ニューヨークで行われる世界最大のスケートボードレース、Broadway Bomb(ブロードウェイ・ボム)。年に一度だけ突如はじまるこのレースは“いわくつき”のレースでもある。それは、「その日、たまたまスケボーを持ってそこにいた」約4,000人のスケーターが集まる、世界最大の「違法」スケートボードレースだということだ。
マンハッタンがスケートパークに?
ブロードウェイ・ボムは、ニューヨーク・シティ内を縦断する「ブロードウェイ通り」をスケートボードで駆け抜けるレースだ。ニューヨーク市の許可を取っていない違法イベントのため、毎年必ず逮捕者が出るのはおなじみでもある。ブロードウェイボムのサイトはよろしく閉鎖済み、本当に開催するのかも毎年怪しいのだが、ある時期になると開催の噂が立ち、数千のスケーターがある日忽然と姿を現してシティ内を爆走する。
一番最近の2015年10月のレースはというと、ブロードウェイ・ボムのFacebookページ(現在はすでに閉鎖)では開催日時と集合場所だけが表示されていた。主催者が「レースは前回で最後だ」と公言したこともあり、直前まで情報が錯綜したが、結局この違法イベントは、「行くぜ。◯月◯日だ」のアナウンスとともに、事前告知された日程から1週間の遅れをもって盛大に執り行われた。
世界最長の大通りブロードウェイ。マンハッタン島、アップタウンの116丁目からダウンタウンのファイナンシャル・ディストリクト間の8マイル(約13Km)が舞台だ。
大規模“違法レース”の仕掛け人を見つける!
このブロードウェイ・ボムをオーガナイズするのはJimmy Soladay(ジミー・ソラデイ)。ニューヨークを拠点に活動するプロスケートボーダーだ。ギネス世界記録をもつほどのスケーターでもある彼は、約10年前からこの果てしなく収集のつかないイベントを仕掛け続けている。
2002年、ジミーはスケートの拠点をニューヨークへ移していた。ニューヨークへ来て3日目、ブロードウェイをクルージング(街乗り)していると歩行者から「レースに参加してるのか?」と聞かれ、脇を見るとスケーターたちが続々と自分を追い越していく。彼が遭遇したのはその年から始まった最初のブロードウェイ・ボムだった。「なんでこいつらレースしてんだ?」。それがジミーとブロードウェイ・ボムとの出会いだった。
それから毎年レースに参加するように。そのたびにトップをひた走るので、主催者の目に止まり、イベントを大きくするために助力していく。「Facebookページを作ったり、いろいろ手伝ってるうちになりゆきでオーガナイザーになったんだよ。仕事内容?シンプルさ。311(ニューヨーク市のインフォメーションを問い合わせるフリーダイヤル)に電話をかけること。『今週ブロードウェイで何かイベントってある?』って聞くんだ。相手が『来週はブロードウェイの◯◯ストリート間でインディアンパレードがありますよ!』ときたら、じゃあ『別の日だ!』ってね!」
警察の強制家宅捜査。逮捕・拘留
「一昨年の朝、レースへ向かう準備をしていたらさ、警察が家に押し入ってきて逮捕されて拘留されたよ。前の年、別のやつにメガホンをもたせてたら、警察は誤認逮捕して赤っ恥かいちまったから、今度は自宅まで来たんだ。罪状は『公共の安全を脅かす危険な状況の創出と軽犯罪法違反』だったかな」
この年ジミーはレース不在となったが、警察が他のメンバーの逮捕をし忘れたおかげで、滞りなく?開催された。ちなみに、今回のレースでは、ジミーは全身黒の服にヒゲを生やしていたのだが、彼だとバレないようにするためだったようだ。
誰が一番速いかなんて、どうでもいい
・スキッチ(車両に捕まって滑ること)はするな
・ヘルメットをかぶれ
これはブロードウェイ・ボムに存在する唯一にして、ジミーが最も強調するルール。
「前は、誰が一番速いかを決めることがすべてだった。でも今はもうどうでもいい。誰が一番速いかなんてもうみんな知ってる。それはプロスケーターさ。大事なことはそこじゃないんだ」
素人からプロまで、とんでもない数が「違法行為」を行うこのイベント。年々大きくになるにつれて、自分には「このレースを何としてでも全うするべき責任がある」と思うようになった。いつも軽口を走らせる彼だが、レースの運営を引き継いだのもそのためだ。「You could die(死ぬかもしれない).」 という長年のスローガンもやめた。すべてはリスクを顧みずに参加してくれるスケーターと、それを受け入れてくれるひとたちのためだ。
「俺は誰も死なせたくないんだ」。両足に刻まれた『Skate and Destroy(スケート・アンド・デストロイ)』のタトゥーを見ながらこう話す。
「この信念のもとにこれからも生きていくか?もちろんYESだ。自分のやっていることが誰かの人生を終わらせてしまう人生にしたいか?HELL NOさ」
タイムカプセルに書いた、「プロスケーターになりたい」
当時6才。まわりの友達がみなそうしたようにスケートをはじめ、スケートとともに育った。家の近くは森ばかりで、遊ぶものは森の中にある、ローカルスケーターが作ったプロレベルの木製ハーフパイプくらい。そんな場所だった。学校でも「化学の教科書の中にスケートの雑誌を挟んで読んでいた」少年だったという。
取材中こんな一幕があった。ジミーが中学生のころの話をしていると、学校で埋めたタイムカプセルを25年経ってに開けたときのことを「いまでも覚えてる」と。すると、「なんてこった。俺はその時に思い描いていた人生を送ってる。すべて現実になってる」と目頭を熱くさせていた。タイムカプセルに書いた夢は、「誰の奴隷にもなりたくない。リーダーになりたい。そしてプロスケーターになりたい」だった。
ジミーに、アメリカと他の国ではスケートカルチャーにどんな違いがあるのかと訊ねた。「Lords of Dogtown(ロード・オブ・ドッグタウン。アメリカスケートカルチャーの金字塔とされる映画)」の国で生まれ育った彼にそんなことを聞いてみたかった。
「それはちょっと難しい質問だね」とジミー。「高校生のとき、友達にあるタイ人のスケーターがいた。そいつは英語がかなり苦手で、そんなに多くは言葉は交わさなかった。でも俺たちにはスケートボードがあったんだ。で、親友になった。なにが言いたいかっていうと…、結局、スケートカルチャーに違いなんて何もないんだ。スケートボードの美しいところは、何をやってもいいことだから。だからこそ、すべてを知り尽くすなんて無理なんだ。バスケットみたいにゴールに打ちこむルールもない。ただ、好きなようにやっていいのさ」
みんなに応援されるスケーターを、テレビで観るのが夢なんだ
警官「お前ら!今年も楽しんだか?そしたらまた来年な!」
ジミーたち「イェー!」
今回のブロードウェイ・ボムのゴール地点で起こった彼らのやりとりだ。
「勘違いして欲しくないのは、行政はまったくもって非協力的だけど、警察官たちはひとりの人間として、すごく紳士的だった」とジミーは話す。
事実、レースの先頭集団を先導するのは警官のバイク。無駄な事故が起こらないように、だ。街行く人々も、「歩くんじゃねーぞ!ズルすんなよ!」とヤジをとばし、まさに老若男女が参加するピースフルな雰囲気だった。
「前回で最後」と(メディア)に公言していたのに、今回はあまりにも協力的な警察や形式的なバリケード。もしや許可がとれたのかと聞いてみた。ニューヨークで公道を閉鎖してイベントを行うには行政に多額の費用を納めなければならない。
「まさか!やるっていったらできなくなるだろ?」。いたずらっぼく笑いながら、そう答えた。
毎年何万人ものランナーが走るニューヨーク・シティマラソンも、1970年代には違法だった。しかし、イベントが大きくなるにつれてスポンサーがつき、ニューヨークのオフィシャルイベントになった。「俺には夢があるんだ」とジミー。
「いつかこのレースが違法イベントではなくなって、誰も危険に晒されない、逮捕されることのない、ニューヨーク・シティマラソンのようなイベントになることさ。ネクタイを締めたビジネスマン、街行くひとたち、すべての人々がスケーターを応援する光景を、テレビで見るのが夢なんだ。ブロードウェイ・ボムがニューヨークという街で世界最長、最大の『オフィシャルな』世界大会になる。そして優勝者は胸を張って世界で一番速いスケーターだと言える日を思い描いてる。決して日の目を見ないアンダーグラウンドのチャンピオンじゃなくてね」
筆者も取材と称しレースに参加したクチなのだが(実際の動画はここから)、「最高の気分」だった。あのブロードウェイを走っているときの雰囲気は、「アメリカには土壌があるから」の言葉で簡単に済ませることはできない。「できないからやめる」ではなく「できるようにトライする」。不可能を打破しようとするジミーたちの情熱と覚悟があってこそだからだ。そしてそれはあと少しのところまで来ている。
最後に、来年はレースやるか彼に聞いてみた。「さぁ、どうだろね!」と少年のようにニコッと笑い、こう言った。
「日本のみんな、スケートがやりたきゃ、ブロードウェイ・ボムに来な!」
Photo by Kohei Kawashima
—
Photos by Kohei Kawashima, Takuya Wada
Jimmy Interview Photos by Kohei Kawashima
Text by Takuya Wada
—