#004「戦場の女性たち」【連載】僕がしあわせについて考えたのは、戦場だった。—鈴木雄介フォトエッセイ

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28歳で、戦場カメラマンになった。
報酬がよいわけでもないうえ、死が常につきまとう。

シリアでは反政府軍と行動をともにし、撃たれないように祈りながら走った。
写真を撮って、毎回生きて帰って戦争を伝えてきた。

鈴木がシャッターを切ってきたその悲劇のなかに、
「しあわせ」の瞬間があった。
対極に思えるしあわせの意味を知ったのは、戦場でだった。

「しあわせってなんだろう」。
命がけの紛争地帯でおさめてきた光景から考える、
鈴木雄介の、戦場フォトエッセイ。

#004「戦場の女性たち」

「女性」とは。戦争が行われている国においては、一体どういう存在になるのだろうか。

戦争で戦うのは、主に男だ。基本的に男たちによって形作られている現代社会では、戦時になると女性の立場はとても弱くて脆いものになる。平時と違って、「普通」という状況が存在しない場合では、どうしても身体能力で男性に劣る女性たちは被害者の立場になりやすい。

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シリアからトルコ経由で、 ゴムボートに乗ってギリシャに逃れてきた難民の母親と生後14日の赤ん坊。

 性的暴行を受けたり、さらわれて奴隷のように売り買いされることも未だに起こる。そうでなくても、戦いで一家の稼ぎ手である夫や息子を失ってしまった母親たちや、愛する恋人を失った女性たちはどう生きていくのだろう。
 近年では、紛争地域に取材に行く勇敢な女性ジャーナリストやカメラマンも増えつつあるが、彼女たちからも「同僚や現地で雇うドライバーや通訳、群衆や兵士たちから性的な暴力を受けた」など、女性というだけで苦労することが多々あると聞く。

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シリア第二の都市アレッポで 反政府軍の配給に殺到する女性たち。

  一方で、男たちのように銃を持って戦いに参加する女性たちもいる。
シリア北部に住む、クルド人という民族の中には「YPJ」という、女性だけで構成された戦闘部隊がある。訓練で死傷者が出るほどの厳しいトレーニングを積み、男の兵士たちと同じように最前線に赴き、女性たちが勇敢に戦うのだ。
  自分たちの国を持つことを未だ国際社会から許されていないクルド人たちは、自分たちの戦いを通し、すべての抑圧や差別からの解放を目指している。それは人種や性別、国籍などによる抑圧も含まれている。
 クルド人女性部隊の彼女たちは、自分たちが男と同じように戦い勝利することで、性による差別や抑圧をこの世界から無くすという目的を持っている。

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政府軍と反政府軍が交戦する アレッポの街で、不安げな表情で道に集まる女性たち。

 彼女たちのように武器を持って戦わずとも、僕個人の経験で言えば、女性の存在は戦争をしている国においても、とても大きな存在だと思う。シリアの戦争を撮影しに行った際、トルコ国境から通訳兼ボディーガードの兵士、アフマドとともに車でアレッポという町に向かっていたときのこと。彼の婚約者の親戚のおばちゃんたちもなぜか一緒に車に乗っていたのだが、車内は笑い声に溢れ、とても楽しかったのを覚えている。遠い日本から来た僕を話のネタに「結婚しているのか?彼女はいるのか?」とワイワイと盛り上がったのだ。車の窓を開ければ、遠くから砲撃が地面を揺らす重苦しい音が聞こえて来ているのに。そんなことは構わず、やはり女性が3人も集まれば、話す事はそういう話題になるのか…。なんともシュールな光景だった。

 そのまま僕はアフマドとおばちゃんたちに気に入られ、結局それから2週間以上も彼らがともに生活するお家にお邪魔することになった。国中が戦火に巻き込まれている状態でも、母親たちがすることは変わらない。家族の為にご飯を作り、洗濯をし、綺麗に家を掃除する。アフマドの家の母親やおばさんたち、女兄弟、婚約者たちは、突然やってきた異国人の僕を、まるで本当の家族のように扱ってくれ、日本人だからと気を使ってお米の料理を出してくれた。洗濯までしてくれた。

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シリアからトルコに逃れて きたクルド人一家が昼食をとる。息子たちはこの後ヨーロッパの国へ避難し、娘は戦争の続くシリアへと戻って行った。

 年齢の近い僕とアフマド、それから彼の婚約者は、晩御飯を終えると三人でコーヒーを飲みながら寛いだりすることがよくあったのだが、そんな時、二人は僕の眼の前でいちゃつきはじめる。それまで訪れたイスラム教の国でこうした光景を外で見たことがなかったので少し驚いたが、やっぱり人は皆同じなんだと思った。見えないところでは若いカップルは僕らと変わらないのだ。
 アフマドは反政府軍に所属していて、彼も陸軍にいた経験がある。前線にともに行くときは 、ライフルを背負って僕を守ってくれる男らしい奴だった。しかし、家に帰れば息子であり、婚約者の彼なのだ。結局、男というのは女性に支えられて生きている生き物なのだな、と思ったのを覚えている。

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デンマークのNGOが運営する アフガニスタンの学校にて、女性教師とその生徒たち。

 勇ましく血気盛んに戦っている男にも、女性の存在がなければダメなのだ。むしろ命のやり取りをする極限状態のような日々であるからこそ、女性というのは男たちにとって帰る場所であり、心の安らぎなのだろう。それは平和な日本や、世界中どこでも一緒なのではないだろうか。
 ごく当たり前のことかもしれないが、外で働き、安らぎや安心を与えてくれる人がいる場所に帰る。これは人間として、生物として、この地球に存在するもの全ての大きな一つの流れであり、どこにいてどんな生き方をしていても変わらない。いつも、根元には命を支える女性という大きな存在があるのだろう。そしてそれは、男では決して取って代わることのできない存在で。そんなことを、僕は戦争の中に生きる男と女を見て思った。

Girls in their school uniform show smile.
アフガニスタンの小学校 で、地雷の危険性や公衆衛生の大事さを訴える演劇を見て笑顔を見せる女の子たち。

▶︎#003「戦場の兵士たち」
▶︎#002「なぜ戦場で写真を撮るのか」
▶︎#001「戦場の家族のこと」

鈴木雄介 / Yusuke Suzuki

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1984年、千葉県生まれ。東京の音楽学校に通っていたときに東南アジアやアフガニスタンを訪れ写真に興味を持つ。アメリカ、ボストンのNew England School of Photographyにてドキュメンタリーとヴィジュアルジャーナリズムを専攻。在学中より様々な賞を受賞する。
同校卒業後、地元紙やロイター通信でフリーランスとして活動後、ニューヨークに拠点を移す。

uskphoto.com
instagram: @uskfoto
Content by HEAPS Magazine

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