メディアが(あんまり)報じない中国ミレニアルズの実態「“MADE IN CHINA=粗悪品”の時代は終わり」ファッション業界を牽引する中国ミレニアルズたち

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「尖閣諸島」「爆買い」「PM2.5」。これがわが国での近年3大トピックで、印象は「良くない」「どちらかといえば良くない」と答えた日本人、なんと91パーセント(日中共同世論調査)…。そう、お隣の中国のこと。みんな中華は好きだけど、国となると急に印象が悪くなる。
そりゃあそうよね、だってなかなかイイ話を聞かないんだもの…。
ということで、親世代とは違った方法でうまーく時代を生きる中国ミレニアルズの諸々を紹介しているこの連載(前回:“デパート派”の親世代から「私たちは断然セレクトショップ派!」劇的に変化する中国人の買い物事情)。

 連載最終回でもある今回のテーマは「世界のファッション業界を牽引する中国デザイナーたち」。彼らの親世代が若い頃、中国にはファッションという概念がほとんど定着していなかったものの、近年の巻き返しには舌を巻く。欧米都市のファッション名門校では頭角を表す若き中国のデザイナーたちが増えている。いま注目を集める中国ミレニアルズのデザイナーを紹介しながら、今後の中国ファッションの動向と未来を読み解いていこう。

***筆者は1996年に北京で語学留学し、その後、現地で職につき5年ほど北京で生活。東京に拠点を移してからもほぼ毎年中国出張をしている。

ファッション名門で学ぶ中国ミレニアルズ

ここ数年、世界のファッションアワードなどで中国デザイナーの名前を見ることが多くなった。特に、ミレニアル世代のデザイナーの名前ををいろんなところで目にする。今年発表された2017/18 インターナショナル・ウールマーク・プライズアジア地区大会にノミネートされた9ブランドのうち、3ブランド(香港を入れると4ブランド)が中国ミレニアルズのブランドだ(日本からは2ブランド)。また、H&Mデザイン・アワード2016のファイナリストにも、中国ミレニアル世代のデザイナーの名前があった(日本のデザイナーは残念ながらなし)。名前のあがる彼ら、いずれも欧米のファッションの名門で学んだというバックグラウンドがある。

 北京生まれのデザイナー、リー・ジャーペイ(李佳佩)もその一人だ。現在、リーはニューヨーク在住で、ブランド「ANDREA JIAPEI LI(アンドレア・ジャーペイ・リー)」を運営する。レディ・ガガやビョークがリーのデザインした服を着たことでも名を知られることになった。

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デザイナー、リー・ジャーペイ(李佳佩)。

 もともと、北京の大学でファッションデザインを専攻。卒業後は、ニューヨークのパーソンズ美術大学の大学院への留学を選んだ。デザインという創作の勉強は北京で十分に学んだものの、ブランドをいかに「ビジネス」にのっけるのかという部分が欠けていた。なので、よりシビアにファッションビジネスを学べるニューヨークを選択。

(中国)国内の学校と大きく違うのは、在学中に海外の大きな企業やブランドと仕事をするチャンスがあたえられること」。実際に、在学中にケリングというフランスに本拠地をおく大手ファッション企業とのコラボレーション・プロジェクトに参加。その時の経験が卒業作品に反映され、パーソンズの卒業ショーで発表した作品はすぐさまニューヨークのドーバーストリートマーケット(Dover Street Market)のバイヤーの目に止まり、展示開催と取り扱いが決まった。

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Photos by Hitomi Oyama
今年、上海で開催された「ANDREA JIAPEI LI」の初中国ファッションショー。

 その後も、H&Mデザイン・アワード、LVMHプライズにノミネートされるなど、着々と海外に知名度と実力を見せている。そして、今年、フォーブスの「30アンダー30(10分野において30歳未満の重要人物を30名選出)」のアジア枠にノミネート。また、2017/18インターナショナル・ウールマーク・プライズのアメリカ地区大会の候補者にも選出されるなど、世界の様々な大舞台で彼女の活躍は確実に認められている。

 その彼女だが、中国国内のファッションの動向にも着目しているようだ。「欧米に留学した子たちが帰国して、自分のブランドを立ち上げたり、国内のファッションを動かしたりと確かに勢いは感じる。海外から中国へ、という方向だけでなく、中国国内のブランドやファッションの動きを海外に発信していきたい、と情熱をもって動いている人たちも増えていることには感動すら覚えたわね」とリー。

 彼女のように、ニューヨーク、あるいは他都市で自分の居場所を見つけブランドを展開している中国ミレニアルズがいる一方、中国国内でほぼ独学で技術を身につけ、ブランドを展開しているミレニアルズもいる。1990年、北京生まれのデザイナー、リー・ユンザー(李昀擇)はその一人だ。

「MADE IN CHINA(中国製)」=粗悪品、が変わる?

 ユンザーのケースはなかなか珍しい。大学では法律専攻だったが、2年生で休学をして自身でファッションの研究を開始。3ヶ月パターンを習っただけで、あとは独学で服作りを覚えた。2011年には、在学中にスタートアップとして自分のブランド「TACITURNLI(タシトゥンリー、沈黙の意)」を立ち上げた。

 スタート時はアシスタントが1人いただけだったが、いまではマーケティング、PR、ショップスタッフ、倉庫管理など、7人のスタッフを抱える。扱いのあるセレクトショップも、北京だけでなく、広州(こうしゅう)、成都(せいと)、長沙(ちょうさ)など各地に増え、売り上げも10倍に伸びている。その理由の一つを「生地からオリジナルで作るようになったこと、技術の高い工場と組むようになったこと」から、質の向上がブランド全体のイメージを引き上げたのでは、とユンザーは分析。

 ユンザーの例から読み解くと、おもしろいのがこれまでの「made in China(メイド・イン・チャイナ)」の概念はすでに崩れているといえること。いまでももちろん不動の人気である「made in Japan」に比べ、「安くて脆い=中国製」だったのがこれまでの時代だ。そこから、「いまでは日本製と引けを取らないプロダクト、工場の技術が生まれている」と、ある日本の縫製工場の工場長さんが語っていたのを思い出した。そこに優れたデザイン性がくっつけば、世界でも十分に通用するプロダクトになる。

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ユンザーのショップ。まるで代官山のショップのようだ。
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仕事中のユンザー。丁寧に検品をしていく。

 TACITURNLIは目立った宣伝をしていない。今の所、中国のSNS(WeCahtやWeibo)で宣伝しているくらいだ。旅行中、たまたまショップに入ってきた海外からの旅行者が気に入って購入してくれることも最近では増えているらしく、その中には、日本人もいるとのこと(ユンザー自身、大の日本好き。ルックブックの撮影場所を沖縄にするなど、これまで何度も日本に来ている)。

 次に紹介するのは、二人のデザイナーが手がけるブランド。一人は海外で、一人は上海で経験を積んだ後に、中国でタッグを組んだ。昨年末に誕生したばかりの「Random Clichés(ランダム・クリーシェズ)」を運営するのは、ジン・ティエンファン(景天芳)とパン・ユーウェイ(潘玉瑋)。ブランドの方向性を探っているところ、という二人、上の世代の中国デザイナーとの違いにおいての考察はこうだ。「上の世代のデザイナーは、まわりの雑音に左右されずに自分のスタイルを維持して服に落とし込んでいる気がする。でも、私たち若い世代は、子どもの頃からネットに親しみ、簡単に情報の雑音に左右されてしまうのかも」とのこと。

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中国の美術大学の同級生でブランドをたちあげたジンとパン。

 
 ブランドを立ち上げたばかりなので、正直、それだけでは生活できていない。現在はデザイナーとしてだけでなく、中国の大学やファッションの予備校で講師もしている。予備校は、数人のデザイナー仲間と一緒に運営をしている留学専門の学校だ。設立して2年しか経っていないけれど、学生の数は着実に増え、学生たちも確実に留学先からオファーをもらっている。中には、留学先から奨学金をもらう学生もいるという。

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ブランド初のコレクション。スタートを切ったばかりで、方向性を探っている。

一人っ子政策、“高い教育”

「直接聞いたことはないけれど」と前置きをしながら、「ヨーロッパやアメリカで留学して、帰国後に中国でブランドを立ち上げて成功しているいまのデザイナーたちを見て、自分にも可能性があるのではと思うんじゃないかな」。ファッションを勉強したい、留学したいと考えている中国の若い子が増えていることについて、パンはこう推測する。

私たちは生まれてからずっと競争の中で生活をしてきた。だから、人には負けたくないと努力をしている人が多い気がする」。ジンがパーソンズで勉強をしていた時、クラスには18名の学生がいた。その半数が中国からの留学生で、さらにその半数が卒業後、ニューヨークに残り既存のブランドで仕事をしている。パーソンズの中国人の後輩には、卒業後、カルバン・クライン(Calvin Klein)からオファーをもらった子もいる。人口が多い中国では、埋もれないよう自ら手を上げてチャンスをものにしていかないと目が出ない。それを生まれながらに自覚しており、海外でも当たり前のように実践していく。

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「TACITURNLI」のルックブックのモデルとしても登場するユンザー。

 それから「でも、中国のミレニアルズは恵まれているのかも」とも。中国ミレニアルズの親たちは、一人っ子政策もあって、子どものためにとお金や精神面でのバックアップを惜しみなく注ぐ。このあたりを加味すると、欧米の授業料の高い学校で留学をしている中国のミレニアルズの数が目立つのは十分に納得がいく。

 最後は「ダーおじさん」の呼び名で慕われている、中国ミレニアルズの先輩デザイナー、チャン・ダー(張達)も紹介しよう。2005年に自身のブランド「没辺(Boundless)」を立ち上げた彼は、自分たち世代といまの世代のデザイナーの違いをこう見ている。「ミレニアルズのデザイナーのほとんどが、海外でのハイレベルな教育を経験している。彼らは英語で海外の関係者と直接やり取りできるし、ビジョンも高いし、デザインにはグローバルな要素が入っている」。

 それでは、今後の中国ファッション産業に対してはどのように見ているのだろうか。ダーおじさんの分析はこうだ。「ここ20年、中国経済は比較的順調に上り調子だった。それにともない、服にもお金を投じるようになった。しかし、2、3年前に経済が落ち込んだときには、百貨店がダメージを受けた。なので、今後も経済の動向に左右される可能性は大。ただ、意欲的に技術や知識を身につけた海外留学組のミレニアルズが帰国し、中国国内に新たな価値観をもたらすことで、いま以上に中国のマーケットは広がるはず。彼らが先陣をきってファッション界を引っ張っていく傾向は今後も続くだろうから、中国ファッションの未来は比較的明るいと言えるのでは」。

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Photos by Hitomi Oyama
「ANDREA JIAPEI LI」ファッションショー。

 1976年に文化大革命が終焉し、1978年に改革開放、その後に生まれた中国のミレニアルズは、私たちが想像する以上に上の世代とはまったく違う環境で育ってきた。SNSが規制されようともオリジナルのSNSで楽しく情報を発信自分の人生は自分で決めたいけれど、親のことも気になる複雑な一人っ子世代他の人とは違うスタイルを好むファッション大好き世代などなど、中国の触媒として貪欲に外のものを吸収し、中国に持ち帰って新しい何かを生み出したいと意欲的な中国ミレニアルズを紹介した。「なかったモノが、急に手に入る時代になった」と、あるミレニアルズは子どもの頃を振り返り語ってくれたのを覚えている。今回のシリーズ4回で登場した彼らの他にも、パワフルなミレニアルズはまだごまんといる。その動向を追えばこれからの中国を探るうえでのヒントがもらえるはず。
 そんな彼らのことが気になったら、筆者が担当しているフェスティバル/トーキョーの「チャイナ・ニューパワー –中国ミレニアル世代−」のイベントに行ってみよう!「その1 ネット規制もなんのその。SNS超たのしいです」で紹介した、スン・シャオシンの作品公演や中国ファッションのトークなど盛りだくさんでお届けします。詳細はこちらから。

連載【メディアが(あんまり)報じない中国ミレニアルズの実態。】

その1、▶︎「ネット規制もなんのその。SNS超たのしいです」
その2、▷「結婚はしなくてもいいかなあ。あ、でもお見合いはおもしろそうかも」。彼らの恋愛・結婚・仕事観
その3、▶︎“デパート派”の親世代から「私たちは断然セレクトショップ派!」劇的に変化する中国人の買い物事情

Text by Hitomi Oyama
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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