「小難しいだけでおもしろい批評がない」。アートを〈絵文字たっぷり個人レビュー〉する次世代の批評家たちの思惑

おもしろいアート批評がないのは「だいたい、メディアに雇われて書いている人たちって、ネガティブなこと書かないでしょ。それがどんなに駄作だとしても」「あと、書いてるのが似たようなエリート。男性ばっかりだし」。だから、自分が読んでおもしろいもの、発信すべきたと思うものを書くようになったという。「次世代のアート批評家」と各国から注目を集めている英国在住の23歳の2人組「ザ・ホワイト・ピューブ(The White Pube)」だ。武装するような小難しい専門用語や理論よりも、口調言葉に絵文字を使いながら自分の考えを主観的に述べる。自分の感情や気分も盛りだくさんで、もはや批評なのか感想なのかも曖昧。だが、閉鎖的なアート業界への反発であり、意図的なものだという。

「バカっぽい」と言われても怯まない。23歳の思惑

「従来のアート批評は、どれも好感を売るための宣伝っぽいものばかり。宣伝と批評は違うでしょ?」「小難しい美術用語ばかりを並べて、肝心な鑑賞してどう感じた、っていう独自の意見を書かない批評家が多いよね」。彼女たちは、従来のアート批評についてそんなふうに意見している。ガブリエルとザリーナ、二人はロンドンの名門芸術大学セントラル・セント・マーチンズで出会って意気投合し、2015年に「ザ・ホワイト・ピューブ」をはじめたそうだ。

We are REUNITED here in Nottingham

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左からガブリエラ、ザリーナ

 彼女たち曰く、特に近年のアート批評がつまらないもっとも大きな理由は、書き手の価値観や本音が入っていないから。「たとえば、『その作品のブラシストロークに、不快を覚えたので、私はその絵にあまり好感がもてなかった。なぜ不快だったかというとーー』と書くのが、ダメだとは思わない」というスタンスを貫く。

 中立な立場の従来のマスメディアに対し、彼女たちは主観的で、何より価値観や本音が明確だ。無論「感情だけでは批評として不十分」や、上述のような主観的な批評は「バカっぽくみえる」。そういった意見が存在することは理解しているという。だが、駄作だと感じたのなら、それを正直に、なぜそう感じたのかを発信する人がいないと、凝り固まったアート業界は一生変わらない、と主張する。    
 実際、彼女たちが活動する英国のアート業界は、労働者階級の女性や有色人種のマイノリティグループが極めて少ない。「ミュージアムやギャラリーには、マイノリティは2.7パーセントしかいない」という調査結果も。業界が閉鎖的であるのは否めない。

肯定的なことしか書かないなんて古臭い。「2018年のアート批評のあるべき姿」

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 マスメディア(報道機関)が提供する情報よりも、インターネット上の個人の「レビューや口コミ」に価値を感じているという。特に、友人や自分がフォローしている人のレビューは重要。その感覚は、彼女たち特有のものではなくこの年代の若者によくあるものだ。

 どのレストランに行くか、から、どの本を読んでどの映画を観るか、旅行に行くならどの宿に泊まるかまで「レビューを見て決める」。個人のレビューは、「なにが好き・嫌いで、なぜ好き・嫌いか」という「感想」にとどまるものも多いが、その中にはその感想を土台に「こうだったら/こうしたら、もっと良かった」といった書き手の能動的な「意見」まで展開するものもある。正確な意見をするにはある程度の能力や知識が要求されるものなので、もちろん的を得ていない意見もあるが。

 彼女たちが書いているのは、いわばアートイベントや作品の「個人レビュー」だ。入り口は「感想」であるが、全体的には自分の立脚点を明確にして「意見」を述べるスタイルだと見受けられる。
 彼女たちの英国アート業界での立脚点とは、従来の権力者である白人男性中心の世界の「外側」にある。具体的には、アートの専門知識を学んだ「若い」「女性」。外の立ち位置から支配階級をみつめ、「アートの世界には、もっと多様性と透明性が必要。それが2018年のアート批評のあるべき姿だ」と意見する。

 有名ギャラリーでの、とある白人アーティストの展示会でのこと。足を運んだ多くのメディア関係者が、“その魅力”を報じた中で、彼女たちはそのアーティストが黒人の身体をモチーフにした作品を展示していたことに対し「あれは文化の盗用だ」と批判。そして、「名の知れたギャラリーでソロショーをするような大者になったいま、もうそのアーティストのことを酷評する書き手はいないでしょう。私たち以外に」と、皮肉を交えることも忘れない。 

「展示会に招待された」「日頃お世話になっている」からといって、必ずしも肯定的なことを書くのがマナー、というわけではない。しかし、多くのライターは、事なかれ主義なのか、人間関係を重視してのことか、はたまた打算を働かせてか、当たり障りのないことを書く。仮に「文化の盗用だ」「不快だ」と感じてもだ。そういった暗黙のしきたりに、独自の感想から意見するという方法で、ぺッと唾を吐き捨てる。それは、ソーシャルメディアのように、アートに対して異なる価値観の人が向き合い、主観的な意見を述べ合い熟議する場がないことに違和感を覚えているからに他ならない。

「大手メディアよりも良い批評をします」と寄付を募る

  
 そもそもソーシャルメディアの登場以前は、一般の人が自分の意見を発信すること自体が難しかった。マスメディアで書かれたことに対し批判するのも、ジャーナリストや評論家といった人間、つまりメディアのなかの人だけという構造があった。しかし、近年のマスメディアと個人メディアの境目は曖昧。特に、欧米では早期から、個人が発信するブログや動画は新しいメディアとして、新聞や雑誌といった媒体と同等に扱われてきた背景があるだけに、彼女たちのように学生の頃からインターネットに慣れ親しんできた彼女たちの世代にとって、個人メディアは企業と対等、もしくはそれ以上に信頼に値するものだと感じている者も少なくない。
 そんなこともあり、彼女たちの世代は自身の発言力の有無に関わらず「自分の本音や意見を発信する」、言い方を変えれば、雑誌や新聞社など、誰に頼まれなくてもレビューを書き、自らを「批評家」だと名乗ることに、あまり抵抗がない。

 ところで気になるのは、好きに書くのはいいが、どうやって収益を得ているのか。彼女たちは、ホワイト・ピューブとして取材を受けること然り、他者のために無料で労働を提供しないと公言している。必ずしも金銭的なものである必要はないが、なんらかの報酬が欲しい、と。理由は、様々なアートイベントに参加したりするのに「お金が必要だから」と、実に率直。「未だに実家に暮らしを抜けられずにいる」と、等身大の自分をさらけ出し、コンテンツや音楽製作者向けのクラウドファンディング・プラットフォーム「パトレオン(Patreon)」でも、「大手メディアよりも良い批評をします」と寄付を募っている。

catch me in the exhibition writing my review on the floor

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「床でレビュー書いてる」

批評には「ビビッとくる人も、まったく響かない人もいていい」

 
 いまは情報もマッチングが求められる。そのことを全面的に肯定するつもりはないが、どんなに質が高くても、自分と関係が薄いものであればその人にとって価値は低く、多少質が劣っても、より自分に合ったものを探したい、というニーズがあるのは事実だ。
 実際、彼女たちは、自分たちのアート批評について「ビビッとくる人もいれば、まったく響かない人もいて、私たちの批評はリトマス試験紙みたいなもの」だと語っている。

 そのリトマス試験紙に陽性反応をみせるのは、主に20〜35歳の女性。約15Kのフォロワーをはじめホワイト・ピューブを支持するのは、“いま” を象徴する彼女たちと同世代のアーティストやモデル、アクティビストといった影響力を持つインフルエンサーから、グレーソン・ペリーのような世界的な現代美術家まで幅広い。

「支持してくれるのは、いまのアート業界にはもっと透明性と多様性が必要であることへの賛同者だけでなく、自分の力ではどうにもできないと無力を感じきた人も少なくない」。 
 率直すぎるだけに、敵を作るような発言も多い彼女たちだが、自分の感想・意見をはっきり言える環境や社会が形成されているのは、社会の成熟の証拠ではないか。個人メディアという比較的新しい形での、アートに対する「個人レビュー」という抗議行動、これもまた静かな革命の一手かもしれない。

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Text by Chiyo Yamauchi
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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