心の中のモヤモヤを紙にひたすら書き出すことを、エクスプレッシブライティングという。1日8分行えばストレス解消になり、精神が安定、 頭も良くなるらしい。「んなことあるか?」と疑うなかれ。これ、れっきとした心理療法で、認知行動療法としても使われているのだ。日々書き溜めたエクスプレッシブライティング、捨てるくらいだったら、まとめてジンにしてみてはどうだろう? ジンは別に世に出すんじゃなくても、自分のためだけに作るのもいいんだし。あの時のほろ苦い失恋も、会社での大失態も、そのあと読み返してくすっと笑えたりして、ね。
世界一敷居の低い文芸で、ルールが存在しない世界一自由な文芸「ジン(ZINE)」。今月紹介するのは「母と娘」がテーマの3冊。いつだって海より深い愛で包み込んでくれるお母さんにも、「あの時のあの思い」ってのがあるんです。
「自分が10代で母になるなんて」。
孤独・不安をのりきった高校時代『I was a teen mom』
青春真っ盛り、女子高生。周囲が遊びや恋愛に勤しむなか、自分はというと、予想外の妊娠。子の父である彼とは音信不通、実の両親や友達からは批難の目。孤独と不安を抱えながらも産んで育てあげた経験談『I was a teen mom(アイ・ワズ・ア・ティーンマム)』。当時を回想、馳せる想い思いを、30ページにした。
———このジンは、10代で母になったあなた自身の経験談。
そう。高校生で妊娠して、シングルマザーとして娘を育ててきた。世間には「10代で母になるのは早過ぎる」という偏見はあるけど、いま振り返ってそんなことはなかったなと思ってる。
———実際、数え切れない苦労はあったかと思う。ましてや、シングルマザーだったらなおさら。
妊娠が発覚したとき、すでにお腹の子の父親とは別れてた。一応電話で伝えたけど、何にも言わずにブチっ。彼、ドラック中毒だったし、もうほかに女がいたから。実の両親には泣かれて、学校の友だちからも避難の目。孤独だったし怖かった。とんでもない過ちを犯してしまったのでは、とも思ってた。
———妊娠前、自分が10代で母になるなんて、考えたことあった?
まったく。当時は、将来子どもが欲しいかさえわからなかったくらい。両親からは、10代で妊娠するのは普通じゃないと教えられてきたから。
———それでも、立派に娘を育てあげた。
娘は今年から大学生に。わたしはもう30代後半。子育てしながらも、大学を卒業し修士号を取得。いま、ニューイングランドでセラピストとして働いている。
———10代でシングルマザーになって、大学を卒業して就職とは。いま子育てに励む10代の母たちに、先輩としてアドバイスを一言。
子育てと学業、子育てと仕事の両立は簡単じゃないよね。でも、不可能でもない!た まに誰かに頼ったり、同じく10代で母になった人に相談することが大事。大丈夫、あなたならきっと育てられるから。
親愛なるママへ。思い出に愛情のポエムを添えた『Poems for Mum』
『Poems for Mum(ポエム・フォー・マム)』は、娘がママの60歳の誕生日に贈ったプレゼント。小さいころから詩を書くのが大好きだったという作者、思い出の写真に渾身のポエムを添え、母への感謝を手の平サイズのジンに凝縮。
———ママの60歳の誕生日にジンをプレゼント。愛とセンスを感じるアイデアだね。
せっかくだから、なにか愛が込もった特別なプレゼントをあげたくて。で、昔、母を想って綴った詩を書いたことを思い出して。そこに当時の写真も貼って、1冊のジンに仕上げたの。
———娘からそんなの貰ったら泣いちゃう。ママの反応は?
驚いていたし、すごく幸せそうだった。読みたいときにいつでも手に取って読めるよう、ジンを本棚に飾ってるみたい。
———はは、ママかわいい。二人は相当仲がよいとみた。
ママとわたしは超がつくほどの仲良し。親子というより、親友みたい。ママはわたしがどんな選択をしようとも、一番の味方でいてくれる。そして、助けが必要なときに一番に駆けつけてくれる。
———反抗期とかあった?
わたしが10代のころ、すれ違うことはたまにあったかな。でもママはいつだってわたしを信じてくれてた。
———(うちのママとは大違いだ。)ママとの忘れられない思い出って?
大学生のころ一人暮らしをしていたんだけど、事故で足を骨折したことがあって。その時、ママは肩の手術を終えたばかりで絶対安静の状態だったのに、病院まで迎えに来てくれた。そんな勇敢なママの娘で、わたしは本当に幸せ者。
「わたしの娘を変貌させた病の日々」。
拒食症の娘と見守る母の、奮闘の日記『Caged』
拒食症。摂食障害の一種で、体重が増加することに異常な恐怖を感じ、食べ物が喉を通らなくなる病気。そんな病に陥ってしまったのは、我が娘。『Caged(ケイジド)』は、痩せ細ってしまった娘と、それをどうにか救おうとする母の奮闘の日々を記したもの。
———娘の異変に気づいたのはいつごろ?
彼女が12歳のとき。完食することがなくなっていて、好物にさえ興味を示さなくなったの。思春期だからかな、とも思ったけど、決定的な瞬間があった。ある日、家族でピザ食べ放題のレストランに行ったとき。彼女のお皿にはニンジンとレタスしか乗ってなかった。これはおかしいと思って、拒食症専門のお医者さんに一緒に行って。
———そして、拒食症と診断された。
そう。このままでは十分な体力を維持できないと言われた。それから娘の闘病生活がはじまったの。お医者さんからは体重を落とさないよう運動を禁止されていたのに、彼女は隠れてガレージでこっそりエクササイズ…。そんな調子だったわ。
———病院ではどんな治療を?
通院と入院が必要に。精神科医との個別セラピーや、ほかの拒食症患者と合同の食事療法。家族と一緒にご飯を食べるという、家族セラピーというのも週に数回あったかな。
———治療のおかげで娘さんの容態はよくなった?
その後、無事退院。でもホッとしたのも束の間、退院後に精神が不安定になってしまって。娘は正気を失って、もうわたしの知ってる娘じゃなかった。以来、病状は悪化する一方だった。そんなこんなで栄養チューブの挿入をはじめてから、少しずつ症状が改善。必要な栄養がやっと彼女の体内にいき渡り、物事をしっかり考えられるようになったんだと思う。
———ジン制作から5年たったいま、娘さんの調子は?
元気に暮らしてるわ。ちなみに娘にも家族にも、このジンのことは話してない。あの経験はトラウマみたいなもので、誰も振り返りたくないと思うから。ジンに綴ったのは、自分の気持ちを整理できると思ったから。それに、ほかの拒食症患者の人やその家族を勇気づけられるかもしれないし。
———病気を乗り越えた娘、それを支え続けた母。たくましい母娘です。
あの闘病生活を経て、娘は強くなった。あんなに辛い思いを乗り越えたんだもん、これから何があっても大丈夫。娘のことを信じてる。
Eye Catch Image via Allysha Webber
Text by Ayano Mori
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine