ずいぶんとへんぴなところまで来てしまった。
ブルックリン行きの電車やバスを乗り継ぎ乗り継ぎ、閑散とする倉庫街を歩くこと十数分。やっとの思いで古い倉庫にたどり着いた。肉や金属の加工場に囲まれた一角を進むと、薄暗い場所にコーヒー豆が詰まった麻袋が雑多に積み上げられている。そこを抜けると、シャンデリアに絨毯、倉庫には似つかわしくない洒落た空間が広がっていた。
そこで行われていたのは、コーヒーを愛する男たちによる、“コーヒー文化育成”。Pulley Collective(プーリー・コレクティブ)、焙煎士たちが集まる秘密結社、とでもいおうか。
焙煎士たちのシェアオフィス
倉庫一室、入って左手には豆のローストマシン。まだ緑の豆を丁寧に焙煎していく若い青年。ときおり豆の匂いを嗅ぎ、一粒かじり頃合いを待つ。その横では麻袋を運びだす男性が二人。談笑しながら黙々と作業をしている。そのもうひと奥の左のガラス張りの部屋では、数人がエスプレッソマシンの修理とメンテナンスを試行錯誤しながら行っている。広い倉庫の空間がさらに数エリアに小分けされ、何人ものカフェのオーナーや焙煎士たちが、「コーヒーに関する何らか」を思い思いに行っている状態だ。
2013年、メンバー制の“シェア焙煎所”であるこのプーリー・コレクティブをオープンさせたのは、スティーブ・ミエリヒ。ニカラグアのコーヒー農家に生まれた彼はコーヒーの栽培、加工、輸出入、そして販売など様々なかたちでコーヒーに携わってきたプロフェッショナルだ。
もぐらたたきのごとく消えてもどんどん建ちゆくシェアオフィス、それからアーティストやフォトグラファーがスタジオを共有するという“場所の共有”のムーブメントから「コーヒーの焙煎でも同じことができるのではないか」とアイデアを得たという。
あらゆる“コーヒー人”が集まって焙煎所をシェアすることで可能になるのが、「コミュニティの育成」。これこそ、この空間の真髄だ。
「みな競合相手だが、ここではそういった意識を抜きにしてここで生まれるコネクションを大切にして欲しいんだ。質問、意見、相談、談笑。ここでのあらゆるコミュニケーションが、コーヒー文化を育てることに欠かせない」と彼は話す。
必要資金を400分の一に削減する一室
ニューヨークでコーヒーの焙煎をはじめようと思ったら、必要な機械、資金や場所の確保などの実際に焙煎するまでの準備に約1年。最低でも約4,000万円は必要になる。そのスタートアップの足枷である莫大な初期費用を、シェア焙煎所であるプーリーは最低限に抑える。すべてが揃えられたこの場所では機械を揃える必要もない。
さらに、スピード感を武器にするプーリーならではの利点がもう一つ。「コーヒーのスタートアップにとって、プーリーを利用する一番のメリットは時間だね」。この焙煎所のメンバーになれば、850ドル(約10万2,000円)で1週間に1回半日、焙煎ができる。焙煎をはじめるまでに、2週間もあれば十分だという。
「スタートアップの焙煎士たちが集まることによって、それぞれが焙煎の知識を共有することが大きい。熟練もいるわけだから、焙煎士の育成に繋がる。それから、小さいコーヒーショップでも実験的に失敗を繰り返して高品質なコーヒーを提供できるようになる」と、プーリーの可能性を話す。なるほど、奥のエスプレッソマシンの横にはまるでペニシリンの実験のように、ぱっと見は一様だが異なる豆をのせた皿がずらり。このシステムがあるからこそ、日々新たなコーヒーを求めるニューヨーカーを唸らせようと、焙煎士たちは新しい味を求めて実験的な焙煎ができる。成功に不可欠な失敗を、短期間で繰り返せるともいうわけだ。
ところで、シャンデリアや絨毯など“倉庫一室”だということを忘れそうになる。費用をおさえるためのシェアスペースであれば「場所さえあれば」というところだが。
「ここは、焙煎士やコーヒー農家、ブローカーなど訪れるすべての人にとって快適な場所であって欲しい」という思いから、内装にこだわりほとんどを自ら手がけたという。もともと靴問屋の倉庫だったそうで、「キレイにするのには時間がかかったね。柱の白いペンキを剥がすのにも苦労したよ」と。彼の指差す先にはペンキの跡が見えない木製の柱があり、レンガの壁や木製のテーブルと一体感を生んでいた。こだわった居心地のいい空間に、思い思いの談笑が心地よく響く。
来たる、「焙煎士“世界”会議」の日
公に発表していないにも関わらず、口コミでプーリーの存在を知った人から「焙煎の方法を教えて欲しい」との問い合わせが多い。現在、2、3時間かけて1パウンド(約453グラム)の豆の焙煎方法の講習を行うようになり、この講習をシステム化する予定だという。さらに、プーリーのネットワークにより、経験が浅いメンバーは、ブルーボトル・コーヒー出身の施設マネージャーに、アドバイスをもらうこともできる。シェアスペースビジネスの成功を追求するだけでなく、より多くの人にコーヒーの奥深さに触れて欲しいという、コーヒーをこよなく愛する男の純粋な気持ちが見えた。
サンフランシスコやロサンゼルスにも進出予定。「5年後にはアメリカだけではなく、ヨーロッパやアジアにも進出してコーヒーのネットワークを作りたいんだ。世界中の焙煎士たちがフィードバックや情報を交換できるようになれば…」とスティーブ。倉庫の一角にできたコーヒー好きが集まる空間。ここで育まれるコミュニティは少しずつだが着実に成長中。コーヒー文化の“秘密”結社と呼べなくなる日は、そう遠くはなさそうだ。
Photos by Kohei Kawashima
Text by HEAPS, Editorial Assitant:Akihiko Hirata