「ハロー、ハロー!アイ・ラブ・ユー!」
これがそのお店の“いらっしゃいませ”。
「Ray’s Candy Store(レイのキャンディ屋さん)」は、24時間365日電燈が灯る。
小さな店を守るのは、“たった一人”。毎日夕方4時から朝8時まで店頭に立つというRay Alvarez (レイ・アルバレズ)。御年83歳だ。
午前8時に夕飯、床に就く83歳
朝8時に“夕飯”を食べ、就寝。午後4時に出勤する。創業当時から43年間変わらない、レイじいちゃんのライフスタイル。
「仕事上がりの朝には、ビール一杯にタバコ一服…。なんてのは冗談。ベッドに直行だよ」とジョークを飛ばす。
陽気でおしゃべりなレイを訪ね、今日もお客さんはひっきりなしに来る。
「やあ、レイ!」「ソフトクリーム頂戴」「今日の調子はどうだい、レイ?」
父親に連れられた幼い兄妹や、一人でシェイクを買いに来た少年、これから遊びに行く若者にご近所のおじさん、コーヒーを求めにお兄さん。深夜12時の小腹を空かせた酔っ払い客。5人も居ればいっぱいになってしまう小さな店は、いつも賑やかだ。
名物は、エッグクリームにフライドオレオ
6個入りなのに12個あげちゃう
メニューは色あせたポスターや手書きの物。店内にところ狭しと貼ってある。看板メニューは「エッグクリーム」だ。
名前からして濃厚そうなこれ、ここニューヨークはブルックリン発祥で100年前から愛されている伝統ドリンク。
チョコレートとバニラシロップに牛乳と炭酸水を混ぜ合わせた一杯で、駄菓子のような懐かしさと少しのチープさが舌に残る。
“やみつき系”。レイも1日何杯も飲む。夏は1日20杯と言っていたけど多分冗談。
それから、注文が相次いだのは「フライドオレオ」。平日は1日40皿、週末は100皿の売れる人気メニューで、あのお馴染みオレオを文字どおり油で揚げたもの。しっとり溶けた中の熱々ココアクッキーがクセになる、アメリカ人の舌にぴったりなスイーツだ。
お店オリジナルメニューかと思いきや、レシピは実はユーチューブかららしい(笑)。
まずはオレオを取り出すところからはじまります。
よいしょ、
衣をつけて、油に投入。
色が変わったらあげて、
粉砂糖をかけて完成。
お客さんが6個入りを頼んでも、6個タダで余分にあげちゃうレイじいちゃん。サービス精神旺盛だ。
従業員にギャングを雇った70、80年代
アメリカの地を踏んだのは1964年。祖国イランで海軍に所属していたものの嫌気がさし、いつしかアメリカンドリームを抱くようになった。31歳のときについにニューヨークに降り立ってまずはレストランで働いた。10年後の1974年、知り合いからこの店を買い取ったんだそうだ。
40年前はキャンディー(アメリカではチョコレートバーなども含めお菓子全般のことを指す)と、おもちゃやバブルガム、綿あめ、フラフープ、ボールだけを売る駄菓子屋さん。「その時の“子どもたち”はみんな大きくなって、いまでは欲しがるのはウィスキーだ」と笑うレイ。
当初から売り上げは好調だったが、店の回りの治安はすこぶる悪かった。
「当時のイーストビレッジはすごくおっかなかった。ギャングを雇ったこともあったよ」。お店と目の鼻の先にある公園では1988年、警察の抑制に対してホームレスやパンクスたちが暴動を起こし、麻薬中毒者があふれていた。
店頭に置いてあった商品の雑誌を万引きしていく黒人ギャングたちに耐えかね、他のギャングのメンバーを雇い、見張り役として店先に立たせたこともあった。またある時はプエルトリコ系の男の子たちを雇いエッグクリームを一緒に作っていたが、ある日麻薬売買をしていたことが発覚、警官のいる前で一人ひとりを解雇したことも。
70年代、80年代、90年代とニューヨークの呼吸を吸い込み、歩調を揃えながらレイのキャンディショップは時代を目撃してきたのだ。
“ベッドに寝そべってテレビを見るのは、1日5分でいい”
客足が減る午前3時、4時になると、戸締りをしカウンターの裏でブランケットを敷き、そこに寝そべり仮眠をとる。 疲れても眠くなっても毎晩カウンターに立つわけをレイはこう語った。
「仕事が生き甲斐。ここ(仕事場)では、いいことだっていやなことだって“わくわく(excitement)”を感じるんだ」
朝より、夜のシフトの方が、お客も多く賑やかだから好きなのだそう。
「ベッドに寝そべってテレビを見るのは、1日5分でいい。生きているうちは、手を動かして“もの作り”をしたいんだよ」
時折訪れるお客がいない束の間のとき、レイはiPhoneを手に取り、ゆっくりとした指先で何やら打ち込み、お気に入りのトルコ人女性歌手の曲をユーチューブで検索して流していた。やっぱりモダンなじいちゃんだなあ。
仕事もプライベートも独りが好き。彼女はいるけど。
「一人で働くほうがいい」。手伝いはいらないという。以前、従業員にごっそりとお金を盗られてしまった過去の苦い経験からだ。
仕事場でも一人だが、プライベートでも一人。妻子なし、生涯独身を貫き通す。ただし、68歳のガールフレンドはいる。
そして、いたずらっぽい目をしてレジの横から出してきたのが、数枚のスナップ写真。
バーレスクダンサーのようなゴージャスなおねえさんに囲まれるレイ。毎年誕生日は友だちがおねえさんたちを呼んで一緒に祝ってくれるのだとか。レイじいちゃん、やるねえ。
いつでもレイを救ってくれたのは人と運
いまでこそ年中無休だが、40年の歴史の中で何度も閉店の危機があった。
家賃が払えず宣告された立ち退き命令。来月払うからと懇願してもはねのけられ、ついに諦め「もうどこかへ行っちまうよ」と顔見知りのホームレスに告げた。
するとそのホームレスは大声で「レイが困ってるぞ!」と叫び、偶然にも大家の弁護士を知っているという者が現れ、直接交渉をしてくれることに。
家賃は近所のみんなが少しずつお金を出し合って返済することができた。
保健局の衛生検査に引っ掛かり、窓に営業停止命令を貼られたとき。
その時もレイを愛するホームレスの友だちが集合、掃除用具を抱え一晩かけて店をぴかぴかに。再検査を頼み込んだ結果、無事合格した。
書類を整えグリーンカード申請の手続きをし、“移民”だった彼をアメリカ人にしてくれたある女性。昨年、心臓を悪くし手術のためお休みをとっていた間に店を手伝ってくれた人々。
レイがお店と辿ってきた年月の中には、彼の運の強さと、レイを愛する人々の助けが確かにあった。
店先に立つとき、気分は19歳
開店から5時間。お客さんの待つカウンターと厨房を何往復も行き来するレイ。彼のあとを付いて回り、カウンターに並ぶお客さんの対応に追われるレイに頼まれベニエ(揚げペイストリーのようなもの)作りをお手伝い。筆者、情けなくもすぐに足と腰が疲れてしまった。
「いま疲れていないの?」とレイに聞くと、返ってきたのは、大きな声で「ノー、ノー、ノー!」。そして続けた彼の言葉とぱっと明るくなった表情に、心がとろけてしまうほどのときめきを感じてしまった。
「朝8時に家に帰るときは、91歳の気分。だがね、午後4時に仕事場に入るときは19歳のような気がするんだよ。で、いま(午後9時)は21歳」
厨房に立ちベニエを揚げていたレイじいちゃんは、目をキラキラ輝かせていった。それは疲れ知らずの19歳の目であり、働き盛りの21歳の目であり、紆余曲折の人生を歩んできた83歳の目だった。
Photos by Kohei Kawashima
Text by Risa Akita