ニュージーランド北島。先住民の村でのミッションは「眉間に眠る『第三の目』を開け<後編>
“文字をもたない民族”が生む、柔軟な思考
やっとはじまった今回の修行では、「他人の不調を探る力」の開発に重きをおくとのこと。しかし、どうやって第三の目を開くのだろうか?痛いのは勘弁だ。
と思っていたら、師匠が突然呪文のようなものを唱え始めた。参加者はそれをひたすら書き留めていく。呪文は古いマオリ語らしい。古から(師匠がいうには1万年前)伝わる第三の目について書かれた、お経みたいなものだという。
師匠はそのお経の全文を英訳し、10個くらいのパートに分けている。1パート読み上げると、参加者が順番に自分なりの解釈を語っていき、皆で討論する。この言葉を読み、聞き、その抽象的な表現の意を想像して解釈することで、第三の目が刺激されるらしい。
「私たちは文字をもたない民族なので、信仰や歴史は口伝か彫刻を通して次世代へ渡されてきた。だからその時代に生きる人のフィルターで少しずつ変化はするが、それが思考に柔軟性をもたせるんだ」と師匠はいう。
かつてマオリは、1800年代にニュージーランドで勃発した「Landwar(ランドワー)と呼ばれる「先住民マオリvs入植者」の土地をかけた戦いに敗れ、半ば強制的な西洋化とともに独自の文化を棄てさせられたことがある。信仰もその中の一つ。このお経は、秘密裏で現代に受け継がれてきた貴重なものだ。現在、マオリ文化は復興しつつあり、ニュージーランド国内での立場も改善されつつある。それはこういった“民族の背骨”が残存しているという事実が大きな理由の一つだろう。
そんな貴重なお経なのだが、すべて紹介するときりがないので、最初のパートだけ紹介しよう。まあ、私なりの解釈で英語を日本語に訳した物だが。
「何かに立ち向かおうとするな。その心は邪だ。無力の方向へ進め。判断を棄てろ。心を動かそうとすると、お前は機能停止に陥る」
もしかしたら、1万年前から伝わつているというのは盛ってないか?とは思ったが、それは抜きにしても深みのある言葉である。
いよいよ実技に突入!筆者は第三の目を開眼できるのか!?
その呪文の書きとめと討論を泊まり込みで2日間、休みを取りながら繰り返し、開眼するための土台を固めた。そのうえで、実技に入る。
まず、中央に参加者が一人ずつ順番に上向きに寝て、周囲を皆で囲む。眉間に感性を集中させ、中心に寝ている人が放射する色と第三の目を“コネクト”する。すると、体から放たれるメッセージが景色や色となって頭の中に現れ、それを頼りに精神的な滞り、体の不調を探すことができるようになるという。
師匠は少々疲れたのだろうか、円の外にマットレスを敷き寝転がり、「はじめ!」と勢いよくいい放った。それをきっかけに、みな2分ほど目を瞑り集中する。その後、何が見えたか順番に発表していく。
筆者は、最初は何も見えなかった。まあ、見えるわけない。感想を求められるので仕方なく「青い空が見えて、そこに色があって…」と適当に創作。
だが、他の参加者たちは2日間で第三の目が開眼したのか、本当に内面が見えるらしく、不調がある部位や体の状態をバンバン言い当てていく。
「まじか?」と思っていると、いよいよ、自分が鑑定される順番になった。
「可能性は低いが、将来心臓に問題を抱えるかも」と言われた。思わずドキッとする。なぜなら、筆者の家系は心臓に関係する疾患にかかることが多いと、両親に聞かされていたのだ。
あれ?なんだか見えないものが見えてくる
筆者も負けじと“コネクト”する努力をしていると、なんとなくではあるが、幾何学模様の映像が見えるようになった。そして、中心で寝ている人と時空を超えてコネクトする感覚というか、自分で書いていて怪しくて仕方ないが、確かにそういう感覚に陥った。その瞬間、心にこびりついていた垢が、溶け出していくような快楽がスーっと体に侵入してきた。「なんだこれ?私はどこにむかおうとしているのだ?」と軽い興奮状態。
自分に起こったことに驚いた。この感動を伝えようと師匠を見ると、寝転んだままぐーぐーと気持ちよさそうに眠りこけていたのにはもっと驚いた。
他の参加者に聞くと、「それは、開眼する予兆かも」とのこと。
しかし残念ながらここでタイムアップ。一通り修行は終わり、2日間第三の目を刺激し合い、仲間意識が芽生えたメンバーとの別れの時間が訪れてしまった。
「また、遊びにきなさい。君には才能があるし、私たちはもう家族だ」と師匠はニヒルに笑いながら送り出してくれた。
結局、第三の目を開眼し、世界の真理を見抜く力は得られなかった。だが、不思議な体験をしたことで、師匠がいった「第三の目は中立で、そこに可能性が内在する」という言葉の意味を少し理解したような気がする。
現代人は文明の発展とともに、目に見えるもの、そして科学で証明出来るものを信じるようになった。それも、一つの真実だろう。だが、世界はそれだけで語れるほど単純なものではなく、説明不可能なこと、目に見えない想像を絶することも確かに存在する。これもまた真実。真実は、一つではない。「だから中立でいて、すべてを受け入れろ」ということだ。これは、異質な考えや文化を排除したり、否定してしまう傾向がある現代社会へのメッセージともとれる。混沌に足を踏み入れようとしている時代だからこそ、プリミティブな教えに耳を傾けるのはどうだろう。そこにヒントがあるかもしれない、と、あの不思議な修行を思い出しながら…。
Writer: D.Daizo