「バリスタが通うべきエスプレッソバー」と注目を集めたポップアップから3年、無名だった「Parlor Coffee」には、ニューヨークだけでなく、西海岸のカフェやレストランまで全米中から熱い視線が集る。
ブランドを牽引するのは、過去にサードウェーブコーヒの発端「Stumptown」や、コーヒー界のアップル「Blue Bottle Coffee」で文字通りトントンと成功の階段を登っていたのに、欲がないのかひょいと離脱した男、Dillon Edwards(ディロン・エドワード )。
欲がない、わけではなかった。むしろ、彼のコーヒービジネスの指針とするところに、エゴが潜む。それは「自信がある商品があるから売る。ただし、売りたい相手にだけ売る」。裏返せば「売らない」ビジネスで、着実に儲けを生み、成功してきた。そして、そのむやみに“売らない精神”に基づく徹底美のミニマルビジネスが、声高にエコを叫ばずに買い手に「本当に欲しいものだけ消費する」行為をごく自然に刷り込んでいく。
「毎週日曜日は、朝から必ずここにいる」というブルックリンのネイビーヤード地区にある焙煎所を訪ねた。カーキ色のワークジャケットがトレードマーク。ブランド創始者であり、焙煎士であり、8年のキャリアを持つ敏腕バリスタのディロンは、共同創始者でフィアンセのタサと共に、早朝勤務とは思えぬ爽やかな笑顔で迎え入れてくれた。喫茶店のマスターしかり、「焙煎士」ときけば、“味を知りつくした熟年”のイメージを持っていたから、まだ25歳という若さに驚いた。
たった一畳あればいい?
究極の一杯の始まりは、バーバーショップの隅
「Parlor Coffee(パーラーコーヒー)」という銘柄が、突然人々の口の端に上るようになったのは2012年秋のこと。トレンドセッターが集うブルックリンのウィリアムズバーグ地区にあるバーバーショップの一角に、エスプレッソバーを設けたことから物語は始まった。
「バーバーショップ×エスプレッソバー」。そこには「マシーン一台分のスペースさえあれば、Parlor Coffeeの価値を伝えるに十分」という自信と、分かる人と共有するというエゴイスティックな面がちらりと覗く。拝金主義のメインストリームへのアンチテーゼを体現したような小さなスタンドだった。
せっかくだから待っている間に一杯、髪とヒゲを整えて一杯と、ランダムにやってきたバーバーショップの客は、その香り高い味に驚嘆。「これ、どこのブランド豆?」。ディロンは「僕がローストした豆なんだ」と、豆の産地からその個性を最大限に引き出す焙煎、および淹れ方の奥義を伝授。そうして、豆の価値を理解して味そのものを楽しむ、“良いもの”を共有できる顧客を地道に増やしてきた。一度良いものを知ると、微妙な3杯よりも旨い一杯を意識するようになる。
「最初はコーヒーメインにしようと考えていたんだけれど、床屋だし匂いが着いたら嫌な人もいるかと思ってエスプレッソバーにしたんだ」と、win-winの関係を築くための配慮も忘れなかった。
ウィリアムズバーグ界隈に住む、わりと高給なクリエイティブクラスから支持されたことは大きかったのかもれない。このポップアップを機にファンディングに成功し、翌年には、焙煎所に加入し焙煎を増量。しかし同時に、「Parlor Coffeeを取り扱ってもらう飲食店では、豆器具のセレクトからバリスタ養成を行う独自のプログラムまで手がけた」というから、クオリティ管理の徹底ぶりに抜かり無し。
“頑固一徹”が育てるエコ
無理のない「slow grow」で得る成功
Parlor Coffeeの徹底したクオリティは評価されている。だが、消費者からすると、8オンス(約224グラム)で12.50~14.25ドル(約1,500〜1,740円、豆の種類によって変動)という値段は、他のインディペンデントブランドの平均が12オンスで約15ドルの市場を考えると若干高め。しかも、前週の土曜日の夕方までの注文分を、週に一回日曜日に焙煎するという小ロット制で、基本的に発送は月曜日のみと、やや利便性にも欠ける。
それでも、注目のブランドだけに、Palor Coffeeの豆を取り扱いたいと名乗り出るクライアントは多い。だが、「無理な成長はしない」とディラン。Parlor Coffeeの豆は「信用できるクライアント、売りたい相手にだけに売る」と、昔ながらの頑固親父な職人を彷彿するポリシーを語る。加えて、ビジネスをやりたいから売るための商品をつくったのではなく「自信を持って薦められる商品があるからこそ、ビジネスをしている」と念を押す。それは、卵が先か、鶏が先かのような話かもしれない。だが、これこそブランドのミッションであり、スモールビジネスならではの悩み、「制約条件の中、どうやったら最小の労力と資源で、無駄なく最適な効果を得られるか」の答えだそうだ。無駄な資源の消費をせず、相手にも“なんとなく”の浪費をさせない。絶対に妥協しないというエゴに、最小限の消費というエコが後追いしてくる。
ディロンの頑なな姿勢に共感するクライアントは、よりParlor Coffeeの商品を大切に扱うし、個人の買い手にとっても「替えのきかないこだわりの豆」となる。いいものを自分で選んでいるという意識により、消費行為に「充実感」が生まれる。それはエコの根底の一つともいえる「消費行動を見直す」という行為に立ち返るきっかけを、図らずとも与えている。
いるべき時、いるべき所にいる。それも才能
選んだ街先のバーバーショップが、ちょうど高級層が集まる店だったこともそうだが、ディロンは人生を引きつける運と勘を備えているように思う。ここ数年、エコでクリエイティブな都市として紹介されることが多い米国オレゴン州の「ポートランド」。「住みたい都市、全米No.1」、そう騒がれる少し前の2008年、ディロンは大学進学のためにこの地にいた。17歳のとき、地元テネシー州のカフェでたまたま始めたバイト経験を思い出し、「せっかくだし」と、この時、街を代表するサードウェーブコーヒー文化の代名詞「Stumptown(ストンプタウン)」の門を叩いた。「それが人生のターニングポイント」とコーヒーの世界に開眼し、大学をやめた。代わりに“学びの場”となったストンプタウンでは、ラテアートや極上のエスプレッソの淹れ方はもちろん、豆の管理や焙煎方法、コミュニケーション力から“新時代のコーヒービジネスのあり方”まで「今に繋がるベースはほとんどここで身につけた」という。
それからわずか一年後の09年、20歳の若さにもかかわらず、才能とパッションを見込まれてストンプタウンのニューヨーク第一号となるACE HOTEL店のオープニングマネージメントを任された。「期待のエース」ともてはやされるも、大盛況のオープンから一年後、「もっと他の世界もみてみたい」とあっさり退社。ドイツの首都ベルリンへと飛び、現地のカフェで一年弱を過ごした。11年、再びニューヨークへ戻ってくると、今度は、後に「米国コーヒー界のアップル」と呼ばれるブルーボトルへ。厳選されたコーヒー豆を一杯ずつドリップして淹れる新形態で注目を集めてきた同店。「毎日、何百という人々と接し、小さなコミュニケーションから得られたモノは、この街でビジネスを志すうえで、とても有益だった」と、自分の原点を振り返った。
こうして、導かれるようにしてコーヒーの世界に足を踏み入れ、独自のブランドPalor Coffeeを牽引するいま、ディロンの尺度の中にはもちろんサステイナビリティやフェアトレードといったことは「当たり前」ベースで含まれている。が、最大の関心事といえば、「世界一美味しいコーヒー豆をつくり、その価値を共有したい」と、自身のエゴともいえる欲望。だからこそ、消費者に無理のないエコ意識が付随して生まれる。欲しいものだけを買い、それをうんと大切にする。それは間違いなく、こだわりを追求する作り手のエゴだけが生める、自然でいてライフスタイルの根本を揺るがすエコだ。
parlorcoffee.com *
Photographer: Kuo-Heng Huang
Writer: Chiyo Yamauchi