#010 最終話「分断した東西を統合したのは“テクノ”だった」ーベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”

【連載】鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録、10章目。

「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」

回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。
イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。
冷戦時代、ベルリンの壁と秘密警察の手をくぐり抜け、
抑圧の東ベルリンへ禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。

「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」
人権、文化、金銭の価値、国民の一生、そして人間の尊厳を決定した
高さ3メートルの「ベルリンの壁」。
それを境に、西は「経済」「自由」「文化」のすべてが豊かに栄え、東はすべてに飢えていく。
それは「音楽文化」も同じだった。

命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。
しかし、マークは幾度となく壁をすり抜けた。

西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸、禁じられた音楽を東に紹介するため。
これは、かつて“音楽密輸人”だった張本人の回想録だ。

***

前回のエピソードでは、壁崩壊前夜、東の音楽規制緩和とともにやってきた欧米ミュージシャンや東の者が殺到したデヴィッド・ボウイの“壁ギリギリ”コンサート、プロデュースを担当した東ドイツインディーバンドのアルバム完成など、ベルリン激動期を語った。今回はいよいよ最終回。壁崩壊直後に開設したぼくのレコードレーベルや、東西分断を一つにしたテクノの軌跡について話していくとしよう。

▶︎1話目から読む

最終話 #010「分断した東西を統合したのは“テクノ”だった」

旧無人地帯のテクノクラブで、東西若者踊る

1989年11月9日、ベルリンの壁、崩壊。

 壁崩壊という大事件が歴史に刻まれていたとき、ぼくは東欧旅行に出ていたのだが、ベルリンに戻って直感した。あらゆることが、もうこれまでとは違う、と。それでも、東の生活はすぐに激変したというわけではなく、街を行き交う人は揃いも揃ってジャージや擦り切れたジーパン、スニーカーという出で立ちのままだった

 壁という隔たりがなくなり、東の者たちは西の様子を一目みたいと思った。それは西の者も同じで、東はどんな様子か興味津々だ。国境はいまだに存在したが、看守たちは手のひらを返したように一様に慇懃で愛想よく、なにを持ち込んでも気にしないといった様子だった。さらに東の共産主義政権は崩壊していたので、実質的に法律が効力を発しておらず、音楽規制なども取り下げられた。東の国営レコードレーベル・アミーガでさえ、“ゾング(ZONG)”に改名されたのだ。

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 東と西のあいだに、脅威などもう存在しない。冷戦が終結したことに、みな心から喜んでいるようだった。街は肩の力が抜けたといった感じで、酩酊したかのような火照る高揚感さえ漂う。壁の開放とともに、国境付近の無人地帯にある廃墟、たとえば燃料庫や発電所までもが突如としてクラブベニューとなった。マイク、アンプ、スピーカーにターンテーブル、スモークマシーン、ストロボ、照明にアルコール、ドラッグさえあれば、レイヴパーティの完成だ。テクノと呼ばれる新しいスタイルのエレクトロダンスミュージックがベルリンにも生まれたのだ。クラブに押し寄せるのは、なにも東のキッズだけではない。西のキッズもくる。「UFOクラブ」はこのシーンの代表的なテクノクラブで、キッズはみなここを目指した。そしてクラブシーンに登場したのが、エクスタシーと呼ばれる安価な新しいパーティードラッグ。これまでドラッグ未経験の東のキッズが、西のキッズも交え、一緒に“E”を体験する光景は、なかなか印象的だった

 テクノは、分断された国の若者たちを統合した。テクノはひとつのライフスタイルだった。テクノは、ヒッピーのような自由や愛、平和を孕んでいて、ドイツを象徴する新しい音楽となった。テクノの祭典・ラブパレードでは、レイバーたちが通りに出て音楽に身を任せながらダンスし一日中ドラッグにふけっていた。警察は特に気にするそぶりをみせず、若い警官なんかはレイバーたちと一緒に踊っていたりもした。この光景は、“新生ベルリン”にふさわしいイメージだった。
 創造性を刺激するベルリン。同じマインドセットの人々と出会うことができるベルリン。どんな格好をしようとも、どんな性であろうとも関係ない、常識の範囲内でほとんどすべてのことが許容されるベルリンだ

 壁崩壊のおかげで、東と西の者たちが出会い、旧無人地帯で踊り明かした。みなが同じ精神状態で、互いを愛した。冷戦は終わり、核戦争による破滅の脅威はなくなった。国家の分断は終わり、東西の者たちがたったひとつの曲に身をまかせダンスする。1990年10月3日に制定されたドイツ再統一のもっと前から“本当のドイツ再統一”は、壁崩壊直後のダンスフロアでおこっていたのだ

Joy-Division_Reeder-Hohe-Qualiのコピー

ベルリン・テクノシーンの初期レーベル、創設

 壁も崩壊し、東西キッズが同じダンスフロアで同じ曲で踊る。東のキッズたちがようやく好きな音楽レコードを買い、聴き、音楽づくりができるという事実を前に、ぼくは彼らにきっと新しい音楽レーベルが必要だろうと感じた。アミーガ改めゾングに、テクノレーベルをはじめたらどうか、と提案すると、彼らはテクノに造詣の深いぼくがはじめたらどうだと切り返してきた。東のキッズの音楽活動を手助けをしたかったぼくは、ヘルマン・ゲーリング(ドイツの軍人)の元オフィス101室を占領し、自身のレーベルを開設した。その名も「マスターマインデッド・フォー・サクセス(Masterminded For Success、“成功への黒幕”とでも訳そうか)」、略して「MFS」だ。

 レーベル運営の経験はなかったが、どんな音をつくっていきたいかはわかっていた。初期のテクノは、ドンドンドンドンととても激しい強打音だったが、ぼくはもっとメロディックで、眠気を誘うようなトリッピー・トランス配合のテクノをつくりたいと思った。独エレクトロアーティストのコズミックベイビーと若きトランスDJのポール・ヴァン・ダイクのジャーマントランスユニット、ビジョンズ・オブ・シヴァの「パーフェクトデイ」という曲が、MFS発の最初の国際的ヒットとなった。

 ぼくは真剣に仕事に打ち込んだ。レーベル運営は9時5時でなく四六時中、どうやってアーティストをプロモーションしようか考えている休みない仕事だった。以前ぼくはデザイナーだったこともあり、自分のレーベルにかっこいいイメージは必要不可欠だった。ファクトリーレコードのトニー・ウィルソンとミュートレコードのダニエル・ミラーにメンターになってもらい、ぼくはレコードスリーブのデザインから、プロモーション活動、ツアーマネージャーにプロモーター、アーティストの取材質問の対応まで手がけた。レコーディングスタジオに足を運び、演奏やマスタリングを監修し、いかにして自分のアーティストたちを他のアーティスト以上にさせるかばかり考え巡らせた。

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 しかし、簡単には物事は進まない。アーティストたちは芽生えたエゴや劣等感を消すため、やってはいけないドラッグに手を出した。物事が間違った方向に進んでいき、最終的に自分の働きに対しての十分な賞賛を得られないことにうんざりしてきたぼくはレーベルを中断し、自分の音楽プロデューサー業を再開することにした。独トランスデュオ、ブランク&ジョーンズの依頼でニュー・オーダーのバーナード・サムナーをボーカルに迎え、80年代風のリミックス。『ミラクル・キュアー』が生まれた。するとこの曲を耳にしたペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントからリミックスを頼まれたり、ジョン・フォックス(英ニューウェーブバンド・ウルトラヴォックスの初期ボーカル)やデペッシュ・モードからも依頼が舞い込んでくるようになった。若手の知られていないアーティストたちと仕事をするのも好きだった。

グッバイ、スターリン。破壊と創造の狭間でくすぶった冷戦時代を乗り越えて

 いま回想してみると、ベルリンの小さな音楽シーンは間接的に世界にとてつもなく大きなインパクトをあたえていたのかと思う。ぼくが西のディスコで聞いたハイ・エナジーミュージックのテープをバーナード・サムナーに渡していなかったら『ブルー・マンデー』はおそらく生まれていなかっただろうし、デペッシュ・モードのマーティン・ゴアがベルリンに少しでも住まなかったら、彼らのサウンドも変わらなかったことだろう。デペッシュ・モードのプロデューサー、ギャレス・ジョーンズがノイバウテンとのレコーディングを経験したことが、デペッシュ・モードの名曲『ピープル・アー・ピープル』につながっただろうし、ノイバウテンとの邂逅に衝撃を受けたニック・ケイヴが自身のバンド、ザ・バッド・シーズを結成した。

 80年代、誰もが21世紀のベルリンがどうなっているか想像できなかった。家にセントラルヒーティング(温められた水が配管を巡り、建物全体を温める中央暖房システム)もなく、暖をとるためにクラブに行く。冷戦真っ只中でくすぶり、シンボルや法、制服、音楽、石、破片と戯れていた。破壊できるものは破壊し、タブーをぶち壊し、制限を超え、ユートピアを実現し、欲しいものをままにした。歴史のページの上を土足で歩き、そこに新しくものを書き足したりもした[1]。それにぼくは自分のことを“密輸人”だとは思っていなかった。ぼくにとってテープなんかを密輸するのは、たんなる奉仕に過ぎなかった。欲しいものが手に入らない友人への手助け。スターリンの国で制限された生活を送る彼らに、少しでも楽しみをわけてあげたかったのだ

ep10

 ベルリンの地に足を踏み入れてから壁崩壊までのぼくの数年は、無謀で冒険に満ち溢れた眠り知らずの歳月だった。いま思えば、みんなが想像できないような体験をしていたんだと思う。結局、80年代は閃光のように終わった。ぼくにとってベルリンは、天国の島だ。ひとつだけ言えることといったら、ぼくは自分のしてきたことを誇りに思う。そして間違いなくこうも言える。ぼくはあの時代あの瞬間あの土地に自分の足で立ち、どうしようもなく格好いいベルリンを目撃していたんだ![2]

***

マーク・リーダー/Mark Reeder

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1958年、英・マンチェスター生まれ。78年から独・ベルリン在住。ミュージシャン、プロデューサー、サウンドエンジニア、レコードレーベルの創設者として英独、世界のミュージシャンを育てあげる。
過去にはニュー・オーダーやデペッシュ・モード、電気グルーヴなど世界的バンドのリミックスも手がけてきたほか、近年では、当時の西ベルリンを記録したドキュメンタリー映画『B Movie: Lust& Sound in Berlin (1979-1989)』(2015年)でナレーションを担当。現在は、自身のニューアルバム『mauerstadt』の制作やイギリスや中国などの若手バンドのプロデュースやリミックス、執筆・講演活動なども精力的に行っている。markreedermusic(ウェブサイト)

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Writer: Mark Reeder
Reference: [1] [2] Reeder, Mark.(2015). “B BOOK: LUST&SOUND IN WEST-BERLIN 1979-1989”. Edel Germany GmbH
All images via Mark Reeder
Translated by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine

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