【新連載】「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録

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「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」

回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。
冷戦時代、抑圧の東ベルリン、壁と秘密警察の手をくぐり抜け、禁じられたパンクロックを“密輸”した男である

1970年代後半から80年代後半にかけてのドイツ・ベルリンの話だ。
一夜にして有刺鉄線が張り巡らされ、着々と作られた3メートルの壁は、人権を、文化や金銭の価値を、国民の一生を、そして人間の尊厳を決定した。「ベルリンの壁」—その非情な一枚の壁は、
一つの街をユートピアの西ベルリンと、ディストピアの東ベルリンにわけてしまった。

「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」ー「経済」「自由」「文化」、すべてが豊かに栄えたのは資本主義の西ベルリン。その影で、ソ連統治の社会主義の東ベルリンは陰鬱に飢えていく。音楽もそうだ。ソ連でビートルズが禁止されていたように、東ベルリンでもまた先進的な音楽は禁じられる。
西側には自由という太陽がさんさんと注ぎ、東側では抑圧という雨がじとじとと降っていたのだ。

命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。

しかし、マーク・リーダーは幾度となく壁をすり抜けた。秘密警察に逮捕されるキケンを顧みず、西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸。東ベルリンに禁じられた音楽を紹介し、後にドイツのエレクトロニック・テクノミュージック普及に貢献した第一人者となった。これは、かつて“音楽密輸人”であった張本人の回想録だ

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若かりし頃のマーク。東西ベルリン分断の象徴、ブランデンブルグ門にて

#001 「教会で“違法パンクライブ”をしたい。警戒している神父を説得せよ」

「エレキギターを持っている」。資本主義の西では大それたことでもなんでもなかったが、共産主義の東ではそれはそれは稀なことだった

「フェンダーのエレキを持っているんだ」。ある日、東ベルリンのバーで、呑んだくれたヒッピー男がぼくにそう自慢してきた。

 当時の東ドイツでは、楽器自体が市場に出回っていなかった。楽器店に入ってエレキやアンプ、ベースやドラムをぽんと手に入れることなんてできない世界だ。エレキを買うことは、イギリスで“銃”を買うのとおんなじこと。エレキは購入許可が必要な“武器”であった。

 第一、楽器(ここではエレキとしよう)にお近づきになる前にまずは「適性検査」がある。エレキをプロ並みに弾けるかどうか、そして公で歌っても大丈夫な歌詞かどうか検閲が入る。合格すると、最終試験として「苦虫を踏みつぶしたような顔をした茶色いスーツ姿の年寄り役人」の前でエレキを弾かなければならない。“スターリン版アメリカンアイドル”といったところだろう。

 エレキを持っているというヒッピー男に、ぼくは反射的に問いかける。「へぇ、じゃあバンドにいるんだ」。すると彼はこう漏らした。「演奏許可ねえからさ、“教会”で演っている。俺の教会に若い神父のあんちゃんがいて、『ブルース・ミサ』ってえのをやってんだ」

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当時マークがベルリンで結成したバンド、Shark Vegas(シャーク・ベガス)

「教会」ー当時の東ドイツにおける、数少ない“開かれた場所”。ルーマニアやアルバニアのようにキリスト教を禁じた国(彼らの唯一の宗教は”共産主義”だったから)とは違って、すでにそれなりの規模と影響力を持っていた宗教を、東ドイツでは完全に潰すことはできなかった。すなわち、教会とは一種の”無言の抗議”として、そびえていたともいえる[1]

 そんなふうに、教会にはある程度の自由が認められたのだが、シュタージ(STASI:東ドイツの秘密警察)が、何か良からぬことが起きないかと常に目を光らせていたのも事実。それでも彼らの目をかいくぐって存在したのが「ブルース・ミサ」のような抜け穴だった。
 ここでの“礼拝”は、新進の歌い手たちがボブ・ディランやエリック・クラプトンなんかのブルースやフォークソングを爪弾くことができる貴重なステージ[2]。ただし、それは決して“合法”じゃなかったが。

 なるほど、ブルース・ミサか。ヒッピーから“おいしい情報”を手に入れた数週間後、ぼくは東ベルリン郊外の教会にいた。

 当時、西ベルリンに出てきていた比較的新しいパンクバンド「Die Toten Hosen(ディー・トーテン・ホーゼン、独語で「死んだズボン」)」のサウンドエンジニアをしていたので、彼らをそのブルース・ミサとやらに出演させてみたらどうだろう、と思いついた。「どうですか。彼らを出演させてやってくれませんか」と、神父に交渉をしていたのだ。

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Die Toten Hosen(ディー・トーテン・ホーゼン)、 1983年

 表向きには、東ドイツにパンクなど存在しなかった。パンクは、資本主義の欠陥、失業の原因だと見なされ、“労働者と農夫の国”である東ドイツには、存在しないはずの音楽。だから、そんな国では、パンクに生きることはもとより、パンクロッカーのような風体ですらキケンで、スタッズだらけのパンキッシュな格好だけで理由なしにつまみ出される始末だった[3]。東ベルリンの音楽ファンはレコードを買いたくても自分の好きなバンドを観たくても、自由に西ベルリンに音楽探求の旅へ出られない。それだったら、ぼくがバンドを、音楽を、東へ連れてこよう。「教会での違法パンクライブ」をどうしても成し遂げたかった。

 必死なぼくを神父は見据え、静謐を保ってこう告げた。

「(ブルース・ミサは)決してコンサートなんかじゃありませんよ。あくまでも、祈祷がともなう正式な“お礼拝”ですからね」
 神父の“含み”をぼくたちは暗黙のうちに同意した。互いに協力しあってコンサートを成し遂げる、ということを。そのあと神父が言うことすべてにぼくたちは首を縦に振ったのを覚えている。それから、神父自身が“違法”なぼくらの提案に、内心興味しんしんといった素振りをみせたことも。

 神父の次にぼくが説得したのは、「ディー・トーテン・ホーゼン」のメンバーだ。「ぼくらがやろうとしていることは、とても向こう見ずな行為だ。もしも秘密警察に捕まったら、君たちの人生はひっくり返る。国の敵として捕らえられ、かなり深刻な状況に陥ってしまう」。
 しかし西の自由なパンクロッカーたちは、このミッションに興奮していた様子だった。体制に背くキケン極まりない行為に心を躍らせていたようだ。ちょっとしたジェームズ・ボンド気分といったところか。

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当時の東ドイツ(DDR)の様子

 教会での極秘パンクライブ。それは、違法中の違法行為だ。
 せめてブルースとフォークを礼拝で、と音楽をむさぼっていた人のところへ、ぼくたちがヒョコヒョコとやって来て、すべてを変えてしまうことになる。

 マンチェスターのミュージックシーンにいたイギリス人のぼくが、冷戦時代のヒリヒリしたベルリンで、音楽の“密輸”に手を染めることに。教会での違法パンクライブやカセットテープの密輸、東ドイツのアングラバンドの“逆輸入”やレコードプロデュースなんかをしていくことになるのだが。

 その経緯と経過を、少しずつ話していこうと思う。

#002「デヴィッド・ボウイがベルリンに移住。まもなくして、ぼくもベルリン行きを決めた」
ハタチの夏、ぼくはパンクに飽きた。そして夏盛りの8月、故郷マンチェスターを去った。ベルリンに向けて。
〜ベルリンの壁ができるまで〜

第二次世界大戦で敗北したドイツは、アメリカ・イギリス・フランス・ソビエト連邦によって分割占領され、東ドイツ側にあった首都ベルリン市内も東西にわかれていた。旧東ドイツ社会主義統一党(SED)による事実上の一党独裁体制、そして50年から60年代にかけての経済停滞により、東ドイツ(ドイツ民主共和国:DDR、GDR)からは毎日2000人もの国民が国を去るという崩壊状況だった。そんな人の流出を止めるため、1961年8月13日に「ベルリンの壁」が建設された。

マーク・リーダー/Mark Reeder

MR_LOLA6004x_1428のコピー

1958年、英・マンチェスター生まれ。78年から独・ベルリン在住。ミュージシャン、プロデューサー、サウンドエンジニア、レコードレーベルの創設者として英独、世界のミュージシャンを育てあげる。
過去にはニュー・オーダーやデペッシュ・モード、電気グルーヴなど世界的バンドのリミックスも手がけてきたほか、近年では、当時の西ベルリンを記録したドキュメンタリー映画『B Movie: Lust& Sound in Berlin (1979-1989)』(2015年)でナレーションを担当。現在は、自身のニューアルバム『mauerstadt』の制作やイギリスや中国などの若手バンドのプロデュースやリミックス、執筆・講演活動なども精力的に行っている。markreedermusic(ウェブサイト)

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Writer: Mark Reeder
Reference: [1][2][3] Reeder, Mark.(2015). “B BOOK: LUST&SOUND IN WEST-BERLIN 1979-1989”. Edel Germany GmbH
All images via Mark Reeder
Translated by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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