Photo by Koichi Ogasahara
一体、かつての「僕のヒーロー」はどこまで転げ落ちていくのだろう。貧困の中でドラッグに溺れ、最後はエイズに肉体をむしばまれていくー。
ブルックリン出身の報道写真家マーク・アスニンは1981年から31年間、叔父チャーリーの転落人生にカメラを向けてきた。彼の写真集『Uncle Charlie』を手に取った人たちはこう言う。
「チャーリーという被写体の、静かながら力強い波動が心に鋭く深く突き刺さる」と。
叔父という被写体を通してみた現実
Via『Uncle Charlie』/ Marc Asnin
「タトゥーがあって銃を持っている。アウトローで男らしい僕のヒーロー」。そんな叔父の姿は、幼いマークの目に、とても格好良く映っていた。「当時、タトゥーは社会的地位や階級を表すものだったんだ。ましてやユダヤ人がタトゥーなんて考えられなかった」
写真家だった父の影響を受け、自身もプロを目指して大学へ通っていた18歳のとき、学校で「個人表現」という課題を与えられた。この時、迷わず「この叔父を撮りたい」と思った。
しかし、かつてはヒーローの様な存在だったチャーリーの姿は、“the guy who has nothing(貧困の中で何の機会も得ることができなかった男)”に見えた。社会から隔絶され、貧困、エイズ、薬物中毒、精神疾患、孤独、絶望と、どこまでも深い闇の中にいるチャーリー。銃を握りベッドに横たわりながら、幼い息子とカメラに目を向ける姿、薬物中毒の女性からオーラルセックスを施される姿、暗い部屋の中で椅子に裸で腰をかけ、左手に煙草、右手に銃を握り、力なく窓の外を眺める姿。働くどころか外出すらままなず、社会から完全に疎外され、空虚な抜け殻の様だった。幼い頃に描いていたヒーロー像が全くの幻覚であったことを悟りつつも、マークはシャッターを切り続けた。
光と影「お前とは地獄で会うことになるだろうな」
Via『Uncle Charlie』/ Marc Asnin
写真は1987年、Life Magazine Awardに入賞した。マークはこれを機に写真家としてのキャリアを培う一方で、被写体であるチャーリーの5人の子どもたち、つまりマークの従兄弟たちとは疎遠になってしまった。「従兄弟たちが、写真が世に出たことについて喜んでいないことは暗に分かった」。また、当初は撮影に同意の意志を見せていたチャーリーも、ある日マークにこう言ったという。「お前とは地獄で会うことになるだろうな」
複雑な気持ちを抱えながらもマークは写真を撮り続けた。チャーリーの中でも、様々な感情が交錯していたはずだが、「撮影自体はどこか楽しんでいる様に見えた」とマーク。写真と同時に、自らの人生を語るチャーリーの言葉も記録し始めた。インタビューは26年にも及び、チャーリーが語った言葉そのままを『Uncle Charlie』に掲載した。
マークは今、「自分がやったことに対して後悔はない」と力強く言う。「なぜなら、誰にも伝えられることの無かった叔父の言葉を拾い集め、この世に残すことができたのだから」。撮影を通して、チャーリーに嫌悪感を抱いたこともあると言う。しかし、31年に及ぶ撮影だ。そこに「愛」がなければ決して成し遂げられない。チャーリーという、自身の家族の一人を通して「貧困とは何か」を記録し続け、マークは、人が他に見る機会のない、もしくは目を背ける社会の裏にある現実を世に突きつけた。
ユートピアの裏側にある貧困問題
Via『Uncle Charlie』/ Marc Asnin
「叔父は社会問題としての貧困を象徴していた」とマーク。チャーリーとその息子の一人は、コカインやヘロインに溺れ、そしてエイズで命を落とした。彼らは十分な所得が無く、教養も無かった。貧困という、世の中から隔絶された人々が陥る社会問題。社会制度から排除され、自己実現する権利も剥奪されていく。この社会的な負のスパイラルは、どんな人間とも切っても切れない関係にある。その点で、マークは「叔父の存在は、社会問題として多くの人と繋がっている」と語る。
マークが社会問題に目を向けるようになった背景には、貧困に苦しんだ身近な母や祖母の存在がある。「貧しいことは恥じることではない」とマークに教えた母と、叔父チャーリー、また家族が抱える真実を包み隠さず教えてくれた祖母の存在は大きい。また、幼い頃から人種問題や収入格差などの現実を目の当たりしてきた。毎週土曜日に祖母の住む、当時ブルックリンで最も犯罪が多い危険なエリアに通っていたマーク。「白人は一人もいない。そこを歩くことが危ないことは分かっていたけど、住んでいる人たちを怖いと思ったことは無かった。自分の祖母もそこに住んでいたしね」と言う。
また、ユダヤ系の出自であることは極めて大きい。「ユダヤ人であることを誇りに思う」と話すマークにとって、自身のルーツはとても重要な意味を持つ。歴史的にみても、アメリカをはじめ世界中にユダヤ人の写真家は多く、とりわけドキュメンタリーの分野は盛んだ。アメリカというユートピアの裏側を記録した力強い社会派作品は、今なお多くの人に影響を与えている。マークはそういった環境も踏まえ、自分は恵まれていたと話す。
情熱を宿し、才能を育てる土壌としての本
Via『Uncle Charlie』/ Marc Asnin
最悪の治安と社会状態だった1970年代のニューヨークは、歴史上「どん底」といわれている。その最中で10代の多感な時期を過ごしたマークは、ブルックリンの中下層階級のユダヤ人家庭に生まれた。「決して裕福な家庭ではなかったこと、公立学校へ通っていたことは、後の自分にとってすごく良かった」。経験してきたこと、目で見てきたモノ、家族、特に父、母、祖母との繋がりは強く、それらすべての影響を受けて今の自分がいると言う。
マークは『Uncle Charlie』を“cultivation(耕作)”という言葉で表現した。作物(才能)が育つ土壌(環境)ということだ。「この本を手にした人が、心に『情熱』を宿してくれればと思う。何をするにも、まずは情熱を持たないと。それを持って自分のゴールに向かって欲しい。例えば、フットボールの選手に憧れ、夢中でボールを追いかける子どもの様に。たとえコンクリートの上でも全力でスライディングするあの情熱。俺はそんな情熱を自分の人生に見つけた。そして31年間、これに注ぎ込んだんだ」
Via『Uncle Charlie』/ Marc Asnin
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Documentary Photographer
マーク・アスニン 報道写真家
marcasnin.com
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Writer: Chiyo Yamauchi