本屋そのものの生き残りが苦しい今日この頃、正真正銘の大都市シンガポールに、無名作家の文学作品を売る威勢の良い小さな本屋がある。
出版プロジェクト「Math Paper Press(マス・ペーパー・プレス)」は赤字覚悟、無名作家のローカル文学を世に出していく。そんなことをなぜ、この苦しいときに?
年間たった30冊しか生まれないグローバル都市の土壌
「たとえば日本には、日本人が書いた文学が本屋にずらりと並んでいる。それが自然なこと。シンガポールにもそれがあるべきだと思った」。
年間、たった30冊。驚くべきことに10年前まで「シンガポールにおけるシンガポール人作家による作品(フィクション)」は、年間それだけしか世に出ていなかった。
というのも、シンガポールが国として独立してから、海外からハイレベルな作品が急速に入り込み、ローカルな出版市場が育っていくタイミングは失われた。当時、国内で書かれた本といえば社会政治や歴史の本ばかり。
シンガポール人作家もいないわけではなかったが、そもそも需要がなければ大手の出版社は手を出さない。そうなると作家たちは自費出版するしかないので数が増えず、ファンができないから需要が見込めない。負のループが生まれていた。
「そのループを断ち切るために、」と小さな本屋「BooksActually(ブックス・アクチュアリー)」のオーナー、Kenny Leck(ケニー・レック)は出版プロジェクト「Math Paper Press」をはじめた。
「当時、シンガポール人の作品は海外の作品に比べて質がよくなかったというのも事実。海外の作家には、編集者や校正といったプロのサポートがついているけれど、それが受けられなかったから」
ケニー。
シンガポール人作家たちに海外と同じレベルのサポートをしながら、作品の質を上げるプロセスを請けおう。販路も、自身の持つ本屋やオンライン、さらには自動販売機でも(!)買えるようおさえた。6年前にスタートし、既に140冊の本を世に出している。つまり、年間で20冊以上、これは10年前の国内総冊数に届く勢いであるから、以前の負のループが断ち切られつつある証拠といえる。
ローカル文学にしかないものって?
どの国のものであれ、文学ならシンプルに好きなものを読めばいいというのもまた事実だ。ローカルに書かれたもの特有の良さはどこにあるのだろうか?
「シンガポールって、すごく小さな国なんだよね(東京23区よりも面積が小さい)。それでも、作品を読むことでこの小さな国の違う一面が見えてくる。作家たち自身の知る歴史だったり、街や場所の記憶から、自分が行ったことのない土地を知って、この国をもっと広く深く知ることができるんだ」
たとえば、マス・ペーパー・プレスのお気に入り『BALIK KAMPUNG(バリク・カンプン)』という作品。マレー語で「帰郷する」という意味だが、ここには「僕らのふるさとに帰ろう」という温かなニュアンスと、「お前にお似合いのド田舎に戻れ」という攻撃的なニュアンス、どちらもが隠されている。
その題名よろしく、シンガポールの異なる七つの土地で過ごしてきた7人の作家たちが、その土地にまつわる自身の記憶をもとに物語を書く。それぞれの町の小さな商店、灯台、海辺があり、思い出があると知る。ただの大都市が突然、ふるさとの趣を見せはじめる。
「日本に行ったことはないけど、ムラカミの作品を読んで、知らない土地の情景を浮かべる。シンガポールは自分の国だからよく知っているはずなんだけど、まだ知らない土地やそこでの物語を思い浮かべて、新しい一面を知る。そうした小説の魅力は同じなんだ」。その土地に根づく作家にしか書けないディテイルのある文学の後味だ。
一冊目を飾ったのはゲイ作家、男の子の恋愛童話
と、そんなふうに、新しい一面を知れることが魅力なのに、作品にヘンな制限がかかっては意味がない。だから、彼らは常に作家やテーマに対してオープンであろうとしている。記念すべき一冊目のエピソードは、その信念をよく物語っているので紹介しよう。
「1冊目の作者はゲイの詩人。ぼくの友人なんだけど、出版するにあたって2つの物語を持ってきてくれた。ひとつはLGBTへの偏見を題材にしたもの。もうひとつは……もう忘れちゃったくらい面白くなかった(笑)。まだシンガポールでもLGBTへの偏見が根強いから、きっと僕らがどれだけ寛容でいられるのか、口だけじゃないか試していたんだろうね」
題名は、「The Boy With the Flower That Grew Out of His Ass(お尻から花の生えた男の子)」。題名から結構エッジーだが、内容は男の子同士の恋愛を“童話調”に描いたもの。これを迷いながらも出版、ほかにも、鬱病で自殺未遂した作家の作品も世に出した。
「シンガポールの中でも、違う考え方がある。その記録を世に出していった結果、読んだ人の考えが変わったらいいと思うんだ」
大手とは違う装丁デザインで「収集癖」をくすぐる
装丁はローカルのデザイナーに頼むが、必ず本を読んでから作ってもらうという。そのデザインらはスタイリッシュで明らかに一貫性がある。CDのジャケ買いじゃないが、「読みたい」の前に、家に持ち帰りたくなる気持ちがしてくるような。
「並べたら模様みたいにキレイに見えるものにしたくて。中身ももちろん大切なんだけど、デザインって他のものと差別化するのに一番いい方法。モノを集めたいっていう人の気持ちをくすぐるものにしようとしてる」。本棚に並べたときに見てハッピーな気分になれるものにしたい、とケニーはいう。
どう魅力的にパッケージするか。グローバルではなくローカル、大きな出版社ではなく小さな本屋、という力の弱い立場にあるからこそ、手に取ってもらうための工夫はとことんする。実際、何人も無名作家の本を手にとり、嬉しそうに買って帰っていった。
どの都市の本屋でも、ノーベル賞の受賞作や世界的ベストセラーといった世界中が認める作品の勢いがいい。もちろん、そうした作品の魅力には疑いがない。もう一方で、ローカルに書かれ手塩にかけてつくられた物語には、そこに生きる作家にしか表現できない、地域や人びとへの愛着と記憶がある。人も文化も混ざりあい、流動的でとらえどころのない大都市にこそ、近い距離に感じてジンと染みるような深みをつくる、本屋生まれの「ローカル文学」が似合うのかもしれない。
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BooksActually
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Photos by Noriyuki Fuchigami
Text by Mariko Kondo