「化粧品をプリントアウト」。その発想とアイデアは、ハイテク世代と呼ばれる30代の起業家らしいイノベーションだ。2014年春、TechCrunchが主催した先端技術系起業フォーラム「Disrupt」でひときわ大きな喝采を浴びたビジネスプラン「Mink」。商品は、コンピュータとつないでオリジナル化粧品をプリントアウトするデバイス。発明したのはグレース・チョイ(30歳)。彼女は、既存の美容業界に戦いを挑んでいるのではなく、化粧品に新しい価値観を提供しようとしている。
「発明ビジネス」でニューヨークの起業シーンに新しい風を吹かせるグレースを訪ねた。面倒なメイクを一瞬でしたい 「着想の原点は映画『フィフス・エレメント』(1997年、リュック・ベッソン監督)に登場した自動メイクアップ装置よ。一瞬にしてメイクしてくれる機械を作るのが夢だったの。だって、メイクって女の子にとっては毎日のことで、結構面倒くさいものなのよ」
Minkの発案者、グレース・チョイはハーバード大学ビジネススクール(経営大学院)出身。Minkについてネットで調べると、さまざまな動画が出てくる。どうして「化粧品をプリントアウト」を生み出すにいたったのか。プロダクトのコンセプトや原理を包み隠さず明解に紹介する姿を見ていると、彼女がいかに理工系に強いかが分かる。
まず、市販のインクジェット・プリンターをガンガン改造。語弊を恐れずにたとえるなら、目覚まし時計を分解して時限爆弾を作るテロリストのような手際のよさだ。紙の代わりに化粧品のベースをセットし、インクの代わりにフード・カラリング(食紅)を装填する。書類や画像ファイルをプリントする要領で、スクリーン上に現れる写真、動画、イラストなどのありとあらゆるリソースから好みの色を選び、その「カラーコード」を読み取ったら、あとは「印刷」ボタンをクリックするだけ。あっという間に指定した色のリップクリームやファンデーションができ上がる。多少手の込んだ準備をすれば、ネイルにだってプリントできる。今や、アニメ「ドラえもん」の世界が、現実に起こっているのだ。かつては「現実不可能な、遠い夢の世界」だったものが、「うん、できそうね」と、いとも簡単に考えられるのは、身近にある既存のデバイスを熟知し、応用できる今の時代の若者だからこそだ。
医療から商業へのシフト「早く結果の出る発明がしたい」
グレースは、ブルックリンのグリーンポイントで生まれ育った。両親は韓国からの移民で、ずっと青果店を営んでいる。子どもの頃から手先が器用だったという。旅行で泊まったホテルの部屋に家族全員が閉じ込められたとき、グレースが缶切り一つで鍵をこじ開け、ことなきを得た逸話も。理系の名門公立ブロンクス・サイエンス高校からコーネル大学に進み、学部では観光学や会計学を専攻したが、いずれも肌に合わず、なかなか人生の方向が決まらなかった。
結局、医学関係の発明・技術開発を専門にする教授に師事して「発明」の基礎を約10年叩き込まれる。「主にMRI(核磁気共鳴画像法)関連でしたが、人のために役に立つ新技術の開発は胸躍るものでした」。ただし、医療技術の開発には最低でも5年の長い年月を要する。「もっと早く結果の出る発明をしたい」グレースは、発明品の方向性を服飾品やヘルスケアプロダクトなどの一般消費財にシフトする。
アイデア勝負の「発明家」が「起業家」になるとき そんな矢先、ショッピングチャンネルとディスカバリーチャンネルが共催する「発明コンテスト」の募集が目に入った。「チャンス到来」とばかりに飛びついたグレースだったが、締め切りまでたった3日しかない。「血眼になってネットリサーチして、手持ちの知識とノウハウを総動員したらアイデアが浮かびました」。提案したのは、ブレスレットやイヤリングに変形するネックレス。これが見事に優秀賞を勝ち取り、グレースは本格的に発明家としての道を歩みはじめる。
「子どもの頃からちょっとクレージーなところはありましたね。兄をはじめ、まわりのアジア系アメリカ人は、みんな弁護士や医師など専門職を目指していたけど、私は違った。大企業で働く気も全くありませんでした」
とはいえ、いかに才能があろうとここはアメリカ。発明コンテスト優勝の経歴だけでは仕事はこない。グレース・チョイを“正統化”する、経歴や資格が必要だった。そこで、名門ハーバード大学のビジネススクールに願書を出してみたら合格。2年間、みっちり最先端の経営学の勉強をした。「ビジネススクールには、新しいアイデアを持った優秀な人たちが世界中から集まっている。思いついたコンセプトはすぐに学生同士ぶつけ合って意見交換ができる。フォーラムであると同時に一種の戦いの場でもあって、授業は実際のビジネスの現場と何ら変わるところがありませんでした」
卒業後、生活のためにバーガーキングの本社オフィスで経営スタッフとして勤務したが、そもそも、大企業志向ではないので合うはずもなく、3ヶ月で退社。自分には「発明ビジネスしかない」との自覚を新たにし、本格的に新商品開発に取り組む。
「何ができるかな?と思った時に、女性向きの一般消費財をもう少し掘り下げてみようと思ったんです。調べてみたら化粧品市場に可能性が見えてきた。実は、若い子たちが買える手頃な値段の化粧品に色のバラエティが非常に少ないんです。変わった色がほしかったら、街のドラッグストアでは全くダメで、コスメティックセレクトショップのSephora(セフォラ)のような専門店に行かないといけない。そして、高い。私は、医療品開発に携わってきたので、化学成分には詳しいのですが、化粧品の原材料は、ブランドごとに違いはほとんどなく、実際は非常に安価なものです。結局、ブランド品はイメージとパッケージで付加価値を付けているだけ。そんな化粧品市場に風穴をあけようと思って、考えたのが、プリンター技術を応用した家庭で作れるオリジナル化粧品のデバイスMinkです」
新しいマーケットをつくる=既存のマーケットとはケンカしない
今春の発表以来、Minkはネットメディアを中心に話題の的だ。グレースの主催するウェブサイトには、3万3,000人ものフォロワーがついた。一方で、「アイデアは素晴らしいが実行できる可能性が少ない」「原材料の安全性は?」「画像の色と実際の色がマッチしない」など、批判的な声も少なくない。
「Minkが嫌いという人からはとことん嫌われています。でも、批判する人は、新しいマーケットを知らないだけ。私が狙っているのは13歳から21歳の若年層です。この層の子たちは、自分の化粧品を探している年齢で、いろいろ冒険する世代。しかもお金も時間も限られている世代。だからプリンター化粧品に飛びつくと思うんです。批判する人にはこう反論します。『大丈夫よ、あなたのマーケットじゃないから』って」
Minkの商品化は2015年。来春にはデバイスのデザインも発表される。商品開発に必要な初期投資はおよそ100万ドル(約1億円)。
「集まると思う。このアイデアは化粧品業界に革命を起こすかもしれない。化粧品を店に買いに行く商品からコンピュータでプリントアウトする商品に変えるのが私の目標です。お金や名声がほしいわけではなく、人々や時代の価値観が変わった時に最大の喜びを感じますね」。成功するかなという問いに、「うん。するわよ。私には3万3,000人もサポーターがついているも」。グレースは自信たっぷりに笑みを浮かべた。スティーブ・ジョブズが開発したiPhoneのように、30歳、グレースのユニークな発明が市場に出て、どう社会や生活の一部になっていくのか楽しみだ。
gracemink.com
Photographer: Kuo-Heng Huang
Writer: Hideo Nakamura
掲載 Issue20ko