Mike Perry(マイク・ペリー)は、変幻自在のクリエイターだ。Nike、Volvoなどの広告のアートワークをはじめ、ConverseやBEAMSといったファッションブランドとのコラボレーション、雑誌のタイポグラフィーまで手がけている。活動の場は世界だが、彼のスタジオは、今や「New Williamsburg」といわれるまでヒップなエリアになった、ブルックリン・クラウンハイツ地区にある。スタジオには、平面、3D(立体作品)、Tシャツなどの作品のほか、画材、道具、印刷機さえも、ポップなアート作品のように並んでいる。
彼の作品は最先端かつアナログ、一目見たら必ず印象に残る。カラフルな色彩を使い、偶然とインスピレーションに委ね、丸や三角などさまざまな幾何学模様を重ね、手書きした文字をあわせたものだ。目がチカチカするような蛍光色や動画は、媚薬のように心地よい。作品は反復したデザインが集まったもののようにも見えるが、同じカタチをしたものは一つとなく、すべてに一貫性がある。間違い探しのように隅から隅まで見てしまいたくなる作品は、見ただけで「マイク・ペリーだ」とわかる。
前日までの丸二日間、ほかのメディアの取材を受けていたというマイクだったが、疲れた様子はなく、ユーモアのセンスが光る語り口でHEAPSの取材にも応えてくれた。「フレンドリーで朗らか。とにかく前向き!」という印象。このキャラクターにして、この作品といったところか。彼を嫌いになる人はまずいないと思わせる。3D制作担当のパートナーであるジェイや友達がスタジオに現れる中、和やかにインタビューははじまった。
基礎知識×情熱。
HEAPS(以下、H):今日はマイクにインタビューできて嬉しいです。 あなたの作品はとてもカラフルでポジティブで、幸せな気分にしてくれますね。ブルックリンを拠点に活動するクリエイターということで質問しますね。まず、なぜアーティストになったのですか。
Mike(以下、M): 僕は、「アーティストになりたい」と思ったことはないんだ。これが唯一、僕のできることだっただけ。ほかに特技もなかったし、数学に優れていたらエンジニアにでもなっただろうね。でも、自分が好きなことをずっとできると発見できたのはラッキー。基礎知識と熱意を組み合わせると、自分が想像しえなかったことができるもんだ。
H:大企業からインディペンデント系、コミュニティまでいろいろなタイプのクライアントの依頼でつくられた作品であっても、必ず「マイク・ペリーらしさ」があります。どんなトリックがあるのでしょうか。
M:自分の既存のスタイルに固執することは、僕にとって退屈なんだ。いろんなことを取り入れてみて、冒険する方が楽しいと思ってる。だけどそこに、「僕らしさ」があるとしたら嬉しいね。それこそが狙いだから。一つの面だけではなく、立体的にいろんな結論があるということを作品を通して証明したいんだ。
H:クライアントからの仕事でもあなたの自由にできますか。それともクライアントの意見を入れながら、調整してい
M:クライアントは、クライアントだからね(笑)。アーティストは頑固だし、妥協しないし、でも、商品は売れなくちゃならないという前提がある。だから、その辺はビジネスだってことを僕ももちろんわきまえている。最近では多くのクライアントが、僕の表現を追究していいと尊重してくれるようになってね。自由にさせてもらえることに感謝してる。コンセプトはクライアントとしっかり話し合って、その後の作業は基本的に自由。絵のタッチや、素材も自由。鉛筆でも、水彩でも、3Dの作品でもいいって感じ。クライアントが僕の過去のイラストに興味を持って、それをベースに3D化したいとか、リメイクしたいっていうこともよくあるんだ。
何かを学ぶたびに、僕の頭は爆発しそう。
H:作品ありきで進んだということは、先取りしていたということですね。リメイクはどんなことするのですか。
M:作品制作はエンドレス。ここで終わりって、決めるのは難しいよね。もしかしたら、1年後、10年後に、描き足したいと思ったら描き加えるかもしれないし、3D作品をつくるかもしれない。仕事のパートナーのジェイが、僕が書いたイラストみたいな平面の作品を、3D作品にする担当なんだ。使う素材によっては、不可能なこともあって試行錯誤しているよ。たとえば、樹脂を木材をくっつけると強度はどうなのか、色にムラが出ないかとか、毎日実験しながらやっている。どうなるかわからない結果を、試行錯誤するのが楽しいんだ。素材によってできあがりが全く異なるんだけど、ジェイのつくるものは、どれもかっこいい。柔軟にいろんなことを取り入れて、ジェイと一緒に作品をつくることで、また新しい自分のスタイルを探す“冒険”ができる。何かを学ぶ度に、僕の脳は爆発しそうになって、あれもできる、これもできる、宇宙に住むことだってできると思うよ(笑)。僕とジェイで、作品をつくって、僕のアイデアがいろんな形になること証明したいね。
H:日本でも展覧会をしていますが、“日本体験”でカルチャーショックや、何か面白い発見はありましたか。
M:日本には、展覧会で二度行ったことがあるよ。展示会の納品の日に、プランと違ったことを僕が提案して、店の外に木を置きたいと言ったら、クライアントを困らせちゃったね。というのも、日本の場合、作品の位置を少し動かしたいとか、公共の場を使う場合は、区や市から許可がいるんだね。それで、自由に動かせなかったんだ。規則があるのは、いいことだと思う。何でも許可をすると、カオスになるしね。ブルックリンとは全く違ったルールを学んだよ。そういう予想だにしない文化の違いを知れることも面白いよね。
H:日本でも、ブルックリンが注目を集めていて特集したガイドブックや本がたくさんありますが、こうした海外でのブルックリンブームについてどう思いますか。
M:日本の質の良い新しいバックパックが欲しくて街に出かけたら、行く店行く店、至る所に「Made in Brooklyn」をうたうバックパックを発見してね。強烈だった!東急ハンズにもブルックリンの雑貨があったり。東京でわざわざMade in Brooklynを買いたくない!って思うくらい(笑)。海外に出てそのブランド力の大きさを目の当たりにしたよ。
創造力は何にでも応用できる。
H:なぜブルックリン・クラウンハイツ地区にスタジオを?アートが活発な街として知ら れていますが、何かこだわりはありましたか。
M:実は特に理由はないんだ。もともと僕は、ミズーリ州カンザス市の出身なんだけど、 引っ越しの理由は、いつも付き合っている彼女を追いかけてなんだ(笑)。大学時代に ミネアポリスに移ったのも、同じ理由。ブルックリンに住みたいと思ったことはなかった けど、ロスアンゼルス出身の妻は写真家で、いつも「ブルックリンに住みたい」と言って いてね。「彼女が行くんなら、僕も」って、偶然クールな場所、ブルックリンに来ちゃった。 人生って面白いよね、流される勇気も必要かもね。その後、仕事場が必要でスタジオを 探していたら、家の近くにあったこのスタジオを運良く見つけてね。基本的に毎日、家と スタジオの行き来で、ブルックリンからあまり出ることがないな。
H:マイクにとってブルックリンはどんな街ですか。
M:ブルックリンに住むというだけで、自動的にたくさん引き出しが増える。クリエイティ ブでクレイジーな人とも手っ取り早く繋がれる。それにね、ブルックリンは「ここに住め るんだったら、どこでも生きていける」ってくらいカオスだよ(笑)。ストリートは汚いし、 騒がしいし、モラルが低いこともあるし、ストレスになる要因がたくさんある。でもね、だ からこそ、クールで面白いことが毎日起こると思うんだ。ちょっと近くのデリに歩いて行 くというシンプルなことだけでも、エキサイティングな発見があってね。それが、作品の ヒントになる。8年住んでいても、まだワクワクするんだよ。ストリートで起こることを肌 で感じることで、自分もそこに生きているって思うんだ。
H:コラボレーションからアートディレクションまで、クリエイターとしていろんな経験を すでに持っているかと思いますが、これからやってみたいことはありますか。
A:僕が今まで積み上げてきた経験をシェアするために、学校をつくりたい。アートは世 界を救うことができると思うんだ。創造力はどんなことにも応用できる。2012年に、僕 がつくったアートコミュニティに参加して作品をつくり展示ができるという、無料のア ートプロジェクト「Wondering Around Wandering」を企画したんだ。ヨーロッパ や日本でエキシビジョンを開催した経験はあったんだけど、実はブルックリンでの展示 は、はじめてで(笑)。ブルックリンのアーティストとまた新しい繋がりも生まれたり、一 緒に作品づくりを経験することで刺激し合えた。
H:「教える」ことではなく「シェア」したい気持ちが強いようですが、どんな学校にした いですか?
A:僕が考える学校は、作品をつくる機会や場所をもっと身近にすることが目的。アート 学校もいいけど、とにかく授業料が高い。クリエイティブな発想を持つ子どもがたくさ んいるのに、アートの世界に入る前に資金を使い果たしてしまうのは残念。プロとして 将来の成功を約束できない分野に進むのは大変なことだから、せめて同じ世界を目指 す者同士でお互いに刺激し合ったり励まし合えたら、モチベーションも保てるだろうと 思うんだ。何よりも、アートが面白いということを忘れないで欲しい。もっと身近に学校 があったら、周りと共有したり、コラボしたり、新しい方法を取り入れていくことができ て、それぞれが“自分らしさ”をもっと磨けると思うんだ。それはブルックリンだからでき るし、ブルックリンからこれからも発信していきたいね。