓子がその日に必要なのかは俺がわかっている。これをあともう25つ必要、これは5つでいいか、てな具合で。俺の目がすでに知っているんだ。



H:ベニーロズは、ティラミスやニューヨークチーズケーキ、ビスコッティなど定番デザートはもちろん、イタリア菓子店なので、イタリア(あるいは、キリスト教)にまつわるさまざまな祝祭日にあわせた季節のメニューも用意している。

A:感謝祭には、パイ。りんごやかぼちゃ、ピーカン、ココナッツ、イチゴを入れてね。クリスマスには、ビニョラータ(プチシューを積み重ねて作るイタリアのデコレーションケーキ)やストゥルフォリ(甘い生地の揚げたボールで作られたナポリ料理)といったイタリアの伝統的なクリスマス菓子を作る。そう考えると、アメリカ系のベーカリーの仕事の方が楽だな。イタリアのように狂ったように祝祭日がないからね。イタリアの菓子ビジネスは祝祭日や伝統があるから、ちょっとやっかいだよ(笑)。

H:ベイカーみんながいろいろな作業をするベニーロズですが、「このベイカーしか作れないこの菓子」というのはあるのでしょうか。

A:クリスマス菓子は、俺だけしかできない。ビニョラータとかな。これらは習得するのに時間がかかる。一日で学べるものじゃない。ここのベイカーたちはビニョラータを作った経験がないから、俺が担当する。ずっと昔に働いていた菓子屋で先輩たちに習ったんだ。ベニーロズでは、先代ベイカー総長以外にビニョラータを作っているベイカーを見たことがないな。

H:さっきから気になっていたのですが、このタブレットに映っているのは、地下の様子ですか?(地下にある監視カメラがタブレットに接続されていて、厨房の様子が映っている)

A:地下がどんな状況かを常に知っていたいんだ。こうしておくことで、クッキーのカットやクッキーのジャム入れなど、地下のベイカーたちがいまやっている作業を終えたら、次の作業をすぐに指示することができるんだ。彼らがなにを終えたのかを常に把握して、みんながしっかり働いているかどうかを随時確認するのが俺の役目だ。このタブレットで、同時に上下階の監視をしているよ(笑)



下の階チーム。ここでは、お菓子の土台づくりをしている。陽気なラテン音楽が流れていた。

H:先週、ベイカー総長は休みをとったと聞きましたが、ベイカー総長不在中は誰が指揮を?

A:上の階にいつもいるルイスさ。彼は30年近くここで働いているベテランだ。だから、どうやって厨房をまわしたらいいかをわかっている。それに俺は休んでいたって、ちょくちょく厨房に電話をかけて万事うまくいっているかを確かめたり、携帯にインストールした監視カメラで常に見ているんだ。

H:ベイカーたち、気は抜けないですね(笑)。毎日同じ作業の繰り返しですが、どのようにチームワークを保つのですか? 作業スピードが落ちているベイカーがいたら、どうやってやる気を出させる?

A:「ほらほら、早く上がるぞ。仕事を終えよう」って感じでな。コミュニケーションをきちんと取るようにしている。誰が誰より優っているなんて優劣はなく、みんなで一緒に作業をしなければいけない。個人プレーではなく、チームワークが一番大切だから。遅くまで残って作業するのではなく、時間通りに上がれるようにね。自分の作業が終わったら、人手が足りないところへ行って作業を手伝うんだ。誰かを手伝ったら、あとで誰かが手伝ってくれる。人間の性(さが)だよ。でもどうしても作業が時間通りに進まない場合は、潔く明日に回す。

H:チームワークがうまくいった日、覚えていますか。

A:多忙を極める年末だな。クリスマスイブの前夜は、夜の10時まで残業だ。そんな年末にケーキの大量注文があったとき、俺らのチームワークが本当に効く。もう少しで年末が近づいてきているからな。作業を円滑にするために、次週から、上下階のチームをローテーションして、新しい仕事を覚えさせようと思うんだ。



H:16人の最強チームだ。みんな仲はいいですか?

A:うん、いいよ。みんなうまくやっているね。そりゃお互い嫌い同士であるベイカーがでいてもいいけど、一緒に働かなきゃいけないからな。そこはいい人になられなければいけない。親友にならなくったっていい。でも一緒に仕事をしている以上は、お互いにコミュニケーションを図って、規範のなかで行動することが鉄則だ。

H:ベニーロズのベイカーたちのルール。

A:店への敬意、時間通りの出勤、真剣な仕事への姿勢。

H:ベイカー総長として、125年の伝統の味を保つための掟は?

A:どの菓子もきちんとレシピに従って作られているか、間違った材料を入れてしまっていないかを確認すること。妥協した味なんて絶対あってはならないからな。それに、菓子職人の格好だが、だらしないのは言語両断。ピシッとしていなければいけない。といっても、てんでばらばらな性格のベイカー16人の仕事ぶりや、お互いにうまくやっているかどうかをマネージャーとして監視しなければいけないから、さながらセラピストのような仕事ってもんだ。

H:最後に、“菓子職人のセラピスト”に素朴な質問を。ベニーロズのベイカーのなかには、甘いものやスイーツが苦手なんて人もいたりするんですか?

A:そりゃわからんな。彼らに聞いたことないから。

H:じゃあ、ベイカー総長は?

A:俺か? 俺はスイーツはわりかし好きだ。





Photos by Kohei Kawashima
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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