「第一次世界大戦の匂い」を再現!おぞましさを忘れさせない匂い。 世界中の匂いを嗅ぎ続けた、プロフェッショナルの仕事

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最も脳に直接的に働きかけ、時に無理矢理でも記憶を呼び起こすことのできる匂い。それを“記憶を留めるためのツール”として捉え、 匂いによってその瞬間を記憶する装置「スメル・メモリーキット」を発明した、シセル・トラース。彼女を匂いのエキスパートとして有名にしたのは、彼女が自らの手で再現した一つの匂い。「第一次世界大戦の匂い」だ。

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▶︎記事「 匂いで思い出を閉じ込めるキットが誕生『スメル・メモリーキット』」より

自分たちを取り巻く空気は“無”じゃない

 ノルウェーの港町に生まれ自然に囲まれて育った。幼い頃より、“目に見えないもの”に惹かれていた彼女は、「匂いの世界にどっぷり浸かりたい」と確信するようになったそうだ。

「自分の鼻が持つ可能性を発見して、私たちを取り巻く空気が“無”でないことを悟ったの」
 嗅覚の力が持つ可能性を信じ、1990年代初頭から本格的に、匂いと向き合いはじめた。

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化学の博士号を持ち、数学と言語学にも強い(母国語のノルウェー語のみならず、英語、ドイツ語、フランス語など、なんと9ヵ国語を操る)。

 彼女がオリジナルの匂いをプロデュースするクライアントには、アディダスやイケア、カルティエなどの有名ブランドが数多く名を連ねる。イケアだと、プロダクトのペイントに実は彼女のオリジナルの匂いを付着させている。
 また、世界中の美術館で匂いのインスタレーションを発表するアーティストであり、そしてハーバード大学などの教育機関と匂いについて共同リサーチする研究者でもある。匂いエキスパートの活動は幅広い。

「私、いろんな空港セキュリティーに有名だったのよ。いまはもうやめたけど、かつてはハンドバッグに“仕事道具(匂い)”を入れて世界を飛び回っていたから」と笑う。
 そこに空気が、匂いがある限り(つまり世界中のすべての場所と言えよう)彼女の仕事は尽きないのだ。

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第一次世界大戦の匂いを蘇らせる

 そんな彼女を有名にした匂いがある。それはドイツのドレスデンにある博物館の依頼を受け再現した、前代未聞の“第一次世界大戦の匂い”。

 いつもは匂いの元となるサンプルを下敷きに匂いを再現するが、この時ばかりは違った。大戦の生き残りもいない。そこで歴史書と当時の映像、自身の“気分が悪くなるような匂い”作りの経験を元に、人の死体や馬の死骸、マスタードガス(化学兵器の一つ)などを構成する微分子を組み合わせた結果、とても嫌な匂いができた。

「それが(この匂い復元の)目的だった。来館者に戦争のおぞましさを理解してもらうためだから」

 ちなみに第二次世界大戦の匂いを作る予定はないと言い切る彼女。理由は、大戦が終わってからまだ時が浅いため、また戦争体験者もまだ生きているため誰にも嫌な思いをさせたくないからだという。

 またアメリカ人生物学者と作ったチーズも有名。なんと人間の皮膚から採取したバクテリアを用いて作られたチーズ。なんとも食欲をそそられないチーズだ。また恐怖や不安を感じている20人の男性の汗を採取し、その匂いを再現するプロジェクトも手掛けた。彼女の言葉を借りると「研究結果をクリエイティブなプラットフォームで発表」している。

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シセル自身の脳裏に一番こびりついている匂いは?

「休憩も必要よ」と常に鼻を利かせ周囲の匂いを感知しているわけではないというが、私たちよりもはるかに多くの匂いを嗅ぎ知る“匂いの字引き”のようなシセル。彼女の脳裏に強く残っている匂いの記憶は何だろう。聞いてみると意外な答えだった。

「牛乳。小さい頃の私は牛乳と相性が合わなかったから。まあそんな私的な理由でね」

 毎朝のヨガと一緒に欠かさない日課が、鼻のエクササイズ。アーカイブの中から匂いを嗅いで嗅覚を鍛えているのだ。彼女の鼻の先に広がる、私たちがまだ踏み入れたことのない未知の世界。少し鼻を突っ込んでみたくなる。

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All images via Sissel Tolaas
Text by Risa Akita

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