377430—とある写真家の“ナンバー”だ。80年、90年代に、意識せずとも数千の目に入ったはず。ライアン・ワイデマンは、1982年からの20年間、ニューヨークのタクシードライバーだった。ライセンスナンバーは冒頭6桁。その間、後部座席にぐるりと向きなおっては持参のニコンのフィルムカメラで、あらゆる人間と渦巻く人間模様をおさめてしまった写真家でもある。車中密室、職権乱用の一期一会の瞬間を覗く。
© Ryan Weideman, Courtesy Bruce Silverstein Gallery, New York
市内、46万の人間模様を運ぶ車中
タクシーは公的な道路を通行しながら、その車中という空間は乗客にとっては勝手のきくプライベートだ。食う、寝る(泥酔)、喋る(喧嘩)、いいことをしていることもある。ニューヨークシティにて、一日のタクシーのトリップ数46万以上*、5億円もの乗車賃が飛び交う月もある。つまりは、後部座席に46万以上の人間と人間模様が存在する、ということだ。
*UberやLyftなどのサービスが存在する前。現在ではUber、Lfytの台数はイエローキャブを上回る。
「乗り込んで来たお客たちの様子を見て、『これはいい画だ(Oh Great)』と思ったんだ。特に、1980年代は、非常に興味深い時代だった」。写真家の夢を握ってオクラホマからニューヨークへ移り住むも、生活のためにタクシードライバーになったライアン・ワイドマン(Ryan Weideman)は思い返す。「家賃を払ったら、残りポケットに2ドル」。この2ドルの状況が、ライアンに撮りきれないほどの一期一会をもたらすわけだが。後部座席に舞い込んでくる“いい画”に、ドライバーの仕事をはじめて1週間後にはカメラをタクシーに持ち込むことになる。
80年代といえば、70年代の悪化し続ける財政に犯罪や人種差別が蔓延した10年を越え、新たな世紀にむかって社会と経済が変わりはじめ、文化の多様性も大きくうねりはじめたときだ。その街を仰ぎタクシーを止める者もまた百人百様、モデルに詩人、セレブリティにドラァグクイーンと、あらゆる欲を詰めこんだシティにて、ライアン言ういい画が尽きることはなかった。
© Ryan Weideman, Courtesy Bruce Silverstein Gallery, New York
ドライバーになった当初、マンハッタンでの日中のシフトをひとしきりこなしてからは、週末の“夕方5時から朝5時”に変えた。夜、飲んだ帰りの身なりのいい気取った金融マンを拾い、その先で拾うのは午後11時、仕事に向かうまだ化粧もしていない娼婦だ。深夜帯、マンハッタンのナイトライフを凝縮したこの時間帯には、若者の馬鹿騒ぎから上流階級の豪奢な金遣いがあった。
ダウンタウン(ミートパッキング地区)もお気に入りのエリアだった。午前4時、5時に飲み終えたゲイたちをピックアップする。当時、映画『クルージング』で描かれているように、ゲイバーが並んでいた。「彼らは僕のことを見つめ、僕も彼らを見つめたさ。当時の僕はいい男だったからね」
走行中に縮める乗客との距離
最初の頃こそ客に写真を撮って良いかを尋ねながら、練習のために誰でも撮った。少し経ったら、直感で気に入った客だけを撮るようになる。客のほとんどは好意的に彼のカメラを覗き返すか、あるいは無視したまま素晴らしい被写体をみせた。「パーティー帰りの客なんかは、タクシーの空気を乗っ取ってしまう勢いがあったさ。まるで僕(運転手)なんて存在しないかのように」
タクシーの車中という密室空間では、もう二度と会うことはないという思い込んだ前提があるからなのか(一度、撮った後日に街で偶然再会した乗客がいたらしい)、移動という世間に曖昧に属した宙ぶらりんな刹那の時だからか、人は大胆になる。運転席と後部座席を隔てる小窓を通じて、あけすけに身の上を語り、打ち明け話をしたり、あるいは嘘をつきながらまったく違う人間を演じてみたり。向けられるカメラにいつもより大胆なポーズを取る。
© Ryan Weideman, Courtesy Bruce Silverstein Gallery, New York
タクシードライバーは、写真家として一期一会を最大に利用する。90年にはその時代、誰もがよく知る詩人を乗せた。降りる前、その人は最低な紙質のレシート裏に言葉を連ねた。
ライアン・ワイドマンという“剥製師”は
そのあらゆる種の人間を、大胆かつユニークを添えて、
正確に収めていく。
—ひとりの乗客、アレン・ギンズバーグより
© Ryan Weideman, Courtesy Bruce Silverstein Gallery, New York
自由に動きまわれるストリートと違い、ライアンが自分のスタジオと呼ぶ空間—車中というコントロールされた制限のある撮影空間は、独特だったと話す。画角は後部座席一杯、寄りも引きも運転席の範囲。それから、限られた走行中の時間に信頼を得て心を通わせなければならないからだ。
ライアンは、それら過去20年のあらゆるシーンをもう一度思い返しながら簡単な一言で締めた。「タクシーでの旅は、一種の情事のようなものだったさ(some of these rides were love affairs)」。それも一期一会の情事だ。客の体温と深夜のだらしない二酸化炭素、時折つきたての嘘が混じっては膨らみきった車中の空気が、思い出すこともない夜々の事実としてモノクロに染みている。
© Ryan Weideman, Courtesy Bruce Silverstein Gallery, New York
Interview with Ryan Weideman
Text by Sako Hirano
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine