ニック・ブラント(Nick Brandt)。イギリス人写真家。かつてはかのマイケル・ジャクソンのミュージックビデオを手掛ける映像作家として華やかな業界に身を投じていた彼が、20年ほど前から新たな仕事場としているのが“アフリカの母なる大地”だ。
今回発表した最新作品“Inherit the Dust”(訳すなら、“今は亡き過去の名残を受け継ぐ”)のために彼は、10年ほど撮りためた野生動物のネガフィルムを引っ張り出し、それをなんと原寸大に拡大プリント、ケニアに渡りさらに巨大パネルに貼り付け、市街地や荒廃した土地に置きそれを撮影した。
「かつての動物たちの住処」だった場所の現在の姿、作品を通した彼の哲学、大掛かりなプロジェクトの撮影裏側などを、じっくりと話してくれた。
HEAPS(以下、H):写真家に転向する前、あなたは映像監督でありました。マイケル・ジャクソンのミュージックビデオ撮影のために訪れたタンザニアで間近に見た野生動物たちの姿に目と心を奪われたそうで。その時の体験を教えてくれますか。
ニック・ブラント(以下、N):あれは20年前。目の前に広がる地平線、風景、様々な種の生き物たち。数千年以上も前に存在した光景がまだ残っている数少ない場所がアフリカだったんだ。もう地球上にほとんどない風景がある場所。あの大地を自分の足で踏みしめ、ただただ続く景色を見つめた時に、その全てが心や体の内側に染み込んでいくように感じたんだ…。その時の心情はもはや言葉にはできないね。
H:そしてアフリカの大地に生ける動物たちや自然の姿を撮ろうと。
N:動物たちに対する自分の感情や彼らの姿を表現するのに一番適していた方法が写真だった。僕にとって野生動物は、僕ら人間と同じような感情を持った生き物なんだ。動物たちだって僕らに話しかけてくる。ただ自らの感情を口で表すことができないだけで。だから僕なりの方法で、”写真”を通して彼らとの会話を表したい。そして自然の姿も捉えておきたいんだ。
僕がまだ子どもだった頃は、外を駆け回ったり、木登りをしたりして自然と付き合ってきた。でも現代の子どもたちにはそんな時間なんてないだろう?自然との対話が生活の中心から失われつつあるいまの社会で、動物や自然への思いやりを示したい。
1枚のパネルを運ぶのに23人。大規模プロジェクトの裏側
H:それでは今回の作品、“Inherit the Dust”について。この大掛かりなプロジェクトを発案してから実行に至るまでのプロセスはどのようなものだったのでしょう。
N:アイデアを思いついたのは2年半前。アフリカが抱える土地開発や急速な自然破壊を目の当たりにして。5年、10年前に行った時に見たキリンやヒョウ、ガゼル、シマウマが住処を失い、どこかへ消えていく。このプロジェクトの目的は、環境破壊や動物が消えていく現状を伝え、それに対し悲観して陰鬱になるのではなく、手遅れになる前に「まだいる動物たちに」何か手を尽くすことができるかもしれない、と気づかせるためだ。そうでないと、これらの写真は“歴史の一部”に過ぎなくなってしまうから。
2003年から2012年のコンタクトシート(ネガフィルムを並べたシート)を引っ張り出し、そこから未発表の動物写真を選んだ。そしてその写真を原寸大にして撮影できる場所を探すべく、ケニアにロケーションスカウトを送った。カリフォルニアにある僕のスタジオで選んだ写真を原寸大に引き伸ばしてプリントし、現地に持って行き、そこでパネルに貼り付けたんだ。
H:写真の背景と実際の背景がきちんとマッチしていますよね。これはどうやって?
N:骨の折れる作業だった。水平線に合うような場所を選ばなければならなかったから。その後、地平線に合うようにパネルを上下に動かし調整して、低位置で撮影したんだ。
H:とても大掛かりですね。パネルを設置するのに何人くらい必要だったのでしょうか。
N:大きいパネルで長辺7メートルから9メートルあったから、23人くらいか。そんな大掛かりなプロジェクトだったからこそ、この作品についてのコメントで一番苛立ってしまうのが、「フォトショップで加工したんでしょ」。
様々な苦労を乗り越えて作り上げた作品なのに、僕がコンピューターの前に座ってフォトショップで写真をいじったと思っている人もいる。でも、フォトショップを使うよりも、現地で撮った方がもっと興味深く、予期しないことだらけに遭遇すると思うんだよね。
たとえばこの写真。
この写真には様々な“偶然”が隠れている。興味津々にパネルのゾウの鼻に手を触れるホームレスの子供(写真中央)や立ち上がってパネルを見つめる子(写真左)。右のほうにたむろするホームレスの集団。そして右側のずっと奥にあるビルボードには(写真上では確認できないが)「Lean back, your life is on track(のんきに構えよう、君の人生は順調さ)」ってキャッチコピーが書いてある、皮肉だろう?
また別の写真では、予期せぬ光がパネルに反射し思いがけない写真を生み出したり…。フォトショップで組み合わせただけでは決して得られない、現地で偶発的に起こったことが写真に如実に現れているんだ。
H:地元の人たちは皆、パネルの出現に驚いていました?
N:面白いことにみんな僕にその質問をするんだけどさ、彼らはそんなことよりもいまを生きることで必死なんだ。おかしな白人(自分のこと)が巨大なパネルを持ってきてゴミ捨て場や道に置いたって構いやしない。
ゴミ捨て場にいる人たちは毎日歩き回り捨てられている腐った食べ物を探し出すサバイバル状態。そしてこのゴミ捨て場の山は子どもたちの遊ぶ場でもある。ここで僕が言いたいことはつまり、環境破壊がもたらす弊害の犠牲者は野生動物だけではなく人間たちでもある、ということだ。
“晴天が続いたから、撮影できなかったんだ”
H:今回のプロジェクトで一番苦労したことは?
N:約4ヶ月かかったプロジェクトだったけど、とにかくお金が掛かる。少しの遅れも致命的になるからね。実際、撮影クルーと一緒に何にもせずに無駄なお金を掛けるだけで一日が終わってしまうこともあって、苛立ちと焦りを感じることも多々あった。
何でかって、真っ青な晴天だったからさ。今回の作品たちには、メランコリックな曇り空が似合う。明るい空は美的感覚からするとこの作品にはあまり良くないんだ。だから同じロケーション、たとえばゴミ捨て場に数枚違うパネルを立て、いい雲が出てくるのを待つんだ。いいタイミングで撮影し、次のパネルまで走ってはまた撮影し、そして次のパネルへ走る。同じ場所に1週間ぐらい滞在した。
H:気に入っている作品はどれでしょう。
N:写真集の表紙にもなっている、ゴミ溜め場とゾウの写真。かつてだだっ広い大地をのしのしと歩いていたゾウがいま、踏みしめているのは人間のゴミ。背景に広がるのは、アポカリプティック(世界の終わりのような)な荒々しい空。力強い一枚だね。
H:ゾウはクレイグという名前だそうで。
N:そう、彼は45歳のオス。素晴らしいゾウだ。1週間一緒に過ごしたんだ。あと気に入っている写真は、このチンパンジーの一枚。下をうつむく彼がまるで、かつて住処だった自然が失われていることを嘆いているようだと思わないかい?
H:プロジェクトを完成した今の心境を教えてください。
N:地球上で今起きていることを人々に理解してほしい。そして今ならできることがある、と知らせたい。長い目で見ると、環境保護は経済的にも利益があるし、地元コミュニティーにも有益だ。アフリカにはまだネイチャーツーリズムのとして世界を席巻できる素質や可能性を秘めていると思うんだ。
Photos © NICK BRANDT, COURTESY OF FAHEY/KLEIN GALLERY, LOS ANGELES
Nick Brandt / www.nickbrandt.com
Inherit the Dust / http://inheritthedust.nickbrandt.com/
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Text by Risa Akita