中東で暮らす、あるいはそこにルーツを持つ人たちの知る“中東の姿”は、「スクリーンに映されていないんです」。
その一方で、間違って映されている中東もある。西洋映画で登場する中東は、発展途上で危険地帯といった固まったイメージをもって流され続けている。「アメリカ同時多発テロ事件以降は特に、です」。
中東の女性監督たちによって撮られてきた低予算ゆえの短いエッセイ映画、実験映画には、いち個人のこと・生活が映され、だからこそそこに確かな手触りをもった中東がある。SFというジャンルでは、むき出しには言えない中東のタブーが込められている。
そうやって確かに息づく中東の姿が、見られていない。ならば、とはじまったのがフィルムアーカイブ・キュレーションの「ハビビ・コレクティブ(HABIBI COLLECTIVE)」だ。インスタグラムをプラットフォームに、新旧問わず厳選した中東・北アフリカの映画を紹介する。オンラインでは見ることのできない作品をスクリーンに映し出すための上映会も実施。ハビビ・コレクティブには、中東、そして北アフリカという広大な土地にあるさまざまな暮らし、生き方、言葉が集まっている。
中東・北アフリカを〈映画のアーカイブ〉で伝え直す
「政治的でない映画は、中東や北アフリカにはありません。題材が政治のことでなくても、撮る行為そのものが政治的だからです」。
政治についての映画を撮るんじゃない。政治的に撮れ——ベトナム人映画監督トリン・T・ミンハが言った言葉がありますが、と ロイジーン・タッポニ(21)。ハビビ・コレクティブを一人ではじめ、2年間運営し続けてきた。
「なぜ、ハビビ・コレクティブで政治性・社会性の強い映画ばかり集めているのかと聞かれますが、答えはそれです。中東・北アフリカで映画を撮ることは、政治的だから。撮影をする状況の影響がそのまま滲みます。映画を最後まで作ろうとすれば、政治的な困難を必ず乗り越えることになる。それが、中東や北アフリカで映画を撮る、ということなんです」。イラクでは、撃たれるリスクなしに映画を撮ることはできません、と言う。 その厳しい状況下で生まれている映画たちは、しかし政治性・社会性という言葉だけで語れるものではない。リスクを負って撮ろうとするものがそれぞれにあり、映したい目の前のことがあり、監督たちの工夫がある。
それら映画が知られていないこと、それとは逆に多くの人の目に映る西洋映画で描かれる中東はひどく偏っていること。どちらをも解きほぐすように、2年間でたった一人で300本の映画を掘り起こしながら新旧から集め、紹介してきたロイジーン。私たちの知らない中東の表情を教えてもらう。
@habibicollective
HEAPS(以下、H):見えていない中東、を初めて意識したのはいつでしょう? ロイジーンにはイラク人のお父さんがいますが、育ったのはアイルランドとイギリスですよね 。どう気づいたのかな、って。
R:(以下、R):10歳になる前にvimeo(動画共有サイト)で見た、一つの不思議な作品がきっかけでした。レバノンで育ったパレスチナ人のビジュアルアーティスト、モナ・ハトゥムの『Measures of Distance(メジャーズ・オブ・ディスタンス)』という作品。のちに知りましたが、エッセイ映画というものです。母親とやり取りする手紙が画面いっぱいに映し出され、女性が語っていく。よく見ていくと、その手紙の下に重ねて映されていた影が、女性の裸だとわかる。シャワーを浴びている母親らしいのですが、何枚も何枚も映されていく。それまで私が触れていた中東の文化——父が歌う王道の歌謡曲か叔母が見ているメロドラマ——とは、まったく違った。父や祖母から知る中東だけでも、西洋映画に映る中東だけでもなく、実は無数の中東の姿があるんだ、って。
H:モナ・ハトゥムも女性のビジュアルアーティスト。さまざまな中東の映画を伝えるハビビ・コレクティブ、女性監督の作品を紹介していますね。
R: きっかけとなった映画作品もそうですが、私が特に好きなものがエッセイ映画、実験映画なんです。さまざまな中東が描かれている。そういった映画だけが女性監督たちにも製作可能である、ということにも惹かれていると思います。中東・北アフリカの映画産業は、男尊女卑がまだまだ根強いです。
H:女性の監督たちは、男性の映画監督たちに比べて予算がない?
R:そうです。中東とひとくちにいってもいくつもの国がありますから、映画業界やシーンはそれぞれのニュアンスがあります。が、往々にして女性監督は男性に比べて制作予算を得る機会がない。予算がないので長編の作品は撮れないし、製作会社も使えません。
H:自分で撮れるものを撮る。だからこそ、メインストリームにはないそれぞれの見ている中東が映し出されているのか。監督たちの作品は、中東というものにはとらわれていない?
R:どうでしょう、多くの女性監督たちが“イスラム世界で生きること”については触れる節があります。というか、文化と生活の根幹なので、触れずしては撮れないというのが近いかも。けれども、中東とはこういうもの、のようなひとくくりの解釈はないと感じます。女性としてその地域で生きることがどんなことなのか、その表現においては一つの正解もなければ、間違ったものもない。その地域に生きる一人として知っているアイデンティティ、それぞれの見ているものが映し出されていると思います。
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H:なるほど。そもそも、中東で映画を撮る行為そのものが難しい、というのもありますよね。
R:アラブ首長国連邦やレバノンは比較的うまくいっていると思います。予算もありますし。対して戦争の続くイラクでは、映画を撮ることは「生きるか死ぬか」の覚悟までする。撃たれるリスクがあるから。でも、いまイラクの映画・アートシーンはおもしろいですよ。制度やしきたりに捉われない製作が増えている。そういう点ではスーダンもかな。いま私はイラクで初めての映画祭を企画して進めているんです。
H:表現の制限もあって上映されない作品もありますよね。撮れない・上映できないなど、スクリーンで伝えられる中東が少ないのは、もとよりの制限がある。
R:この地域では、映画でテーマにしてはいけないタブーなどまだまだありますからね。たとえば、クィアであること、もそうです。数ヶ月前に、クィアをテーマにした初の映画祭を共同で実現しました。地域の映画館にコミュニティが生まれる機会にもなりました。
「自分の国だと映画が撮れない」ということもあります。私の友人に、いまはハリウッドで働いているイラン人のクィアの映画監督がいるのですが、イランで映画を撮ろうとするも完遂できず、代わりにレバノンで撮ったんです。なぜ彼女がレバノンでなら撮影ができのか。それは、「彼女が外国人(イラン人)だから」。これが理由です。10年前のことですが、いまもこの状況は大して変化していません。
H: その土地に生きている人だからこそ撮れる映画というのが、増えていかない。外から来た監督が中東を舞台に撮った西洋映画に映る中東は正しくないものがあるとのことですが、たとえばどんなものがあるんでしょう。
R:西洋映画に間違って映される中東というのは、西洋映画で間違って映されてきたPOC(people of color 有色人種)と同じようなものかと思います。文化的に遅れていて、悪い人たち、というステレオタイプがまずある。そして中東は危険地帯である、と。9.11(アメリカ同時多発テロ事件)以降、特にひどくなっていると思います。
外から来た監督たちが撮るものは「短い期間滞在して、中東という場所で撮る」、ただそれだけなんです。不思議なのが、大抵がトム・ハンクス風のアクションスリラーみたいな作品になっちゃうこと。意図しているのかどうかはわからないのですが、やっぱりうんざりしちゃいます。
H:中東や北アフリカで撮るということそのものが政治的だ、ということでしたが、撮影のために来て撮るだけだと、どうしても汲み取れないものがありそうです。
R:素晴しいインディペンデントの映画監督の作品でさえ、間違って映されることがあります。たとえばドイツ人のヴェルナー・ヘルツォークの作品『問いかける焦土(1992)』でも、湾岸戦争においてクェートの数々の油田が燃えたことが、間違って描かれていた。それに対してクェート人であるアーティスト、モニラ・アル・カディラが『Behind the Sun(ビハインド・ザ・サン)』という作品を製作し、どう間違っていたのかに応えています。
政治そのものはスクリーンには映りませんが、その監督の政治的アプローチはどうしたって見えてくる。そこに、欧米からきた監督たちの作品で描かれているものが“違う・間違っている”と、違和感を持たせるんだと思います。
H:なるほど。
R:その土地を(使って)撮るけれども、“その土地にあるテーマ”を撮ろうとしない、からなのかもしれません。
H:ハビビ・コレクティブは、地道に映画作品をアーカイブし、作品を発信してきました。2年間で、300作品以上。ロイジーンがすべて自分の目で見て、選んでいる。
R:もちろん!どこへ移動するにもラップトップにHDMIケーブルを持ち歩いて、映画は毎日見ているから。
H:見た映画は、14歳からずっとログしているとか。
R:もともとアイルランドの田舎で暮らしていて、映画館もなければビデオレンタルショップもなくて、ラップトップでずっと映画を見ていたんです。ラップトップは、私にとってどこに住んでいようと世界に繋がれるものでした。1日に3、4本、寝る間も惜しんで映画をみて、で、夢には映画が出てくる。そんな感じ(笑)
H:映画業界でのネットワークの広がりも早いです。300本ひとりでキュレーションしてアーカイブして、上映までするってそうとうな仕事量…。
R:ハードワークではあります! 映画を上映するにあたって、監督だけでなくその製作チーム、配給、それから上映する会場…ざっと10人とはやりとりをします。あとは、若手の映画監督たちには請求書を書いたことがない人たちもいますから、上映も含めて自分の作品に対して支払いを受ける権利を教えたり。
ネットワークは、中東や北アフリカ出身、あるいは移民としてルーツを持つの人々が、移民の第二世代として世界のさまざまな場所にいる、というのがあるかも。そして、私は関わった映画監督たちとは友人としても関係を築いているから、繋がりも強い。いまでは私のやっていることが映画業界に知られてきて、私からコンタクトする前に映画の試写も送られてくるようになったので、少し楽になってきました(笑)!
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H:そのなかでロイジーンが、ハビビ・コレクティブでキュレーションし、アーカイブする映画を選ぶ基準って、どんなものなんでしょう?
R:こう選ぶ、というより、こうは選ばないというのがあります。なにか明確な、一つわかりやすい括りでは選びません。たとえば「国」くくり。チュニジア映画 、などはやりません。映画祭だったらやることもあります、昨年はスウェーデンでスーダンの映画を上映し、利益をスーダン革命に従事する医師たちに寄付するという映画祭をディレクションして、そういった場合は別です。
いま「アメリカ映画」なんてキュレーション、見かけますか? ないですよね。なのに、「シリア映画」なんて。中東にも、その一つひとつの国にもさまざまな映画があるのに、それを“国”でくくるのは、その土地の多様な面を一つに無理やり還元してしまう感じがあります。
H:映画一つひとつの差異が、一つの大きすぎる括りが前面にくると見えなくなってしまいます。
R: 私は、「シリアの人たちも映画を作っています」ということを伝えたいんじゃないし「シリアには映画を作る女性監督たちもいますよ」、とただ伝えたいんじゃない。どんな映画を作っているのか、ということもちゃんと伝えたい。気候変動をテーマにした映画もあるんだ、って。ただ映画の存在を知らせるのではなく、それらがどれだけそれぞれの独自性を持っているか、ということです。世界に散らばっている、中東・北アフリカにルーツを持つ人たちが「見たい」と思うものを発信したいという純粋な動機も持ち続けています。上映会をはじめたのもオンラインでは見られない作品が多いからですし。
H:独自性、というところで、ロイジーンが特にオススメする映画ジャンルは?
R:SF!大好きです。このジャンルは、長いこと「女性たちによるアナロジー」として使われてきた節があります。その地域において、むき出しに話したり表現したりできない事柄を重ね作品に仕上げてきた。たとえば、サウジアラビアの女性解放をテーマにした人魚SF映画、シャハド・アーミンの『Scales(スケールス)』や、レバノンの廃棄物問題をテーマにした短編映画、ムーニア・アクルの『Submarine(サブマリン)』。サブマリンは、近年ひどくなる廃棄物問題を迫りくる環境の崩壊として描いています。
H:女性解放のテーマが人魚のSFか。気になります。映画が大好きなロイジーンですが、自身も映画監督になろうと思ったことはないんですか?
R:私は…映画監督にはなれないと思う! だけど、映画をアーカイブしていくアーカイビストとしては、自分だからできること、やるべきことがあると思っています。みんな、映画監督にはなりたいけれどアーカイビストみたいなことはやりたくないみたい。それに、欧米のように映画をアーカイブする文化が、中東・北アフリカでまはだ育っていないんです。この間なんて、友人が35mmフィルムを積んだゴミ収集車を見かけて、お金を払ってそのフィルムを回収したくらい! いまでも週7日間働いていますが、これを一生やったとしても、中東・北アフリカの映画のアーカイブは、終わらないと思うなあ。
H:アーカイブしていく文化が育たないと、その文化そのものが根をはっていけません。
R:そして、これは映画を救う・映画シーンを育てる、だけの話じゃない。映画は国の歴史で、文化です。中東や北アフリカでの文化は、長い間、植民や軍事行使によって壊され続けてきました 。だけど、私たちは、今日までずっと、新しくさまざまな作品を作り続けている。抗っている。人の記憶に頼るだけでなく、文化がちゃんと形を持ってあり続けるように。そのためにハビビ・コレクティブでできることがあるって思っています。
Interview Roisin Tapponi
ロイジーン・タッポニ/Roisin Tapponi
@roisintapponi
Photos via Roisin Tapponi
Text by Sako Hirano
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine