コレオグラファー、女優/ Ryoko Nomura
コレオグラファー(振り付け師)、ダンサーとして知られるRYONRYON.こと、野村涼子。安室奈美恵や倖田來未をクライアントに持つ彼女は今年5月、ニューヨークで再出発のための準備をしていた。4月から、ロスアンゼルス、ラスベガス、シカゴと一人旅をしていた野村が日本への帰国前に選んだのはニューヨークだった。90年代にダンスを学ぶために訪れて以来、何度この地を踏んだことだろう。「ニューヨークに来ると、自分が何をすべきなのか、より明確になるんです」。帰国した彼女は、舞台女優デビューも果たし、その活動の幅を広げている。ニューヨークで感性や技術を磨き、日本で昇華させ実績を積み続ける彼女の武器は、「自分を進化させたい」という真っ直ぐで純粋な思いと、実現させるための行動力だった。
野村はこれまで、コレオグラファー、演出家、ダンサーとして、タレントやアーティストのコンサートツアー、PV、TV、CM、ドラマ、映画、多くの作品に携わってきた。安室奈美恵、倖田來未、荻野目洋子、MAX、SPEED、知念里奈、後藤真希、仲間由紀恵、斉藤和義、スガシカオ、大黒摩季、安達祐実、ノースリーブス、渡り廊下走り隊、リュ・シウォン、モーニング娘。、ミニモニ。、安倍なつみ、メロン記念日、Berry工房――。野村が担当してきた芸能人やグループの名前を挙げると、いかに彼女が日本のダンス・ミュージックシーンをリードしてきたかが、一目でわかる。
さらに彼女は、2007年、ダンサーやタレントの育成とマネジメントを行う「R2CREATIVE」を設立し、「後世を育てる」ビジネスを展開。現役としても指導者としても、日本のエンターテインメントの底上げに尽力する野村の真摯な活動スタイルは業界で評価されている。
彼女を苦しめた4年を費やした離婚については、「みなさんのサポートに感謝しています。この10年があったのは事実。次から次へと起こる出来事を受け入れるのは大変でした。でも自分を見つめ直す時間、そして、これからの人生に必要なことを再認識する機会だったと受けとめています」と静かに振り返った。
「ひとり」になったことで、野村の心は「ゼロに戻った」。これまでのキャリアをどう生かし、「新しい自分」になるのか。「どん底」だった4年を乗り越えた野村は今、まったく違う気持ちで、芸能界に生きている。
ダンスをやるならニューヨーク。「自分を進化させたい」
ダンスに目覚めたのは高校時代。「燃え尽きている感じだった」と話す裏には、中学時代の思い出があった。バスケットボール部に所属していた野村は、チーム一メイトとともに一丸となって練習に励み、東京都のベスト3にまでにのし上がったのだった。
「目標が一気になくなってふわっとしていたときに、ダンスに出会った」。幼少のころからバレエで磨いてきた運動神経とセンスを持ち合わせ、さらにピアノを習い続けてきた無類の音楽好きにとって、ダンスは「ビビっときた」。習い事としてダンスを楽しんだが、進路を考えたとき、「本気でできるダンスをやりたい」と決め、大学には進まなかった。「ダンスで生計を立てるという考えがなかった両親には、心配をかけました」
そして、野村は直感に従い、ダンスの道を選び、「ダンスをやるからにはニューヨーク」と、ひとり飛び立った。90年代当初、「ニューヨークにダンス留学」という選択は、“普通”ではなかった。「クラスに日本人はあまりいませんでした。SNSもないし、先生やクラスの評判もわからない。知るためには実際に動く。人に会って聞いたり参加したりが当たり前。自分が動いた分だけ得ることができる情報と経験は、何にも代えられません」
自ら動く。ひとりでやる。知り合いも頼れる人もいないニューヨークに飛び出すことができた最大の原動力について、「自分を変えたい、進化させたいという思いがありました」と野村。直感に従って行動を起こしたからには、最大限の“収穫”を得たい。収穫があるからこそ、道を示せるからだ。だからこそ、そのためには何が必要で、自分はどうすべきなのかをとことん考える。「楽な道を選ぶつもりはないんです。真っ直ぐにそれだけを求めて努力していると、筋が通っているからなのかな、“正しい道”が開けるものです」。実際、純粋な思いに基づく行動を貫いてきた野村には、いつでもチャンスと仕事が舞い込んでくる。
「ある日のレッスンで先生から、『フロントに出て踊りなさい』って言ってもらえたとき、自分の中で『よかったんだ、よし!』って嬉しさがこみ上げてきました。何をやるにも、楽しいとかそういう気持ちは、いつでも後からついてくるものだと思うんです。実感できるまではひたすら、やるべきことをやるのみ」。野村は2年間、2、3ヶ月の滞在を定期的に繰り返しながら、ダンスの実力をつけていった。
生来のセンスとニューヨーク仕込みのダンステクニックが認められ、野村はダンサーとしてライブなどに出演しながらTV番組にもレギュラー出演していく。そして、それらの仕事がきっかけとなって、あらゆるジャンルのタレントや曲の振り付けを任せられるようになり、そのイメージにぴったりの振り付けをクリエイトできるコレオグラファーとして知られるようになる。
アメリカのストーリー性のあるPVに魅力を感じていたからこそ、コンサート、ミュージカル、TVコマーシャルなど、あらゆる仕事でクリエイティビティの高いシーンをつくってきた。ダンスが得意でないタレントやアイドルでも、彼らの魅力が最大限にエンターテインメントとして昇華するプロットを野村は描いてきた。「そしてできれば、違う魅力も届けたい。単なるエンタメではなく、『もっと見ていたい、次も見てみたい』と思ってもらえるような、奥行きのある作品にしたい」
変化も味方に。「エンタメに奥行きを」
変化を恐れない街、ニューヨーク同様、野村も変化を恐れない。「むしろ変化を意識することで、『変わらない部分』が浮き彫りになるんです。それに気づけたら、自分が変えられる部分、変えなきゃいけない自分がはっきりしてきます」。がむしゃらだったころは「結局は自分のことばかり」。しかし、心の機微を相手に伝えるときに、「ちょっと待てよ」と一瞬、深呼吸する。「そうすると、『自分がこう変わったら、そのままうまくいくのかも』っていう発想が生まれるんです」。まずは自らを省みることができる野村だからこそ、人間力が高く、人望も厚くなる。「RYONRYON.に習いたい」「RYONRYON.に振り付けをプロデュースしてもらいたい」という声がある限り、コレオグラファーとしての仕事も、これまで以上に続けようと考えている。同時に、創作活動においてより総括的な視点が持てるようにと、「演出、監督といった総合的な仕事も勉強したい」と、新しい挑戦を掲げる。
自分磨きは一生。「ずっと見たい」と思ってもらえる人に
再出発の際、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属を発表した野村は、8月、女優として舞台に立った。「お芝居で台詞を覚えて演じるという、自分にとって新しい表現手段が新鮮でした。『声』を使うことを、避けていたころがあったので。けれど、これから自分ができることをしっかり積み上げて、素晴らしい演出家の方にも出会えるよう、どんどんお芝居にも出演していきたいです」
舞台も含め、野村が生きる世界では、「自分磨きは死ぬまでやること」。「お客さまには『この人を見てみたい』と。仕事を一緒にする人には『この人と一緒につくりたい』と思ってもらえるように、自分を高めていきたいです。お芝居をするには、人間力を高めていくことが必要だと、アドバイスをいただきました」
ニューヨーク滞在中も、彼女は自分磨きに専念していた。「自分を持って一生懸命生きている人が多い街だから、パワーがありますよね。私も滞在する際は、本当に一秒たりとも無駄にしていません」と話すだけあり、1日2、3レッスンを受け、ミュージカルもはしご。「マディソンスクエアガーデンでのコンサートだってひとりで行って、ステージに見入っています。出演する側と演出する視点の両方を意識しながら観て、感じています」
ニューヨークが野村に与えるものは、刺激だけではない。「のんびり歩いているときだって、街を感じたり、人の様子を観察したり、いつでもアンテナを張っています。不思議なことに、アンテナを張っていると、ほしいものが入ってくるんですよ。知りたいことが知れたり、会いたい人に会えたり」。その“コツ”については、「求めた分、やった分、返ってくるようなものだと思うんです。なんか“呼ばれる”っていうのかな」。そんな出会いと気づきを通して、新鮮な気持ちと英気を養っている。
何事も自分次第。「ひとりの強さ」も大切に
ニューヨークにはつくづく縁のある野村。「そろそろ行きたいなって思うときに、ちょうどいい感じで、2週間くらいぽこっとスケジュールが空いたりするんです。もう、『おいで』っていわれてる気がするとすごい準備が早いです」と笑う。「東京も同じかもしれませんが、ニューヨークの街も人も、自分次第で冷たくもなるし、温かくもなる。自分が冷めた気持ちで向き合えば、街も人も自分に対してそうなりますよね。だからいつでも、自分次第で大抵のことはなんとかなるって思うんです」
そうとも。この街も人も、純粋に自身の向上を求め行動するポジティブマインドをもった者を応援する。変わらない頑固さを持ちながら、変化を恐れない者を歓迎する。そして、「変われる強さ」を持つ者を賞賛する。チームワークを重んじる野村にとって、ニューヨークは、「ひとりの強さ」を取り戻せる場所でもある。ひとりになることで、周りへの感謝の気持ちを新たにできる。自分ができることは何なのか、必要なものは何なのかが、明確になる。
才能あるタレントたちを支えてきた野村はいま、さらに新しく表舞台への階段を上りはじめている。「自分次第」と覚悟を決めて歩いてきた彼女は、これから私たちに、どんな世界を見せてくれるのだろうか。
Photographer: Tomoko Suzuki
Writer: Kei Itaya