“違法なレストラン”に学ぶ。市民主導のユートピアの作り方
Photo by Lassi Häkkinen
年に4回、街中がレストランになるという特別な日がある。フィンランドの首都ヘルシンキではじまり、いまや世界的なムーブメントとなった「レストランデイ」。誰もが、どこでも好きな場所で「自分の店」をもてる一日。ルールは一切なし。歩道や公園、裏庭、自宅のダイニングテーブルや屋上だってレストランになる。
そんな夢のカーニバル、実は“ゲリラ行為”からはじまった。5年前、市民が「たった一日でいいから、ルールをなくして、あなたの市民の常識と道徳を信じてみませんか」。そう行政や自治体に市民が訴えてみたが、反応は渋かったという。
「この日は市民を信じて100%の自由を与えてみましょう」
「決まりごとは一切なし」のレストランデイ。ライセンスの取得や契約も不要。参加費、登録費というものも存在せず、出店したい人が自費で好きなだけ用意して好きな価格で提供すればよい。
市民であり、ファウンダーのTimo Santala(ティモ・サンタラ、以下ティモ)が友人たちとフィンランドの首都ヘルシンキで第1回を開催したのは2011年の5月。以来、年に4回「レストランデイ」を開催し、規模を拡大させてきた。今年の5月には「世界34ヶ国で約2,500軒の一日限りのポップアップ・レストラン」が出現。この4年で、トータルすると世界72ヶ国以上で開催され約8万8,000人がレストランをオープン、ざっと250万人以上もの人々を巻き込んできた。まさにビッグムーブメントと呼ぶに相応しい成長を遂げてきた。
Photo by Lassi Häkkinen
「僕は友人と、フードカーならぬ“フード自転車”で、手作りタパスとワインの店をやりました」とティモ。
「レストランデイは、アルコール販売もやっていい(合法)んですね」と尋ねると、
「いやいや、法律も制度も何も変わってないので、合法ではないですよ」という答え。
「“レストランデイだけは例外”という許可もおりていません。そもそも『認めてください』ってお役所に申請したわけでもなく…。ま、お話はしましたけどね。要は違法です」
Photo by Tuomas Sarparanta
公然と違法「ですが、なにか?」
ヘルシンキは決して「ゆるい街」ではない。アルコール販売にはライセンスと許可が必要だったり、野外で生魚を提供してはいけない、○平方メートル以上の規模の飲食店をオープンする場合、男女別と障害者用を含めたトイレをいくつ設置しなければいけないなど、ご多分にもれずルールは山ほどある。
ティモ:
「より良い町づくりのためにルールが存在している」のは「他者に配慮し、安全性を考慮することが大切」だからですね。であれば、逆に「それができれば(ルールをやぶっても)いい」ともとれます。
そこで「それじゃ、やってみます(ので見ててください)!」 といって、開催してしまったのがレストランデイです。
「たった一日だけ、市民の常識と道徳を信じてみませんか」と、いってはみましたが、行政は一度も公式に認めたことはないんですよ。
アルコール販売に関しては、僕がまず自己責任でやってみたところ、何も忠告されなかった。未成年に飲ませるなどモラルに反したことは一切しなかったですからね。
もちろん、忠告を受けたにもかかわらず反抗したら、 罰金をくらったかもしれませんが…。それを見て他の市民も「アルコールも大丈夫そうだね」 と、カクテルや自家製ビールを提供しはじめた。そうやって「どのくらい自由なのか」を自分たちで探り、取り組んでいった感じです。
Photo by Tuomas Sarparanta
もしも食中毒になったら?「Thats’ LIFE( それも人生でしょう)」
レストランデイには「約9万」という飲食店が、“ポップアップ”してきたわけだが、そのすべてが「ポジティブか」と聞くと、「まさか!」と笑い飛ばす。
Photo by Tuomas Sarparanta
ティモ:
コミュニティのために、「いち個人」として、「オリジナル の料理」を持ち寄って参加することを奨励していますが、選挙活動に利用する人や、市販のものを安く仕入 れて販売して儲ける、といった利己的なものもあります。また、何万店もが神出鬼没する中で、事故が一度もな かったとしたらそれはミラクルです。過去には、コペンハ ーゲンで参加者約70人の食あたりが報告されたこともありました。
確かに食あたりは気の毒だけど、食べ物を提供しているのは、あくまでいち個人。
「これ、私の自信作のアップ ルパイです。いかがですか?」といわれて「美味しそう」と 思ったから食べた。それで「お腹が痛くなった。責任を とれ」「素人は危険だ、手作り料理なんか食べさせては ダメだ」なんていってたら、本当につまらない世の中になってしまう。
レストランデイは100%自由。リスクと責任が伴うのは 当然のこと。「食あたりになっちゃった」も経験で、次か ら気をつける。人生と同じですよ! たとえば、おばあちゃん家でみんなでご飯を食べるっ てときに、おばあちゃんが髪の毛はちゃんと束ねてネット帽をかぶっていたか、生肉を触るとき手袋をしていたか、なんて確認しないでしょ。おばあちゃんを「信用しているから」ですよね。
それでいて、目の前の住民には、安全性や責任を執拗に要求する。それは「信用していないから」。それでは、ガチガチにルールを決めたがるお役所の姿勢と同じはないでしょうか。ルールが一切ない中で近隣住民をどれだけ信用できるか。それを試し、良好な関係を築こうとするのもレストランデイの存在意義だと思います。
Photo by Andrew Taylor
信頼ある人間関係は、コミュニケーションによって醸成されていく。そして、市民の間のコミュニケーションを円滑にするのに一役買っているのが「美味しい食べ物」であり「レストランデイ」という訳だ。ルールがなくとも、市民は善行をし「街はこんなに良くなる」というのを、ヘルシンキ市民はたった一日にして証明してみせた。
オーガナイザー不在、 でも「面白そう」だから続く
レストランデイにオーガナイザーは存在しない。「僕はただのいい出しっぺで、自由 に開催するのに便利なツールをみんなに提供しているだけ」という。便利なツールと は、ポップアップレストランの位置情報がわかるアプリとウェブサイト(17ヶ国語対応)だ。
「こんなに簡単に参加できる」「こんなに楽しそう」というのをみせて「誘発しているだ け」とティモ。
とはいえ、リクエストに応じて講習会やスピーチも行う。ノウハウを拡散し、それを 学んだ人が、各地で自律的にレストランデイを開催できるようにし、伝染病のように ムーブメントを広げてきた。戦略的に思える。が、レストランデイ広がったのは、あくま でも「面白そうだから。それに他なりません」という。
Photo by Hanna Anttila
ティモ:
「僕、個人的には、デモみたいな抗議運動の力は信じていません。一時的には多くの人を巻き込んだとしても、長期的には続かないからです。なぜ続かないって、
「楽しくないから」。楽しくないものは、どんなに意味のあるものでも恒久的には続かない。
「ソーシャル・ムーブメント」「市民主導のアーバニズム」としても認知されているレストランデイですが、あくまでも「D.I.Y.な食のお祭りをやったら面白そう!」とい
うのが動機。“社会を変えるため”にはじめたわけではありません。ただ、結果的に、行政や自治体の非効率さや、不必要な決まりごとの多さが浮き彫りとなり、「より
良い街づくりって、自分たちでやった方がクリエイティブで合理的なのでは」と多くの市民が気づいてしまった。そして「面白そうだしやってみようよ」と、より多くの人をひきつけ、ムーブメントになったんです。
Photo by Heidi Uutela
街を変えるのは道徳云々じゃなくて、 “面白いか”どうか
市民主導のレストランデイの心意気に感服したところで、やっぱり気になるのは市や 自治体の反応。
ティモ:
ヘルシンキ市長は、肯定的な姿勢です。「市民主導の街づくりの理想モデル」ともい っていただいていますし。しかし部門によっては「いったい誰が片付けるんだ?ゴミ 箱の数が足りていないんじゃないか?」など、不安要素をぶつけてくるところもやは りあります。 なので、レストランデイも4年が経ちますが、いまのところヘルシンキのお役所の姿勢は、
「なんとなく容認はしているが、決して協力的ではない」といった感じです。補助金 などの話も、レストランデイのためにゴミ箱を用意してくれる、ということも一切あり ません。そこで行政に依存せず、「ならば」と自ら立ち上がってくれる市民がいてくれるから、 レストランデイはなりたっているんですよね。環境への配慮、自分でゴミは持ち帰る、などは当たり前レベルでやってくれています。それも、何故かと考えると「レストランデイが面白いから」に帰結するんです。サステイナブルなサイクルって、道徳云々だけ じゃなくて、やっぱり面白くないと続かないですよ!
Photo by Roy Bäckström
いまはまだ、レストランデイ自体が法的に認められたわけでも制度やルールが変わったわけでもない。だが、レストランデイを機に、市民のアイディアの可能性を信じてみよう、という気運が高まっているのは確かだという。
「日常に不満があるなら、こぼすだけでなく、改善するために何でもいいからまずは 行動してほしい。“Just Do It”ってナイキじゃないですが、これ大切です」。待っているだけじゃ、ユートピアはやってこない。
※※※2018年より、「障がい」から「障害」に表記統一をしました。
表記ではなく社会そのものをアップデートする必要があるという認識のもと、障害という表記を文中で使用しています。
また、障害とは一定の個人に由来するのではなく、あらゆる個人が存在し共存しようとする”社会”にあり、それをあらゆる個人らが歩み寄り変えていく必要がある、という考えを弊誌は持ちます。
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Restaurantday
restaurantday.org
Writer: Chiyo Yamauchi
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