イーストビレッジの11番通りを東に歩いていくと、中からガタゴトと音のする店がある。ドアを開けると、両壁にずらっと並ぶ数百のスタンプ。ごちゃごちゃと散らかった雑多な店の奥で、一人の男が古い機械を動かしていた。
「1950年代の機械だからね、うるさいんだよ」
John Casey(ジョン・ケイシィ)は、30年間、日々こつこつと赤いゴム製のスタンプをつくり続けてきた。小さな空間に、機械だらけの作業場。そして、彼がつくるスタンプをこれでもかと詰め込んだ「Casey Rubber Stamps」。
徹底された「質」至上主義
「本物のゴム製だけが、美しいグラフィックを映し出す」
職人たちの作業場には、独特の空気感がある。彼らの感覚が場の隅々に宿るのか、訪れる者の五感も冴えてくる。Casey Rubber Stampsではまず、木の香りに気づく。それはジョンが、スタンプの持ち手までも楓製の木材を削って丁寧につくっているからだ。
置かれているスタンプはすべて、ジョンの手作業によるもの。繊細で美しいデザインと木の温もり、そのふたつを併せ持つジョンのスタンプを愛用するものは多い。しかし、「追加料金を払うから」と常連さんに頼まれても「急ぎの仕事」は受けつけない。
「質の悪いものを提供するくらいならやめるさ」と、ジョンは不敵に笑う。
原画からネガをつくって丁寧に型をつくり、そこに赤いゴムを流し込んで機械を利用しゴム版に印刷する。ひとつのゴム版からできるスタンプの数は限られており、大きさにもよるが1日に2,30個程度だ。「時間をかける価値のある」作業を、ジョンは決して怠らない。さらに、質のためならば、かかるコストも惜しまない。本物のゴムが“金食い”なのは、百も承知だ。それでも30年にわたってジョンは、「最高品質」といわれる、赤いゴム製のスタンプをつくり続けてきた。
機械を抱えて海を渡り、ニューヨークへ
ジョンの店は散らかっている。あちこちにゴム版のかすや木屑が落ち、小さな机の上には山積みの本。読みかけの本は、ばさっと投げ置かれており、見ている方が「本が傷むんじゃ…」と余計な心配をしてしまうほど。しかし、視界に入ってきた、本の側に置かれた年期の入ったマグカップに目をやれば、このカオスにも職人の魂が宿っているように感じる。
アイルランド出身のジョンが本格的にスタンプをつくり始めたのは1979年。スタンプづくりに興味を持ったのは、10代の頃。父親に劇場に連れられて、様々な映画や舞台の宣伝ポスターを眺めているうちに「印刷」に興味を持った。スタンプづくりへのひらめきを与えたのは、子どもの頃の趣味「コイン集め」だった。
「自分の好きなコインを印刷してみたい」。緻密なデザインのコインを印刷するための模写が、ジョンのスタンプのデザインの原型だった。
「店を開くならニューヨークしかないと思った。いろんな人がいるから、いろんなスタンプが愛されると思った」。
その直感に忠実に、1967年にニューヨークに渡ったが、「これだ」と思う“スタンプづくり”の機械がなかったため“退却”。そのままヨーロッパ放浪の旅へ。数年経ってまたニューヨークに戻ってくるが、やはりジョンの求める機械は見つからず、結局ロンドンから運んできた。その機械こそ、彼が今でも使い続ける1950年代のものだ。
1980年、満を持して店をウエストビレッジに構えたが、ニューヨークで生活するうちに、ボヘミアン調の店が並ぶイーストビレッジに惚れこみ、11年前に引っ越した。
家族は、の質問にはノーコメント。「タココ」と名付けられた猫が、ジョンの足にすり寄る。タココは狭い店内を自由に走り回り、時々スタンプ棚にも突進していく。ジョンは気にしない。わはは、と笑うだけだ。緻密な作業をする職人だが、性格はとびきり大らかのよう。
ジョンの直感は間違っていなかった。スタンプだけでなく、インクも40種類のカラーを揃える生粋のスタンプ専門店は、ここニューヨークで、長年にわたって老若男女問わず、多くの人に愛される店となった。

つくる“面白さ”を追求する
「大量生産なんていう、退屈なモノづくりには興味ない」
壁に並ぶスタンプを端から見ていくと、実に様々な趣向のものがある。花や動物、童話の挿絵、骸骨、アール・デコ調のもの、それからシニカルなイラスト。1日中眺めていても飽きなそうなほどだ。散らかった店内と同じように、スタンプも「イラストごとの統一」 は徹底されていない。時々「自転車の中に豚」なんて発見に、つい笑ってしまう。
スタンプのイラストが、すべてオールドファッションなのもジョンのもうひとつのこだわりだ。古い辞書や童話、電話帳などから、すべてジョン自身が選んでもってくる。既存のイラストは、2,000種を優に超える。
その日、ジョンのもとに、郵便物が届いた。パリのスタンプ屋から、新作が届いたのだ。飛びついて嬉々として箱を開けるジョン。伸ばしっぱなしの髪に、服装は大体着古したシャツ。彼の人生における「興味」というものは、ひたすらスタンプに向けられてきたのだろう。
カスタムも受け付けており、誕生日やウェディングのメッセージスタンプ、会社や店のロゴなど「たったひとつのスタンプ」をつくって人々の手に届けている。海外発送も受け付けているので、日々大忙し。いまでは、ジョンのスタンプに惚れ込んで働き始めた、二人の弟子がいる。
貫くスタイルに、挑戦を 「柔軟さを忘れない」
信念は曲げないが、ここ近年、新たな仕事のスタイルを組み込んだ。ジョンは古い機械に囲まれながら、Macも使いこなす。ウェブサイトをつくり、ネット上で既存のイラストからのスタンプの注文、カスタムスタンプの注文も受けつけるようにしたのだ。PDFのデザイン画からもスタンプをつくるいまでは、多くの若きアーティストが自分でデザインしたスタンプの制作をジョンに依頼している。
「若いアーティストと一緒にスタンプをつくるのは楽しいんだ。文明のおかげで、より多くのひとのためにスタンプをつくれるのは何よりだよ」と、ジョン。スタンプを丁寧に一つひとつ手づくりし続けてきたジョンの店、Casey Rubber Stamps。イーストビレッジで今日も、ガタゴト音を鳴らしているはずだ。
Casey Rubber Stamps
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< Issue 14『ニューヨークの小さな専門店』より >
Photographer: Kuo-Heng Huang
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