とにかく「wanna talk with you.(会って話したい)」。そんな想いを彼にメールでぶつけてみた。すると「Yes, let’s meet up(いいとも。会おう)」と、彼からの返信。思いの外、あっさりと快諾を得られブルックリンのキャロルガーデン地区にある彼の自宅で会うことになった。
ドアを叩くと、「いらっしゃい!」という声とともに、ジェフがキッチンからひょっこり陽気に飛び出してきた。「不法侵入」のイメージが先行していたからだろうか、ミステリアスな人物を想像していた。だが、部屋に立ちこめたオーブンからの芳ばしい香りと、笑うと目じりが下がる柔和なジェフの表情に、一気に場は和んだ。部屋には「自分で塗った」という赤や水色、 黄色の壁、一見ガラクタにも見えるヴィンテージの玩具や写真がセンス良く散りばめられ、そこかしこから彼の遊び心が溢れる。「家で一番落ち着く場所」という、リビングの気取りのないソファーに座ったジェフ。早速、取材陣は彼にインタビューをはじめた。
「地下鉄の廃駅でのイリーガル・パーティー」「地下鉄乗っ取り劇」 「カリブの海賊ごっこ」など、その奇抜なアイデアの原点はどこから?
J:出身はコロラド州なんだけど、大学進学のためにサンフランシスコに移住してからの10年間の経験が今の活動に大きく影響していると思う。当時1990年代で僕は20代。大学で専攻したジャーナリズムで修士号も取得して、卒業後は音楽雑誌の編集ライターとしてキャリアを積み、ジャーナリズム街道まっしぐらの生活だったんだ。新しいミュージシャンを発掘するためにも、地元のイベントには大小問わず、積極的に足を運んでいて、その中で見つけて最も刺激的だったのがアンダーグラウ ンドカルチャーのネットワーク「Cacophony Society(カコフォニー・ソサイエティ)」。僕が今やっている活動の原点はここ意外に考えられないね。
「Cacophony Society」について詳しく教えてください。
J:もともと70~80年代にサンフランシスコに存在したアナーキーなシークレットソサエティ「スーサイドクラブ」のメンバーが86年に立ち上げたネットワークなんだ。存在自体は未だアンダーグラウンドで、サンフランシスコに住んでいる人でも知らない人がほとんど。深夜に山奥やトンネルの中や鉄橋の上でゲリライベントをしたり、カルト教団にお試し入信をしたりといった、普段は人が行かないところでマニアックなイベントを主催していてさ。彼らのメーリングリストに登録するとイベントの日時と場所が送られてくるんだ。
90年代はまだSNSはもちろん、携帯電話文化すら定着していなかった時代。ニッチな世界の情報というのは、「必死で追い求めた者だけが得られる“戦利品”」みたいなものでね。アンダーグラウンドのコミュニティには、趣向の似た気合いの入った変わり者が集結していて、その世界のニッチ度数は極めて高く、それゆえに閉鎖的なんだ。
だからこそ、その世界を垣間みたときの興奮といったらもう、鼻息荒く ならずにはいられなかったんじゃないですか?
J:その通り!あの頃のサンフランシスコは、共同体主義※のアートシーンが活発で、それはもう、ぶっ飛んでいて自由。といっても、“カッコイイ”というのとは程遠い、奇妙で意味不明なものも多かったんだけれどね。それでも人目もはばからずにバカになれるというか、みんな、自分たちの価値観やコミュニティに矜持(きょうじ)を持っていて、何でも『それ、やってみよう』とするエネルギーに満ち溢れていたね。
※共同体主義:20世紀後半の米国を中心に発展してきた共同体(コミュニティ)の価値を重んじる思想
サンフランシスコでDIY(Do It Yourself)カルチャーが育ちやすかった理由は、時代背景以外にもあるのでしょうか?
J:サンフランシスコが田舎だったからじゃないかな。都市から離れているためか、既存のシステムにコントロールされない人間が多かった。いわゆる「アウトロー」っていわれる人たちだね。だからこそ自分たちで勝手にやってしまおうというDIYのカルチャーが育ちやすかったんだと思う。
ニューヨークへ移り住むきっかけは何だったのでしょうか?
J:仕事がきっかけ。ジャーナリストとして99年に移住したんだ。
ー 現在も?
J:ノー。ニューヨークに拠点を移した頃、ジャーナリストとしてのキャリアへの情熱は失速してね。常に物事を疑う姿勢ってジャーナリストには不可欠なんだけど、それがエスカレートして何に対しても皮肉的かつ批判的になってしまってね。コンピューターに向かってしかめっ面をしている自分に気づいたとき、この状態から抜け出さないとダメだと思ったんだ。それで、30歳半ばにして、スパッとキャリアを捨てた。
“What do you do? (お仕事は何をされているのですか)”という質問は 米国でよく交わされる会話だと思うのですが、現在は何て答えていますか?
J:「アーティスト」だね。「何をつくっているの?」と突っ込んで聞かれたら、「街のUnusual Spaces(変わった場所)を舞台にしたアート作品、主にイベントの演出をやっている」と答えるんだけど、だいたい不思議そうな顔をされる(笑)。あと、NYU(ニューヨーク大学)でアート基礎とグラフィックデザインのクラスを教えているんだ。
え!講師をされているんですか?生徒たちは、あなたが、あのニュース になった“やんちゃなイベント”を仕掛けた張本人だということを知ってい るのでしょうか?
J:ははは、知らないと思う。むしろ生徒からは“アナログなオジさん”だと思われているんじゃないかな。デザインのクラスでも「パソコンも携帯も禁止。まずは紙とペンだけで」って教えているからね。
それはインターネット世代には古風な指導法ですね。ニューヨーク歴は 15年とお聞きしましたが、この街の移り変わりは激しいですよね。その変化をどう思いますか?
J:変化することはいいことだと思う。もちろん、ニューヨーク本来の荒々しい姿が失われていくことに、寂しさも感じているけれど。
昨年ゴワナス地区で開催した『The Dreary Coast』はまさにそんな気持ちから構想を練りはじめたんだ。ゴワナスは良くも悪くも無法地帯であったことを知っていてね。ルール(法律)が定められてないことが多いだけに、勝手にイベントをすることもできるし、未だベンジンなど環境や人体に悪影響を及ぼす有害液体を投棄する人もいるくらい。このワイルドさがこの街らしさ。けれど、近年はグルメスーパー「ホールフーズマーケット」ができたり、高級コンドミニアムの建設も進んでいて、急速に変化している。だから、『The Dreary Coast』には変わりゆくこの街への祝福と、来年にはなくなってしまうかもしれない本来の荒々しい姿を、いつまでも忘れないようにという思いを込めて計画したんだ。
「この時にこの場でしかできない」というモチベーションから生まれる自身のアート作品は、“その場らしさ”をより際立たせますね。「今のニューヨークにはルールが多すぎる」「警察が権力を行使しすぎている」といった声もよく聞くご時世だけに、自身の活動は「社会への挑戦だろう」という見方をされることもあると思いますが…?
J:僕の活動の目的は権力への対抗ではないし、いつの時代も制限やルールがあればあるほど、クリエイティビティは生まれやすいもの。だからルールは多くてもかまわない。僕がニューヨークへ来た99年は、ちょうどジュリアー二(元市長)のときで、パーティー禁止、ラクガキ禁止ってもう、彼の出現とともにニューヨークのアンダーグラウンドカルチャーは衰退したといっても過言ではない時代。あの頃は本当に最悪だったね(笑)。それに比べれば、今は申請手続きやお金さえ払えばパブリックスペースでイベントもできるようになったし、特別に「厳しい」とは思わないかな。
ルールが多いといえば、日本も公共の場を使うのはとても厳しいのですが、日本だったらどんなイベントを計画しますか?
J:まずその土地(日本)について調べて、地形の制限やルールを知ることからはじめるんだ。その上で何ができるかを考えていくんだけど、その制限があればあるほど僕はつくる面白さを感じるんだ。僕にとってルールはその場らしいイベントを考えるヒント。
舞台として、街中の人があまり行かない場所をよく選ばれていますよね。時に不法侵入だったり、リスクを伴うにもかわらず、そういった場所でイベントをプロデュースする目的はなんでしょうか?
J:変わった場所を選ぶのはワクワクするから。それにつきる。結果的にリスクを伴うこともあるというだけかな。たとえ その場所に立ち入ることが非合法でも、その場所にアートとしての価値があると思ったら、その衝動は押さえられないんだよね。もちろん、起こりうるリスクについてはちゃんと調べた上で開催しているよ。実行する=リスクを回避できると99%確信しているっていう意味だから。
あと、僕のアート活動は商業目的じゃない。極論をいえば、自分が満足することを優先的に考えていいってことだ。つまり、僕の活動はプロではなくアマチュア。お金のためや他人を喜ばすために働くのがプロならば、アマチュアでいいじゃんっていう考え方だね。アマチュアだって価値のあるものを生み出す人はたくさんいる。いろいろな価値観を共有して、お互いにハッピーになることが本来のコミュニティの意味だとすると、ニューヨークの面白さは、まさにそこにある。「自分のスキルには、何かしらの価値がある」って信じているアマチュアが世界中から集っている街だからね。
プロの数よりアマチュアの数が断然多いことを考えると、アマチュアがハッピーでいられる環境を目指すことは、世の中全体の幸福値をあげることに繋がるというのは合点がいきます。
J:「国からもっと個人に力を戻していこう」というムーブメントが過去にもあったように、自活の道をコミュニティレベルで維持していければと思う。それほど生活に困 らない安定した収入があれば、自分なりの幸せをつくっていけるはず。まずは個人や小さなコミュニティから。
「Nonsense NYC」という活動もされていますよね。
J:一言でいうと「DIYイベントの“コレクション”」。僕らはイベントのキュレーションやプロデュースは行わず、個々のアーティストが開催するイベントとその詳細をリスト化して、毎週メールで登録メンバーに送る。イベントの入場料は25ドル以下のもののみピック、そのほとんどはアマチュアイベントなんだ。ニューヨークに拠点を移した頃にCacophony Societyのような地域密着型のネットワークはないかと探し回ったんだけれど、見つからなくて。だから自分でつくちゃった。「魔女のタロット占いイベント」「何も買わない日の会」「ニーチェとフェミニズムを学ぶ勉強会」とかやってるよ。
Nonsense NYCはの目的は?
J:イベントの各主催者たちにも理解してもらっているのが、Nonsense NYCの目的は「ネクストスターの発掘ではない」ということ。Cacophony Societyもそうであったように、非営利で広告やスポンサーシップは一切なし。あくまでDIYイベントを通して、同じ趣向を持ったアマチュア同士が繋がり、コミュニティ力を向上させていくことが目的。つまり活動の根底にあるのは、「大企業に頼らずとも、自分たちできる」というDIYスピリットなんだ。
ここでもやはり個々の力、アマチュアの力を信じているということですね。それでは、最後に今後の活動を教えてください。
J:昨年はじめた『The Dreary Coast』や、ここ数年続けてきた『Empire Drive-In』 は今年もまたやる予定。僕のイベントは1回きりではなくて、回数を重ねて進化させるものだと思っている。新しい要素を入れたり、同じイベントでも違う場所でやれば また違うものができる。今までやってきたものをしっかり深堀していくつもり。
今、考えている新しいイベントのこと教えてもらえますか。
J:それはまだシークレットだね(笑)。
今、求められる面白い体験とは何か。 参加者たちが芯から揺さぶられるような体験は「いつでもどこでも」から、 時間や場所に「限定性」を持ったものが価値を持ちはじめている。特定の場所を対象にコンテンツをつくり共有させる貴重な体験を提供するジェフのイベント。昔ながらの地域の花火大会や祭りと似ていないだろうか。そこにジェフは「リスク」と「シークレット」というスパイスを加え、刺激に慣れてしまった現代人に、その価値を再定義する。21世紀に合わせた「共同体主義」のアップデート版とでもいおうか。金を巻き上げる現代の資本主義経済に巻き込まれずクリエイティブで強いコミュニティをつくるには、日常生活や遊び場を「自分たちではじめればいい、やってしまった者勝ち」と訴える。その気持ちのベクトルこそが、これからの21世紀を楽しく生きる鍵なのかもしれない。
Photographer: Kuo-Heng Huang
Writer: Chiyo Yamauchi