「参加費、無料」。食べたいだけどうぞ
さて、廃棄物をゲリラで“救う”「ゴミ箱へダイブするダンピング・ツアー(詳しくは記事「ゲリラで廃棄物を救う」へ)」に参加した編集部、次はフリーガン・コミュニティによる「廃棄物ディナー」へ潜入することに。
Grub(グラブ)という別のフリーガン・コミュニティでは、月に1回ブルックリンで「廃棄物を楽しむ晩餐会」なるものを主催している。自由参加で、参加費も無料。そのかわりに、といってはなんだが、“できれば”の範囲内で、家で余った、もしくは賞味期限が若干過ぎている食材を各自“持ち寄る”ことを推奨している。その他にも、自分で育てたハーブや野菜、ダンプスター・ダイビングで得た食品なども「大歓迎」。
10月のある日曜日の夜、指定の場所へ行ってみた。今回はヨガスタジオを借りての開催らしい。ドアを開くと、ノーブラにノースリーブの今風の若い女の子が「いらっしゃい。まだ、みんな二階でくつろいでいるから、こっちへどうぞ」とキッチンのある2階へと案内してくれた。
一般家庭用の窓のないキッチンスペース。8人ほどのボランティアたちが、所狭しと入れ替わり立ち代わり、集った食材でディナーの準備に勤しむ。
そこにある食材は賞味期限切れ、とはいえ、パックされたケールやほうれん草、アルグラなどの葉物は見た目にも新鮮。熟れ過ぎたグズグズのトマトはさすがに捨てられていたが、少々カタチの悪いジャガイモや人参は洗って、皮を剥いて、一口サイズにカット。「スープに使うの」と話す、リーダー格のエリザベスによると「献立は、毎回集まった食材を見て決める」のだそう。そして、毎回「メニューの99%はビーガン」。
Freegan(フリーガン)は、「Vegan(ビーガン)」と「Free(フリー:自由、無料)」を掛け合わせてつくられた造語。資源の無駄遣いや労働者の搾取、動物の権利を無視した購買を控えようとする考えだ。彼らの思想「フリーガニズム」をひも解くキーワードに、
1、「ビーガン(完全菜食主義)」
2、「シェア(共有)」
3、「ダンプスター・ダイビング」
4、「フリーエコノミー(お金から自由な生き方)」などがある。
3、4について簡単に説明すると、ダンプスター・ダイビングは、「資源・食品をムダにしない」という理由から、ゴミ箱から食べ物をあさり、それを食べて生活する消費行動へのボイコット(詳しくは記事へ)。また、フリーエコノミーは、環境破壊、工場畜産、資源争奪戦などに繋がるお金による消費行動を避けた生活スタイルの実践だ。
参加者たちと話してみると、この1〜4のどれかに引っかかりを感じた人々が、“同人”との繋がりを求めてGrubのコミュニティ・ディナーに参加していることがわかった。
“穏やかに”アナーキー
事前にコンタクトをとったのは、サディアスという名の男性だった。ウェブサイトでは、自らを「activist(アクティビスト:積極行動主義者)」と名乗り、過去に数々の抗議・反対運動を行ってきたことを綴文。そのため、アナーキーな考えをもった影のある人物を想像していた。しかし、実際に会ってみると拍子抜けするほどに見た目、話した感じも穏やか。キッチンのとなりの小部屋で、ベッドの上に寝そべりながら、他の参加者たちと談笑していた彼は、「ハーイ」とラフに手を差し出してきた。
サディアスに限らず、他の参加者たちにも気取った感じはない。話す人、音楽を奏でる人、瞑想する人、携帯ゲームに没頭し、ただ料理を待つ人…。目が合えばニッコリ。それぞれが空気のように共存するつかみどころのない「フワッと感」は、旅先で出会った秘境のヒッピー・バックパッカーたちを想起させる。
「ところで、Grubのオーガナイザーはあなた?」。そうサディアスに聞くと、“オーガナイザー”という言葉があまり好ましくない様子。誰が何の“役職”というわけではないということを説明され、「Grubは2000年頃にJeff Stark(ジェフ・スターク、HEAPSでも以前取材した)によって創設されたグループ」だという。彼は、創設当時からこのイべントに関わっており、思想とコミュニティの継承を“自分の意志で”行っているそうだ。
“リア充”の逆をいく。「空気を読まない」からはじまる自然な団欒
殺風景な会場には長机が二つ。そこにパイプ椅子がランダムにならぶ。予定時間から30分程遅れた午後7時半、ディナーがはじまる頃には40人ほどの人々が集まった。ここでもまた「ミレニアルズ」とよばれる現在の20〜35歳くらいの若者が中心。一般的に、フリーガニズムは「一つのライフスタイル」と解釈されており、貧困層ではなく、中産階級の人が多いといわれているが、この日集まっていたのも、ご多分にもれずである。仮にホームレスであっても、シェルターを利用しているホームレスというよりは、自分の意志で特定の住所を持たない人たち。また、正社員よりはシフト制などの非正社員であることを好むタイプといったところか。
コミュニティを牽引するエリザベスとサディアスが短いスピーチを終えると、全員が列をなし、ビュッフェ形式でお皿に料理を盛る。最初に並び、着席した男性は、遠慮なくお皿一杯に盛った料理を、誰を待つわけでもなく一人で食べはじめた。他の人たちも同じ。着席した者から自由に食べはじめる。お替わりも自由。
学食、公民館といった雰囲気ではあるが、仲良しグループもなければ、なんとなく皆が揃うのを待って、なんとなく皆で一緒に食べはじめるといった“阿吽(あうん)の空気ヨミ”もみられない。また、スマホで写真を撮る者もいない。そこには「洒落っ気」なるものは一切なく、あるがまま。人が集まり、温かい食事があって、会話も笑顔も音楽もある。シンプルだが「しあわせ」を語るに十分ではないか。
“チャリティー”ではないので、“施し感”はナシ
消費行動を極力避け、平等にシェアする構造があれば、お金をたくさん持つ必要もなく、そんなに働かなくてもよい…、と彼らの中では、つじつまがあっている。
「自由とは、権威的な方法では達成しえない。真の自由には『平等』が不可欠だ」とサディアスはいう。また、食べ物を無料で配給しているが、彼らは「これはチャリティーでも施しでもない」と強調する。何が違うのか。
「チャリティーは、余裕のある人が、恵まれない貧しい人に分け与えるという構造。この“上から下へ”というヒエラルキーは、権威主義や貧富の差を助長するだけ。僕らはそんなことはしたくない。目指すのは、対等な関係。だから、これは平等なシェアであって、チャリティーではない」
手にするものは無償で与え、無償で受け取る。そのサイクルが、自由と平和、人々の幸福へのカギだと説く。
「自然界と同じ。リンゴの木が果実を無条件に与えるように、我々もそうあるべき」。確かに、リンゴの木は現金もクレジットカードも要求しない。植物たちは、種が鳥などの力で離れた場所へ運ばれることを信じ、ひたすらに与えている。
フリーガンは、アナーキストであることに満足しているわけではない。少数派であることを理解し、「他のメンバーとの協力がなければ大きなことはできない」とわかっている。だからこそ「インクルーシブ(包括的)」な活動の重要さを訴え、コミュニティをオープンにしている。「革命を起こすのはアナーキストだけではない。普通の人々だ」と。
人間同士、地球、自然との日常的な関わり合い、つまり実践こそが変化を生む。とはいえ、彼らの実践は端からみればミクロな活動かもしれない。また、ユートピア的でロマン主義、そんな部分もしばしば内包していることは否めない。だが、人を巻き込み、実践し続けているのは事実だ。あらゆる考えが散乱するこの大都市で、自分たちのライフスタイルを追求し、一つの方向へと確かに前に進んでいる。
< Issue 30『都市を変えるのは、ゲリラだ』より >
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Photographer: Kohei Kawashima
Writer: Chiyo Yamauchi
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