「その島では誰からも白い目を向けられることなく、ゲイ同士が公然と手を繋いで歩くことがはじめて許された」。21世紀ならともかく、これはいまから遡ること数十年前、一歩外に出ればゲイであるだけで虐げられた1970年代の話だ。
“ゲイの楽園”と称されるその島、ファイアー・アイランド(Fire Island)はマンハッタンから車で2時間。いまでも毎年夏の訪れとともに、こんがり肌に鍛え抜かれた肉体の美しい男たちが全米中から集まり戯れる。70年代のゲイカルチャー興隆からエイズ伝搬暗黒期まで、そのコミュニティの姿をレンズを通し見つめてきた写真家を訪ねにファイアー・アイランドへ。
一人の青年が足を踏みいれた“ゲイの桃源郷”
「昨晩、ぼくの72歳の誕生日パーティーだったんだ。残りのワインでも飲むかい?」と冷蔵庫を覗く気さくな彼。1975年から83年の8年間、ファイアー・アイランドにあった自由と真実をカメラに収めた写真家トム・ビアンキ(Tom Bianchi)だ。ゲイのコミュニティやカルチャー、愛、無邪気な子どものように戯れる筋肉隆々の男たちの姿を記録したポラロイド写真は、2013年出版の写真集『Fire Island Pines(ファイアー・アイランド・パインズ)』としてはじめて世に出た。
トム・ビアンキ
2015年には全米全土で同性婚が認められ、いまでこそクィア*がクィアであるとアイデンティティを開示できるようになってきた。その礎が築かれたのは、60年代後半のストーンウォールの反乱**から80年代のエイズ伝搬までの約10年間、ファイアー・アイランドにて育まれたゲイカルチャーもその一つだ。
*セクシャルマイノリティの総称
**1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン (Stonewall Inn)」で起こったゲイの警察に対する暴動。
©Tom Bianchi
©Tom Bianchi
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トムがはじめてファイアー・アイランドを訪れたのは73年。ゲイの楽園に一歩足を踏み入れたが最後、鍛え抜かれた美しい男たち育む愛あふれるコミュニティは「“夢よりいい現実”が広がっていた」。弁護士というお堅い職種に就いていた彼は約束された人生を早々と切りあげ、アーティストとして移り住む。
ファイアー・アイランドは、特にゲイのアーティストが多く集う島でもあった。「ブロードウェイの脚本家、インテリアデザイナー、芸術家、最高峰のアートギャラリーのオーナーたち。そしてデイヴィッド・ホックニー*がぶらついていたのさえ覚えているよ」。同世代で仲のよかったゲイの写真家ロバート・メイプルソープも島での時を過ごす。トム自身もその後、数多くの写真集を出版し、“男性ヌードポートレートの巨匠”と知られることになる。
*ポップアート運動で功績を残したゲイの英画家。
ゲイの肉体と心を許したポラロイド
その巨匠、トムが撮った写真を眺めると、まず飛び込んでくるのは、繊細でハンサムな顔とは似つかぬ鍛え抜かれた肉体美だ。「人間の体というものは“魂のある機械”だよ。飛行機のような体を美しいと思う。飛行機は飛べるよう設計されているだろ? それと同じで人間の体は、歩いたりダンスしたり走ったり遊んだりするためにデザインされているんだよ。人体本来の機能を備え喜びに満ちあふれた体に美学を感じるんだ」。トムは続ける。「ただ、ファイアー・アイランドで写真を撮っていた当時は、美しい体に魅了されていただけ。写真家になりたいなんて一度だって考えたことはなかったんだけどね」
小さな頃から絵を描くのが好きだったトムは移住当初、コンセプチュアルアーティストとして(ファイアー・アイランドに住むための口実、と笑い飛ばす)、ペインティングや彫刻などの作品を制作していた。と同時に、弁護士時代に社内で配られたポライドカメラの元祖「SX-70」で、愛する人や友人などの姿を日常的に収めていた。「島民の多くは写真を撮られることにビクビクしていた。会社の人間に見られることがあるならば、即クビだったから」。一方で撮ったその場で確認できるポラロイド写真は大活躍、白枠に囲まれた正方形に写る想像以上の自分たちの美しさに、被写体も緊張が溶けた。
連日のパーティーで二日酔い覚めやらぬ午後のプールサイドも、恋人との揉め事で傷心する仲間と肩を抱き合った夕暮れ時のビーチも、素っ裸で泳ぐ海も。海の向こう側の社会が持つ偏見をよそに、トムの手によって正方形の中に記録されたファイアー・アイランドの日常にはいつも自由と愛が溢れていた。「魔法のような世界。全世界が向かうべき姿だった」
©Tom Bianchi
©Tom Bianchi
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エイズ到来。ホロコーストと化したパラダイスといま
トムは80年代前半に、撮りためたポラロイド写真を世に露出しようと多くの出版社を訪ね歩いた。しかし結果は惨敗。理由は“クィアすぎた”から。さらに、その頃ファイアー・アイランドに暗雲が立ちこめていた。エイズだ。「当時は本当に悲惨なものだった。6人で暮らしていたご近所さんも、次の夏にはみんな亡くなっていたり。当時のファイアー・アイランドはホロコーストのようだった」。連日のように耳にする訃報。トム自身、数多くの友人、そして最愛の人を失った。恐怖と混乱に包まれたゲイの楽園は世紀末のようだったに違いない。
「エイズがやってくる前のコミュニティは怖いもの知らずの子どものようだった。だから “AIDS was like wake-up call(エイズで目覚めたんだ)”。エイズがこのコミュニティをより強固なものに育てたと思っている」。事実、現在に至るまでエイズ撲滅イベントや団体などがこの島で生まれ、コミュニティの絆は一層強いものになっている。
©Tom Bianchi
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トムは現在ロサンゼルスを拠点にするも、毎年夏の間は必ずファイアー・アイランドに戻ってくる。長年を知る彼に、この島はどう変わったかを聞く。
「当時といま? 何も変わっちゃいないね。性別や人種を超えて、すべてを受けとめ抱きしめる。そんな愛に包まれたスピリットはいまも変わらずしっかりと存在するよ。あ、でも一つだけ」。ゲイカルチャーの変容を半世紀にわたって見つめてきた写真家はつけ加えた。
「この島で、小さな子どもを見る機会が増えたね。当時では考えられなかったけど、ゲイが子どもを持つ時代になったんだ。とってもラブリーなことじゃないか」
Interview with Tom Bianchi
Tom Bianchi
夫のベンと
【編集後記】
今回の取材を快諾してくれたトム。バケーションでファイアー・アイランドにいるよ、という彼を訪ね取材陣は島に赴いた。マンハッタンからロングアイランド鉄道で1時間半、そこからバスとフェリーでさらに30分強。海を渡るとそこにはトムをはじめとするゲイたちの別荘(知られざる優雅な世界だった…)と、8月でも冷たい大西洋が広がっていた。ニューヨークにいることを忘れさせてくれた、束の間の夏休みだった。
Interview photos by Kohei Kawashima
Text by Shimpei Nakagawa, Edited by HEAPS
Editorial note photos by Shimpei Nakagawa
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine