『老人と海』『日はまた昇る』『武器よさらば』。20世紀を代表する米現代作家Ernest Hemingway(アーネスト・ヘミングウェイ)。
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
今年4月、彼の伝記映画『Papa: Hemingway in Cuba(パパ:ヘミングウェイ・イン・キューバ)』が公開された。1950年代に実在した米国人ジャーナリストとヘミングウェイがキューバで過ごした友情の日々を描いた同作品は、59年のキューバ革命後は初の、キューバで撮影された米資本の長編映画となった。
半世紀以上も前にこの世を去ってもなお世界に愛されるヘミングウェイには、没後7年経って生まれた孫がいる。
名前は同じEからはじまる、Edward Hemingway(エドワード・ヘミングウェイ)。絵本作家となった彼のもとへ、ブルックリンにあるスタジオを訪ねた。
文豪の孫は絵本作家
スタジオの外でハーイ!と出迎えてくれたエドワード。にこにこ笑顔、ラフな出で立ち。大柄な体からはリラックスしたムードが漂う。
早々に「はい、どうぞ」と手渡してくれたのが、先月出版された新作絵本『Field Guide to the Grumpasaurus(フィールド・ガイド・トゥ・グランパサウルス)』。
いつもしかめっ面で何をしてもご機嫌斜めな恐竜の子、グランパサウルスくんが主人公のユーモラスなお話だ。
「母に捧げた絵本なんだ。彼女もご機嫌斜めなこと多かったから(笑)。それにぼくという“グランパサウルス”も育てた。一種の自伝かな」といたずらっぽい目でほほ笑む。
「小説なら気に入れば3回くらいは読むけど、絵本は100回くらい読まれるべきもの。それに絵本を子どもに読み聞かせる大人にも気に入られるよう心掛けている」
現在47歳。絵本作家生活17年。自作を発表するほか、イラストレーターとして絵本の挿絵も手掛けている。
両親の出逢いはヘミングウェイのお葬式
「祖父のことを、母はグランドファザー、父はパパと呼んでいたから、ぼくはグランドパパと呼んでいるんだ」
1968年、フロリダ州マイアミ。ヘミングウェイの末息子である父グレゴリーと、ヘミングウェイの元秘書である母バレリーのもとエドワードは誕生。両親が出会ったのは、ヘミングウェイのお葬式だった。
11歳までマンハッタンで育ち、後に家族でモンタナ州に移住。子どものころからコミックや漫画が大好きだった彼、2000年にアートスクールでイラストレーションを学ぶためニューヨークに戻ってきた。
「アーティストになるというぼくの夢を両親は応援してくれた。祖父が小説家として成功したことで、作家やアーティストでも生計が立てられると知っていたからね。祖母(ヘミングウェイの3番目の妻)も母もジャーナリスト。物書きの家系だね」
絵本作家になったのは、30歳のとき。
「昔から絵本が好きだった。絵本って子どもにとって初めて訪れる“美術館”みたいなもの。美術館で壁に並べられた絵をたどってアート鑑賞するように、ひと続きになった絵を眺めてそこからストーリーを感じ取る。だから絵本は子どもたちにとって、芸術鑑賞の“原体験”なんだ」
初めて読んだ本は『老人と海』
自分の祖父があの偉大な作家ヘミングウェイだと知ったのは、小学生のとき。周りの友だちが、「君のおじいちゃんは有名な人だよ」と教えてくれたという。
父も母も祖父について多くを語らなかった。「思い出すのがきっと辛かったんだろうね」とエドワード。
「それでも祖父のことを知りたがるぼくにふたりはこう言ったんだ、『おじいちゃんのことを知りたければ彼の本を読みなさい』って」
おじいちゃんの作品との初対面は意外にも遅く、高校のとき。課題図書だった。いまでもお気に入りの一つ、『老人と海』だ。エドワード、海にまつわる文豪の家族エピソードを一つ、教えてくれた。
「祖父と釣りに行った父が魚を取ろうと海に潜っていたら、サメが近づいてきたんだって。それに気づいた祖父はボートにゆっくり戻ってくるよう指示し、間一髪で父はボートに上がったんだ。息子が危険な状況にいても慌てず平静を保てる、強靭な精神力の持ち主だったんだね」
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
1928年、フロリダ州キーウェストにて。海を愛した男だった
垣間見えるジャーナリスト魂
小説家になる前は、新聞記者だったヘミングウェイ。取材のため戦場にまで赴いたり、自分の目と耳で確かめてこそいい文章がかける、と自分の実体験を元に小説を書いた。その文体は「ハードボイルド・スタイル」として知られ、私情をあまり交えずに淡々と事実だけを述べるジャーナリスティックなものだった。そんな記者上がりの彼らしい逸話も。
「母が初めて祖父に会ったときの話だよ。アイルランドからやってきた19歳の新米ジャーナリストだった彼女はある日、ホテルでたまたま祖父を見かけたんだ。これはチャンスと取材をすることに。でもインタビューを終えた母に祖父はこう言ったんだ、『あまりいい質問じゃなかったな』。そして、いい取材の仕方やこういう質問をしたらいい、と助言したんだ」
Image via Edward Hemingway
左がヘミングウェイ、右がバレリー。1959年、キューバにて
母バレリーのことを気に入ったヘミングウェイは、パンプローナ(スペイン北東部にある街で、『日はまた昇る』の舞台になった地)に仲間たちと闘牛を見に行くから一緒に来なさいと、自宅に航空券を送りつけたのだとか。
こうして彼の取り巻きのひとりになった彼女は彼宛ての手紙を整理したりなど、秘書として働くことになる。死後に発表された『A Moveable Feast(移動祝祭日)』の手書き原稿をタイプしたのも彼女だった。
祖父と孫。作品に投影された人間の奥深さ
祖父は交友関係も華やかで、22歳の若き時代にはパリに渡り、画家パブロ・ピカソや作家スコット・フィッツジェラルド、詩人ガートルード・スタインをはじめとする文化人たちと親交を深めていた。
その当時、パリに集っていたのは「ロストジェネレーション(失われた時代)」と呼ばれる若者たち。第一次世界大戦を経験したことで旧世代の価値観や人間の道徳に懐疑的になり、酒や享楽に溺れ自堕落な生活を送っていた。
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
1925年、パリ。友人たちとカフェで団欒。一番左がヘミングウェイ
自身もロストジェネレーション作家であったヘミングウェイは、『日はまた昇る(The Sun Also Rises)』(1926年)で空虚な若者たちの姿を、『武器よさらば(A Farewell to Arms)』(1929年)で第一次世界大戦の戦場での兵士と看護婦のラブストーリーを、『誰がために鐘は鳴る(For Whom the Bell Tolls)』(1940年)でスペイン内戦を舞台にした恋愛ドラマを描いた。
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
第二次世界大戦中、ロンドンのホテルにて、タイプライターに向かい合うヘミングウェイ
時代や戦争に翻弄される若者たちの闇を表現した祖父。エドワードも、『グランパサウルス』では不機嫌さを、りんごとミミズの友情を描いた『Bad Apple(バッド・アップル)』(2012年)ではいじめ問題をテーマに、誰もが持つダークな心の内やネガティブな感情を映し出す。
もっとも、ポップで鮮やかな色のタッチと可愛らしいキャラクターでもって描かれているのだが。
それから、作家として受け継いでいるのはそのあり方。「祖父が大切にしていたこと、それは“Work Hard Live Hard(仕事も人生もがむしゃらに)”。彼は朝早く起き執筆活動に励み、正午までには終わらせ、残りの1日は好きなことをして費やしていたんだ。小説家は自分の人生を作品に投影するため生活も充実させないといけない。そのスピリットには影響を受けているよ」
Image via Edward Hemingway
1940年代、アイダホにて。隣に座っているのは、エドワードの父。ロバート・キャパによるエドワードもお気に入りの一枚
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
1946年、キューバの自宅にてふたりの息子と3匹の猫(Good Will、 Princessa、Boise)と戯れるヘミングウェイ
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
キューバの自宅にて。お酒と犬と本と
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
1959年の夏、スペインにて。ヘミングウェイはお酒を飲むのが大好きだった
キューバで初めて感じた祖父の偉大さ
「キャリアを積んできたいまでこそ、作家・アーティストとしてきちんと認識されるようになったけど、デビューしたての頃は、“ヘミングウェイ”や“アーネストの孫”という肩書きがつきまとっていた」
偉大な作家を祖父に持つこと。稀有な家系を持つことに誇りには思っていたものの、“ヘミングウェイ”という名前に自分の作品やキャリアが負けるのだけは避けたかった。
そんなエドワードが祖父の偉大さを実感したのは30歳のころ。初めてキューバを訪れたときだった。
キューバといえば、ヘミングウェイ最愛の土地。ハバナのHotel Ambos Mundos(ホテル・アンボス・ムンドス)を定宿にし、その後郊外の美しい農場に白亜の邸宅“Finca Vigía(フィンカ・ビヒア)”を建て、およそ22年間を過ごした。
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
エドワードはヘミングウェイがひいきにしていたバー、La Bodeguita del Medio(ラ・ボデギータ・デル・メディオ)では彼のお気に入りモヒートを、El Floridita(エル・フロリディータ)ではラム酒、ライムジュースと砂糖を混ぜてつくるキューバのカクテル「ダイキリ(Daiquiri)」を。“ラム酒ダブルで砂糖抜き”にのヘミングウェイオリジナルのフローズン・ダイキリを飲みに行った。
親しみを込めて“パパ・ヘミングウェイ”と呼んだのもここキューバの人々。「祖父の作品をあまりにも愛しているものだから、彼のことをキューバ人だと思い込んでいる人も多くいてね」。
現地の人たちから熱烈な歓迎を受けたエドワードは、家族から受け継いだ“遺産”を身をもって感じ、初めてパパ・ヘミングウェイが祖父であることに心から誇りを覚えたという。
ちなみにエドワード、「昨晩、近所のバーで“ヘミングウェイ・ダイキリ”を飲んだよ」とぽつり。「まあ酒豪だった祖父にはかなわないけど少しは飲まないとね。アイルランド人の母と“ヘミングウェイ”の遺伝子を受け継いでいるんだから」と豪快に笑った。
ヘミングウェイズを結ぶのは「猫への愛」
おじいちゃんと孫が好きなものがある。それは、「猫」。
生前は愛猫家だったことでも有名なヘミングウェイ。「祖父は知り合いの船長から一匹の猫を譲り受けた。“Snowball(スノウボール)”という名のね。6本指の珍しい猫だよ」
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
キューバの自宅にて
Ernest Hemingway Collection. John F. Kennedy Presidential Library and Museum, Boston.
1931年から39年まで暮らしたフロリダ州キーウェストの邸宅には、飼い猫たちが自由に歩き回っていた。現在博物館となっているその敷地内には、いまでも「ヘミングウェイ・キャット」の愛称で知られる6本指の子孫たちが見張り番をしている。
「実はぼくも猫、大好きなんだ」。嬉しそうに話すエドワードは、グランパサウルスにも登場する黒猫のキャラクターを見せてくれた。おじいちゃんの猫好きは孫にもしっかり遺伝しているんだな。
「いつかヘミングウェイ・キャットたちを主人公にした作品、描きたいね」。そう言って頬をゆるめた。
Edward Hemingway
Field Guide to the Grumpasaurus
Edward Hemingway
全米各地のブックフェアや小学校を訪問し、自分のキャラクターをお絵描きするワークショップなどを開く。「スタジオで独り作り上げてきた作品を子どもたちに紹介して、彼らがどんな反応をするのか見るのが好きなんだ」
エドワードがイラストを担当した絵本。「ヘミングウェイ」は中国語で「海明威」。ぴったりの漢字だ
ちなみに今日(7月21日)はヘミングウェイの誕生日
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Interview photos by Kuo-Heng Huang
Text by Risa Akita