2000年。CD全盛期に、ガタがきているプレス機で夫婦がはじめたのは「レコード工場」。

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15年前、あなたは何で音楽を聴いていましたか。
2000年代初期といえば、CDやMD全盛期。CDウォークマン、MDプレイヤー。レコードやカセットは過去の産物として埃をかぶっていたその時、時代錯誤にも2台の壊れたプレス機で、「レコードプレス工場」をはじめた一組の若夫婦がいた。

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ニューヨーク・ブルックリンの西、サンセットパークにある。呼び鈴もない。このステンシルだけが手掛かりだ。

「私の考えでは、レコードが廃れたことなんて一度もないと思う。レコードは常に前進しているわ」と威勢よし。気持ちよく言い切るのは、ファーン・バーニック、このレコードプレス工場「Brooklynphono(ブルックリンフォノ)」のオペレーションやビジネスを担う。

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ファーン、お気に入りの手動のレコードプレーヤーと。

「1台目のプレス機が稼働したときからレコードの注文は途絶えなかったね。2台目が導入されたときも、すぐに注文がいっぱいになって。お客さんからもっと早く完成しないのか、と急かされても、2台しかないんだって答えるしかなかった」と、レコードのニーズは工場創設初期からあったことを示唆するのはファーンの夫のトーマス・バーニック。

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 ブルックリン生まれのレコードコレクター、そして今や地元のレコードビジネスを支えるブルックリンフォノの工場長だ。

 15年前の当時なら時代錯誤かもしれない、レコード盤ビジネス。レコードリバイバルと呼ばれる昨今の生産量、なんと「年間100万枚以上」だ。

アナログレコードが生まれる現場、お邪魔します

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 プレスされ、一晩寝かせてあるレコードたちや、集荷、発送待ちのレコードが入ったダンボール箱。

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「工場始まって以来の15年間、ここで作られたもの一枚も残さず取ってあるわ。お得意さんには、専用の箱があるの」とは、棚にぎっしりのスタンパー。いわばレコードの原盤だ。この工場にたどり着くまでには、カリフォルニア州から始まり、アリゾナ、ニュージャージー州の工場を渡って、ブルックリンフォノに辿りつく。

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大手ができないことをやる。支えるのは地元のインディーバンド

 メジャーアーティストのレコードを大量生産したい大手レーベルは、コストパフォーマンスを考え、テネシー州のユナイテッドやカリフォルニア州のレインボーなど大きなプレス工場に発注する一方、バーニック夫妻の工場が支えているのは、多くの地元のインディーバンドやレコードレーベル、ヨーロッパや南米のミュージシャンたちだ。

「時々、面白い依頼も来るのよ」。見せてくれたのは、あのジョーン・ジェットのレコード。ザ・ランナウェイズやジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツで活躍した大物女性ロックシンガーは大手レーベルを離れ自身のレーベルを立ち上げ、いまではこの工場の顧客の一人。

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「ニューヨークっていう土地柄からか、顧客もランダム。一度ブラジルから1人のアーティストが来て、ここでレコード作ったんだけど、そしたら一気にブラジル人アーティストからの依頼が舞い込んできて」と笑う。
「休暇でニューヨークに行くから、レコード作ってみようかな」なんて思いたつ国外アーティストのためには、限られた滞在時間の中で計画的なレコード製作を心掛けている。

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 そして、世界中で開催されるレコードの祭典、レコードストア・デイのある4月(毎年第3土曜日)。
「レコードストア・デイには、カラー、カラー、カラー、カラーってみんなカラーのレコードにしたがるの。まるでキャンディみたいよね」

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 色やアイデアなど、アーティストたちのレコード作りへのこだわりはできる限り実現しようと後押しする。小さな工場だからこそ生むことができる人情がある。地元バンドに限らず、ジョーン・ジェットのような大物アーティストや海外アーティストが顧客につくのもこの手厚いサービスがあるからだ。

「辞めるならさっさと辞める」

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 工場長トーマスが生まれたのは、まだまだレコードが主流だった80年代のブルックリン。学生時代は学校から帰ってきてはそそくさと好きなDJのラジオを聞いたり、仲間とミックステープを作ったりする音楽少年だった。

 彫刻家を目指しアートスクールに通っていたが、初めて見たレコードプレス機に“惚れて”同じくレコード好きの妻ファーンと夫婦経営でプレス工場をスタート。
 手はじめに、10年間使われずに放置されていたプレス機を購入、すべての部品を取り外し、掃除してまた取り付けるという、骨の折れる作業を繰り返し、1年かけて修理したそうだ。工場立ち上げを思い立った時から2年が経った、2003年のこと。

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当時の写真を見せてくれた。

 次に彼を待ち受けていたのは、工場に必要な設備導入。ボイラーに冷却塔に、造粒機に、掃除機に…。先の見えない不安で、何度も自身に聞いた。「辞めようか?ならさっさと辞める。そうじゃないなら、やると決めて全力を傾けて心身ともに没頭する」。答えはいつも後者だった。

 レコード作りに魂を捧げたトーマスは、毎日20時間週6日(!)は工場に入り浸り、寝ても覚めても工場通いの毎日を続けた。
 15年の月日が流れたいま、2人の右腕とともに熱気が立ち込める工場でビニール盤に音楽を吹き込んでいる。

 プレス機の修理もいまではお手の物。どうやってそのスキルを身につけたの?との投げかけにはこうだ。
「どうやって習ったかって?絶対達成するんだ、と決めたら、できるよう学習しないと。もし外国にいたら、その国の言葉を習わざるをえないだろ?それと同じさ」

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30秒に1枚生まれるアナログ盤。

 ニューヨークをはじめ全米各所に16のプレス工場が存在する。ブルックリンフォノが他工場と一線を画すのはなんだろうか。

 それは、各プレス機に設置されたグラニュレーター(造粒機)。

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 大きな黒いボックスは、プレスされたレコード盤の不要な切れ端や型が悪いレコードを粉砕し、溶かし、再び原材料にして生き変えらせる、リサイクルマシーンなのだ。各工場1台のグラニュレーターしかない他工場に比べ、米国では唯一「一機に1台」。エコな工場だ。

 レコードの原材料に使用するのは3種類。リグラインドと呼ばれるレコードをリサイクルして作られた素材、黒レコードにはヨーロッパ製、カラーレコードにはタイ製素材。

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 練り合わされた塩化ビニールとレーベルをプレス機にセットすると、塩化ビニールは、レコード盤鋳型とA面、B面両面のスタンパーに100度以上の高熱でプレスされ、レコード盤に生まれ変わる。その間約30秒。

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“あの瞬間”がある、音の円盤。

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「レコードには、“That moment (あの瞬間)” があると思うんだよね。レコードをスリーブから取り出し、ターンテーブルに置いて、気の置けない仲間と流れてくる音楽に耳を傾ける、あの瞬間。デジタルで音楽を聴いたり、ユーチューブで曲を流したりするときには存在しない、あの瞬間」。人生の15年を捧げてきたレコード作り。原点回帰した先にあるのは、やはりレコードへの情愛ではないか。

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「音楽ってとても抽象的なアートだよね。絵画のように後ろに金具をつけて壁に掲げられるものじゃないから」。だからトーマスは、“音を詰め込んだ円盤”であるビニールレコードを音楽を運ぶ一つの手段、つまりアートの伝達媒体として、一つの芸術として扱う。彼の口からとめどなく流れ、溢れ出るレコードへの愛着が目に見えるように感じられた。

 取材を終えた帰り際、誤作動を起こした7 inch用のプレス機。焦った様子で機械に向き合う彼は、真摯だった。

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brookylnphono.com

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Photos by Kohei Kawashiam
Text by Risa Akita

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