Issue 24 – 01「D.I.Y. 新・生活論」 Can’t < Can = D.I.Y. できることは、想像以上にあった。
「書を捨てよ、町へ出よう」 歌人、寺山修司の言葉だ。
D.I.Y.の持つメッセージも同じだと語る者がいる。彼の名は、Benjamin Shepard(ベンジャミン・シェパード、以下ベン)。ニューヨーク市立大学工科カレッジで教鞭を執る“D.I.Y.博士”だ。彼は、市民活動家としての顔も持っており、これまで、空き地の公園化や自転車レーンの設置に尽力し、フラッキンング(水圧破砕)反対デモなどの市民活動をリードしてきた。彼がいつも謳うのは、「D.I.Y.(自分たちでやろう)」だ。ベンはいう。 “Go To The Streets, Do Something. That’s D.I.Y. Says.”
つまりこうだ。「あなたがもし、問題を抱えているならば、打ちひしがれているならば、解決しようと思っているならば、部屋に閉じこもるな。まずは表に出よ。人に会え。『できないこと』ではなく『できること』を見いだし、実践せよ。それが、D.I.Y.の心だ」。ベンを訪ねて知ったこと。それは、D.I.Y.の歴史が、私たち人類の問題解決思考と実践の、革命の歴史だったということ。
AIDSもD.I.Y.が救う!
取材陣が招かれた教授部屋の壁には、所狭しとプラカードの文言が貼られている。「ウォール街を占拠せよ」「自転車レーンの設置を」などなど、どれも世界的に知られることになる市民活動の“カケラ”だ。「特にこれ、キョーレツだと思わないか」。そういってベンが指差したのは、床にふせたエイズ患者の風刺マンガ。国にさえ見捨てられてしまったエイズ患者にソーシャルワーカー(社会福祉士)として関わった頃から、ベンの中には一つの思いが宿っている。
「お上ができないっていうなら、僕らがやってやろうじゃないか」。自由を掲げるアメリカ合衆国。旧体制への反骨精神が原動力となって、「自分たちの国を」という意志のもと建国されたのは1776年。そんな気骨なD.I.Y.精神のDNAは残っていないのか。筆者の頭をよぎったそんな疑問を、ベンはバッサリと斬った。
「そういう歴史があったのは事実だが、いまをごらんよ。僕らアメリカ人の民主主義は、利益追従の会社主義みたいなもんだ。法律を通すにも、まずは関係各所の権力者にお伺いを立ててからだからな」
美談は一切必要なし。がーっとまくしたてた後、「しかし政府批判が目的じゃないんだ。問題に気づいてしまったら、上が解決のために尽力しないからダメなんだではなく、自分たちはどう、解決のために動くのか。つまり、自分でやる=Do It Yourselfとは、『できない』現状を打開するために。『できる』ことを見いだし実践すること、賢く解決するための方法だ。できないと思うのは簡単で、できることはあるもんだ」と、ベン。D.I.Y.とはまず、「できる」という思考回路と行動力を指す。
D.I.Y.は、恐れない
D.I.Y.は、「どん底」という極限状態を土壌に生まれる。D.I.Y.精神について振り返るとき、ベンはダダイズム、シュールレアリズム、シチュエーショニズムを思い起こすという。第一次大戦による世相の混乱と荒廃に対し、元来の芸術のカタチを崩し新しい見方を示すことで、これまでのしあわせのあり方やあるべきカタチ、方法を再定義しようと試みるダダ・ムーブメント。いま向き合っている現実において新しい価値を見いだそうとするシュールレアリズムや、状況に応じ道を切り開こうというシチュエーショニズムは、「自らで新しい解決を試みる」D.I.Y.精神の根幹といっていい。
どうしようもない状況下にあるからこそ、私たちは原点に立ち返り、あるべき姿を求めるようになる。闇から光が生まれるように。絶望から希望が芽吹くように。D.I.Y.はいつでも、現状問題に気づくことからはじまる。しかし、過剰に物質や価値観が溢れる現代社会だからこそ、生き方やしあわせの定義は多岐に渡り、私たちは迷う。「それでいい」とベンはいう。いろんな人がいる、いろんな考えや価値観がある。そこから共通項を見いだしコミュニティは形成される。「何よりも恐ろしいことは、意見のぶつかり合いではなく、殻に閉じこもってしまうこと。僕らは諦めないで伝え続け合うマインドを持つべきだ」とベンは説く。
こんな調査がある。アクティビズム(市民活動)に関わる人の幸福度は、そうではない人よりも高いという。問題に気づいているのにネガティブな文句や責任転嫁、もしくはウジウジと家や自分の殻に閉じこもっていたら、鬱になるし鬱屈した社会になる。「誰もが発言しやすい社会を作るべく、一人ひとりが意識して行動する」。それこそが、健全なコミュニティ社会。「元気がない人がいたら、手を差し伸べる。D.I.Y.の最高のカタチは、一人ひとりがお互いに、自分のことのようにテイクケアし合える状態だと思う」
「パンクは死せず」の根底にあるもの
D.I.Y.に不可欠なものは、「みんながリーダー」という共通意識。「そこには、お互いへのリスペクト(尊重)があり、聞く耳があり、一緒にやろうという心持ちがある。それは何よりも僕たちに必要なD.I.Y.の心だ」。ベンは、その心が生んだ軌跡を見てきた。「捨て置かれた空き地をコミュニティガーデンに」というアイデアに、国籍、文化、人種、宗教を超えて人々が同意し、ともにゴミを拾い、石を砕き、土を入れ、木々を植えた。自動車社会のアメリカで、エコにも都市にも優しい自転車のライフスタイルを推進すべく、自転車レーン設置などの環境整備に尽力。それ以前に、自転車に対する人々の意識も低いため、衝突をはじめ死亡事故の犠牲者が多い。その事実を知らしめるため、人々の関心や意識を高めてもらうため、事故現場にアートを仕掛けた。
「頭ごなしの訴えではなく、心に刺さるようなコミュニケーションをしたい。D.I.Y.はもともと問題解決のための心構えや行動だから、クリエイティビティは自然と必要になる。だから、芸術や音楽とは相性がいい」とベン。「パンクは死せず」というが、音楽そのものだけでなく、ライブのフライヤーからファッション、ステージアートまで作り上げるパンクミュージックを例に挙げ、政治的なメッセージや呼びかけであっても、「音楽には僕たちの心を変える力がある」と語る。
「大都市だからD.I.Y.のワケ」
すべてが簡単に手に入る都会のライフスタイル。買えばいいからD.I.Y.など関係なしと思いきや、だからこそ私たちは、「自分でやりたい」という衝動に駆られる。さまざまな価値観や考え方が渦巻く都会だからこそ、そこでそれを共有できるコミュニティを作る動きが顕著に見られる。ニューヨークの一番いい例として、ベンは「自転車」を挙げる。「20数年前、市は自転車を禁止しようとしたんだ。その時、自転車乗りたちはただ集まって、街を自転車で走った。それだけで一緒になれた。その自転車乗りのコミュニティが根になっていまがある。自転車人口はどんどん増えて、立派なレーンと専用信人類共通の課題に、僕ら一人ひとりが声を上げ、行動できた」と感慨深げだ。
屋上農園もそうだ。数年前までは、屋根が落ちると懸念され、できなかった。しかし、できないからこそ、その問題と向き合って可能な方法を編み出した。そしてそこには、一緒にジタバタした同じコミュニティの“仲間”がいる。それが何よりの宝であり、これからの大都市におけるD.I.Y.精神の礎になるのだろう。
「連邦といった大きなシステムでは、一人ひとりのしあわせをカバーできないし、制約が多過ぎてD.I.Y.力を縛りつけてしまう。だけどニューヨーク市、ニューヨーク州は、より住みよい社会を作ろうと、一人ひとりの力を信じ、耳を傾けようとしている」
つい先日、州が市民活動を発端にフラッキング法をそこでそれを共有できるコミュニティを作る動きが顕州全域で禁止したことを例に挙げ、ベンは力強くいった。「いわれるがまま、あるがままの状態に、みんな疑問を持っている。もっとほかの方法があるのではと考えている。それはニューヨークだけじゃない。世界中の人々が共通して持つ問題意識で、それに気づけた。だからこそ、地球温暖化や食料問題、エネルギー問題といった人類共通の課題に、僕ら一人ひとりが声を上げ、行動すべく歩みはじめたんだ」。昨年9月にニューヨークで行われた、世界的な気候変動の解決を求めるデモ行進「ピープルズ・クライメイト・マーチ」には、30万人以上が参加した。思い思いにプラカードにメッセージを書き、絵を描き、それを掲げマンハッタンを練り歩いた。そこには、一人ひとりの自己改革があり、それが一つになってD.I.Y.革命となる。あなたが一人でやっていると感じていることも、それは間違いなくD.I.Y.で、世界を変える大きなうねりの種となる。さあ、いまこそ、D.I.Y.革命を起こせ!
Benjamin Shepard New York City College of Technology助教授。市民活動家として、エイズ、格差、公園などの公共施設問題に取り組む。フラッキング禁止を訴えるデモでは、表面ではきれいな水に見えても、フラッキングによる汚水は「毒」だということを伝えるために、風呂桶の中に絵の具で染めた水を入れ、その中に浸かったり、歯磨きをしてみたりなどした。「D.I.Y.はトップダウンではなく、ボトムアップの思想と実践。クリエイティブで遊び心があった方が、コミュニケーションに有利」が持論。日本の特撮「ウルトラマン」を、「ハリボテとかすぐ分かっちゃうけど、平和や正義のメッセージを伝えようという情熱はひしひしと伝わってくる。あれこそ真のD.I.Y.だ」と絶賛。 benjaminheimshepardplay.blogspot.com
Photographer: Koki Sato
Writer: Kei Itaya