“一般人版”のTED?情熱大陸? フツーの人の“赤裸々体験談”が「有料トークイベント」になるワケ

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その日のテーマは「裏切り」。

「将来を誓い合った婚約者は、私を裏切った。他の誰かとも関係を持っていたのだ。だが、それは私も同じだった。お互い様ってこと…」

と、なんだか昼ドラマのテンションだが、これは、先日ニューヨークで開催されたストーリーテリングのイベント「The Moth StorySLAMs (ザ・モス ストーリースラムス)」の一幕だ。
情熱大陸やTEDに出演するには、なんらかの「功績のある人」にならなければならないが、ここでは、ざっと100人以上の人々が、あなたの話を真剣に聞いてくれる。いわば「一般の人が行うTED」、「市井の人々のストーリーに価値を見出して共有しよう」とはじまったというが、一体「一般人の話」でなぜここまで米国各地で盛り上がっているのか。

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ほら、そこにもいる。人の話に割り込む“遮り虫”

「どのパーティーにいっても、かならず人の話しに割り込む『遮り虫』がいるんだ。僕は人に話しを遮られるのも、人が話しを遮られているのをみるのにも疲れてね。だから、話を誰にも遮られることなく最後まで話せる、そして聞ける。そんな場所が欲しくて、このイベントをはじめたんだ」。創始者で小説家のGeorge Dawes Green(ジョージ・ドーズ・グリーン)は、この“一般人版TED”ならぬこのトークイベントをはじめたきっかけについてこう話す。

 イベントのルールは、司会者に名前を呼ばれた者がステージにあがり、お題にそったストーリーを5分間で話すというシンプルなもの。カンニングペーパーの持ち込みは禁止。また、ストーリーは「実話」で「自身の経験」に基づいていなければならない。つまり、ここでは「友だちにこんなヤバい奴がいて…」といった他人の話はどんなに面白くてもルール違反となる。それは創始者のジョージの「有名人に限らず、誰もが人にシェアすべき興味深い価値あるストーリーを持っているはず」という考えに基づいているから。
 “トーク力”を競うのではなく、あくまでも「あなたの口から、あなた自身の話が聞きたいんですよ」と市井の人々のストーリーに価値を見出し、それを共有する場なのだ。

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 実は、第一回目の開催は1997年と、20年近くも遡る。最初は、彼のニューヨークの自宅に知人を集めて行う小さなイベントだった。それがいまでは米国各地で開催されるイベントへと成長し、そのコンテンツはラジオ番組やpodcastとして放送され、全米中で人気を集めるように。

携帯はOFF。一同が「ストーリー」に集中する現代の奇跡に「1,000円」

 現代、人の話しを遮るのは「人」だけではない。「携帯電話」という大敵がいる。

「このイベントが人気の理由は、ストーリーを共有するその『場』にあると思います。誰にも、携帯にも遮られることなく、一同が話し手のストーリーに集中する、そんな機会、よっぽどの有名人でない限り、現代の生活では滅多に手にできませんから。スペシャルな体験なはずです」。

 ニューヨークでは月に3回開催されており、入場料は8ドル~(約1,000円)と有料。話をしたい人、聞きたい人が100人以上集まり、チケットは毎回売り切れる。その中で実際にステージにあがって、“スペシャルな体験”ができるのは当日、くじ引きで当たった10人だけ。どのくらいの倍率なのかを聞いてみたところ、「志願者は毎回15-20人程」と、2倍以下である。つまり会場にいる80%以上の人々は話を「聞きたい人」ということになる。

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 いわば「一般の人が行うTED」として知られる同イベントだが、TEDのように、目の前で話す人が、なんらかの「功績のある人」であるトークイベントなら「聞きたい」人が集るのもわかる。話す人にトーク力があろうが、なかろうが、最低でも興味のある人のサクセスストーリーが聞ける保障はあるのだから。
 一方で一般人のストーリーには、ある意味なんの保障もない。もちろん、ときに本の出版の話がくるくらい素晴らしいストーリーを披露する人もいるそうだが、それはほんの一部。たどたどしかったり、内容がつまらないことも少なくないだろう。下手したら、聞き疲れするだけかもしれない。にもかかわらず、人はなぜ、このイベントに集るのか。

「真剣に聞いて欲しいと思っている以上に、より“リアルで生々しい”話、つまり作り込んでいないものが聞きたい、共感したいという人も多いのだと思います。こんな時代だからこそ、有機的な人との繋がりによる安心感をどこかで求めている人が多いのではないでしょうか」。(イベント運営者)

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ブログじゃダメ。“リアルな体験”はその場で話してその場で共感

 不思議だ。ただ、人の実体験が聞きたければ、上司や友達、家族、恋人、身の回りの人の話を聞くことだってできるのに。「いやいや、知り合い以外の人の話しが聞きたい」というのであれば、誰かのブログを読むことだってできる。ネット上には「私の経験談」が溢れているのだし。だが、それに対しては「実際にその人に会って実体験を聞く、リアルな体験がしたい」というアナログ回帰の声が聞こえてくる。

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Photo by Denise Ofelia Mangen

 ステージ上で勇気を出して実体験を語る話し手と、その勇士をサポートし、ストーリーに共感したい聞き手たち。イベントは、双方の「総合芸術」そのものだという。
確かに、オーディエンスの出来過ぎっぷりには、いささか驚かされた。大多数である「聞く」側は、相づちを打ったり、オチがきたら分かりやすいリアクションをとって「あなたの話、聞いてますよ」と、積極的に場を盛り上げている。その様子に、ふと人気テレビ番組『すべらない話』を思い出した。話し手、聞き手、みんなで盛り上げていい番組つくろっ!という雰囲気がよく似ている。ただ、『すべらない話』はテレビ番組だけに、出演者も面白くしなければならないある種の義務があるが、同イベントに参加する“一般人”には、何の義務もない。なのに、なぜ、そんなに頑張る?

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Photo by Denise Ofelia Mangen

なにゆえ、赤の他人のために「良いオーディエンス」を頑張れる?

「どんな話をしてくれるのか、お手並み拝見」などと上から目線でも、「ねぇ、なんか面白い話してよ」と完全に受け身で参加しても、何の特もない。これは、参加してみて感じたことだが、「赤の他人のためになぜそこまで良いオーディエンスに興じるのか」、その答えは「だって、共感しに来ているから」で、ほぼ間違いない。見ず知らずの人のストーリーを聞きに行く=「共感しに行く」である。むしろ、共感できなかったら負け。というのはさすがに言い過ぎかもしれないが、聞く側もそのくらいの意気込みでないと、2時間半をただムダにしてしまう。

「あ、私もそんな辛かった時期あったな」「でも彼らはいまは立ち直って、前に進んでいるんだ」と思うと、「ストーリーを共有してくれてありがとう。自分も頑張らなきゃなって思えるじゃないですか!」。そんなポジティブな感想を聞かされると思う。「男は優劣、女は共感を優先する」などといわれていたのは、一昔前の話しなのかもしれない。透明性の時代、ソーシャルメディアが浸透した現代、性別など関係なく「共感」は時代のキーワードだ。と、改めて痛感させられたイベントであった。

Photographer: Kohei Kawashima
Writer: Chiyo yamauchi

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