きれいなロングの巻き髪を弾ませ、横乳がチラチラ見えるセクシーなアウトフィットで彼女はやってきた。イケイケの見た目とは裏腹に「風邪をこじらせちゃって。今日は靴の中に唐辛子を入れているの」という古風さ。おばあちゃんの知恵袋か。
本人曰く「シャイ」らしいが、個性やキャラクターは濃い。そんな彼女こそ、ニューヨーク初のトランスジェンダー専門のモデル事務所「Trans Models(トランス・モデルズ)」の創始者、Peche Di(ペチィ・ディ、自身もトランスジェンダーで、生まれの性は男性)である。
創設は2015年3月。当時はまだ、ニューヨーク大学の学生、正確には「留学生」だったという。
「私の何がダメなの?」自身の苦悩が原点
大学在学中は学業の傍ら、モデルとしての可能性にも挑戦してきた。母国タイでは、数々のビューティーコンテストで優勝してきた実績を持つも、ニューヨークでは「どのモデル事務所にも断られてきた」と語る。
ポートフォリオには、業界で名の知れたハイファッション・フォトグラファーたちと仕事をしてきた経験や、雑誌『L’Officiel』『Teen Vogue』『Candy magazine』、Barneys NYでキャンペーンモデルを務めたことを明示。通常、これだけ経験があれば、どこかしらの事務所には引っかかると言われている。しかし、だ。「なぜ、私じゃダメなのか。何が足りないのか」を問うも「無視された。電話を掛け直すって言ったきり、二度と連絡はない」という。
モデル業界でのトランスジェンダーの雇用は低い。さらに、「トランスジェンダーの中でもアジア系が選ばれる確率は最下位ね。ニーズは、やっぱり白人が一番高くて、次に黒人、ヒスパニック、そして、たまにアジア系って感じよ」と、状況の厳しさを語る。
「誰も私のことを理解してくれない」。怒りとフラストレーションを起点に「トランスジェンダーによるトランスジェンダーモデルのためのモデル事務所を作りたい」と一念発起。 ルームメイトをはじめ、周りには「あんた留学生でしょ?ビザは?頭おかしくなったんじゃないの?」と、散々言われるも、「思いついてしまった以上、成し遂げないとならない使命みたいなものを感じた」とペチィはいう。「TransModels.com」のドメインを取得し、2015年3月「Trans Models」を創業した。
Peche Di, photo via Peche Di
ファッション業界のトレンド「ノージェンダー」の影響は、いかに?
創業のタイミングは、とてもよかった、と語る。世間の「トランスジェンダー」に対する理解が高まりつつあった時期だったからだ。
トランスジェンダーのモデル、通称「トランスモデル」は、いまやファッション業界の新星的存在だ。トップメゾンで活躍するオーストラリア人モデルのアンドレア・ペジックや、世界最大手のモデルエージェンシーIMGに所属するハリ・ネフなど、トランスモデルは現代のファッション業界で注目の存在となりつつある。
photo via Peche Di
また、近年のファッション業界のトレンド「No Gender(ノージェンダー)」も、「性別にとらわれない価値観」が芽生えたという意味では、大きな一歩だと話す。一方、トランスジェンダーのモデルの雇用が増えたか、については「いまのところ(雇用が増える)可能性が開けた程度」だそうだ。
2月のNYFW(ニューヨーク・ファッションウィーク)の手応えとしては、「ユニセックスなアイテムが着れる、男性の体を持った女性モデルからチャンスが増えている」と語る。女性から男性へ性転換したトランスモデルについては「まだまだ、厳しい」。
「そもそも、メンズ、ウィメンズとファッションに性別分けが存在していること自体に違和感」と語るペチィ。「だって、男性服を買うのは、男性だけじゃないでしょ。女性や、トランスジェンダーの私だって買うわ。女性服についても同じことが言えるわよね。だったら、女性向けブランドだからといって、ランウェイに立つモデルも、カラダが生まれつき女性の女性モデルだけ、というのは可笑しな話だと思うの」
いろんな人が着るのだから、ランウェイにだっていろんなモデルがいていいはず。その信念が、彼女を突き動かしている。
16歳までは男子校に通った学生時代
生まれも育ちもタイの首都バンコク。土地柄、カミングアウトや性転換に関しては、他国に比べれば「しがらみは少ない」と話す。だが、イジメや誹謗中傷は「もちろんあった」。
小学校から高校まで男子校、15歳の頃からはミリタリースクールにも通った。「みんなと様子が違う、という理由で悪口を言われたけれど、私、運動神経が良かったから。『喧嘩じゃ負けないわよ』って威嚇したりして」と笑う。
16歳からエストロゲン(ステロイドホルモンの一種。通称”女性ホルモン”)を摂取。カラダが少しずつ自分らしく、つまり女性らしくなるにつれ「自分に自信が持てるようになった」。高校卒業後はキャバレーダンサーとして働き、ビューティーコンテストに出場するように。「優勝したり、しなかったり」と、当時からモデルや表現者としての素質は高かった。
「コンテストが私の向上心に火をつけたの」。2010年に学生ビザを取得し、ニューヨーク大学に入学。両親には「英語を勉強したいから」と伝えたが、一番の目的は「ニューヨークで開催されるトランスジェンダーのミス・コンテストに出たかったから」。渡米1ヶ月後に行われた、同コンテストで、ペチィは見事優勝。21歳の時だった。
受け入れてもらえなくても、「ファッション」が好きだった
Trans Models, photo via Peche Di
彼女曰く、「フェアじゃない」「信じている人に突然裏切られた」なんて話は「トランスジェンダーの間じゃ、茶飯事よ」。上述の通り、ペチィ自身も、どのモデル事務所にも所属できなかった辛い過去がある。それでも「ファッションの仕事」が好きなのだ。
そういう人がニューヨークには、たくさんいる。「私たちはトランスジェンダーだからって諦めなきゃいけないの?」。いや、そんなことはない、と確信する彼女は「信用し合い、手を取り合うことの大切さ」を説く。Trans Modelsは専属モデルだけでなく、メイクアップアーティストやスタイリストもトランスジェンダーだ。「本当に信用できる仲間がいるだけで、どれだけ心強いか。才能のある人たちが、本領を発揮できるように」という想いと、三本の矢の教えのごとく「一人じゃ太刀打ちできない壁も、結束すれば超えられる」という信念。たとえ茨の道でもやりたい道を選ぶ。しなやかな反骨精神で、華麗に未来を切り開いてくれるに違いない。
Peche Di
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Photos by Omi Tanaka
Text by Chiyo Yamauchi